#8
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『"あの"サブウェイマスターにお弁当を届けに来る女の子が現れた』
そんな噂は、瞬く間に広まった。
サブウェイマスターといえば、変わり者が集まるバトルサブウェイの中でも飛び抜けた変わり者として有名な2人。
もちろん、ギアステーションでの働きぶりやポケモンバトルの腕前からファンは数え切れないほど存在しているが、それらはあくまで一方的な好意であり、『サブウェイマスターと特別に親しい人間は存在しない』というのは、ギアステーションの常連の間では有名な話だった。
名前は知れ渡っているが、交遊関係はそれほど広くはなく、ライモンジムのジムリーダーや、2年前にイッシュを救った英雄、最近チャンピオンになったトレーナーなど、限られた人間以外との付き合いを見かけることはほとんどない、"雲の上の存在"とすら言えるサブウェイマスター。
そんな2人に突如として沸いた噂は、ギアステーションの関係者や常連客を騒然とさせた。
「有り得ない」
「ファンの差し入れか何かの間違いじゃない?」
「不吉なことが起きる前触れか?」
あまりにも信じがたかったのか、人々は口々にそう囁いた。
しかし当の本人達はといえば、
「なんだか今日は、時間、経つの遅い」
「クダリ、仕事に集中してくださいまし」
ソワソワと何度も時計を確認しては身体を左右に揺らすクダリを、ノボリは書類を纏めながら横目で見る。
注意されてもクダリの表情は普段の数倍、ニコニコと緩んでいた。
「大丈夫。午前中にやらなきゃいけないこと、全部終わってる」
「いつの間に…」
「だってだって、今日は、お弁当の日!」
声を弾ませて、クダリは椅子から立ち上がる。
「今日こそ、名無しちゃんをお出迎え!その為に頑張った!」
「クダリ、まだ10時でございます。昼食の時間には早すぎるかと」
今にもポケモンセンターに向かって走り出しそうなクダリを諌めるように、ノボリは机の隅に置いてある卓上時計を手に取り、その文字盤を見せる。
短針はノボリの言う通り【10】を指したばかりであり、クダリは肩を落として再び椅子に腰かけた。
「うぅ…本当に、時間が経つの、遅い」
「むしろクダリの仕事が早すぎるのです。普段と変わらないペースで取り組めば、それほど暇を持て余すこともなかったでしょうに」
「わかってる。けど、楽しみで、つい…」
そう言ってから小さく目を細めたクダリは、恨めしそうにノボリを見た。
「ノボリはいいよね、この前も名無しちゃんのお出迎えできて!ぼく、まだ一度もできてない!」
「わたくしにあたらないでくださいまし…」
今この時もギアステーション内が自分達の噂で騒然となっていることなど露知らず、サブウェイマスターは1人の少女について思い返しながら会話を続ける。
「名無しちゃん、最近楽しそう」
「えぇ。ポケモンセンターの方々とも打ち解けることができたようで、安心致しました」
「うん。よかった。ぼくも嬉しい、名無しちゃんの楽しそうな顔が見られて」
先程までとは一変、クダリはいつも以上にニッコリと顔を綻ばせる。
机に突っ伏して、ふにゃりと幸せそうに笑う姿を、ここ最近よく見るようになった。ノボリは己の片割れの変化に安堵する。
「(これは間違いなく名無し様…いえ、名無しさんのおかげですね)」
感謝しなくては、と、うんうん頷くノボリの横で、クダリはそんなノボリの様子に疑問符を浮かべたが、深く気にすることはなく再び口を開いた。
「あのね、ぼく、時々思う。名無しちゃん、ぼく達にとって幸運の妖精さんなのかもって」
「幸運の妖精さん?」
「名無しちゃんが来てから、ぼくも毎日楽しい。ノボリも楽しそう。バトルサブウェイも、久し振りに賑やか!いいことばっかり!」
「確かに、クダリの言う通りでございます。ですが、何故妖精さんなのですか?こういう場合、一般的には女神様と称するものかと思いますが」
