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単発SS
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「お前、垢抜けたなぁ」
隣に座っている幼なじみにそう言われた時、私は自分の耳を疑った。
今日はたまたま二人ともお休みだから、たまには食事に行こうと誘われて、新市街にある美味しいレストランに行った帰りだった。
「え、そう……?」
「何だよ、俺の言うこと疑うってのか」
「だってさ、ふ、普段ならそんなこと言わないし……ちょっと、何かに当たった? 今日のお昼は生モノ頼まなかったよね?」
私がそういうと、彼は思い切り不機嫌な顔をして、「もういい」と言って立ち上がった。
ちょっと待って、それは困る。必死にご機嫌とりをしようと、急いで頭を働かせる。
「い、いや、ごめんって! だって、ギドゥロが私のこと褒めたのって今までにないじゃん!」
「……は?」
思い切り怖い顔でこっちをみるから、思わず竦み上がってしまう。
こういう目で見つめられると、どうしたらいいのかわからなくなる。
「それはお前が気付いてねぇだけだっての」
「そうなのかな……」
ギドゥロが思いの外真面目にそう言ったので、私は少し考えてみる。
今まで一緒にいた期間は長かったけれど、「かわいい」とか「頭いい」とか「すごい」とか、そんなわかりやすい言葉で私を褒めたことなんて、一度か二度あったかないかくらい。毎日「どんくさい」とか「抜けてる」とか、そんな風に言ってからかわれていた。
「お前、前と違って今は着飾ったり、髪弄ったり、化粧までしてさーー何つーか、女らしくなったよな」
男でもできたのか?とギドゥロは続ける。
「え?」
確かに、つい最近までの私は、化粧っけのない地味な格好をしていた。
でも、それは誰かののためというわけではない。
「今まで芋くさかったお前がそんな風になるなんて、おかしいと思ったんだ。おい、誰だよ? 双蛇党のやつか? それともーー」
「いやいや、待ってよ! 私にそんな人いないってば!」
ギドゥロが何でそんなに問い詰めてくるのかわからなかった。
ちょっとお洒落をしたくらいで、どうして私に恋人ができたという扱いになるのだろう。
こういう格好には、昔から憧れがあった。まわりの友達が綺麗になってきたから、いろいろ教えてもらってしているだけだっていうのに。
「……なんだ。そうかよ」
私があまりにも必死で否定したせいか、ギドゥロは急に静かになった。
「別に、私に彼氏がいてもギドゥロには関係ないじゃん」
「……まぁ、そうだな」
やけに静かになったので、いけないことをしたような気持ちになる。悪いことをして、それを隠しているような、変な罪悪感が浮かび上がってきた。
お給料を貯めて買った青緑色のワンピースの裾を握って誤魔化す。
「まぁ、お前ももうそういう歳だからな。相手の一人か二人くらいは作っとみても損はねぇと思うけど」
「私はギドゥロみたいにモテるわけじゃないし、出会いもないよ……」
彼が仕事帰りに酒場で歌って、種族問わずいろんな女性と遊んでいることはかなり有名な話だ。吟遊詩人っていうのは、すごくモテる。それに、元々ギドゥロはすごくかっこいいし。
私みたいな、よろず屋の売り子くらいじゃそんな出会いは求められない。
そういえば、私の周りの友達も次々彼氏を作っている。今までそういうことに興味はなかったけれど、もしかして、私、遅れてるーー?
「無理に出会いなんて見つけなくても、いいだろ」
私が勝手に焦っていると、向こうはそんなことをいう。
「でも、私の周りにそんな人っている? いないじゃん……」
そうだ。私にはギドゥロ以外の男ともだち、という存在がいない。
新しい出会いを求めようにも、どうしたらいいのかわからないし。
「俺にしとけよ」
「ギドゥロに?」
「……いきなり知らない男と付き合ったって、お前みたいなぼやっとした奴、いいようにされて終わりだからな。とりあえず、俺と練習してみろよ」
確かに、ギドゥロならよくわかっている相手だし、何に利用されているかはわからないが、訓練にはいい相手かもしれない。
「うん、いいかもね」
「あ~、助かった。今面倒な女に絡まれて困ってたんだよな」
「えー、結局そうなるんだ……」
これって私がギドゥロの彼女になったってことなんだろうか。何だか、ちょっと大変なことに巻き込まれたようなーー?
