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単発SS
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「ナマエ、あのさぁ……。あたしと一緒に食べるって約束だったよね? なんで人が増えてるワケ?」
ゼイユの不満そうな視線を受け、ナマエは少し居心地の悪そうな表情を浮かべた。ゼイユは明らかに苛立っている。普段彼女が弟に向けるような横暴そのものである態度こそとっていないが、ナマエの横に陣取った少女――タロに向ける眼差しは穏やかなそれではない。ゼイユはある種の迫力がある顔立ちをしている、とナマエは常々思っていた。ただでさえ猛禽類を思わせるような圧力を持った目鼻立ちをしているのに、その顔が不機嫌で歪むと、それは雰囲気に呑まれるような威圧感があった。
三人の間に流れている空気は、ピリピリとヒリついている。本気の喧嘩というわけではないが、それでもこの学園の有名人たちが集まって不穏な空気を垂れ流していると、他の生徒たちは萎縮してしまうのだ。
「ナマエさんを独り占めしちゃうとか、そういうのよくないと思います!」
タロはいつも通り目の前でバツを作り、彼女の口癖である言葉をゼイユに向かって放った。タロは常からそうしているように軽やかな可愛らしい笑顔を浮かべているが、ゼイユはそうしたタロの態度の裏に存在する牽制に対して、穏やかではいられない。
別にゼイユはタロのことを嫌っているわけではない。そういうことではない。むしろ、親しい友人の一人であると認識している。
ただ、ナマエを間に挟むとなると話が変わってくる。ゼイユはタロがナマエに向ける視線の奥に存在する熱いもの――明らかにただの友人に向けるそれではない、情熱的な眼差しを知ってしまっていた。そして、彼女もこちらの思惑に気がついている――気がする。バトルでも相手の手の内を突いてくるような聡い人だから、きっと自分がどう思ってナマエに絡んでいるのかも分かっているのだと、思う。
「独り占めってあんたねぇ、こっちは前から一緒にランチしようって約束してたんだけど」
「うーん。でもわたしはたまたまここに座っただけっていうか、ナマエさんのお隣が空いてたから座っただけですよ? 自由な席でお昼を食べる権利ってみんなにあると思いません?」
ナマエの方に身体をじっと寄せて、タロは答えを求める。ゼイユとタロ、両名の視線を一身に受けながら、ナマエは曖昧に笑った。
「――っていう感じになっちゃって。ごめんね、ゼイユ。また今度いっしょに食べよ?」
「……」
「ほら、ナマエさんもそう言ってることですし……?」
「……まぁ、いいわ。仕方ないし、今回だけだからね」
ゼイユはランチプレートを卓上に置くと、ナマエの隣に腰を下ろした。
「ゼイユ、ありがとう」
そう言って微笑むナマエの視線を受けて、ゼイユは自然と自分の口元がほころぶのが分かった。
かわいい、と思う。
自分と少し系統の違った方面で美人だし、自分の隣にいて見劣りしない相手。そういう意味でもゼイユはナマエのことを認めていた。タロがよく口にする「かわいい」という表現と被ってしまうのがややシャクに障るが、当たり障りがなくて適当な表現を求めるとついそこに行き着いてしまう。
「あれ、なんだかゼイユさんほっぺたが緩んでますよ?」
「別に……」
ナマエを挟んで、タロの意味深な目線がゼイユに突き刺さる。「わかりやすい」とでも言いたいのだろうか。ゼイユは、自分のことを複雑でもなんでもないと思っている。タロもタロで、自分の欲をかくそうとはしないタイプだ。自分たちは似たもの同士だと思う。これがいいのか悪いのか、まだわからない。
「ねぇ、ちょっと食べカスがついてるじゃないの」
「えっ。どこ?」
ナマエは慌てて鞄の中から手鏡を出そうとした。慌ただしい手つきに、ゼイユは思わず自分のトレーから一枚のナプキンを手に取った。
「あー、そんなのあたしがやったげるから」
ゼイユがナマエの口元を拭ってやるのを、タロはじっと見つめた。自分のトレーの上に載っている日替わりランチの中身を黙々と食べ進めながら、視線だけは二人のやりとりを注視していた。