「だって、小さくて可愛い。セレビィも妖精さんみたいだったから、妖精さん仲間って感じ。女神様だと、ちょっと遠く感じる」
「ふむ…」
ノボリは顎に手を当てて、先程のクダリの発言を反芻しながら名無しの姿を思い浮かべる。
そして、クダリの感性に深く共感を覚えるのだった。
「…なるほど!確かに!わたくしとしては天使様と称するのも捨てがたくはございますが、クダリの例え方も素晴らしい!ブラボーでございます!」
「ありがとう!ノボリの言う天使もすっごくいいと思う!どっちも最高、バツグン!」
「ありがとうございます!天使、妖精…どちらにしても、わたくしどもに幸運を運んでくださったお方には違いありません。本当に感謝しなくてはなりませんね」
「そうだね、ノボリ。なにか、名無しちゃんの為にもっと、できること、ないかな?」
「そのことなのですが…わたくし、1つ思いついたことがあるのです。しかし懸念材料もございまして…」
「どんなこと?」
「名無しさんは料理がお好きなご様子なので、キッチンを自由に使っていただくのはどうか…と。趣味を嗜む時間があれば、今よりもこちらでの生活をより楽しんでいただけるのでは、と思いまして」
「わぁ!それ、すっごくいいと思う!ぼく達、ほとんど料理しない。でもキッチンには一通り必要な物、揃ってる。もったいないって、前に掃除に来てくれた子にも言われた。名無しちゃんに使ってもらえたら、もったいなくない。だけど、懸念材料って?」
「火や刃物の扱いでございます。名無しさんはしっかりしていらっしゃると言えども、やはり年齢的にはまだ幼く…もしも怪我でもしてしまったらと考えると…」
「うーん…それは心配。ノボリの気持ちもわかる。でも」
「でも?」
「あのね、ノボリ。ぼく、わかってる。名無しちゃんの料理、食べたいよね」
「なっ!?いえっ、わたくしはけっしてそんな不純な動機では…!」
「大丈夫。ぼくも同じ気持ち。だから、わかる」
「クダリ…!いえっ、確かにまったく考えていなかったと言えば嘘になりますが、本当にわたくしは名無しさんに快適な生活をお送りいただきたいという思いから…!」
「うんうん、わかってる」
「何ですか、その顔は!?その生まれたばかりのポケモンを見つめる時のような優しい笑みは!?」
「とりあえず、タイミングを見て名無しちゃんに提案、してみよう。ぼく達がいる時なら、火や刃物を使っても、きっと大丈夫。ぼく達、料理はしないけど、できないわけじゃない。お手伝いくらいなら、できると思う」
「そ、そうでございますね…」
珍しく、業務中とは思えないほど会話に夢中になってしまっている2人。
しかし、彼らが今いる場所は間違いなく職場であり、自分達のデスクであり、もちろん室内には他の職員達もいて各々の業務をこなしている真っ最中だ。
にも関わらず、談笑する2人を咎めたり不快に思ったりする者は不思議といなかった。
それはきっと、少し前までの日々を誰よりも空虚に感じ、心を動かすことが減っていた彼らのことを、少なからず気にかけ心配していたからなのだろう。
だが、それはそれとして…
「(今話してるのって、例の女の子のこと…だよな?あのお弁当の…)」
「(ちっさくて可愛い子なんか…つか、セレビィって何や?何でそこで幻のポケモンが出てくんねん?そんでもって2人してえらいメロメロやんけ)」
「(キッチンを自由に?え?つまり家にも来る仲?そういえば最近は2人共、毎日帰宅してるみたいだし…あれ?僕、最後に帰ったのいつだったっけ…?)」
『(訊きたいっ…!)』
職員達もまた、例の噂の詳細が気になって気になって仕方がないのだった。
「えぇーっ!?名無しちゃん、あのサブウェイマスターの2人と一緒に暮らしてるのっ!?」
「は、はい…」
「お2人の知り合いの娘さんなんですって。ね?」
名無しは一瞬躊躇ってから、こくりと小さく頷く。
最初は『遠い親戚の子』という設定でいく予定だったが、どうやら名無しの知らないところでカミツレにバレていたらしく、他の人からも疑われる可能性を考慮して急遽『知り合いの娘』という設定に切り替えることにしたのである。