「ナマエ、ギドゥロ君を彼氏にしたんだって? やるじゃない」
夕食の席、お母さんがいきなりそんなことを言ったので、パンを喉に詰まらせそうになった。
「えっ、嘘、なんで知って……」
「あんたが帰ってくる少し前に、うちに挨拶にきたのよ。いやぁ、あんたも隅に置けないわ。ギドゥロくん、うちの息子になってくれるのかしらねぇ」
行動が、早い。
私が帰りに寄り道している間に、ギドゥロはもうそこまで根回ししていたとは。
……ここまで用意周到にやるということは、まさか本気? 私に?
「うーん、どうだろ」
少なくとも、ちゃらちゃらした彼が表だけでも落ち着くというなら、いいだろう。
「あんたもやっと彼氏ができて、安心したわ。もうこれでお見合い相手探しも終わりね」
「……お母さん、いつの間にそんなことしてたの」
「内緒」
夜中、ふと本棚に置かれた小説が目についた。
角が擦り切れて潰れた子供向けの本。確か、大昔にお母さんが買ってくれたもののはずだ。
私は本の虫というやつだった。だった、というのは震災後は忙しくて、ゆっくり本を読む暇がなかったから。
私とギドゥロが初めて会ったのは、もう十年以上も前になる。本ばかり読んでいた私に、彼が突っかかってきたのが最初だった。
元々、ギドゥロのお母さんと私のお母さんの仲が良くて、二人のお茶会に私たち子供も同伴していた。
親同士の会話で何が面白いのか分からなくて、持ってきた本を読んでいた私に、ギドゥロは外で遊ぼうと持ちかけてきたのだ。
「なんだ、木登りもしたことないのかよ」
確か、ミィ・ケット音楽堂の近くだったと思う。するすると木の上まで上がっていくギドゥロと、下で見上げているだけの私。
「どうやって登ればいいの?」
「お、やる気あるじゃん」
私はただ、取り残されたくないだけだった。
ギドゥロは下の枝まで降りると、幹に捕まったままで上に登れない私に色々とコツを教えてくれたのだ。最後には引っ張り上げられてなんとか登りきって。
「……すごい」
あの時のことは今でも鮮明に思い出せる。高い場所から見下ろすと、景色はまた違って見えるのだ。自分の身長よりも高い場所から、下の街が見える。通りを歩く人の声が遠く、鳥の泣き声が近かった。
「な、いいだろ?」
太い枝の上にまたがり、横にいるギドゥロは満足そうに笑っていた。
「こんなに街は違って見えるんだね」
「次は別のところも登ってみようぜ。もっといい場所があるんだ。教えてやるよ」
帰りに、よそ行きの服をダメにしたことでお母さんに怒られた。
「よ、ナマエ」
旧市街で店番をしていた時だった。
神勇隊の仕事の途中なのか、ギドゥロは弓を背負って店の中に入ってきた。
「こんにちは、ギドゥロ。今日は何を買いにきたの?」
彼がこの店によるのは珍しくない。なぜなら、ポーション毒消しその他諸々の仕事に必要な必需品が揃っているからだ。
「ポーションとやまびこ草を1ダース」
「はーい」
彼氏(?)だというのに全くそれらしいそぶりは見せず、いつも通りにしているのを見て、私は少しだけほっとしていた。
あからさまな態度を取られても、こちらがどうしていいか分からなくなるからだ。
……ごめん、惚気かもしれないけれど、ギドゥロってすごくかっこいい。顔もそうだし、立ち居振る舞いが全部スマートなんだ。
やっぱり、私ってギドゥロのことが好きなのかもしれない。
なんだか、今ふに落ちたような気がする。
うん、好きなんだ。