あくまで自然な流れである。弟にしてやるような――彼女が普段弟に優しく甲斐甲斐しく世話を焼いている姿を、タロ自身はあまり見たことはないが――、姉らしい手つきで、ナマエもゼイユに甘えるようにされるがままにされている。
「…………」
「ありがとう!」
「ぜんっぜん。これくらいなんともないから。ナマエって本当ドジだから。あたしが面倒みてあげないと駄目だわ」
――いいな。
漠然と、そう思う。
先生に任された手伝いや、新入生の面倒をみてやったり、そういうことは普段からしていて、慣れているという自負がある。ただ、ゼイユのそれとは違うのだと、タロは思った。
タロのそれは学校の生徒としての模範的行いであって、要は社会に対する奉仕だといえる。ただ人に優しくするのと、姉のように甲斐甲斐しくかわいがるのは全然違うのだ。
こういうことを自然にやってのけるのが、うらやましいところだと思う。
タロもゼイユもナマエの友達であることには違いないし、優劣のようなものも存在しない――と感じているけれど、それでもゼイユのこういうところは自分には真似できない気がする。
ナマエもゼイユの前では、素直にされるがままになっているのがわかる。こういう風に――妹みたいに甘えてくれたらどれだけかわいいだろう。多分、きっと、とてもやみつきになってドロドロになってしまうかもしれない。
「……いいなぁ」
「――ん? タロ、なにか言った?」
「ううん。ただの独り言ですよ?」
「ふーん。あたしたちの関係がうらやましくなったんじゃないの?」
挑発するような、少しいたずらな声色でゼイユは笑った。さりげなくナマエの腕に触りながら、バトルの時に見せるような自信たっぷりの表情でタロを見ている。
「あはは。なんだか仲良しで、いいなとは思いますけど。わたしだって――、ナマエさんとはとっても親しいお友達だと思ってますし。そこに関してはゼイユさんに負けてないと思いますよ!」
「でも一番はあたしだもんね?」
ぎゅっと強くゼイユはナマエを引き寄せた。
「え、えっと」
「あっ! そんなにベタベタしないでくださいよ! 困ってるじゃないですか。そういうの、よくないと思います!」
「ふっふーん。悔しいんでしょう? 別にナマエはあたしとくっついてるの、嫌じゃないもんね?」
ゼイユに見つめられたナマエは、照れたように頬を赤く染めながら、目線を右往左往させた。行き場を失った手が曖昧に空を掴むような動きをする。ぐっと近寄ったゼイユの身体から、スパイスのようないい匂いがして、普段あまり感じることのない友達のそれにナマエの頭はふわふわと揺らいだ。
大人っぽい外見に見合った香りが、年もさほど離れていない友達から放たれていると思うとドキドキする……。
タロはその様子をムッとした顔つきで見つめた。普段あまり鬱陶しいと思われたくなくて、激しいスキンシップは控えていた。それを目の前で堂々と披露されると、さすがのタロも嫉妬を隠すことができない。優等生然としたタロが珍しく怒っているのを見て、ナマエはぼうっと呆けてきた頭を回転させ、慌てて口を開いた。
「うん。まぁ、嫌じゃないよ……。でも今は食事中だし、ゼイユはちょっと……」
「なんで? 別にいいじゃない」
「そうですよ。マナー違反、です!」
「あっ、こら! そっちだって強引すぎだし!」
タロはナマエをゼイユから引き離すように、反対の方をぎゅっとホールドした。
「う、うわぁっ!」
「ゼイユさんばっかりナマエさんとくっつくなんて、ちょっとズルですよ? わたしだって――ナマエさんとぎゅっとしてたいなって思ってたんですから」
両腕から感じる柔らかさとぬくもり――人目を憚らずにくっついてくる二人の少女たちに対して、さすがに嬉しさよりも気恥ずかしさの方が勝ってきた。自分を取り合って両脇の二人が火花を散らしている。
「え、えっと……。二人とも……さすがにみんなに見られてるから……っ!」
方々から自分たちに向かって視線が突き刺さる。ただでさえ学校の有名人たちが集まっているのに、痴話喧嘩のようなキャットファイトが発生しているのだから、とても目立って仕方がない。
ナマエの抵抗も虚しく、二人が元に戻ることはなかった。それどころかギャラリーが増えたことが幸いとばかりに熱を上げる始末である。
「タロ~? あんた、ご飯が冷めちゃうんじゃない? 冷えた揚げ物なんてぜんっぜん美味しくないわよ?」
