斯くして天使は、赤に近付く
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喧騒の中、その音をやけにハッキリと聞き取ることができたのは、ただの偶然だったのか、それとも彼女の過去の経験がそうさせたのだろうか。
顔だけ振り返り、どこかを注視する主に気付いた使用人は、不思議そうに首を傾けた。
「名無しお嬢様?」
「ごめんなさい、先に戻っていて」
短く告げて急に駆け出していく主に「えぇっ、お嬢様!?」と慌てふためく使用人。
「いらっしゃいませ!ご注文はお決まりですかー?」と快活な笑顔を浮かべる店員と主の去っていった方角を見比べながら、あわあわと狼狽える。
既に主の姿は路地の奥へと消えて見えなくなっていた。
一方、そんな使用人を置き去りにしたお転婆な主は、細く短い路地を抜ける直前で人の気配を察知して反射的に足を止めた。
建物の陰から少しだけ顔を出して覗き見ると、
「チッ、面倒かけやがって」
「紛らわしい真似すんじゃねぇぞ!」
苛立ちを露に乱暴な言葉を吐き捨ててその場を去ろうとする男達の格好を目にし、すぐに彼らが軍警の者達であると察する。
そして、彼らが不愉快そうに睨みつけていた場所には、尻餅をついたように座り込む1人の少女がいた。
男達が去ったことを確認してから、名無しは少女のもとに近付いていく。
「大丈夫?」
俯いたまま動かなかった少女が、突然声をかけられて驚いたのか、一瞬ビクリと肩を揺らした。
ゆっくりと顔をあげた少女の睨みつけるような険しい表情が名無しを捉える。
その目元にクッキリと残る赤い腫れに、名無しは不快そうに眉を顰めた。
「…本当に、ろくでもない人達」
ボソリと呟き、膝を折った名無しは自身の鞄からハンカチとペットボトルを取り出す。
ペットボトルの蓋を開け、一切の躊躇いもなくその中身をハンカチに染み込ませていくと、それを少女の目元にそっと押し当てた。
「…え?」
一瞬、少女はその手際の良さに、何をされたのか理解できなかった。
ただ、熱のこもった目元に触れる僅かにヒンヤリとした柔らかいその感触が、痛くもあり、同時に心地良くもあった。
数秒の間を開けて、止まっていた思考が目の前の女性の行動を理解すると、少女は動揺を露に口をパクパクと開閉させた。
「え?え…?な、何…」
「大丈夫。このハンカチ、まだ一度も使っていないし、水も買ったばかりで開けていなかったから」
「や、そうじゃなくて…」
「我慢してね。こういう対処は早い方がいいから」
「そ、そうでも、なくて…」
まごまごと言葉を濁し、少女は気まずそうに視線を泳がせる。
戸惑ってはいるようだが手を払い除けることはしない様子から、少なくとも嫌ではないのだろうと感じ取り、名無しは柔らかく目を細めた。
「出血はなさそうでよかった。でも痛いでしょう?他に怪我はしていない?」
「へ、平気…です」
「そう、よかっ…」
「お嬢様ぁー!よかった、見つかったぁー!」
名無しの声を遮ったのは、息を切らした使用人だった。
「あら、アイビー」
「『あら、アイビー』…じゃないですよ!もうっ、油断も隙もないとはまさにこのことですよ!」
両手にそれぞれカラフルな色のドリンクが入ったカップを持ち、息も絶え絶えにプンプン怒る使用人。
しかし怒られている当の主はといえば、まったく悪びれることもなく、むしろ笑顔を浮かべていて、
「ごめんなさい。でも、ちょうどよかった!」
一応の謝罪は口にし、少女の手を取った名無しはその手にハンカチを渡すと、使用人のもとへパタパタと駆け寄っていく。
そして片方のカップを受け取ると、またすぐに少女のもとへと引き返してきた。
名無しが動く度に、膝下まであるワンピースの裾が柔らかく翻り、長く艶やかな髪が風に揺れる。
その姿に少女は無意識に目を奪われ、「(…キレイ)」と心の中でポツリと呟いた。
そんな少女の前に再び膝をつくようにして屈み込んだ名無しは、優しく目を細めて微笑むと、
「甘い物は嫌い?」
「え…?」
急な質問に戸惑いながらも、少女は首を左右に振る。
「よかった。じゃあ、これをどうぞ」
「え?え…?」
「嫌なことは甘いもので忘れちゃいましょう。よく冷えているし、ちょうどよかった」
言いながら名無しは少女の頬にピト、とカップを押し当てた。
「冷たっ…!」
「ふふ、それじゃあね。お大事に」