なんだか、それに気づいた途端に恥ずかしくなってきた。
「ね、あのギドゥロさんってナマエが店番の時はよくくるよねぇ」
「え、そうなの?」
倉庫から在庫を持ち出そうとして、同じシフトで入っていた売り子仲間にそう言われた。
「うんうん、もしかして、ギドゥロさんってナマエちゃんのこと好きなのかもね」
「一応、私のか、彼氏なんですけどね……」
「えっ! そうだったの!?」
その人はまぁひどく驚いた顔をして、逆に私が手元の瓶を落っことしてしまいそうになった。
「そんなに驚くことないんじゃないんですか……」
「ね、いつから? いつからお付き合いしてたの?」
「んーと、一昨日?」
「つい最近じゃない!」
なんで教えてくれなかったの?と詰め寄る彼女をいなし、私はギドゥロに商品を渡した。
「……もう、この店にはこないほうがいいかも」
小声でこっそりと呟くと、ギドゥロは怪訝そうな顔をして帰っていった。
夜、私はなぜか酒場の前まで来ていた。理由はそう、同僚の質問に答えるためだ。恋話と言うよりは尋問に近いそれによって、私は洗いざらい何もかも告白することになった。
「いやー、まさかナマエちゃんにイケメンの彼氏が、ねぇ。しかも幼なじみ」
「ちょっとそれ、ばかにしてます?」
「んーん、嬉しくって」
「……そうですか」
どうしてこうも、うちの店の人ってこういう話が好きなんだろう。
私もお酒を飲んだせいか、どうにも口が軽くなってしまう。
「あ、もしかしてあれってナマエちゃんの彼氏じゃない?」
誰かが奥の方を指差した。よく見てみると、店のすみの方で、神勇隊のグループが飲み会をしているのがわかった。私は今までずっと、与えられた質問にどう答えるかということでいっぱいいっぱいだったのだ。
「えー、やっぱかっこいいねぇ」
「後ろ姿だけだけどね」
人々の喋り声の中で、ギドゥロの奏でる竪琴の音色が静かに響く。
彼は、機嫌が良くなるとどこでも歌い出すのだ。
「ん? もしかしてあれって……?」
ふと、ギドゥロの座っているテーブルの隣にいた女性が、彼の方に歩んでいくのが見えた。
「嘘、ナンパ?」
私は必死に聞き耳を立ててそれを見守った。
しかし、詳しい内容まではどうしても聞き取れない。
「あっ」
女性は、ギドゥロの隣に座った。
「ナマエちゃん……」
周りの人は心配そうに私を見つめる。中には、今すぐにでも乗り込んでやろうと意気込む人もいたが、丁重に断っておいた。
そうか、やっぱり、私は彼が言い訳に使うためだけの体のいい彼女だったのか。
「……私、帰りますね」
飲み代の分の硬貨を机に置いておき、私は酒場を出た。
夜の風は冷たく、昼間の暑さを見越して薄着で来てしまったことを後悔するほどだった。
家に帰る気にもなれず、誰もいなくなった広場の柵にもたれかかった。
風に当たっていると、気持ちの波が穏やかになっていくのがわかる。
昔はこの柵を飛び越えることが楽しかった。
そうだ、ここはギドゥロと一緒に走り回った場所だ。
いっつも私は鈍臭いって言われて、おいていかれていた。でも、ちゃんと待っていてくれるんだ。
私が作ったサンドイッチだけは、よくできてるって褒めてくれた。
彼は弓の修行をして、私は幻術ギルドに入ったけど、結局基礎の基礎しかできなくて、全然上達しなかったこと。
私の就職祝いに、先に神勇隊に入っていたギドゥロが、給料を使って豪華な料理を食べに連れて行ってくれたこと。
「うっ……う……」
