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単発SS
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取り立ててどうということもない、わずかな音だった。それが聞こえた瞬間に、とっさに体が強張った。
「――でさぁ、学校の子がね」
「そういうのが今流行ってるの?」
ちょっとした物音だった。廃墟の壁にマチュの靴裏が当たって、むき出しのコンクリートと擦れる音。それに次いで湧いた笑い声。
「ほんっとうにバカみたいだよね!」
「…………あはは」
ニャアンとマチュが声を出して笑うと、鳥の羽音みたいに聞こえる。わたしも合わせて笑うけれど、顔に浮かべた表情がこれで合っているのかは、いまだに自信がない。普段めったに使わない筋肉を使っている。それに、今頑張ってどれだけ体を鍛えてみたところで「次のループ」では意味を成さないし。もう繰り返すことが当たり前になってきているせいで、なるべく消費するエネルギーが少なくなるように、無駄なコストを抑える方面で思考を最適化していく。
朝起きたら顔を洗って歯を磨くみたいに、決まったことを淡々とこなすしかないんだ。――だって、今のこの状態が一番安定しているし、変なことになりにくい……気がする。これはわたしが何度も何度も繰り返した結果による合理的な判断であって、別の結果を得るために試行錯誤する段階はとっくに過ぎ去っているってこと。
何が言いたいのかというと、つまり――肝心のタイミングに持っていくまでがあまりにも長いから、くだらないポイントで遊んでいられるわけじゃない。ただそれだけ。他にもやらなくちゃいけないことと、やった方がいいことなんて山ほどある。わたしなりの生存戦略だ。
「ねぇ、なんかあった? いつもより元気ないみたいじゃん」
「……えっ」
「ナマエ、言いにくいことなら無理にとは言わないけど……。わたしたちで何かできるなら、力になりたい。だって、その、友達……だし」
「ニャアン、めっちゃいいこと言うじゃん!」
「……マチュは聞き方が無遠慮すぎ」
――ああ、このパターンか。
まっすぐこちらを見据えながら、そっと触れるように気遣ってくれるニャアンに、猪突猛進型でこっちが恥ずかしくなるくらいまっすぐなマチュ。……ちょっと気を抜きすぎたかもしれない。
なんだかんだで、二人とも他の人の顔色をしっかり見ているタイプだ。その気遣いはありがたいけれど、正直、このパターンになるとごまかすのがちょっと……いや、かなりめんどくさい、かも。二人とも、嘘を見抜くのが結構上手いから。こういう時、ニュータイプを相手にしているんだって思い知らされる。
でも……、今は大丈夫。
「ううん。……もうすぐテストだから、ちょっとそれが気になってるだけだよ」
「あー! そろそろ期末じゃん。ってか、わたしも思い出しちゃった……」
「それならマチュも勉強しないと。補修になったら、クラバできなくなっちゃう」
「わかってる! わかってるんだけどさー、勉強、めんどくさい……」
ね! なんて同意を求められたから、わたしも彼女と同じトーンを作って、「成績下がるとやばいし、超だるいよね」とかなんとか言って、あわせた。
この時期にこの感じの会話になって、その場にマチュがいる場合は、こうやって受け流せばどうにでもなる。今はまだ全然楽な方だ。この先のことに比べれば穏やかで、こうやって軌道修正も楽だし。
うちの学校だって他のところと同じような時期にテストをするし、みんなも別に、わざわざわたしの通っているところについて誰も詮索しないっていうのは、わかっている。わかっているけど、毎度のことながら、学校の話をする時に緊張してしまった。
この中で普通の学校に行っているのはマチュだけだから、わたしが浮いているってわけじゃないけど。ちょっとだけ、忘れていたはずのコンプレックスとか、刺激されるから正直、苦手だ……。
「ってか、シュウジ遅いねー。何やってんだろ」
マチュが携帯の時計を見ながら、ふとつぶやいた。確かに、さっき「買い出しに行ってくる」なんて言ったきりでしばらく経つけれど、一向に戻ってくる気配はない。
「シュウちゃんのことだし、どこかで迷子になってたりして……」
「迷子って、子供じゃないんだし」
シュウジが今どこにいるか、わたしは知っている。
彼は買い物帰りに店から駅まで歩いている途中で、いい匂いがしたから、という理由でふと立ち止まる。その匂いの先には屋台があって、おいしそうなお菓子を見つける。わたしたちと食べようと思った彼がいっぱい買い占めてしまったら、帰りの電車に乗る分のクレジットがなくなって、それで頑張って歩いてこちらに向かっている最中だ。
だから、ニャアンの心配するように迷子になっているわけじゃない。どこかでトラブルに巻き込まれているとか、そういうのでもない。
シュウジの後先考えない浮き世離れしたところが、わたしは好き……っていうか、見ていて飽きない。