これならば、似ていなくても誤魔化せるだろう。
「へぇー、ビックリ!娘さんを預かるくらい親しい人がいるなんて…!噂くらいでしか知らないけど、あの2人って相当の変わり者なんでしょう?」
「変わり者…?」
「鉄道とポケモンバトルにしか興味がない、恐ろしく人間離れした双子だって!ポケモンバトルが激強なのも相まって、何かアンドロイド説とかあるらしくて…」
「ちょっと、失礼よ」
「え?…あっ、ごめんなさい!常連さん達がそんな風に話してたの聞いたから…!」
「…。」
日中をポケモンセンターで過ごすようになってから何日か経ち、人見知りで大人が苦手だと言っていた名無しもジョーイやショップの店員とはそれなりに打ち解けられるようになってきた。
今日も、ジョーイに借りていた本を返しに来たついでに彼女達と少し世間話をすることになり、ノボリとクダリが自分の保護者代わりになってくれていることを話したところだったのだが、ショップ店員から聞いた2人についての噂に、名無しは少なからず驚いたようだった。
「名無しちゃん、ごめんなさいね。この子も悪気はないの」
「ごめんなさい~!ちゃんと人間なのはわかってるから~!」
「あ、いえ、私は全然…」
目を丸くしていた名無しはハッと我に返ると、気を悪くしていないと両手を左右に振る。
そして、
「…私、まだお世話になり始めてからそんなに経っていないので、ノボリさんのこともクダリさんのことも、あんまり知らないんです」
ぽつり、と呟き、一度言葉を区切り目を伏せる。
自分に向けてくれる2人の表情を思い浮かべながら、再び口を開いた名無しの顔は、嬉しそうに綻んでいた。
「…でも、とても優しい人達なのは、わかります」
それからチラリと時計を確認する。恒例のお弁当作りの時間まで、もう少しだ。
「(お弁当、今日も渡せるといいな)」
それは突然のことだった。
昼下がり、いつも通り子供達と一緒に過ごしていた室内が、何の前触れもなく暗闇に包まれた。
あちこちから子供達の驚いた声や悲鳴、泣き声が聞こえてくる。
「(停電…?)皆、大丈夫だよ。落ち着いて…」
自分も一瞬ビックリしたが、怖がってしがみついてきた小さな子達を安心させようと優しく声をかける名無し。
その語尾に被るようなタイミングで室内の電気が復旧し、ホッと胸を撫で下ろす。
「きゃあっ!」
しかし、それも束の間。1人の女の子が悲鳴をあげて尻餅をついたのを皮切りに、室内は更にパニックになった。
「どうし…」
「な、なにかが足にぶつかった!」
「わぁーん!」
「なぁに?なにかいるの?オバケ…?」
「うぅっ…ひっく…」
「大丈夫、大丈夫だよ皆、落ち着いて…!」
何とか皆を宥めないと、と焦る名無しだが、強くしがみつかれていて身動きが取れず、かといって怖がる子達を無理やり引き剥がすわけにもいかない。
ひとまず、自分のまわりの子達を安心させようと背中をさすってあげながら励ましていると、今度はオモチャ箱の中からガチャンッと大きな音が響いた。
「!(何か…いる?)」
ガタガタッ、ガチャガチャッ、と音を立てながら揺れるオモチャ箱。他の子供達も箱の方に注目し、不安を露にしている。
「ぐすっ…おねぇちゃん…」
震えながら自分を見上げる子達の頭を優しく撫でてあげ、力の緩んだ手をそっと放す。
「…。」
名無し自身、怖くないわけではない。しかしそれよりも他の子供達を守らなければという強い責任感が、彼女を突き動かした。
勇気を出し、名無しはゆっくりと1人、オモチャ箱に近付いていく。
そして、
「…え?」
オモチャに埋もれた状態で自分を睨みあげる、小さな生き物と目が合った。
NEXT
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R6.11
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