いろいろ、昔のことを思い出した。そしたらなんでか泣けてきて、もうめちゃくちゃだ。
「……ナマエ」
あぁ、もうなんだか寂しすぎて幻聴でも聞こえてきたんだろうか。
「ナマエ、どうしたんだよ」
何かが肩に触れた。顔を上げて、それをみて、思わず体が震えた。
「え、嘘……なんで」
「お前、あそこにいたんだな……悪い、気づかなかった。言い訳するみたいで嫌だけどよ、あの人は俺の先輩に気があるみてぇだったから……断れなくてな」
「え、あの人ってギドゥロ目当てじゃなかったの?」
え、そんなことある? 出てきた涙が引っ込んでしまった。
「……嫉妬したか?」
私が唖然としていると、ギドゥロはニヤニヤと笑って、そんなことをいう。
「正直、したよ……だって私、ギドゥロのことが好きだもん」
勢いに任せて、言ってしまった。うわーなんだか気恥ずかしいね、これ。と思って横を見たら、ギドゥロの顔がわかりやすく赤くなっていた。
「ば、ばか野郎! そんな急に言われたら、こっちだって焦るわ!」
「えー、でも、うちのお母さんに交際報告しに行ったんでしょ?」
「……悪いかよ」
「ふふ、ギドゥロも丸くなったなぁって」
「お前のためだよ」
ギドゥロは屈んで、私の頬に指を添えた。
「……冷たいな」
指だけではなく、掌全体で、私の頬を覆うようにして、ギドゥロは私の目を覗き込む。
「……そう、かな」
「……ナマエ、綺麗だ」
瞳の奥に、自分の目が映っている。それをじっと見ていると、だんだん近づいてきて目と目がくっついてしまうんじゃないかというくらいになると、先に唇が触れ合っていた。
恥ずかしくなって、後退しようとすると、柵に阻まれる。
私、今どうなっているんだろう。一瞬だったか、数十秒だったかは分からないが、時が止まったような気がした。
「……ギドゥロの手は、暖かいね」
「ナマエが冷たいからな」
昔から、ギドゥロは私よりも背が高かった。今だって、屈んでもらわないといけないくらいに。
私は、無意識に頭を撫でていた。
「おい、ちょっと……」
「ギドゥロ、可愛くなったね」
彼は何か言おうと口を開いたが、そこからは何も出てこなかった。
隣に座っている幼なじみにそう言われた時、私は自分の耳を疑った。
今日はたまたま二人ともお休みだから、たまには食事に行こうと誘われて、新市街にある美味しいレストランに行った帰りだった。
「え、そう……?」
「何だよ、俺の言うこと疑うってのか」
「だってさ、ふ、普段ならそんなこと言わないし……ちょっと、何かに当たった? 今日のお昼は生モノ頼まなかったよね?」
私がそういうと、彼は思い切り不機嫌な顔をして、「もういい」と言って立ち上がった。
ちょっと待って、それは困る。必死にご機嫌とりをしようと、急いで頭を働かせる。
「い、いや、ごめんって! だって、ギドゥロが私のこと褒めたのって今までにないじゃん!」
「……は?」
思い切り怖い顔でこっちをみるから、思わず竦み上がってしまう。
こういう目で見つめられると、どうしたらいいのかわからなくなる。
「それはお前が気付いてねぇだけだっての」
「そうなのかな……」
ギドゥロが思いの外真面目にそう言ったので、私は少し考えてみる。
今まで一緒にいた期間は長かったけれど、「かわいい」とか「頭いい」とか「すごい」とか、そんなわかりやすい言葉で私を褒めたことなんて、一度か二度あったかないかくらい。毎日「どんくさい」とか「抜けてる」とか、そんな風に言ってからかわれていた。
