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単発SS
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オレが背中にタトゥーを彫ったと知った時、妹は一言「ずるい」と言った。蜘蛛がモチーフなんて陰気なのは嫌だ、とも。そして次の日には腰の辺りに百合の花を彫ってオレに見せにやって来た。薄汚れた街の下品な通りで、シャツを捲ったこいつを、オレは叱る資格もなければ説教するのも無駄だとすら思った。妹はこうだと決めたら誰に何と言われようが、自分の意志を曲げようとしないからだ。
「花? お前らしくないな」
「百年待ったらわたし、これになるんだって。でもわたしは百年も待てないと思う」
そう言ってオレに一冊の本を見せた妹は、「兄さんは殴る蹴るしか頭にないから、多分読んでも分からないよ」と馬鹿にしたような声で笑った。確かにオレは読書なんてしない。妹はオレと違ってきちんとした学校に通ってこんな文学なんて読んでいるから、きっとその本の引用か何かだろうというのは分かっている。学校で読まされるような本なのだから、真面目くさった通俗性に欠ける内容なのだろうということも、なんとなく。
「夢の中で百年待ったら、好きな人に会えるんだよ」
「で、花になるのか」
「生まれ変わりのメタファーかも。だって日本じゃみんな仏教徒なんでしょ?」
「オレに聞かれても知らん」
「普通の学校辞めちゃったもんねえ、お兄ちゃんは。パパと一緒にいるのが嫌なら、寄宿学校にでも入ればよかったのに」
「あんなところにオレが行ったところでどうにもならない。……そろそろ帰れ、お前といるところを他のやつに見られたくない」
「あー、そう。自分は勝手に生きてるくせに指図するんだ。この前のこともパパには言わないでおいてあげたのに、人には好き勝手言うんだね」
「うるさい! 家に帰れ!」
行動はおかしかったが、妹の言うことは常に正しかった。正論だった。昔だったらテコでも動かないこいつを無理矢理にでも動かしていたはずだが、今のオレにはそんなことはできない。下手をしたら殺しかねないからだ。それを向こうもわかっていて、好き勝手に言いたい放題オレのことを罵ってくる。毎回会うたびに、サンドバッグにしているのだ。
「兄貴、ちょーうざ。友達いなさそう。一生生産性のない暴力だけしてれば~?」
これも直に終わる。オレは地球からいなくなる。妹はどこにでも行けるような顔をして、どこにも行けないからオレよりも哀れだ。
次に会ったとき、妹は前とまったく変わらない姿でいた。髪の長さも身長も、傲慢な笑みもそのままで、妹だけ時が止まってしまったのではないかと思ったくらいだ。
「兄さん、アレをちょうだい」
妹がアレ、と言う時は大概人間を指している。
「人をアレ呼びするな」
「どっちで呼べばいいのか分からない。スカー? マルス? リングネームと本当のお名前、どっちがいいと思う?」
「好きにしろ。オレに構うな」
「構わなきゃいけないのっぴきならない事情があるからわざわざお話してるんでしょうが。わたし、スカーフェイスのことが好きになっちゃった。お願い、どうにかして」
ニッと笑う。気味の悪い笑顔だ。妹はすぐ人のことを好きになる――大概、オレの周りにいるような人間を、特に自分よりもデカくて(妹は女性としてそれほど背が高い方ではない)、精神的にタフそうなやつがタイプなんだろうと考える。
なんでも自分の思うがままに生きられると思っているのがこの女のおかしいところだ。そして最悪の美点でもある。
こいつは自分の使える力を存分に振るう術を知っている。オレとは違って父親に強請ることにすら躊躇がない。
「駄目だ。あいつはお前とあわない」
「あわせないんじゃあなくって?」
「マルスはな、女なんて相手してるような男じゃないんだ」