「ゼイユさんも、後から来たんですから早く食べたわないと、次の授業に遅れるんじゃないんですか? そうなったら結構大変ですよ……?」
もうこうなると食事どころではない。ナマエは白熱する二人を横目に、時計を眺めた。もうこうなったら時間以外が解決してくれることはないのかもしれない。もしくは……二人の共通の知り合いの顔をいくつか思い浮かべてみたが、きっと面白がってからかってくるか、争いに巻き込まれたくなくて避けてくるかの二択しか考えられなかった。ナマエの脳裏に、現場を目撃してそそくさと退散しようとするゼイユの弟の姿がふと目に浮かんだが、この現場を知り合いに見られるのはどうにも恥ずかしい気がして、想像だけで体温が上がってしまう。余計に密着してくる二人から熱がうつっていくようだった。
「わたし……、お昼をちゃんと食べたいんだけどなぁ……?」
「えー? じゃあわたしがあーんして食べさせてあげますよ。わたし、ナマエさんが口を大きく開けていっぱいご飯を食べるところ、好きなんですよね。かわいくって、いつまでだって見ていられます」
「あたしだってそれくらいやってあげるわよ? ていうか、前にあんたが怪我した時もあたしが食べさせてあげたでしょ? その時もナマエってば超恥ずかしがってて面白……じゃない、かわいかったなぁ。思い出すわあ」
そう言うや否や、ゼイユはカラトリーを勝手に奪い取り、プレートの上の野菜をフォークに突き刺した。
「はい、あーんしなさい。野菜もちゃんと食べないと、駄目だからね」
「えっとその、そういうのは大丈夫……っていうか、普通に自分で食べるから、いいよ!」
「ゼイユさん! いつも我先にって自分ばっかりじゃないですか!」
「フン。勝負は早い者勝ち。トロトロしてる方が悪いのよ」
「えっと……」
「ナマエさん。お野菜もいいけど、こっちのわたしのおかずも美味しいですよ? はい、どうぞ。召し上がってください!」
二人が空いた方の腕で、器用にナマエの口元までそれぞれのフォークを突き出してくる。少しでも隙を見せれば無理矢理にでもねじ込んできそうな気迫すら感じてしまい、思わず気圧されそうになる。
たかだか食事をするだけでもここまで面倒くさいなら、いっそのこと、これからはずっと一人で食べようかな……。ナマエは一人で行動する自分の姿を妄想したが、すぐにどちらかに捕まって今のようなシチュエーションになってしまう、と思い直した。
「腕を放して欲しいんだけど……」
「はぁ? 嫌なんだけど」
「え? 嫌です」
「…………そこだけは息ぴったりなんだね」
「…………」
ゼイユとタロは思わず顔を合わせた。ハモった二人はお互いをじっと見て、その後すぐに逸らした。
「ふ、二人も仲がいいもんね」
「…………」
間違いではなかった。実際のところ、タロとゼイユの両名は友人と称しても問題ない程度には親交が深い。こうしていてもお互いのことは友人の友人などと遠い関係ではなく、友達同士で一人を奪い合っているという自認で動いている。
それでも、あくまで無邪気に発せられたナマエの一言で、二人が燃やしていた闘志がすっと引いていった。
「あー、なんか、毒気、抜かれたわ」
「……そうですね。そろそろ食べないと、教室の移動もありますし……」
先ほどの盛り上がりが嘘だったかのように、二人はそれぞれ食べかけで放置していた昼食に手をつけ始めた。
「…………」
昼休みという限られた時間がそうさせたのかもしれないが、ナマエにとってはあまりにも突飛で、理解しがたい現象だった。今までもこういったことは何度か発生していて、さっきのように糸がプツンと切れたように二人が争いをやめて大人しくなるのは、珍しくない毎回本当に困ってしまう前に二人がお互い空気を読んでストップしているのだということを、察しているようでナマエは理解していなかった。
その後は特段変わったこともなく、当たり障りのない話をして三人は席を離れた。
「あのさぁ、お願いがあるんだけど」
「……えっと、何かな?」
ナマエの机に我が物顔でどさっと腰を下ろして、ゼイユは話を始めた。こうした振る舞い故に、彼女は若干人を寄せ付けないような独特の雰囲気を放っている。「次のテストの対策、手伝ってほしくて。あんたって成績いいでしょ? 効率よく教えてくれるんじゃないかって思うんだけど――。まぁ、いつものことだから断るなんてないでしょうね?」
