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どうしてあいつが。
久しぶりの再会に思ったのは、そんなことだった。
「あ、あ……ひさしぶり……だね」
上目遣いで、こちらの機嫌を伺うようにそう呟いたあいつに、思わず前の調子で詰め寄りそうになった。
「……ナマエ、なんでお前がここにいるんだよ」
満月の夜だった。
俺は人を喰うために山奥の小さな集落を襲った。
民家と民家の間には相当な距離があり、中では農家の家族が細々と暮らしていた。
もっと肥えたやつを喰えばよかった。そう思って外に出ると、小さな人影があった。
ちょうどいいと近づいたところで、昔の知り合いだと気づいたのだ。
言いたいことは沢山ある。けれど、それが口から出てこない。
うまく表現できない苛立ちを、思わずぶつけてしまいそうになった。
が、ナマエの後ろに「いた」のである。
「……お前と、ナマエは、知り合いだったか」
俺に血を分け与えた上弦の鬼。その傍に、まるで寄り添うようにして立っていたナマエは、目線をあっちへやったりこっちへやったりと忙しい。
「こ、黒死牟様! 彼は……その……昔話しましたね、寺にいたときの知り合いです」
「そうか」
何故、どうして。
混乱して、うまく喋れない俺をよそに、黒死牟は俺の目をじいと見つめる。
「……すみません、一度こいつと……ナマエと二人きりにしてくれませんか」
「構わない」
ナマエには決定権がないかのように、全て向こうが決めてしまった。
なんだよ、なんなんだよ。
親においていかれそうな子供のように、ナマエは黒死牟の着物の裾を握った。
「あ、あの……私」
「気にすることはない。人間時代の知り合いなのだろう」
「え、あ、はい……終わったら……」
「わかっている。迎えに行こう」
そういって何処かへと消えていった。見れもしない後ろ姿を、ナマエはずっと追っている。それに腹が立つと同時に、何かと察することができた。
こいつは、ナマエはあれに気に入られている。そして、俺のことを怖いと思っているのだろう。
流石にわかる。あんなに動揺して、しきりに震えていたのだから。
どうして黒死牟が、俺とこいつを二人きりにすることを許したのかはわからない。
どのような意図があって、俺たちを併せたのだろう。
「お前、どうやって黒死牟と知り合った。お前、鬼になったのか?」
ナマエは決して俺と目を合わせようとしなかった。
俺にじりじりと追い詰められて、ついには壁に背中を打つけてしまう。
「おい、答えろよ。いくら間抜けでも言葉を忘れたわけじゃないだろ」
「……っは……わた……しは」
ナマエが背中を預けた向こうには、ついさっきまで食っていた人間の死体が4、5体は転がっている。
もし、こいつが鬼になっていたとしても大して強くないだろうと思った。
血を見るのが嫌で、蚊も殺せないような弱虫だから。
「……私を、お、お、置いてった人に答えることはない!」
声も足も震えて、目には涙を浮かべながら、ナマエは叫んだ。
「はぁ? 置いてったってお前、勝手に消えたのはそっちだろ。事実を改変するな」
「違う、違うよ! だって、待っててくれるって言ったのに、獪岳がいなくなっちゃったんだよ!」
「あー、そうだったっけか? まぁいいじゃねぇか。感動の再会ってやつだな」
「会いたくなかった! わ、私は獪岳なんて嫌い! な、なんで鬼になったの? ど、どうして……」
「はぁ? それを言うならお前もどうやって上弦の鬼の愛人なんてやってるんだよ。鬼に殺された寺の奴らが浮かばれねぇなぁ」
「う、うぅ……」
やっぱりだ。こいつは昔から何もかわっちゃいなかった。しかも、「愛人」という言葉を否定しなかった。
説明も下手くそで、ろくに俺に言い返すこともできない。
普段だったら俺がキレて、余計にこいつが泣くのだけど、今日は聞きたいこともあるのでそれはしない。
「まぁ、昔の話はたっぷり聞かせてもらうとして、ほら、これ食えよ。枯れ木みてぇな爺だけど、結構いけるぜ」