前はシュウジのこういうところを、ちょっと変だなとか、子供っぽいなって思っていたこともあったけど。今は全然そう思わないかも。人を振り回すけどそれで嫌な気持ちになったりとかは、全然ないし。
時々心配になったりはするけれど、予想外のことをする彼の気持ちがまだわからないっていうことが、苦しいけれど、救われているところもあるし……。
「シュウジって、なんだか猫みたい」
気が付いたら、わたしは思ったことをそのまま口に出していたみたいだ。こっちがあ、と思う間もなく、マチュは目を見開いて、さっきみたいにケラケラと笑い出した。
「なんかそれ、わかる~。いっつも地面で寝てるし、顔もちょっと似てるくない?」
「うん。風邪ひかないのかなって、ちょっと気になる……」
「ニャアンってお母さんみたいなとこあるよね」
「そうかな。自分ではあんまり思わないけど」
「まぁ、ニャアンはわたしたちより、しっかりしてるなぁって思うよ」
わたしがそう言うと、ニャアンは毛先を指で弄りながら、「そうかな」なんて小さな声でつぶやいた。きっちりとした折り目のスカートから伸びる足もちゃんと揃えて閉じていて、そういうところでニャアン本人の生真面目なところが出ていると、思う。
「ってか、シュウジマジで遅い!」
座ってダラダラ会話しているだけで、時間はあっという間にすぎる。この間延びした気だるい雰囲気が恋しくなる日が来るのが、待ち遠しくて、しんどい。
◇
前はシュウジのところに行ってみたり、誰かがいそうな場所にぶらっと向かってみたりとか、ゲームの未回収のイベントを回収するように手当たり次第に行動してみたりしたけれど、それももうしつくしてしまった感があって。もう、みんなの行動パターンも大体把握してしまった。――ここに限っては、イレギュラーみたいなところはあまり発生しないみたいだ。行動が固定化されていくと、何度もクリアしたゲームをまた最初からさせられているような、だらけた感じになってくる。
学校から来たメールに答えないといけない。進路調査――高校が終わったらどうしたいかというアンケートが回ってくる時期になった。毎回のことだから、大学に行くとか、適当に書くようにしていた。ふざけた答えなんてしたら親に電話がいっちゃうし。
正直なところ、将来の目標なんていったら、シュウジのことをどうするかって話しかない。わたしにとってシュウジが世界の中心で、このよくわからないループ現象だってわたしの強い意志か何かによって発生しているのだから。ここをどうにかしない限り、学校も卒業できないし、わたしは未練たらたらの地縛霊みたいにこの時間に固定され続けるんだろう。
――ルーチンワークも、飽きたな。
アンケート画面を指でスクロールしながら、ちょっとした悪ふざけを思いつく。ここでふざけた答えを送ったら、ここから先の展開が、運命が変わったりしないだろうか。
「……いやいや」
もっとこれから先、やることが多い。まだ試していないパターンがあるし、これから先でこのコロニーが大変なことになる時一番大事なのは自分が死なないようにすることだ。ちょっとしたバタフライエフェクトで、わたしが動けなくなる可能性だってある。痛いのは嫌だし、誰か一人だって欠けるのは、嫌だ……。
せっかく築いてきた黄金パターンを崩す必要なんてない。でも、またこの前と同じになったら、あの長い長い時間をもう一回苦しまないといけなくなる。モビルスーツに乗れるようになるまで、何回死にかけて肝が冷えて辞めてやろうって思ったことだろう。手にした安定は、手放したくない。
でも、現状に疲れ切った自分がいることも、事実だ。新しいことなんて何もない。毎日知ってることの繰り返しで、ちょっとしたことが変化していたとしてもわたしの視点だと確認できないようなことばっかりだ。驚きがない。おんなじ録画の再生を見ているみたいで、退屈。
――ふと、ポケットの中身が重くなった気がした。さっきまで、というか普段からあまり意識することがないソレが、存在を主張するように質量を増しているようだった。
わたしは少し震える手で時計の淵をなぞる。今時流行らないデザインの、懐古趣味な時計だ。これがないと――これがある限り、わたしは頼ってしまう。シュウジ・イトウという人間を求めてどこまでも、文字通りなんだってしてしまう。
そもそも、わたしはシュウジ以外の人のことを大事だと思っているけれど、それが間違いだったりしないだろうか。今までさんざん気をまわしていたけれど、二人は放っておいても変わらないような気がする。わたしの気のせいだったらいい。もし間違っていたら、わたしはわたしを許せなくなる。
生き死にとかそういう話じゃなくて、もっと簡単なことを考えよう。わたしはシュウジがいればよくて、彼がどこにも行かずにわたしの隣にいるようにすればいい。極端なことをいえば、二人の存在は不要だった。でも、ここにいてもらわないと大変なことになるかもしれないから。――かもしれないから、という曖昧な理由でわたしの中に「残している」にすぎない。
――じゃあ別に、いらないんじゃない?