モデルのようにスタイルのいいゼイユが、足を組んでその場を占領している中にわざわざ割って入る人間は存在しない。髪の先を弄りながら、ゼイユはナマエを見下ろして言い放った。
ナマエは唯我独尊を地で行くゼイユの言動に大して動揺せず――昔はそのエキセントリックな言動に翻弄されたこともあったが――、いつものように頷いた。
「うん。いいよ、復習もしたいなって思ってたところだし――」
「それ、とっても楽しそう! わたしも混ぜてもらっていいですか?」
「……げ」
突如として飛び込んできた一言で、先ほどまで得意げに話していたゼイユの顔が歪む。ナマエが顔をあげた先にいたのは――
「タロ、あんたこの授業は取ってなかったんじゃ――」
「あれ? 別に今は休み時間ですし、入っちゃいけない理由はないですよね? それに、次の教室移動の先はわたしたち全員一緒で、ここが通り道だったから立ち寄っちゃっただけですよ?」
タロはゆっくりとナマエたちの方へと歩みよってくる。ゼイユは苦虫を潰したような顔を浮かべたが、すぐに取り繕った。このタイミングでわざわざやってくるあたりが、本当に面倒だと思う。
「なんだか楽しそうなお話が聞こえてきちゃったんですけど、わたしも次のテストはちょっとピンチかもなんですよね~」
「えぇ、珍しいね。タロっていつも成績が良くて優等生って感じだけど」
「うーん。わたしだって全くお勉強なしでテストに挑むなんてそんなこと、絶対にできませんから! ナマエさんだって、座学の方はいつもバッチリな印象がありますよ? わたしたちで勉強を教え合ったら、苦手な科目も成績アップとか、狙えそうじゃないですか? ねっ、ゼイユさん?」
「……あんたねぇ。毎回ちゃっかりと――」
タロの有無を言わせぬ視線に、思わずゼイユはたじろぎそうになった。この子はエスパーか何かなんじゃないか、という絶妙なタイミングで毎回現れるのが不思議で仕方ない。
「じゃあ、みんなで勉強会だね」
呑気にスマホロトムのカレンダーアプリを開きながら、ナマエは二人に微笑んだ。一体いつになったら二人きりになれるのか、全く見当がつかないままゼイユとタロはお互いの顔を見合わせた。
ゼイユの不満そうな視線を受け、ナマエは少し居心地の悪そうな表情を浮かべた。ゼイユは明らかに苛立っている。普段彼女が弟に向けるような横暴そのものである態度こそとっていないが、ナマエの横に陣取った少女――タロに向ける眼差しは穏やかなそれではない。ゼイユはある種の迫力がある顔立ちをしている、とナマエは常々思っていた。ただでさえ猛禽類を思わせるような圧力を持った目鼻立ちをしているのに、その顔が不機嫌で歪むと、それは雰囲気に呑まれるような威圧感があった。
三人の間に流れている空気は、ピリピリとヒリついている。本気の喧嘩というわけではないが、それでもこの学園の有名人たちが集まって不穏な空気を垂れ流していると、他の生徒たちは萎縮してしまうのだ。
「ナマエさんを独り占めしちゃうとか、そういうのよくないと思います!」
タロはいつも通り目の前でバツを作り、彼女の口癖である言葉をゼイユに向かって放った。タロは常からそうしているように軽やかな可愛らしい笑顔を浮かべているが、ゼイユはそうしたタロの態度の裏に存在する牽制に対して、穏やかではいられない。
別にゼイユはタロのことを嫌っているわけではない。そういうことではない。むしろ、親しい友人の一人であると認識している。
ただ、ナマエを間に挟むとなると話が変わってくる。ゼイユはタロがナマエに向ける視線の奥に存在する熱いもの――明らかにただの友人に向けるそれではない、情熱的な眼差しを知ってしまっていた。そして、彼女もこちらの思惑に気がついている――気がする。バトルでも相手の手の内を突いてくるような聡い人だから、きっと自分がどう思ってナマエに絡んでいるのかも分かっているのだと、思う。
「独り占めってあんたねぇ、こっちは前から一緒にランチしようって約束してたんだけど」
「うーん。でもわたしはたまたまここに座っただけっていうか、ナマエさんのお隣が空いてたから座っただけですよ? 自由な席でお昼を食べる権利ってみんなにあると思いません?」