「うるさいなあ。そんなのわかんないでしょ。それにもう、好きになっちゃったから止められないの。地球が滅びない限りわたしは止まらないから。できないって思っておけばぁ? クソ兄貴」
いつも妹は急に現れては、嵐のように過ぎ去っていく。オレは去る者は追わない。ましてやこんな公害の擬人化のような身内と余計な会話をしたいとは、絶対に考えない。でも今回ばかりは――今度だけはオレにも意見すべき箇所がある。
あいつを妹に壊されたくはない。
「――待て」
「なぁに?」
妹はゆっくり振り返る。さっきの態度が演技だったとでもいうような、穏やかな顔つきで。人に甘えるような声色で。
「マルスのどこがそんなに……好きなんだ。テレビで中継でも見たのか、それとも――」
オレの近くにいる人間全員を、潰そうとしているのか。
「星に手を伸ばすのって、素敵だと思わない?」「お前、本当に今度こそはタダでは」「兄さんも、何人再起不能にしたっけ?」「…………」
わたしたち、やっぱりきょうだいなんだね。
そう言われるとオレは返す言葉がない。
妹は吸い込まれるように地下鉄への階段を下りていった。
「お前の妹、アレどうなってるんだ」
やっぱりな、とオレは思った。血相を変えてオレのところにやってきたマルスを見て、アレを野放しにしてしまっているオレのせいだと思った。
「もう妹には関わらない方がいい」
「そうしているつもりなんだがな。……どこからともなくやってきやがって、全部滅茶苦茶にしていくからオレにもどうしようもない。あいつを出禁にしてくれ。宇宙超人委員会は仕事してるのか……? クソッ」
「妹は……具体的には何を――」
「お前の妹なんだろ? 早くどうにかしろよ! お前の親も何してるんだ……クソッ、ロビンマスクのガキだからって何しても許されると思ってるんだ、あの女……」
怒り心頭でこちらの話も碌に聞かず、マルスはゲシゲシとそこらの物に当たり出した。普段あれほど冷静なこの男がここまで我を忘れて怒っているのが、自分の妹のせいだと思うと申し訳ないという気持ちにしかならない。それと同時にどうしようもできないからオレに当たり散らしに来ているこいつにも、同情すると同時に、お前ならどうにかしてくれると思っていたのにどうしようもなかったのかと少し失望する。
オレはマルスに妹をどうにかしてほしかった。
家庭の事情を他人にどうにかしてもらおうとするなんて、馬鹿だと思ってしまうが、それでもどうしてもカウンセラーにもダディにも止められなかった女を、頭のいいこいつなら、と一回考えてしまうのは悪いことだろうか。
「お前があいつに騙されなかっただけ、オレは……尊敬している」
「なぁお前煽ってきてるのか? オレはお前の妹に全部駄目にされたから、兄であるお前にクレームを言いに来てるんだろうが。わかるよなぁ? ちょっとは頭を使えよ」
「騙されたのか……」
「詐欺師だな、アレは」
妹がなにをどのようにして相手の神経を逆撫でし、そして壊してしまうのか。オレは恐ろしくて詳細を聞くことができない。毎回オレの妹のせいで人生を壊滅させられていく人間たちを見つめていたが、ここまでオレに近しい人までその毒牙にかかっていたとなるといつかオレは妹を殺すかもしれない。
マルスは怒っている。本当に怒っている。でも、怒っているくらいで完結するのなら、まだマシな方だと思ってしまう。
次に妹を見た時、彼女は腹に包丁を突き立てられていた。
「ああ、意味ないぞ」
オレが思わず呟いてしまったせいで、妹の目線がこちらに向かった。面倒くさいけれど、これはオレが悪い。
「は……はぁっ?」
妹に纏わり付かれて、人を殺したような形相になっていたマルスも、さすがに驚いて子供みたいに目を見開いている。刺した方の男も、刺されて平然と立っている妹を見てよほど驚いたのだろう。どこかへと吹き飛ばされたみたいに走り去っていった。
「こんなので刺されたくらいで死なないよぉ」
妹は自分の腹部から刃渡り二十センチくらいの包丁を引き抜いて、溝のところにぽいっと放り投げた。目抜き通りから離れていてよかった。周囲にオレたち以外に目撃者はいなかった。