そんな声が自分の中から聞こえてきて、思わず身震いする。
――考えたことがなかったわけじゃない。可能性としては、わたしの子供じみた感情で先走りそうになったことは、正直何度もある。二人がいなければ、シュウジはわたししか見ない。じゃあそっちの方がチャンスが多いんじゃないか、って。
あ、ダメだ……。考えれば考えるほど、よくない思いが出てきちゃいそうになる。悪いアイデアなんていくらでも思いついてしまって、それで、やろうと思えばわたしはなんだってできるんだって、無敵感? 自分の中で根拠のない自信とドロドロになった嫉妬心が混ざりあって、おかしくなりそう……。
「どうしよう……」
わたしは手の中のスマホを握りしめた。画面はとっくにスリープモードに入っていた。黒い画面に、自分の顔が反射している。今自分がどんな表情をしているかなんて見たくない。一度考えた可能性を否定するには、わたしは穏便に頑張りすぎたんじゃないかな。だって、報われたい。頑張ってるから、一回は――いい思いをさせてよ。
「ナマエは、どうしたい?」
声がしたから、顔を上げた。とっさに取り繕うとしたけれど上手くいくわけがなくて。迷子の子供が親を見つけた時のような安心感と、見られていたんじゃないかという不安を二重で感じる。
「シュウジ――」
「うん。ナマエは、迷ってる。゛自分の心に従った方がいい〟と、ガンダムが言っている」
「は、はは……。またガンダム、なんだね。ガンダムがそう言うんだ……。そっか」
まるで最初からいたように、シュウジはわたしの横に立っていた。神様みたいに、彼の目線に射貫かれると自分を誤魔化していたところがボロボロと崩れていくような気がして、わたしは自分の口をふさいだ。泣きそうだ。こんなことは今までになかったし、どうしたらいいかわからない。
「ガンダムだけじゃない」
「えっ」
「それは正しいことだと思う。何かする時はそうした方が――、きっと未来の自分が悔やむことは、減ると思う」
シュウジが流暢ではない言葉で喋っているのを聞くのは、はじめてだった。紛れもなくシュウジ本人が考えていること、なんだろう。いつも淡々としていて、つかみどころがないように見えるけれど、彼だってちゃんと悩むことのある普通の人、なんだ。
「ナマエが悩んでいることは、あまりわからないけれど。それでも相談には、乗りたいと思う。――友達で、仲間だから」
「わたしね、みんなのことが好きだよ」
シュウジは黙ってうなずいた。わたしはなんでもないって言いたかった。でも――自白剤でも飲まされたみたいに自分の言葉が止まらない。
「ずっと一緒に仲良くしたいって思ってる。でも、時々……ううん、いつもおかしくなりそうなの。コンプレックスっていうのかな。ごめん、上手くまとまらない。……全部なくなったらいいのに、ってたまに思うんだ。変、かな。友達なのに。こんな話、シュウジに聞かせるつもりじゃなかったのに」
「それは変じゃないと思う。嫉妬や羨望は、人間にはある当たり前の感情。――このことは、誰にも言わないから、安心して喋ってもいい」
なんて人なんだろう。わたしの全部をさらけ出して、一番見せたくないものを見せてるのに。シュウジはどこまでも優しい目をして、わたしを見ている。
「シュウジに、嫌われたら、生きていけない。わたし、無理……。本当に、嫌だ」
「ならない」
「絶対?」
「うん」
どこまでもまっすぐで澄んだ瞳をしている。彼の腕の中で何もかも洗いざらい告白してしまいたい。楽になりたい。どうにかして救われたい。友達の好きだけじゃなくて、愛してるって言いたい。でもわたしは臆病だからそれだけはできない。
「――でさぁ、学校の子がね」
「そういうのが今流行ってるの?」
ちょっとした物音だった。廃墟の壁にマチュの靴裏が当たって、むき出しのコンクリートと擦れる音。それに次いで湧いた笑い声。
「ほんっとうにバカみたいだよね!」
「…………あはは」
ニャアンとマチュが声を出して笑うと、鳥の羽音みたいに聞こえる。わたしも合わせて笑うけれど、顔に浮かべた表情がこれで合っているのかは、いまだに自信がない。普段めったに使わない筋肉を使っている。それに、今頑張ってどれだけ体を鍛えてみたところで「次のループ」では意味を成さないし。もう繰り返すことが当たり前になってきているせいで、なるべく消費するエネルギーが少なくなるように、無駄なコストを抑える方面で思考を最適化していく。