「お前、前と違って今は着飾ったり、髪弄ったり、化粧までしてさーー何つーか、女らしくなったよな」
男でもできたのか?とギドゥロは続ける。
「え?」
確かに、つい最近までの私は、化粧っけのない地味な格好をしていた。
でも、それは誰かののためというわけではない。
「今まで芋くさかったお前がそんな風になるなんて、おかしいと思ったんだ。おい、誰だよ? 双蛇党のやつか? それともーー」
「いやいや、待ってよ! 私にそんな人いないってば!」
ギドゥロが何でそんなに問い詰めてくるのかわからなかった。
ちょっとお洒落をしたくらいで、どうして私に恋人ができたという扱いになるのだろう。
こういう格好には、昔から憧れがあった。まわりの友達が綺麗になってきたから、いろいろ教えてもらってしているだけだっていうのに。
「……なんだ。そうかよ」
私があまりにも必死で否定したせいか、ギドゥロは急に静かになった。
「別に、私に彼氏がいてもギドゥロには関係ないじゃん」
「……まぁ、そうだな」
やけに静かになったので、いけないことをしたような気持ちになる。悪いことをして、それを隠しているような、変な罪悪感が浮かび上がってきた。
お給料を貯めて買った青緑色のワンピースの裾を握って誤魔化す。
「まぁ、お前ももうそういう歳だからな。相手の一人か二人くらいは作っとみても損はねぇと思うけど」
「私はギドゥロみたいにモテるわけじゃないし、出会いもないよ……」
彼が仕事帰りに酒場で歌って、種族問わずいろんな女性と遊んでいることはかなり有名な話だ。吟遊詩人っていうのは、すごくモテる。それに、元々ギドゥロはすごくかっこいいし。
私みたいな、よろず屋の売り子くらいじゃそんな出会いは求められない。
そういえば、私の周りの友達も次々彼氏を作っている。今までそういうことに興味はなかったけれど、もしかして、私、遅れてるーー?
「無理に出会いなんて見つけなくても、いいだろ」
私が勝手に焦っていると、向こうはそんなことをいう。
「でも、私の周りにそんな人っている? いないじゃん……」
そうだ。私にはギドゥロ以外の男ともだち、という存在がいない。
新しい出会いを求めようにも、どうしたらいいのかわからないし。
「俺にしとけよ」
「ギドゥロに?」
「……いきなり知らない男と付き合ったって、お前みたいなぼやっとした奴、いいようにされて終わりだからな。とりあえず、俺と練習してみろよ」
確かに、ギドゥロならよくわかっている相手だし、何に利用されているかはわからないが、訓練にはいい相手かもしれない。
「うん、いいかもね」
「あ~、助かった。今面倒な女に絡まれて困ってたんだよな」
「えー、結局そうなるんだ……」
これって私がギドゥロの彼女になったってことなんだろうか。何だか、ちょっと大変なことに巻き込まれたようなーー?
「ナマエ、ギドゥロ君を彼氏にしたんだって? やるじゃない」
夕食の席、お母さんがいきなりそんなことを言ったので、パンを喉に詰まらせそうになった。
「えっ、嘘、なんで知って……」
「あんたが帰ってくる少し前に、うちに挨拶にきたのよ。いやぁ、あんたも隅に置けないわ。ギドゥロくん、うちの息子になってくれるのかしらねぇ」
行動が、早い。
私が帰りに寄り道している間に、ギドゥロはもうそこまで根回ししていたとは。
……ここまで用意周到にやるということは、まさか本気? 私に?