ナマエの足元に、老人の左腕を差し出した。昔は人間の死体なんて見ると吐き気がこみ上げてきたが、今は違う。なんなら、これはちょっとしたおやつに見えてくるくらいだ。
「……いらない、他人の施しは受けない」
「昔、俺がスった饅頭を美味い美味いって言って食ってたお前が? よく言うぜ」
「い、今は違う! ちゃんと、自分のことは自分でやってる!」
「でもお前、鬼だろ。結局人のもの奪って生きてるのは、変わらないじゃねぇか。それになぁ、この死体の爺さんをこのままにしておくわけにもいかないだろ? 食えよ、ちゃんと食って弔おうや」
ほれ、と突き出すと、ナマエは顔を引きつらせた。余計に面が不細工になったのと、昔より強情になったから余計に苛立ってくる。
「……最低、人でなし。獪岳が殺したのに、どうして私が食べないといけないの」
「鬼は全員人でなしだぜ。人間なんて、もうずっと前に食っただろ? 何罪の意識感じてるんだよ。今更死にかけだった爺さん一人食ったところで、地獄行きは変わらねぇって」
ナマエは静かに泣いていた。そうだ、昔っからこいつは声を上げて泣いたりしなかった。静かに、シクシクと泣くのだ。まるで薄命の姫のように。だから気にいっていた。うるさいのは嫌いだ。
「おぉ、いい食いっぷりだな。お前、何か食う時って不細工になるよなぁ。頬いっぱいに詰め込んで、意地が悪い食い方だぜ」
そうやってひどいことを言って、ナマエが泣くのを見るのが好きだった。昔から、それこそみんなでいた時から、俺はこいつにだけはあたりをきつくしていたのだ。
「……食べたよ、もうこれでいいんでしょう。返してよ、黒死牟様のところへ行きたい」
「せっかく再会したのになぁ、これで返すわけないだろ。俺は上弦の鬼だぜ? お前が逃げられるわけないだろ」
静かに背中から刀を抜くと、ナマエは目を見開いた。
「き、切らないで……お、お願いします……話すから、ちゃんと、話すから殺さないで……」
こいつも、首を斬られたら死ぬのか。
ペコペコ頭を下げて、いつまでも低姿勢なのにも腹が立つ。
思えば、いつからこうだったのだろう。
前からナマエは、こんなに何かに怯えていたのだろうか。
この寺に預けられる子供たちは、みんな何かしらの事情を持っていた。背後を語ることはないが、ナマエに関して言えば、唯一どうしてここにきたのかはっきりとわかっていた。
本人がどうしようもないくらい、愚かだったからだ。
「私のおとうとおかあはね、私のことを可愛がってくれたよ。ここにくる時、言ったんだ。私がちゃんと大きくなった時に、迎えにきてくれるんだよ。本当だよ。だから私、いい子で待ってるんだ」
それを聞いて、すぐに嘘だと思った。けれどこいつは、余程脳味噌が軽いのか、それを本気で言っていた。つまり、親の嘘を信じていたのだ。
馬鹿なやつだ。
そんなのだから、他の子供にも虐められる。
そんなのだから、いつまでも成長しない。
実際、ナマエは同年代の女の中でも背が低くて、押したら倒れそうーーというか、よく引っ掛けられて転けていた。
確かに、こいつの親は、きっと迎えにくるだろう。でもそれは、一緒に暮らすためではなく売るためだ。そして、こんな馬鹿な子供は日本中に履いて捨てるほどいる。寺に預けて、年頃になれば引き出す。まるでこの寺は倉庫だ。
中途半端に期待をして、裏切られたら辛いのは自分だろうに。気付いていて知らないフリを決め込んでいるとしたら、本当に救いようのないやつだと思う。
ナマエは両親の期待に応えるように、綺麗に育った。脳味噌だけは成長することがなかった。
俺とこいつが一緒にいたのは、何も仲が良かったからではない。たまたま、俺とこいつだけが助かったからだ。
ナマエは、たまたま夜の散歩に出かけていたから助かったのだという。俺としては、そんな出来すぎた偶然、信じられなかった。あの寺の付近は鬼をずいぶん警戒していたし、どんな阿保のこいつでも、それを知っていて月の下を呑気に歩くことはないだろう。