朝起きたら顔を洗って歯を磨くみたいに、決まったことを淡々とこなすしかないんだ。――だって、今のこの状態が一番安定しているし、変なことになりにくい……気がする。これはわたしが何度も何度も繰り返した結果による合理的な判断であって、別の結果を得るために試行錯誤する段階はとっくに過ぎ去っているってこと。
何が言いたいのかというと、つまり――肝心のタイミングに持っていくまでがあまりにも長いから、くだらないポイントで遊んでいられるわけじゃない。ただそれだけ。他にもやらなくちゃいけないことと、やった方がいいことなんて山ほどある。わたしなりの生存戦略だ。
「ねぇ、なんかあった? いつもより元気ないみたいじゃん」
「……えっ」
「ナマエ、言いにくいことなら無理にとは言わないけど……。わたしたちで何かできるなら、力になりたい。だって、その、友達……だし」
「ニャアン、めっちゃいいこと言うじゃん!」
「……マチュは聞き方が無遠慮すぎ」
――ああ、このパターンか。
まっすぐこちらを見据えながら、そっと触れるように気遣ってくれるニャアンに、猪突猛進型でこっちが恥ずかしくなるくらいまっすぐなマチュ。……ちょっと気を抜きすぎたかもしれない。
なんだかんだで、二人とも他の人の顔色をしっかり見ているタイプだ。その気遣いはありがたいけれど、正直、このパターンになるとごまかすのがちょっと……いや、かなりめんどくさい、かも。二人とも、嘘を見抜くのが結構上手いから。こういう時、ニュータイプを相手にしているんだって思い知らされる。
でも……、今は大丈夫。
「ううん。……もうすぐテストだから、ちょっとそれが気になってるだけだよ」
「あー! そろそろ期末じゃん。ってか、わたしも思い出しちゃった……」
「それならマチュも勉強しないと。補修になったら、クラバできなくなっちゃう」
「わかってる! わかってるんだけどさー、勉強、めんどくさい……」
ね! なんて同意を求められたから、わたしも彼女と同じトーンを作って、「成績下がるとやばいし、超だるいよね」とかなんとか言って、あわせた。
この時期にこの感じの会話になって、その場にマチュがいる場合は、こうやって受け流せばどうにでもなる。今はまだ全然楽な方だ。この先のことに比べれば穏やかで、こうやって軌道修正も楽だし。
うちの学校だって他のところと同じような時期にテストをするし、みんなも別に、わざわざわたしの通っているところについて誰も詮索しないっていうのは、わかっている。わかっているけど、毎度のことながら、学校の話をする時に緊張してしまった。
この中で普通の学校に行っているのはマチュだけだから、わたしが浮いているってわけじゃないけど。ちょっとだけ、忘れていたはずのコンプレックスとか、刺激されるから正直、苦手だ……。
「ってか、シュウジ遅いねー。何やってんだろ」
マチュが携帯の時計を見ながら、ふとつぶやいた。確かに、さっき「買い出しに行ってくる」なんて言ったきりでしばらく経つけれど、一向に戻ってくる気配はない。
「シュウちゃんのことだし、どこかで迷子になってたりして……」
「迷子って、子供じゃないんだし」
シュウジが今どこにいるか、わたしは知っている。
彼は買い物帰りに店から駅まで歩いている途中で、いい匂いがしたから、という理由でふと立ち止まる。その匂いの先には屋台があって、おいしそうなお菓子を見つける。わたしたちと食べようと思った彼がいっぱい買い占めてしまったら、帰りの電車に乗る分のクレジットがなくなって、それで頑張って歩いてこちらに向かっている最中だ。
だから、ニャアンの心配するように迷子になっているわけじゃない。どこかでトラブルに巻き込まれているとか、そういうのでもない。
シュウジの後先考えない浮き世離れしたところが、わたしは好き……っていうか、見ていて飽きない。
前はシュウジのこういうところを、ちょっと変だなとか、子供っぽいなって思っていたこともあったけど。今は全然そう思わないかも。人を振り回すけどそれで嫌な気持ちになったりとかは、全然ないし。
時々心配になったりはするけれど、予想外のことをする彼の気持ちがまだわからないっていうことが、苦しいけれど、救われているところもあるし……。
「シュウジって、なんだか猫みたい」
気が付いたら、わたしは思ったことをそのまま口に出していたみたいだ。こっちがあ、と思う間もなく、マチュは目を見開いて、さっきみたいにケラケラと笑い出した。