ビックリして肩を竦めた少女に悪戯っぽい笑みを浮かべると、名無しは空いている方の少女の手にカップを持たせてから立ち上がった。
そのまま使用人のもとに戻っていき、2人並んで歩き出す。
「名無しお嬢様、事情がよくわからないんですけど…よかったんですか?お嬢様が飲みたがってたのに」
「いいのよ。欲しければまた買えばいいもの。もう暫くはこのコロニーを見て回るつもりだし」
「それはそうかもですけどぉ…でもアレ、めちゃくちゃ甘いオーダーにしてますよ?」
だんだんと会話が遠ざかっていき、2人の姿が見えなくなった頃、少女はハッとして己の両手に視線を落とした。
片方には湿り気を帯びた高級そうなハンカチ、片方には鮮やかな色のドリンクが氷と共に透けて見える透明なカップ。
「…。」
もう一度、顔を上げてもそこに人の姿はない。
少しして、立ち上がった少女はおもむろにカップに差してあるストローの先を口に含んだ。
「…甘い」
ほんのちょっと吸っただけで途端に歯の浮くような甘さが口いっぱいに広がり、思わず眉を顰める。
しかし、何故か不思議と嫌な気分にはならなかった。
「…これ…どうしよう…?」
もう片方の手にあるハンカチを見つめながら困ったように呟いて、少女はまた一口ドリンクを啜った。
「私、お嬢様の優しいところは好きですけど…あまり迂闊な行動を取るのはよろしくないと思います」
宿泊先への帰り道、先程の少女とのやり取りを一通り話し終えると、使用人は複雑そうに表情を顰めてそう告げた。
今度は名無しも申し訳ないと眉を下げて苦笑いを浮かべる。
「心配をかけてごめんなさい。でも何だか気になってしまって…知らないフリができなかったの」
「はぁ…それって、勘みたいなものなんでしょうか?ニュータイプの」
「どうかしら?私はニュータイプじゃないから、そういうのとは違う気もするけど。でも…そうね、"勘"と言われれば、そうなのかも?」
「だから」と数歩前へ進んでから、くるりと裾を翻した名無しは、お茶目な笑みを使用人に向けた。
「今回はたまたま勘が働いて動いちゃっただけってことにしておいて。これからは気をつけるわ」
「…『気をつける』じゃなくて、『もうしない』って約束してほしいんですけどぉ」
「守る気のない約束を交わすなんて、誠実ではないでしょ?」
「…お嬢様…」
「いつも心配してくれてありがとう。何だかんだ言ってても、こんな私を見守ってくれるあなたが大好きよ、アイビー」
「…はあぁー…お嬢様は、もう、ほんと…そういうとこ、ほんとズルいですよぉ…」
最初は咎めるような視線を向けていた使用人だったが、最愛の主からの愛らしい笑顔とストレートな好意に敵う筈もなく、ただただ溜め息と共に悪態をつくだけで精一杯だった。
翌朝。大騒ぎになっている街の様子とは裏腹に、名無しと使用人は宿泊先の部屋でテレビを見ながら、のどかな朝のティータイムを過ごしていた。
「うわぁ…すっごいことになってますねー…まぁ当然といえば当然ですけど」
「そうみたいね。きっと今日は1日中どこも、この話題で持ちきりだわ」
テレビから流れてくるニュースを眺めながら、名無しは角砂糖をたっぷり入れた紅茶を口にした。
昨夜、この【サイド6】の【イズマ・コロニー】で起こったモビルスーツ同士の市街地での戦闘の様子。
その騒動に続くようにして突如、コロニー内に入港してきたジオン公国の軍艦【ソドン】の姿。
そして一夜明けた現在の、コロニー上空に居座るジオンの軍艦とそれを野放しにしている軍警への、市民達による怒りの抗議デモの光景。
「ふふ。軍警さん達、今日は朝から大変ね」
「…なんかご機嫌ですね。昨日のこととか、色々と根に持ってます?」
「そう見える?」
「そりゃあ、ニッコニコですし」
「ふふふ♪」
今にも鼻歌でも口ずさみそうなほど愉快そうにニュースの映像を見る名無しに若干引きつつ、使用人はおずおずと訊ねる。
「どうします、今日?…連絡、取ってみます?」
「いいえ、やめておきましょう」
「でも…」
「ここにいることは伝えてあるもの。何かあれば、きっとあちらから連絡をくださるわ」
「…会いたくはないんですか?」
使用人の控えめな問いに、名無しの愉快そうな笑顔が消える。
目を伏せてティーカップの中で揺らめく紅茶を見つめた後、それを一口ゆっくりと喉の奥に流し込むと、
「もちろん、会いたいわ。とても」
憂いの帯びた微笑みで、そう答えた。