ナマエの方に身体をじっと寄せて、タロは答えを求める。ゼイユとタロ、両名の視線を一身に受けながら、ナマエは曖昧に笑った。
「――っていう感じになっちゃって。ごめんね、ゼイユ。また今度いっしょに食べよ?」
「……」
「ほら、ナマエさんもそう言ってることですし……?」
「……まぁ、いいわ。仕方ないし、今回だけだからね」
ゼイユはランチプレートを卓上に置くと、ナマエの隣に腰を下ろした。
「ゼイユ、ありがとう」
そう言って微笑むナマエの視線を受けて、ゼイユは自然と自分の口元がほころぶのが分かった。
かわいい、と思う。
自分と少し系統の違った方面で美人だし、自分の隣にいて見劣りしない相手。そういう意味でもゼイユはナマエのことを認めていた。タロがよく口にする「かわいい」という表現と被ってしまうのがややシャクに障るが、当たり障りがなくて適当な表現を求めるとついそこに行き着いてしまう。
「あれ、なんだかゼイユさんほっぺたが緩んでますよ?」
「別に……」
ナマエを挟んで、タロの意味深な目線がゼイユに突き刺さる。「わかりやすい」とでも言いたいのだろうか。ゼイユは、自分のことを複雑でもなんでもないと思っている。タロもタロで、自分の欲をかくそうとはしないタイプだ。自分たちは似たもの同士だと思う。これがいいのか悪いのか、まだわからない。
「ねぇ、ちょっと食べカスがついてるじゃないの」
「えっ。どこ?」
ナマエは慌てて鞄の中から手鏡を出そうとした。慌ただしい手つきに、ゼイユは思わず自分のトレーから一枚のナプキンを手に取った。
「あー、そんなのあたしがやったげるから」
ゼイユがナマエの口元を拭ってやるのを、タロはじっと見つめた。自分のトレーの上に載っている日替わりランチの中身を黙々と食べ進めながら、視線だけは二人のやりとりを注視していた。
あくまで自然な流れである。弟にしてやるような――彼女が普段弟に優しく甲斐甲斐しく世話を焼いている姿を、タロ自身はあまり見たことはないが――、姉らしい手つきで、ナマエもゼイユに甘えるようにされるがままにされている。
「…………」
「ありがとう!」
「ぜんっぜん。これくらいなんともないから。ナマエって本当ドジだから。あたしが面倒みてあげないと駄目だわ」
――いいな。
漠然と、そう思う。
先生に任された手伝いや、新入生の面倒をみてやったり、そういうことは普段からしていて、慣れているという自負がある。ただ、ゼイユのそれとは違うのだと、タロは思った。
タロのそれは学校の生徒としての模範的行いであって、要は社会に対する奉仕だといえる。ただ人に優しくするのと、姉のように甲斐甲斐しくかわいがるのは全然違うのだ。
こういうことを自然にやってのけるのが、うらやましいところだと思う。
タロもゼイユもナマエの友達であることには違いないし、優劣のようなものも存在しない――と感じているけれど、それでもゼイユのこういうところは自分には真似できない気がする。
ナマエもゼイユの前では、素直にされるがままになっているのがわかる。こういう風に――妹みたいに甘えてくれたらどれだけかわいいだろう。多分、きっと、とてもやみつきになってドロドロになってしまうかもしれない。
「……いいなぁ」
「――ん? タロ、なにか言った?」
「ううん。ただの独り言ですよ?」
「ふーん。あたしたちの関係がうらやましくなったんじゃないの?」
挑発するような、少しいたずらな声色でゼイユは笑った。さりげなくナマエの腕に触りながら、バトルの時に見せるような自信たっぷりの表情でタロを見ている。
「あはは。なんだか仲良しで、いいなとは思いますけど。わたしだって――、ナマエさんとはとっても親しいお友達だと思ってますし。そこに関してはゼイユさんに負けてないと思いますよ!」
「でも一番はあたしだもんね?」
ぎゅっと強くゼイユはナマエを引き寄せた。
「え、えっと」
「あっ! そんなにベタベタしないでくださいよ! 困ってるじゃないですか。そういうの、よくないと思います!」
「ふっふーん。悔しいんでしょう? 別にナマエはあたしとくっついてるの、嫌じゃないもんね?」