「なんかそれ、わかる~。いっつも地面で寝てるし、顔もちょっと似てるくない?」
「うん。風邪ひかないのかなって、ちょっと気になる……」
「ニャアンってお母さんみたいなとこあるよね」
「そうかな。自分ではあんまり思わないけど」
「まぁ、ニャアンはわたしたちより、しっかりしてるなぁって思うよ」
わたしがそう言うと、ニャアンは毛先を指で弄りながら、「そうかな」なんて小さな声でつぶやいた。きっちりとした折り目のスカートから伸びる足もちゃんと揃えて閉じていて、そういうところでニャアン本人の生真面目なところが出ていると、思う。
「ってか、シュウジマジで遅い!」
座ってダラダラ会話しているだけで、時間はあっという間にすぎる。この間延びした気だるい雰囲気が恋しくなる日が来るのが、待ち遠しくて、しんどい。
◇
前はシュウジのところに行ってみたり、誰かがいそうな場所にぶらっと向かってみたりとか、ゲームの未回収のイベントを回収するように手当たり次第に行動してみたりしたけれど、それももうしつくしてしまった感があって。もう、みんなの行動パターンも大体把握してしまった。――ここに限っては、イレギュラーみたいなところはあまり発生しないみたいだ。行動が固定化されていくと、何度もクリアしたゲームをまた最初からさせられているような、だらけた感じになってくる。
学校から来たメールに答えないといけない。進路調査――高校が終わったらどうしたいかというアンケートが回ってくる時期になった。毎回のことだから、大学に行くとか、適当に書くようにしていた。ふざけた答えなんてしたら親に電話がいっちゃうし。
正直なところ、将来の目標なんていったら、シュウジのことをどうするかって話しかない。わたしにとってシュウジが世界の中心で、このよくわからないループ現象だってわたしの強い意志か何かによって発生しているのだから。ここをどうにかしない限り、学校も卒業できないし、わたしは未練たらたらの地縛霊みたいにこの時間に固定され続けるんだろう。
――ルーチンワークも、飽きたな。
アンケート画面を指でスクロールしながら、ちょっとした悪ふざけを思いつく。ここでふざけた答えを送ったら、ここから先の展開が、運命が変わったりしないだろうか。
「……いやいや」
もっとこれから先、やることが多い。まだ試していないパターンがあるし、これから先でこのコロニーが大変なことになる時一番大事なのは自分が死なないようにすることだ。ちょっとしたバタフライエフェクトで、わたしが動けなくなる可能性だってある。痛いのは嫌だし、誰か一人だって欠けるのは、嫌だ……。
せっかく築いてきた黄金パターンを崩す必要なんてない。でも、またこの前と同じになったら、あの長い長い時間をもう一回苦しまないといけなくなる。モビルスーツに乗れるようになるまで、何回死にかけて肝が冷えて辞めてやろうって思ったことだろう。手にした安定は、手放したくない。
でも、現状に疲れ切った自分がいることも、事実だ。新しいことなんて何もない。毎日知ってることの繰り返しで、ちょっとしたことが変化していたとしてもわたしの視点だと確認できないようなことばっかりだ。驚きがない。おんなじ録画の再生を見ているみたいで、退屈。
――ふと、ポケットの中身が重くなった気がした。さっきまで、というか普段からあまり意識することがないソレが、存在を主張するように質量を増しているようだった。
わたしは少し震える手で時計の淵をなぞる。今時流行らないデザインの、懐古趣味な時計だ。これがないと――これがある限り、わたしは頼ってしまう。シュウジ・イトウという人間を求めてどこまでも、文字通りなんだってしてしまう。
そもそも、わたしはシュウジ以外の人のことを大事だと思っているけれど、それが間違いだったりしないだろうか。今までさんざん気をまわしていたけれど、二人は放っておいても変わらないような気がする。わたしの気のせいだったらいい。もし間違っていたら、わたしはわたしを許せなくなる。
生き死にとかそういう話じゃなくて、もっと簡単なことを考えよう。わたしはシュウジがいればよくて、彼がどこにも行かずにわたしの隣にいるようにすればいい。極端なことをいえば、二人の存在は不要だった。でも、ここにいてもらわないと大変なことになるかもしれないから。――かもしれないから、という曖昧な理由でわたしの中に「残している」にすぎない。
――じゃあ別に、いらないんじゃない?