ただ、深く問い詰めてはいけない気がして、そのことに関しては詳しくわからない。
月明かりもなく、石ころと雑草だらけの獣道を、二人で息を殺して走った。
その時、こいつがとてつもなく切れるやつだとわかったのだ。少なくとも、体だけは。
常々どんくさいやつだと思っていたが、火事場の馬鹿力というのだろうか、とにかく体力だけはあった。
山を越え、夜明けには知らない町にたどり着いていた。前の村より人が多く、とにかくゴミゴミとしていて、寒かったのを覚えている。
早朝、子供二人がボロの格好でいると目立つので、民家と民家の隙間に潜り込んだ。
「お腹すいた。眠い」
やっと口を開いたと思えば、ナマエはそんなことを言った。
確かに、それに関しては俺も同じだった。とにかく疲れていて、泥のように眠りたかったのだ。
身を預けられて、安心して眠れる場所はない。
だからまず、腹だけでも膨らませようと思った。
「金あるか?」
首を横にふった。
「俺もない。じゃ、やるか」
「やるって、何を?」
ここまで無知だと、一周回って憐みたくなる。
「何って、こうだ」
俺が懐に手を突っ込むと、え、とナマエは声をあげた。
「人のものをとっちゃダメなんだよ」
「……お前、俺が何したのか忘れたのか」
「で、でも……何回目でもダメなものはダメだよ」
「じゃあ、お前がやるか?」
「え……」
「せっかくお前のために俺がやってやるって言ってんだよ。素直に好意を受け取れないのか?」
「だ、誰かに頼んだら分けてもらえるかもよ……この町にも、お寺があるかもしれないし、そ、そうだ、お寺に行こうよ。そうしたらきっと……」
「無理だ。いいから黙って待ってろ」
綺麗事ばかり言うやつには吐き気がする。
俺が必死の思いでスってきた野菜を、こいつは泣きながら食べた。
惨めな逃亡生活だった。着替えも金も、何も持たず飛び出してきた俺たちは、橋の下や路地裏で、毎日歯を食いしばって生きてきた。
何度こいつを売ってやろうと思ったことだろう。実際、人買いにさらわれそうになったこともあるし、野犬に襲われて痛い目を見たこともあった。
ただ、俺にはなぜかこいつは「伸びる」という奇妙な確信があった。
実際、馬鹿ではあるが学習はしているのだ。どういう時に、どんな発言をして、どう動けば同情をひけるか、こいつは熟知していた。
ある時、俺とこいつは、なぜか駆け落ちした恋人同士と思われたらしい。行く先々で、施しを受け取り、例え盗みがバレて殴られそうになっても、こいつを引き出せばあいつらの視線は変わった。
同情されたのだ。
人は、何を投げ打ち、自分の身を割いてまで誰かのために行動しようとする。
こいつの両親が、なぜこれを遊女に育て上げようとしたのがわかった。
魔性の女だ。清純でいて、大人を騙すのが上手いのだ。しかも、たちが悪いことに本人は何も考えずに動いている。生存本能がそうさせるのか。人の心に侵入することについて、これには一生敵わないと悟った。
ある街では、奉公先のお嬢様と下男。別の町では、決められた婚約者からの逃避行。詐欺と、それに関する演技力で言えば、こいつは化け物並みだった。
好意で泊めてもらった家の中で、こんな悪いことはもうやめよう、だのバチが当たるからお金は返して、ちゃんと働こう、だのそんな泣き言をいうのだ。
少しでも粗がわかれば町を出て、次々名前と職を変え渡り歩く。
そんな生活が半年も続いた、ある夜のことだった。
「いいか、ここで待ってろ。すぐに戻る」
「ね、ねぇ、どこに行くの……」
「言えない。とにかく、動くな。じっとしていろ、いいな」
いつ、どうしてナマエにこんなことを言ったのか、理由ははっきり覚えていない。誰かに呼ばれたとか、そういうことだったと思う。夜中に一人で外に出ていく必要があったのだから、きっと大事な幼児のはずだ。
俺は急いで帰ろうとした。けれど、それを果たすことはできなかった。明朝、ナマエを置いていった場所に戻ると、あいつは消えていた。それこそ、神隠しにでもあったかのように。