「え、嘘だろ……オイ」
「死にませんよマルスさん。わたし結構頑丈、なんで」
それとも死んだ方がよかったですかぁ? 妹は腹部からダラダラと出血しながらケタケタと笑った。
「さすがに痛いだろ……」
「痛いって言ったら構ってくれますか?」
「…………」
引いているのか驚いているのか理解が及ばずに固まっているのか、それとも、いや全部――だ。
「病院に行け」
「兄さん、あいつ追っかけてよ」
「監視カメラがあるだろ。いつか捕まる」
「そっか、そうだね。マルスさん、わたし怖いです……」
「嘘をつくな……」
「えーっ。本当ですよ。守ってくださいよ。さっきだってわたしのことを置いていこうとしましたよね……? 酷いです、それはさすがに市民として、どうなんでしょうか……?」
妹が血まみれのままマルスにくっついたので、マルスの服も赤黒く汚れた。ペンキでもこぼしたように見える。そういう模様だと思って見てもいいかもしれない。
とにかくオレは妹がしでかすことを評価するとき、生死の有無で判断するのを辞めた方がいい。あとでクリーニング代も弁償しなくてはいけない。面倒だ。妹のせいで、こいつの自業自得で刺されているのにこいつはいつも周りに迷惑を振りまく。被害にあっても害悪な女。
「痛くなくて平気でも、今のお前はこのまま往来を歩けないしそのうち出血多量で倒れる」
「うん、電話して」
「自分でしろ! オレはお前に関わりたくない」
「お前の妹なんだから、お前がどうにかしろよ……」
第三者からの真っ当でしかない指摘も、妹の軽薄の微笑みを見ていると嫌がらせのように思えてくる。なんでオレが、妹の……。
「オレはもう知らねえ。何も見てねえ」
ホラー映画みたいな格好になってしまったマルスは、そのまま足早にここから立ち去っていこうとする。妹は「またお会いしましょう」なんて叫んでいるが、こいつが動く度内蔵が飛び出しそうになるし、ガン無視されているし(残当だ)、結局オレの希少な休息はこいつのせいで駄目にされるのだ。
「……」
「ねぇ~遅いよ。ちょっと頭、フラフラしてきた……かも」
「……座ってろ」
救急車を呼び出す番号を押しながらふと、こいつの相手ができる人間は百年経っても出現しないだろうと思った。
「花? お前らしくないな」
「百年待ったらわたし、これになるんだって。でもわたしは百年も待てないと思う」
そう言ってオレに一冊の本を見せた妹は、「兄さんは殴る蹴るしか頭にないから、多分読んでも分からないよ」と馬鹿にしたような声で笑った。確かにオレは読書なんてしない。妹はオレと違ってきちんとした学校に通ってこんな文学なんて読んでいるから、きっとその本の引用か何かだろうというのは分かっている。学校で読まされるような本なのだから、真面目くさった通俗性に欠ける内容なのだろうということも、なんとなく。
「夢の中で百年待ったら、好きな人に会えるんだよ」
「で、花になるのか」
「生まれ変わりのメタファーかも。だって日本じゃみんな仏教徒なんでしょ?」
「オレに聞かれても知らん」
「普通の学校辞めちゃったもんねえ、お兄ちゃんは。パパと一緒にいるのが嫌なら、寄宿学校にでも入ればよかったのに」
「あんなところにオレが行ったところでどうにもならない。……そろそろ帰れ、お前といるところを他のやつに見られたくない」
「あー、そう。自分は勝手に生きてるくせに指図するんだ。この前のこともパパには言わないでおいてあげたのに、人には好き勝手言うんだね」
「うるさい! 家に帰れ!」
行動はおかしかったが、妹の言うことは常に正しかった。正論だった。昔だったらテコでも動かないこいつを無理矢理にでも動かしていたはずだが、今のオレにはそんなことはできない。下手をしたら殺しかねないからだ。それを向こうもわかっていて、好き勝手に言いたい放題オレのことを罵ってくる。毎回会うたびに、サンドバッグにしているのだ。
