残暑お見舞申し上げます
烈火が水鏡の家に行くと、いつもならリビングにいるはずの姿がない。
「お?」
しかしすぐに気配を感じて左を向くと、その人はいた。
が次の瞬間、烈火は信じられないものを見るかのような表情をし、引きつった声を出した。
「おまっ……何してんの?!」
「……は?」
振り返った水鏡は、キッチンのシンクに乗って上の方にある棚の掃除をしていたのだった。
彼の身体能力を考えればそんなに危険な事ではないのだが、そこまで考える事すらできない程の驚きっぷりの烈火に水鏡は「何、驚いてる」程度の返事をした。
「あぶねえって!」
近づいて腰を持ち、水鏡を支えると彼の方から非難の声が上がった。
「お前の方が危ない!いきなり抱きつくな!」
「押さえてやってんの!」
大丈夫だと言うが、もし一人の時にバランスを崩して倒れたりしていたら……。烈火はありもしない状況を想定して一人冷や冷やしていた。
そんな烈火の気持ちなど知る由もない水鏡は「汚れが気になったから」と更に上を拭こうと腕を伸ばす。
「もう……もう危ないから、やめて」
「いや、でも…」
「だぁっ!もう!」
烈火は水鏡の足を抱えこんで力を入れ、そのままシンクから下ろして床に着地させた。
「烈火…」
「あれ?」
掃除が中途半端なことが気になった水鏡だったが、烈火が不思議そうな声を出した事に首を傾げた。
後ろから抱きつくような格好で烈火は水鏡の腰を抱き、確認するように言う。
「お前、痩せた?」
肩を丸ごと抱えて自分的ものさしで彼の身体を測った。
「……夏だからな」
烈火の腕から逃れようと身を捩っていると、正面に向かされる。
「夏って痩せる?」
「痩せないか?」
「全然」
「……」
食欲が落ちないんだな、さすが野生動物。と水鏡は思った。
烈火の腕が上がり、水鏡の頬に滑る。
「こりゃ、まずい」
「何が」
「少し太ろうな、水鏡」
「夏が過ぎれば戻る」
「良くない。今が良くない」
「あまり食べたくないんだ」
「……んー」
無理にたくさん食べさせてもそれで具合が悪くなってしまっては元も子もない。
水鏡を抱えたままの格好でしばらく考え込んでいた烈火が「あ!」と声を上げた。
「分かった」
「?」
烈火の腕から逃れる事ができずにもがいていた水鏡が、顔を上げる。
「つまりは、だ。夏を乗り切れる体力があれば、秋には戻るわけだ」
「はぁ」
「無理に食わなくても、少し食えば元気の出るものを食えばいいんだよ」
「……」
何か、嫌な予感がした。
「そうだよ、アレ食えやいいんだよ。スッポ……」
「嫌だ」
「早っ」
「食べないからな」
きっぱり続けて烈火の腕から逃れると、リビングへ向かう。烈火はそれを追うことはせずにキッチンで腕を組み、水鏡を見つめた。
「スッポン、元気出るらしいし。身体にも良いんだって、なぁ」
「嫌だ」
亀なんて食えるか、とコーヒーを飲みながら続けた。
「精力も付くってよ」
「いらない」
えー、と不満そうな声を上げて水鏡の隣へ移動すると。そのまま囁く様に耳元で言った。
「夜が楽しみになるかもよ?」
じろっと烈火を睨むと、当の本人はにっこり笑って返した。
「な?」
「お前だけだろ」
「またまたぁ」
腕をつかんで、水鏡を強引に立ち上がらせる。
「…っ」
「さぁ、スッポン食いに行こう」
「離せっ!!」
「水鏡と俺の為に!」
「いーやーだーっ!!」
駄々っ子のように足に力を入れるが、ずるずると引きずられるようにして玄関へたどり着いてしまう。
「烈火っ!」
ふいに、思わぬ力で引っ張られたかと思った瞬間、唇が重なった。
強引に入り込んでくると舌を絡め取られ。腰を抱き寄せられると、いつものように身動きが取れなくなった。
「…ぁ……」
「もっと、いいキス欲しいだろ?」
視線がぎりぎり絡まる距離で低く囁かれると、珍しく水鏡の顔に血が上った。
俯いたその頬に軽くキスをされると、水鏡は呟く。
「……僕の為じゃないだろ、絶対」
「人聞き悪いな、お前の為よ」
「…」
水鏡は烈火に手を引っ張られながら、浮き足で進むその背中を見て
「嘘だな」
と、首を振った。
END.
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