あいつは逃げたのだと思った。それか、人攫いにでも捕まったか。どちらにしろ、俺は必死になって探したりはしなかった。いずれこの二人旅は終わって、どちらかが”あがれ”ば壊れる関係だったのだ。
まさか、あの夜、ナマエは本当に拐われたのだろうか。
「……わ、私……私、あの夜、待ってたのに……ちゃんと……いうこと聞いてたのに……」
「結局どういうことなんだよ。説明するって言ったのに、何もわからねぇ」
「朝になっても来なかったじゃない! 嘘つき! ……夜、お金がないからどこにも行けなかった……だ、だから……私、寒くて……でも、誰にも頼れなくて……だけど、どうしようもなくって……誰も助けてくれないから」
だから私、鬼になったんだよ。
ごう、と風が吹いた。それがナマエの髪を揺らして、長いすだれのような前髪がひらりとめくれ上がった。
目は赤く、開いた口からは尖った八重歯が見えた。それはまさしく、異形の姿であった。人の形をした、人ならざるもの。もうこいつは、自分の知っているナマエではない。鬼の娘だ。
「私、一人で寂しかったの。置いていかれて、怖かったし、辛かった。動くなって言われたから、ずっと待ってたんだよ。飲まず食わずでね。だって、きてくれると思ったんだもん。約束、破らないと思ったの。だって私、今まで約束破らなかった。お寺でいい子にしてたし、言いつけも全部守ったよ。なんで? なんで私だけ裏切られてばかりだったの? 泣きたくても、泣けなかったの。流す涙もなかったから。
一人でずっと待っていたら、黒死牟様は私の元へきてくださった。私を仲間にしてくださって、お側に置いてくださった。だからね、ずっと一緒。あの人は私を置いていかない。おとうもおかあも、獪岳だってみんな私を置いていった。待っててねって言って、ずっと一人にさせて、信用させて、裏切ったの。でももう、私は一人じゃない。みんな、私のことをもの扱いしたけど、今はそうじゃない。それに私、私だけじゃないのーー」
「やめろ!」
ナマエの独白が、どういう風に続くのかわかってしまったから話を断ち切った。
何故だ。お前は騙されてるんだよ。俺は朝には戻った。そうだ、ちゃんと戻ったんだ。
どうして、どうしてこうなったんだ。
誰かがお前のことを拐って、都合よく書き換えたんだ。
そうじゃないと、納得ができない。
理不尽だ。何もかもが。きっと、全て誰かが俺たちが不幸になるようにと呪った結果だ。すべて置いていって、お前だけ抜け駆けした。
強いものに魅入られて、強者にかしづいて一人だけ、なんの努力もなしに安全圏にいるなんて、そんなの、不公平だ。
こいつだけが幸せになるくらいなら、こちらに引き摺り下ろしたって構わない。
俺についてきて、後ろに下がって俺の出方だけを伺って、俺のいうことだけを聞いていれば幸せになれたんだ。それなのに、それなのにどうして俺を裏切ったんだ。
叫ぶ言葉が出てこなかった。唇を噛むと、切れて血が出た。
「……血、出てるよ」
「うるさい」
ナマエは俺に近づいて、手巾で俺の唇を拭おうとした。繊細な手つきだった。
俺はその手を跳ね除けた。
「お前、俺が憎いんじゃないのか」
「憎いっていうより、悲しいの。どうして、置いていったのって、ずっと考えてた。でもね、もう何も考えない。私、今が幸せで、昔のことも……忘れるの」
今日会えてよかった。
それだけ言うと、ナマエは立ち上がった。静かな声だった。震えず、淀みなく、それが本来の彼女の声だ。
「ナマエ、俺はお前のところへ戻った。それだけは、誤解するなよ」
「うん、そうなんだね」
違う、許しが欲しいんじゃない。俺はずっと、納得できないだけなんだ。
「呼ばれたから、帰るね。じゃあ、また今度」
帰ろうとするナマエの手を掴んだ。
またねと言ったが、どうせ最後だ。
月に向かって歩く後ろ姿に、鼓動が二つ聞こえてくる。
最後に呪いを振りまいて、ナマエだった女は去っていった。