「でも、この想いのままに素直に行動できるほど、私はもう無邪気な子供ではないつもりだから」
「お嬢様…」
ギュッと唇を引き結んでから、使用人は独り言のようにポツリと溢す。
「私は…お嬢様に、幸せになってもらいたいです」
「ふふ、ありがとう。でも本当に大丈夫」
まるで自分のことのように心を砕いてくれる使用人に、名無しは心からの感謝と笑顔を向ける。
続けて、「それよりも」とわざとらしく明るい声で話を切り替えた。
「実は昨日、雑誌を見ていて行ってみたい場所ができたの。もう勝手にどこかに行ったりはしないから、付き合ってもらえる?」
「も、もちろんです!」
力いっぱい頷く使用人に、名無しはもう一度「ありがとう」と感謝を伝えた。
夢を、見ていた。
それは、かつての自分の居場所。
ようやく手に入れた、あたたかな居場所。
命じられるまま、奪われ、奪い、本当の自分すらわからずに生きてきた自分は、彼らと出会って行動を共にして、初めて世界に、人に、興味がわいた。
初めて、"生まれてきてよかった"と、思った。
仲間。同志。家族。
大切な、大切な人達。
5年が経った今でも、鮮明に思い出せる。
姿も、声も、名前も。
あぁ、今、あなた達はどうしていますか?
あなたは、今、どうしているの?
「…刹那…」
無意識に零れた自分の声に、ふと意識が浮上する。
髪を撫でる優しく大きな手の感触に気付いて、ゆっくりと瞼を持ち上げていくと、
「…誰の夢を見ていたのですか?」
自分を見つめる静かで落ち着いた瞳と、暫し見つめ合う。
「っ…!」
数秒後、ぼんやりと呆けていた両目をカッと見開いた名無しは、慌てて毛布を頭まで被るとその姿を隠した。
「…ど、どうしているんですか…?」
「本当はロビーで待つつもりだったのですが、あなたの使用人が嬉しそうに通してくれたものですから。一応ノックはしましたよ」
「(アイビーったら…!せめて先に私を起こしに来てほしかった…!)」
もぞもぞと毛布の中で身悶えしながら、名無しは心の中で使用人に愚痴をこぼす。
本人は恐らく、気を利かせたつもりなのだろうが…。
「恥ずかしい…」
「可愛らしい寝顔でしたよ」
「もう…!いつもそうやってからかうんですから…」
頭の先から顔の上半分までを毛布から出して、名無しはベッドに腰かけて涼しい顔をしている男に恨めしそうな視線を向ける。
普段からメッセージのやり取りはしているが、こうして直接顔を合わせるのは、実に数ヵ月振りだった。
しかし、こんなに近くにいるにも関わらず、この人が一体何を考えているのか、名無しには相変わらず読み取ることができない。
だから、言葉にして聞き出すしかないのだ。
「今日は、どうされたんです?」
「…。」
観念した、というよりも開き直った名無しは身体を起こして毛布から出ると、乱れた髪を押さえつけながら用件について訊ねた。
すると男が僅かに思案する様子を見せたので、何か重要な問題でも起きたのかと、少し身構えてしまう。
名無しが再び口を開く前に、男が、静かな声で呟いた。
「…あなたがサイド6を訪れているこのタイミングに…少々、運命じみたものを感じてしまいますね」
「え?」
「落ち着いて聞いてください。赤いガンダムが現れました」
そう告げられた瞬間、名無しは驚き、息を詰まらせた。
「しかしパイロットはあの人ではありません」
続けられた言葉に落胆するも、それ以上に先程の動揺が未だ大きく、上手く頭が働かない。
"赤いガンダム"。
5年前に消えたまま行方知れずになっていた、ずっと探していた存在が、現れた?
"あの人"ではないパイロットを乗せて?
一体、何が起きたというの?
「ですから迎えに来ました。あの日、約束した通りに」
言葉を失っている名無しをまっすぐ見つめた男は、表情ひとつ変えることなく、彼女に手を差し伸べた。
「名無し。私と共に、艦へ来てもらえますね?」
何もわからない。動揺も混乱も収まらない。
ドクドクと鼓動がうるさいくらいに鳴り響いて、息苦しさすら感じる。
それでも、名無しはずっと、この日が訪れるのを待っていたのだ。
「…はい」
たった一言、そう絞り出して、名無しは男の手を取った。
【斯くして天使は、赤に近付く】
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R7.06
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