「兄貴、ちょーうざ。友達いなさそう。一生生産性のない暴力だけしてれば~?」
これも直に終わる。オレは地球からいなくなる。妹はどこにでも行けるような顔をして、どこにも行けないからオレよりも哀れだ。
次に会ったとき、妹は前とまったく変わらない姿でいた。髪の長さも身長も、傲慢な笑みもそのままで、妹だけ時が止まってしまったのではないかと思ったくらいだ。
「兄さん、アレをちょうだい」
妹がアレ、と言う時は大概人間を指している。
「人をアレ呼びするな」
「どっちで呼べばいいのか分からない。スカー? マルス? リングネームと本当のお名前、どっちがいいと思う?」
「好きにしろ。オレに構うな」
「構わなきゃいけないのっぴきならない事情があるからわざわざお話してるんでしょうが。わたし、スカーフェイスのことが好きになっちゃった。お願い、どうにかして」
ニッと笑う。気味の悪い笑顔だ。妹はすぐ人のことを好きになる――大概、オレの周りにいるような人間を、特に自分よりもデカくて(妹は女性としてそれほど背が高い方ではない)、精神的にタフそうなやつがタイプなんだろうと考える。
なんでも自分の思うがままに生きられると思っているのがこの女のおかしいところだ。そして最悪の美点でもある。
こいつは自分の使える力を存分に振るう術を知っている。オレとは違って父親に強請ることにすら躊躇がない。
「駄目だ。あいつはお前とあわない」
「あわせないんじゃあなくって?」
「マルスはな、女なんて相手してるような男じゃないんだ」
「うるさいなあ。そんなのわかんないでしょ。それにもう、好きになっちゃったから止められないの。地球が滅びない限りわたしは止まらないから。できないって思っておけばぁ? クソ兄貴」
いつも妹は急に現れては、嵐のように過ぎ去っていく。オレは去る者は追わない。ましてやこんな公害の擬人化のような身内と余計な会話をしたいとは、絶対に考えない。でも今回ばかりは――今度だけはオレにも意見すべき箇所がある。
あいつを妹に壊されたくはない。
「――待て」
「なぁに?」
妹はゆっくり振り返る。さっきの態度が演技だったとでもいうような、穏やかな顔つきで。人に甘えるような声色で。
「マルスのどこがそんなに……好きなんだ。テレビで中継でも見たのか、それとも――」
オレの近くにいる人間全員を、潰そうとしているのか。
「星に手を伸ばすのって、素敵だと思わない?」「お前、本当に今度こそはタダでは」「兄さんも、何人再起不能にしたっけ?」「…………」
わたしたち、やっぱりきょうだいなんだね。
そう言われるとオレは返す言葉がない。
妹は吸い込まれるように地下鉄への階段を下りていった。
「お前の妹、アレどうなってるんだ」
やっぱりな、とオレは思った。血相を変えてオレのところにやってきたマルスを見て、アレを野放しにしてしまっているオレのせいだと思った。
「もう妹には関わらない方がいい」
「そうしているつもりなんだがな。……どこからともなくやってきやがって、全部滅茶苦茶にしていくからオレにもどうしようもない。あいつを出禁にしてくれ。宇宙超人委員会は仕事してるのか……? クソッ」
「妹は……具体的には何を――」
「お前の妹なんだろ? 早くどうにかしろよ! お前の親も何してるんだ……クソッ、ロビンマスクのガキだからって何しても許されると思ってるんだ、あの女……」
怒り心頭でこちらの話も碌に聞かず、マルスはゲシゲシとそこらの物に当たり出した。普段あれほど冷静なこの男がここまで我を忘れて怒っているのが、自分の妹のせいだと思うと申し訳ないという気持ちにしかならない。それと同時にどうしようもできないからオレに当たり散らしに来ているこいつにも、同情すると同時に、お前ならどうにかしてくれると思っていたのにどうしようもなかったのかと少し失望する。
オレはマルスに妹をどうにかしてほしかった。