「うーん、どうだろ」
少なくとも、ちゃらちゃらした彼が表だけでも落ち着くというなら、いいだろう。
「あんたもやっと彼氏ができて、安心したわ。もうこれでお見合い相手探しも終わりね」
「……お母さん、いつの間にそんなことしてたの」
「内緒」
夜中、ふと本棚に置かれた小説が目についた。
角が擦り切れて潰れた子供向けの本。確か、大昔にお母さんが買ってくれたもののはずだ。
私は本の虫というやつだった。だった、というのは震災後は忙しくて、ゆっくり本を読む暇がなかったから。
私とギドゥロが初めて会ったのは、もう十年以上も前になる。本ばかり読んでいた私に、彼が突っかかってきたのが最初だった。
元々、ギドゥロのお母さんと私のお母さんの仲が良くて、二人のお茶会に私たち子供も同伴していた。
親同士の会話で何が面白いのか分からなくて、持ってきた本を読んでいた私に、ギドゥロは外で遊ぼうと持ちかけてきたのだ。
「なんだ、木登りもしたことないのかよ」
確か、ミィ・ケット音楽堂の近くだったと思う。するすると木の上まで上がっていくギドゥロと、下で見上げているだけの私。
「どうやって登ればいいの?」
「お、やる気あるじゃん」
私はただ、取り残されたくないだけだった。
ギドゥロは下の枝まで降りると、幹に捕まったままで上に登れない私に色々とコツを教えてくれたのだ。最後には引っ張り上げられてなんとか登りきって。
「……すごい」
あの時のことは今でも鮮明に思い出せる。高い場所から見下ろすと、景色はまた違って見えるのだ。自分の身長よりも高い場所から、下の街が見える。通りを歩く人の声が遠く、鳥の泣き声が近かった。
「な、いいだろ?」
太い枝の上にまたがり、横にいるギドゥロは満足そうに笑っていた。
「こんなに街は違って見えるんだね」
「次は別のところも登ってみようぜ。もっといい場所があるんだ。教えてやるよ」
帰りに、よそ行きの服をダメにしたことでお母さんに怒られた。
「よ、ナマエ」
旧市街で店番をしていた時だった。
神勇隊の仕事の途中なのか、ギドゥロは弓を背負って店の中に入ってきた。
「こんにちは、ギドゥロ。今日は何を買いにきたの?」
彼がこの店によるのは珍しくない。なぜなら、ポーション毒消しその他諸々の仕事に必要な必需品が揃っているからだ。
「ポーションとやまびこ草を1ダース」
「はーい」
彼氏(?)だというのに全くそれらしいそぶりは見せず、いつも通りにしているのを見て、私は少しだけほっとしていた。
あからさまな態度を取られても、こちらがどうしていいか分からなくなるからだ。
……ごめん、惚気かもしれないけれど、ギドゥロってすごくかっこいい。顔もそうだし、立ち居振る舞いが全部スマートなんだ。
やっぱり、私ってギドゥロのことが好きなのかもしれない。
なんだか、今ふに落ちたような気がする。
うん、好きなんだ。
なんだか、それに気づいた途端に恥ずかしくなってきた。
「ね、あのギドゥロさんってナマエが店番の時はよくくるよねぇ」
「え、そうなの?」
倉庫から在庫を持ち出そうとして、同じシフトで入っていた売り子仲間にそう言われた。
「うんうん、もしかして、ギドゥロさんってナマエちゃんのこと好きなのかもね」
「一応、私のか、彼氏なんですけどね……」
「えっ! そうだったの!?」
その人はまぁひどく驚いた顔をして、逆に私が手元の瓶を落っことしてしまいそうになった。
「そんなに驚くことないんじゃないんですか……」
「ね、いつから? いつからお付き合いしてたの?」
「んーと、一昨日?」
「つい最近じゃない!」
なんで教えてくれなかったの?と詰め寄る彼女をいなし、私はギドゥロに商品を渡した。
「……もう、この店にはこないほうがいいかも」
小声でこっそりと呟くと、ギドゥロは怪訝そうな顔をして帰っていった。
夜、私はなぜか酒場の前まで来ていた。理由はそう、同僚の質問に答えるためだ。恋話と言うよりは尋問に近いそれによって、私は洗いざらい何もかも告白することになった。
「いやー、まさかナマエちゃんにイケメンの彼氏が、ねぇ。しかも幼なじみ」
「ちょっとそれ、ばかにしてます?」
「んーん、嬉しくって」
「……そうですか」
どうしてこうも、うちの店の人ってこういう話が好きなんだろう。