久しぶりの再会に思ったのは、そんなことだった。
「あ、あ……ひさしぶり……だね」
上目遣いで、こちらの機嫌を伺うようにそう呟いたあいつに、思わず前の調子で詰め寄りそうになった。
「……ナマエ、なんでお前がここにいるんだよ」
満月の夜だった。
俺は人を喰うために山奥の小さな集落を襲った。
民家と民家の間には相当な距離があり、中では農家の家族が細々と暮らしていた。
もっと肥えたやつを喰えばよかった。そう思って外に出ると、小さな人影があった。
ちょうどいいと近づいたところで、昔の知り合いだと気づいたのだ。
言いたいことは沢山ある。けれど、それが口から出てこない。
うまく表現できない苛立ちを、思わずぶつけてしまいそうになった。
が、ナマエの後ろに「いた」のである。
「……お前と、ナマエは、知り合いだったか」
俺に血を分け与えた上弦の鬼。その傍に、まるで寄り添うようにして立っていたナマエは、目線をあっちへやったりこっちへやったりと忙しい。
「こ、黒死牟様! 彼は……その……昔話しましたね、寺にいたときの知り合いです」
「そうか」
何故、どうして。
混乱して、うまく喋れない俺をよそに、黒死牟は俺の目をじいと見つめる。
「……すみません、一度こいつと……ナマエと二人きりにしてくれませんか」
「構わない」
ナマエには決定権がないかのように、全て向こうが決めてしまった。
なんだよ、なんなんだよ。
親においていかれそうな子供のように、ナマエは黒死牟の着物の裾を握った。
「あ、あの……私」
「気にすることはない。人間時代の知り合いなのだろう」
「え、あ、はい……終わったら……」
「わかっている。迎えに行こう」
そういって何処かへと消えていった。見れもしない後ろ姿を、ナマエはずっと追っている。それに腹が立つと同時に、何かと察することができた。
こいつは、ナマエはあれに気に入られている。そして、俺のことを怖いと思っているのだろう。
流石にわかる。あんなに動揺して、しきりに震えていたのだから。
どうして黒死牟が、俺とこいつを二人きりにすることを許したのかはわからない。
どのような意図があって、俺たちを併せたのだろう。
「お前、どうやって黒死牟と知り合った。お前、鬼になったのか?」
ナマエは決して俺と目を合わせようとしなかった。
俺にじりじりと追い詰められて、ついには壁に背中を打つけてしまう。
「おい、答えろよ。いくら間抜けでも言葉を忘れたわけじゃないだろ」
「……っは……わた……しは」
ナマエが背中を預けた向こうには、ついさっきまで食っていた人間の死体が4、5体は転がっている。
もし、こいつが鬼になっていたとしても大して強くないだろうと思った。
血を見るのが嫌で、蚊も殺せないような弱虫だから。
「……私を、お、お、置いてった人に答えることはない!」
声も足も震えて、目には涙を浮かべながら、ナマエは叫んだ。
「はぁ? 置いてったってお前、勝手に消えたのはそっちだろ。事実を改変するな」
「違う、違うよ! だって、待っててくれるって言ったのに、獪岳がいなくなっちゃったんだよ!」
「あー、そうだったっけか? まぁいいじゃねぇか。感動の再会ってやつだな」
「会いたくなかった! わ、私は獪岳なんて嫌い! な、なんで鬼になったの? ど、どうして……」
「はぁ? それを言うならお前もどうやって上弦の鬼の愛人なんてやってるんだよ。鬼に殺された寺の奴らが浮かばれねぇなぁ」
「う、うぅ……」
やっぱりだ。こいつは昔から何もかわっちゃいなかった。しかも、「愛人」という言葉を否定しなかった。
説明も下手くそで、ろくに俺に言い返すこともできない。
普段だったら俺がキレて、余計にこいつが泣くのだけど、今日は聞きたいこともあるのでそれはしない。
「まぁ、昔の話はたっぷり聞かせてもらうとして、ほら、これ食えよ。枯れ木みてぇな爺だけど、結構いけるぜ」