家庭の事情を他人にどうにかしてもらおうとするなんて、馬鹿だと思ってしまうが、それでもどうしてもカウンセラーにもダディにも止められなかった女を、頭のいいこいつなら、と一回考えてしまうのは悪いことだろうか。
「お前があいつに騙されなかっただけ、オレは……尊敬している」
「なぁお前煽ってきてるのか? オレはお前の妹に全部駄目にされたから、兄であるお前にクレームを言いに来てるんだろうが。わかるよなぁ? ちょっとは頭を使えよ」
「騙されたのか……」
「詐欺師だな、アレは」
妹がなにをどのようにして相手の神経を逆撫でし、そして壊してしまうのか。オレは恐ろしくて詳細を聞くことができない。毎回オレの妹のせいで人生を壊滅させられていく人間たちを見つめていたが、ここまでオレに近しい人までその毒牙にかかっていたとなるといつかオレは妹を殺すかもしれない。
マルスは怒っている。本当に怒っている。でも、怒っているくらいで完結するのなら、まだマシな方だと思ってしまう。
次に妹を見た時、彼女は腹に包丁を突き立てられていた。
「ああ、意味ないぞ」
オレが思わず呟いてしまったせいで、妹の目線がこちらに向かった。面倒くさいけれど、これはオレが悪い。
「は……はぁっ?」
妹に纏わり付かれて、人を殺したような形相になっていたマルスも、さすがに驚いて子供みたいに目を見開いている。刺した方の男も、刺されて平然と立っている妹を見てよほど驚いたのだろう。どこかへと吹き飛ばされたみたいに走り去っていった。
「こんなので刺されたくらいで死なないよぉ」
妹は自分の腹部から刃渡り二十センチくらいの包丁を引き抜いて、溝のところにぽいっと放り投げた。目抜き通りから離れていてよかった。周囲にオレたち以外に目撃者はいなかった。
「え、嘘だろ……オイ」
「死にませんよマルスさん。わたし結構頑丈、なんで」
それとも死んだ方がよかったですかぁ? 妹は腹部からダラダラと出血しながらケタケタと笑った。
「さすがに痛いだろ……」
「痛いって言ったら構ってくれますか?」
「…………」
引いているのか驚いているのか理解が及ばずに固まっているのか、それとも、いや全部――だ。
「病院に行け」
「兄さん、あいつ追っかけてよ」
「監視カメラがあるだろ。いつか捕まる」
「そっか、そうだね。マルスさん、わたし怖いです……」
「嘘をつくな……」
「えーっ。本当ですよ。守ってくださいよ。さっきだってわたしのことを置いていこうとしましたよね……? 酷いです、それはさすがに市民として、どうなんでしょうか……?」
妹が血まみれのままマルスにくっついたので、マルスの服も赤黒く汚れた。ペンキでもこぼしたように見える。そういう模様だと思って見てもいいかもしれない。
とにかくオレは妹がしでかすことを評価するとき、生死の有無で判断するのを辞めた方がいい。あとでクリーニング代も弁償しなくてはいけない。面倒だ。妹のせいで、こいつの自業自得で刺されているのにこいつはいつも周りに迷惑を振りまく。被害にあっても害悪な女。
「痛くなくて平気でも、今のお前はこのまま往来を歩けないしそのうち出血多量で倒れる」
「うん、電話して」
「自分でしろ! オレはお前に関わりたくない」
「お前の妹なんだから、お前がどうにかしろよ……」
第三者からの真っ当でしかない指摘も、妹の軽薄の微笑みを見ていると嫌がらせのように思えてくる。なんでオレが、妹の……。
「オレはもう知らねえ。何も見てねえ」
ホラー映画みたいな格好になってしまったマルスは、そのまま足早にここから立ち去っていこうとする。妹は「またお会いしましょう」なんて叫んでいるが、こいつが動く度内蔵が飛び出しそうになるし、ガン無視されているし(残当だ)、結局オレの希少な休息はこいつのせいで駄目にされるのだ。
「……」
「ねぇ~遅いよ。ちょっと頭、フラフラしてきた……かも」
「……座ってろ」
救急車を呼び出す番号を押しながらふと、こいつの相手ができる人間は百年経っても出現しないだろうと思った。