そんな声が自分の中から聞こえてきて、思わず身震いする。
――考えたことがなかったわけじゃない。可能性としては、わたしの子供じみた感情で先走りそうになったことは、正直何度もある。二人がいなければ、シュウジはわたししか見ない。じゃあそっちの方がチャンスが多いんじゃないか、って。
あ、ダメだ……。考えれば考えるほど、よくない思いが出てきちゃいそうになる。悪いアイデアなんていくらでも思いついてしまって、それで、やろうと思えばわたしはなんだってできるんだって、無敵感? 自分の中で根拠のない自信とドロドロになった嫉妬心が混ざりあって、おかしくなりそう……。
「どうしよう……」
わたしは手の中のスマホを握りしめた。画面はとっくにスリープモードに入っていた。黒い画面に、自分の顔が反射している。今自分がどんな表情をしているかなんて見たくない。一度考えた可能性を否定するには、わたしは穏便に頑張りすぎたんじゃないかな。だって、報われたい。頑張ってるから、一回は――いい思いをさせてよ。
「ナマエは、どうしたい?」
声がしたから、顔を上げた。とっさに取り繕うとしたけれど上手くいくわけがなくて。迷子の子供が親を見つけた時のような安心感と、見られていたんじゃないかという不安を二重で感じる。
「シュウジ――」
「うん。ナマエは、迷ってる。゛自分の心に従った方がいい〟と、ガンダムが言っている」
「は、はは……。またガンダム、なんだね。ガンダムがそう言うんだ……。そっか」
まるで最初からいたように、シュウジはわたしの横に立っていた。神様みたいに、彼の目線に射貫かれると自分を誤魔化していたところがボロボロと崩れていくような気がして、わたしは自分の口をふさいだ。泣きそうだ。こんなことは今までになかったし、どうしたらいいかわからない。
「ガンダムだけじゃない」
「えっ」
「それは正しいことだと思う。何かする時はそうした方が――、きっと未来の自分が悔やむことは、減ると思う」
シュウジが流暢ではない言葉で喋っているのを聞くのは、はじめてだった。紛れもなくシュウジ本人が考えていること、なんだろう。いつも淡々としていて、つかみどころがないように見えるけれど、彼だってちゃんと悩むことのある普通の人、なんだ。
「ナマエが悩んでいることは、あまりわからないけれど。それでも相談には、乗りたいと思う。――友達で、仲間だから」
「わたしね、みんなのことが好きだよ」
シュウジは黙ってうなずいた。わたしはなんでもないって言いたかった。でも――自白剤でも飲まされたみたいに自分の言葉が止まらない。
「ずっと一緒に仲良くしたいって思ってる。でも、時々……ううん、いつもおかしくなりそうなの。コンプレックスっていうのかな。ごめん、上手くまとまらない。……全部なくなったらいいのに、ってたまに思うんだ。変、かな。友達なのに。こんな話、シュウジに聞かせるつもりじゃなかったのに」
「それは変じゃないと思う。嫉妬や羨望は、人間にはある当たり前の感情。――このことは、誰にも言わないから、安心して喋ってもいい」
なんて人なんだろう。わたしの全部をさらけ出して、一番見せたくないものを見せてるのに。シュウジはどこまでも優しい目をして、わたしを見ている。
「シュウジに、嫌われたら、生きていけない。わたし、無理……。本当に、嫌だ」
「ならない」
「絶対?」
「うん」
どこまでもまっすぐで澄んだ瞳をしている。彼の腕の中で何もかも洗いざらい告白してしまいたい。楽になりたい。どうにかして救われたい。友達の好きだけじゃなくて、愛してるって言いたい。でもわたしは臆病だからそれだけはできない。