ナマエの足元に、老人の左腕を差し出した。昔は人間の死体なんて見ると吐き気がこみ上げてきたが、今は違う。なんなら、これはちょっとしたおやつに見えてくるくらいだ。
「……いらない、他人の施しは受けない」
「昔、俺がスった饅頭を美味い美味いって言って食ってたお前が? よく言うぜ」
「い、今は違う! ちゃんと、自分のことは自分でやってる!」
「でもお前、鬼だろ。結局人のもの奪って生きてるのは、変わらないじゃねぇか。それになぁ、この死体の爺さんをこのままにしておくわけにもいかないだろ? 食えよ、ちゃんと食って弔おうや」
ほれ、と突き出すと、ナマエは顔を引きつらせた。余計に面が不細工になったのと、昔より強情になったから余計に苛立ってくる。
「……最低、人でなし。獪岳が殺したのに、どうして私が食べないといけないの」
「鬼は全員人でなしだぜ。人間なんて、もうずっと前に食っただろ? 何罪の意識感じてるんだよ。今更死にかけだった爺さん一人食ったところで、地獄行きは変わらねぇって」
ナマエは静かに泣いていた。そうだ、昔っからこいつは声を上げて泣いたりしなかった。静かに、シクシクと泣くのだ。まるで薄命の姫のように。だから気にいっていた。うるさいのは嫌いだ。
「おぉ、いい食いっぷりだな。お前、何か食う時って不細工になるよなぁ。頬いっぱいに詰め込んで、意地が悪い食い方だぜ」
そうやってひどいことを言って、ナマエが泣くのを見るのが好きだった。昔から、それこそみんなでいた時から、俺はこいつにだけはあたりをきつくしていたのだ。
「……食べたよ、もうこれでいいんでしょう。返してよ、黒死牟様のところへ行きたい」
「せっかく再会したのになぁ、これで返すわけないだろ。俺は上弦の鬼だぜ? お前が逃げられるわけないだろ」
静かに背中から刀を抜くと、ナマエは目を見開いた。
「き、切らないで……お、お願いします……話すから、ちゃんと、話すから殺さないで……」
こいつも、首を斬られたら死ぬのか。
ペコペコ頭を下げて、いつまでも低姿勢なのにも腹が立つ。
思えば、いつからこうだったのだろう。
前からナマエは、こんなに何かに怯えていたのだろうか。
この寺に預けられる子供たちは、みんな何かしらの事情を持っていた。背後を語ることはないが、ナマエに関して言えば、唯一どうしてここにきたのかはっきりとわかっていた。
本人がどうしようもないくらい、愚かだったからだ。
「私のおとうとおかあはね、私のことを可愛がってくれたよ。ここにくる時、言ったんだ。私がちゃんと大きくなった時に、迎えにきてくれるんだよ。本当だよ。だから私、いい子で待ってるんだ」
それを聞いて、すぐに嘘だと思った。けれどこいつは、余程脳味噌が軽いのか、それを本気で言っていた。つまり、親の嘘を信じていたのだ。
馬鹿なやつだ。
そんなのだから、他の子供にも虐められる。
そんなのだから、いつまでも成長しない。
実際、ナマエは同年代の女の中でも背が低くて、押したら倒れそうーーというか、よく引っ掛けられて転けていた。
確かに、こいつの親は、きっと迎えにくるだろう。でもそれは、一緒に暮らすためではなく売るためだ。そして、こんな馬鹿な子供は日本中に履いて捨てるほどいる。寺に預けて、年頃になれば引き出す。まるでこの寺は倉庫だ。
中途半端に期待をして、裏切られたら辛いのは自分だろうに。気付いていて知らないフリを決め込んでいるとしたら、本当に救いようのないやつだと思う。
ナマエは両親の期待に応えるように、綺麗に育った。脳味噌だけは成長することがなかった。
俺とこいつが一緒にいたのは、何も仲が良かったからではない。たまたま、俺とこいつだけが助かったからだ。
ナマエは、たまたま夜の散歩に出かけていたから助かったのだという。俺としては、そんな出来すぎた偶然、信じられなかった。あの寺の付近は鬼をずいぶん警戒していたし、どんな阿保のこいつでも、それを知っていて月の下を呑気に歩くことはないだろう。
ただ、深く問い詰めてはいけない気がして、そのことに関しては詳しくわからない。