ゼイユに見つめられたナマエは、照れたように頬を赤く染めながら、目線を右往左往させた。行き場を失った手が曖昧に空を掴むような動きをする。ぐっと近寄ったゼイユの身体から、スパイスのようないい匂いがして、普段あまり感じることのない友達のそれにナマエの頭はふわふわと揺らいだ。
大人っぽい外見に見合った香りが、年もさほど離れていない友達から放たれていると思うとドキドキする……。
タロはその様子をムッとした顔つきで見つめた。普段あまり鬱陶しいと思われたくなくて、激しいスキンシップは控えていた。それを目の前で堂々と披露されると、さすがのタロも嫉妬を隠すことができない。優等生然としたタロが珍しく怒っているのを見て、ナマエはぼうっと呆けてきた頭を回転させ、慌てて口を開いた。
「うん。まぁ、嫌じゃないよ……。でも今は食事中だし、ゼイユはちょっと……」
「なんで? 別にいいじゃない」
「そうですよ。マナー違反、です!」
「あっ、こら! そっちだって強引すぎだし!」
タロはナマエをゼイユから引き離すように、反対の方をぎゅっとホールドした。
「う、うわぁっ!」
「ゼイユさんばっかりナマエさんとくっつくなんて、ちょっとズルですよ? わたしだって――ナマエさんとぎゅっとしてたいなって思ってたんですから」
両腕から感じる柔らかさとぬくもり――人目を憚らずにくっついてくる二人の少女たちに対して、さすがに嬉しさよりも気恥ずかしさの方が勝ってきた。自分を取り合って両脇の二人が火花を散らしている。
「え、えっと……。二人とも……さすがにみんなに見られてるから……っ!」
方々から自分たちに向かって視線が突き刺さる。ただでさえ学校の有名人たちが集まっているのに、痴話喧嘩のようなキャットファイトが発生しているのだから、とても目立って仕方がない。
ナマエの抵抗も虚しく、二人が元に戻ることはなかった。それどころかギャラリーが増えたことが幸いとばかりに熱を上げる始末である。
「タロ~? あんた、ご飯が冷めちゃうんじゃない? 冷えた揚げ物なんてぜんっぜん美味しくないわよ?」
「ゼイユさんも、後から来たんですから早く食べたわないと、次の授業に遅れるんじゃないんですか? そうなったら結構大変ですよ……?」
もうこうなると食事どころではない。ナマエは白熱する二人を横目に、時計を眺めた。もうこうなったら時間以外が解決してくれることはないのかもしれない。もしくは……二人の共通の知り合いの顔をいくつか思い浮かべてみたが、きっと面白がってからかってくるか、争いに巻き込まれたくなくて避けてくるかの二択しか考えられなかった。ナマエの脳裏に、現場を目撃してそそくさと退散しようとするゼイユの弟の姿がふと目に浮かんだが、この現場を知り合いに見られるのはどうにも恥ずかしい気がして、想像だけで体温が上がってしまう。余計に密着してくる二人から熱がうつっていくようだった。
「わたし……、お昼をちゃんと食べたいんだけどなぁ……?」
「えー? じゃあわたしがあーんして食べさせてあげますよ。わたし、ナマエさんが口を大きく開けていっぱいご飯を食べるところ、好きなんですよね。かわいくって、いつまでだって見ていられます」
「あたしだってそれくらいやってあげるわよ? ていうか、前にあんたが怪我した時もあたしが食べさせてあげたでしょ? その時もナマエってば超恥ずかしがってて面白……じゃない、かわいかったなぁ。思い出すわあ」
そう言うや否や、ゼイユはカラトリーを勝手に奪い取り、プレートの上の野菜をフォークに突き刺した。
「はい、あーんしなさい。野菜もちゃんと食べないと、駄目だからね」
「えっとその、そういうのは大丈夫……っていうか、普通に自分で食べるから、いいよ!」
「ゼイユさん! いつも我先にって自分ばっかりじゃないですか!」
「フン。勝負は早い者勝ち。トロトロしてる方が悪いのよ」
「えっと……」
「ナマエさん。お野菜もいいけど、こっちのわたしのおかずも美味しいですよ? はい、どうぞ。召し上がってください!」
二人が空いた方の腕で、器用にナマエの口元までそれぞれのフォークを突き出してくる。少しでも隙を見せれば無理矢理にでもねじ込んできそうな気迫すら感じてしまい、思わず気圧されそうになる。