私もお酒を飲んだせいか、どうにも口が軽くなってしまう。
「あ、もしかしてあれってナマエちゃんの彼氏じゃない?」
誰かが奥の方を指差した。よく見てみると、店のすみの方で、神勇隊のグループが飲み会をしているのがわかった。私は今までずっと、与えられた質問にどう答えるかということでいっぱいいっぱいだったのだ。
「えー、やっぱかっこいいねぇ」
「後ろ姿だけだけどね」
人々の喋り声の中で、ギドゥロの奏でる竪琴の音色が静かに響く。
彼は、機嫌が良くなるとどこでも歌い出すのだ。
「ん? もしかしてあれって……?」
ふと、ギドゥロの座っているテーブルの隣にいた女性が、彼の方に歩んでいくのが見えた。
「嘘、ナンパ?」
私は必死に聞き耳を立ててそれを見守った。
しかし、詳しい内容まではどうしても聞き取れない。
「あっ」
女性は、ギドゥロの隣に座った。
「ナマエちゃん……」
周りの人は心配そうに私を見つめる。中には、今すぐにでも乗り込んでやろうと意気込む人もいたが、丁重に断っておいた。
そうか、やっぱり、私は彼が言い訳に使うためだけの体のいい彼女だったのか。
「……私、帰りますね」
飲み代の分の硬貨を机に置いておき、私は酒場を出た。
夜の風は冷たく、昼間の暑さを見越して薄着で来てしまったことを後悔するほどだった。
家に帰る気にもなれず、誰もいなくなった広場の柵にもたれかかった。
風に当たっていると、気持ちの波が穏やかになっていくのがわかる。
昔はこの柵を飛び越えることが楽しかった。
そうだ、ここはギドゥロと一緒に走り回った場所だ。
いっつも私は鈍臭いって言われて、おいていかれていた。でも、ちゃんと待っていてくれるんだ。
私が作ったサンドイッチだけは、よくできてるって褒めてくれた。
彼は弓の修行をして、私は幻術ギルドに入ったけど、結局基礎の基礎しかできなくて、全然上達しなかったこと。
私の就職祝いに、先に神勇隊に入っていたギドゥロが、給料を使って豪華な料理を食べに連れて行ってくれたこと。
「うっ……う……」
いろいろ、昔のことを思い出した。そしたらなんでか泣けてきて、もうめちゃくちゃだ。
「……ナマエ」
あぁ、もうなんだか寂しすぎて幻聴でも聞こえてきたんだろうか。
「ナマエ、どうしたんだよ」
何かが肩に触れた。顔を上げて、それをみて、思わず体が震えた。
「え、嘘……なんで」
「お前、あそこにいたんだな……悪い、気づかなかった。言い訳するみたいで嫌だけどよ、あの人は俺の先輩に気があるみてぇだったから……断れなくてな」
「え、あの人ってギドゥロ目当てじゃなかったの?」
え、そんなことある? 出てきた涙が引っ込んでしまった。
「……嫉妬したか?」
私が唖然としていると、ギドゥロはニヤニヤと笑って、そんなことをいう。
「正直、したよ……だって私、ギドゥロのことが好きだもん」
勢いに任せて、言ってしまった。うわーなんだか気恥ずかしいね、これ。と思って横を見たら、ギドゥロの顔がわかりやすく赤くなっていた。
「ば、ばか野郎! そんな急に言われたら、こっちだって焦るわ!」
「えー、でも、うちのお母さんに交際報告しに行ったんでしょ?」
「……悪いかよ」
「ふふ、ギドゥロも丸くなったなぁって」
「お前のためだよ」
ギドゥロは屈んで、私の頬に指を添えた。
「……冷たいな」
指だけではなく、掌全体で、私の頬を覆うようにして、ギドゥロは私の目を覗き込む。
「……そう、かな」
「……ナマエ、綺麗だ」
瞳の奥に、自分の目が映っている。それをじっと見ていると、だんだん近づいてきて目と目がくっついてしまうんじゃないかというくらいになると、先に唇が触れ合っていた。
恥ずかしくなって、後退しようとすると、柵に阻まれる。
私、今どうなっているんだろう。一瞬だったか、数十秒だったかは分からないが、時が止まったような気がした。
「……ギドゥロの手は、暖かいね」
「ナマエが冷たいからな」
昔から、ギドゥロは私よりも背が高かった。今だって、屈んでもらわないといけないくらいに。
私は、無意識に頭を撫でていた。
「おい、ちょっと……」
「ギドゥロ、可愛くなったね」
彼は何か言おうと口を開いたが、そこからは何も出てこなかった。
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