月明かりもなく、石ころと雑草だらけの獣道を、二人で息を殺して走った。
その時、こいつがとてつもなく切れるやつだとわかったのだ。少なくとも、体だけは。
常々どんくさいやつだと思っていたが、火事場の馬鹿力というのだろうか、とにかく体力だけはあった。
山を越え、夜明けには知らない町にたどり着いていた。前の村より人が多く、とにかくゴミゴミとしていて、寒かったのを覚えている。
早朝、子供二人がボロの格好でいると目立つので、民家と民家の隙間に潜り込んだ。
「お腹すいた。眠い」
やっと口を開いたと思えば、ナマエはそんなことを言った。
確かに、それに関しては俺も同じだった。とにかく疲れていて、泥のように眠りたかったのだ。
身を預けられて、安心して眠れる場所はない。
だからまず、腹だけでも膨らませようと思った。
「金あるか?」
首を横にふった。
「俺もない。じゃ、やるか」
「やるって、何を?」
ここまで無知だと、一周回って憐みたくなる。
「何って、こうだ」
俺が懐に手を突っ込むと、え、とナマエは声をあげた。
「人のものをとっちゃダメなんだよ」
「……お前、俺が何したのか忘れたのか」
「で、でも……何回目でもダメなものはダメだよ」
「じゃあ、お前がやるか?」
「え……」
「せっかくお前のために俺がやってやるって言ってんだよ。素直に好意を受け取れないのか?」
「だ、誰かに頼んだら分けてもらえるかもよ……この町にも、お寺があるかもしれないし、そ、そうだ、お寺に行こうよ。そうしたらきっと……」
「無理だ。いいから黙って待ってろ」
綺麗事ばかり言うやつには吐き気がする。
俺が必死の思いでスってきた野菜を、こいつは泣きながら食べた。
惨めな逃亡生活だった。着替えも金も、何も持たず飛び出してきた俺たちは、橋の下や路地裏で、毎日歯を食いしばって生きてきた。
何度こいつを売ってやろうと思ったことだろう。実際、人買いにさらわれそうになったこともあるし、野犬に襲われて痛い目を見たこともあった。
ただ、俺にはなぜかこいつは「伸びる」という奇妙な確信があった。
実際、馬鹿ではあるが学習はしているのだ。どういう時に、どんな発言をして、どう動けば同情をひけるか、こいつは熟知していた。
ある時、俺とこいつは、なぜか駆け落ちした恋人同士と思われたらしい。行く先々で、施しを受け取り、例え盗みがバレて殴られそうになっても、こいつを引き出せばあいつらの視線は変わった。
同情されたのだ。
人は、何を投げ打ち、自分の身を割いてまで誰かのために行動しようとする。
こいつの両親が、なぜこれを遊女に育て上げようとしたのがわかった。
魔性の女だ。清純でいて、大人を騙すのが上手いのだ。しかも、たちが悪いことに本人は何も考えずに動いている。生存本能がそうさせるのか。人の心に侵入することについて、これには一生敵わないと悟った。
ある街では、奉公先のお嬢様と下男。別の町では、決められた婚約者からの逃避行。詐欺と、それに関する演技力で言えば、こいつは化け物並みだった。
好意で泊めてもらった家の中で、こんな悪いことはもうやめよう、だのバチが当たるからお金は返して、ちゃんと働こう、だのそんな泣き言をいうのだ。
少しでも粗がわかれば町を出て、次々名前と職を変え渡り歩く。
そんな生活が半年も続いた、ある夜のことだった。
「いいか、ここで待ってろ。すぐに戻る」
「ね、ねぇ、どこに行くの……」
「言えない。とにかく、動くな。じっとしていろ、いいな」
いつ、どうしてナマエにこんなことを言ったのか、理由ははっきり覚えていない。誰かに呼ばれたとか、そういうことだったと思う。夜中に一人で外に出ていく必要があったのだから、きっと大事な幼児のはずだ。
俺は急いで帰ろうとした。けれど、それを果たすことはできなかった。明朝、ナマエを置いていった場所に戻ると、あいつは消えていた。それこそ、神隠しにでもあったかのように。