たかだか食事をするだけでもここまで面倒くさいなら、いっそのこと、これからはずっと一人で食べようかな……。ナマエは一人で行動する自分の姿を妄想したが、すぐにどちらかに捕まって今のようなシチュエーションになってしまう、と思い直した。
「腕を放して欲しいんだけど……」
「はぁ? 嫌なんだけど」
「え? 嫌です」
「…………そこだけは息ぴったりなんだね」
「…………」
ゼイユとタロは思わず顔を合わせた。ハモった二人はお互いをじっと見て、その後すぐに逸らした。
「ふ、二人も仲がいいもんね」
「…………」
間違いではなかった。実際のところ、タロとゼイユの両名は友人と称しても問題ない程度には親交が深い。こうしていてもお互いのことは友人の友人などと遠い関係ではなく、友達同士で一人を奪い合っているという自認で動いている。
それでも、あくまで無邪気に発せられたナマエの一言で、二人が燃やしていた闘志がすっと引いていった。
「あー、なんか、毒気、抜かれたわ」
「……そうですね。そろそろ食べないと、教室の移動もありますし……」
先ほどの盛り上がりが嘘だったかのように、二人はそれぞれ食べかけで放置していた昼食に手をつけ始めた。
「…………」
昼休みという限られた時間がそうさせたのかもしれないが、ナマエにとってはあまりにも突飛で、理解しがたい現象だった。今までもこういったことは何度か発生していて、さっきのように糸がプツンと切れたように二人が争いをやめて大人しくなるのは、珍しくない毎回本当に困ってしまう前に二人がお互い空気を読んでストップしているのだということを、察しているようでナマエは理解していなかった。
その後は特段変わったこともなく、当たり障りのない話をして三人は席を離れた。
「あのさぁ、お願いがあるんだけど」
「……えっと、何かな?」
ナマエの机に我が物顔でどさっと腰を下ろして、ゼイユは話を始めた。こうした振る舞い故に、彼女は若干人を寄せ付けないような独特の雰囲気を放っている。「次のテストの対策、手伝ってほしくて。あんたって成績いいでしょ? 効率よく教えてくれるんじゃないかって思うんだけど――。まぁ、いつものことだから断るなんてないでしょうね?」
モデルのようにスタイルのいいゼイユが、足を組んでその場を占領している中にわざわざ割って入る人間は存在しない。髪の先を弄りながら、ゼイユはナマエを見下ろして言い放った。
ナマエは唯我独尊を地で行くゼイユの言動に大して動揺せず――昔はそのエキセントリックな言動に翻弄されたこともあったが――、いつものように頷いた。
「うん。いいよ、復習もしたいなって思ってたところだし――」
「それ、とっても楽しそう! わたしも混ぜてもらっていいですか?」
「……げ」
突如として飛び込んできた一言で、先ほどまで得意げに話していたゼイユの顔が歪む。ナマエが顔をあげた先にいたのは――
「タロ、あんたこの授業は取ってなかったんじゃ――」
「あれ? 別に今は休み時間ですし、入っちゃいけない理由はないですよね? それに、次の教室移動の先はわたしたち全員一緒で、ここが通り道だったから立ち寄っちゃっただけですよ?」
タロはゆっくりとナマエたちの方へと歩みよってくる。ゼイユは苦虫を潰したような顔を浮かべたが、すぐに取り繕った。このタイミングでわざわざやってくるあたりが、本当に面倒だと思う。
「なんだか楽しそうなお話が聞こえてきちゃったんですけど、わたしも次のテストはちょっとピンチかもなんですよね~」
「えぇ、珍しいね。タロっていつも成績が良くて優等生って感じだけど」
「うーん。わたしだって全くお勉強なしでテストに挑むなんてそんなこと、絶対にできませんから! ナマエさんだって、座学の方はいつもバッチリな印象がありますよ? わたしたちで勉強を教え合ったら、苦手な科目も成績アップとか、狙えそうじゃないですか? ねっ、ゼイユさん?」
「……あんたねぇ。毎回ちゃっかりと――」
タロの有無を言わせぬ視線に、思わずゼイユはたじろぎそうになった。この子はエスパーか何かなんじゃないか、という絶妙なタイミングで毎回現れるのが不思議で仕方ない。
「じゃあ、みんなで勉強会だね」
呑気にスマホロトムのカレンダーアプリを開きながら、ナマエは二人に微笑んだ。一体いつになったら二人きりになれるのか、全く見当がつかないままゼイユとタロはお互いの顔を見合わせた。