あいつは逃げたのだと思った。それか、人攫いにでも捕まったか。どちらにしろ、俺は必死になって探したりはしなかった。いずれこの二人旅は終わって、どちらかが”あがれ”ば壊れる関係だったのだ。
まさか、あの夜、ナマエは本当に拐われたのだろうか。
「……わ、私……私、あの夜、待ってたのに……ちゃんと……いうこと聞いてたのに……」
「結局どういうことなんだよ。説明するって言ったのに、何もわからねぇ」
「朝になっても来なかったじゃない! 嘘つき! ……夜、お金がないからどこにも行けなかった……だ、だから……私、寒くて……でも、誰にも頼れなくて……だけど、どうしようもなくって……誰も助けてくれないから」
だから私、鬼になったんだよ。
ごう、と風が吹いた。それがナマエの髪を揺らして、長いすだれのような前髪がひらりとめくれ上がった。
目は赤く、開いた口からは尖った八重歯が見えた。それはまさしく、異形の姿であった。人の形をした、人ならざるもの。もうこいつは、自分の知っているナマエではない。鬼の娘だ。
「私、一人で寂しかったの。置いていかれて、怖かったし、辛かった。動くなって言われたから、ずっと待ってたんだよ。飲まず食わずでね。だって、きてくれると思ったんだもん。約束、破らないと思ったの。だって私、今まで約束破らなかった。お寺でいい子にしてたし、言いつけも全部守ったよ。なんで? なんで私だけ裏切られてばかりだったの? 泣きたくても、泣けなかったの。流す涙もなかったから。
一人でずっと待っていたら、黒死牟様は私の元へきてくださった。私を仲間にしてくださって、お側に置いてくださった。だからね、ずっと一緒。あの人は私を置いていかない。おとうもおかあも、獪岳だってみんな私を置いていった。待っててねって言って、ずっと一人にさせて、信用させて、裏切ったの。でももう、私は一人じゃない。みんな、私のことをもの扱いしたけど、今はそうじゃない。それに私、私だけじゃないのーー」
「やめろ!」
ナマエの独白が、どういう風に続くのかわかってしまったから話を断ち切った。
何故だ。お前は騙されてるんだよ。俺は朝には戻った。そうだ、ちゃんと戻ったんだ。
どうして、どうしてこうなったんだ。
誰かがお前のことを拐って、都合よく書き換えたんだ。
そうじゃないと、納得ができない。
理不尽だ。何もかもが。きっと、全て誰かが俺たちが不幸になるようにと呪った結果だ。すべて置いていって、お前だけ抜け駆けした。
強いものに魅入られて、強者にかしづいて一人だけ、なんの努力もなしに安全圏にいるなんて、そんなの、不公平だ。
こいつだけが幸せになるくらいなら、こちらに引き摺り下ろしたって構わない。
俺についてきて、後ろに下がって俺の出方だけを伺って、俺のいうことだけを聞いていれば幸せになれたんだ。それなのに、それなのにどうして俺を裏切ったんだ。
叫ぶ言葉が出てこなかった。唇を噛むと、切れて血が出た。
「……血、出てるよ」
「うるさい」
ナマエは俺に近づいて、手巾で俺の唇を拭おうとした。繊細な手つきだった。
俺はその手を跳ね除けた。
「お前、俺が憎いんじゃないのか」
「憎いっていうより、悲しいの。どうして、置いていったのって、ずっと考えてた。でもね、もう何も考えない。私、今が幸せで、昔のことも……忘れるの」
今日会えてよかった。
それだけ言うと、ナマエは立ち上がった。静かな声だった。震えず、淀みなく、それが本来の彼女の声だ。
「ナマエ、俺はお前のところへ戻った。それだけは、誤解するなよ」
「うん、そうなんだね」
違う、許しが欲しいんじゃない。俺はずっと、納得できないだけなんだ。
「呼ばれたから、帰るね。じゃあ、また今度」
帰ろうとするナマエの手を掴んだ。
またねと言ったが、どうせ最後だ。
月に向かって歩く後ろ姿に、鼓動が二つ聞こえてくる。
最後に呪いを振りまいて、ナマエだった女は去っていった。
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