異説・蒼の竜騎士

 邪竜・ニーズヘッグの脅威が英雄の手により払われてから、イシュガルドの空はそれまでよりも心なしかその蒼を多く見せるようになっていた。
 第七霊災の影響による寒冷気候は相変わらずではあるが、邪竜の脅威が払われたことで雪雲も減ったのだろう、という会話が市民の間で実しやかに交わされていた。
 雪雲の減少について真偽の程は定かではないが、七大天竜はその咆哮で星の輝きをも変える力があり、その一翼であったニーズヘッグは自らの塒に雷雲を纏わせていたというのだから、皇都に向けられていた邪竜の怨念が周辺の天候に幾許かの影響を与えていたという考え方は、当たらずとも遠からず、といったところなのだろう。

 そんな晴天の下の皇都を、一人の女性が大きめの袋を抱えて聖レネット広場から宝杖通りへと向かって歩いていた。
 大人達の話題を大雑把にすり潰して独自の解釈をした子ども達からはこのところ「お天気のお姉さん」などと呼ばれている、雪雲──もとい、邪竜の脅威を払った張本人の英雄である。
 いつものように一角獣紋章の騎士盾を身に付けてはいるが、それ以外は至って軽装の彼女は、いつものようにどこかの仕事を請け負い、それをこなしてきたようだった。
 宝杖通りの雑貨店で彼女は把手付きの果物籠を購入し、店の前で袋の中から果実を取り出し籠へと移し替える。
 店主に果実のことを問われたのか、あれこれ説明をしてから余ったらしい果実を袋ごと店主に渡し、笑顔で手を振りながら店を離れて聖レネット広場方面へと戻っていった。
 彼女は請け負った仕事によっては別の地域へと遠征をする為にその姿を毎日見られる訳ではなかったが、イシュガルドで過ごす日はこのように皇都内での散策を楽しんでいるようだった。
 エーテライト・プラザを経て、聖バルロアイアン広場へ。
 彼女の次の目的地は、友であるエスティニアンが療養中の神殿騎士団病院だった。

 入院病棟の最奥にある特別個室の重厚な両開きの扉をノックしたが、返事は無い。
 眠っているのかもしれない、と彼女は思い、なるべく音を立てないようにと慎重に扉を開くと、そこにひとすじの風の通り道ができ上がる。僅かな扉の隙間から寝台を伺うと、もぬけの殻だ。
 途端に気を遣ったことが馬鹿馬鹿しくなり、続きの動作を普通のものにして彼女が病室へ入ると案の定、室内のどこにも在るべき姿は見当たらなかった。
 枕元にエスティニアンのゲイボルグはある。ということは、遠くには行っていない。
 アイメリクには遠く及ばないが、彼女もエスティニアンとはそれなりに長い時間を共に過ごしてきた間柄なので、彼の行動はおおよその察しがつく。
 頭を振りながら盛大に溜め息を吐いた後、無言でサイドテーブルに果物籠を置き、盾は椅子に置いて剣は同じ椅子へと立て掛けた。
 そうして身軽になった冒険者は迷わず窓際へと向かい、開け放たれた窓からその身を乗り出して天を仰ぐ。
「おっ、来たか」
 上から、さも病室内で見舞い客を迎えたかのような風情の声が降ってきた。
「そんな事だろうと思ったわ」
 エスティニアンは屋根の上に腰を下ろしたまま、呆れ顔の彼女に向けて手招きをする。彼は、久方振りの相棒とのやり取りを楽しんでいるようだった。微かに口角を上げたその様子から、降りてくる気は更々無いということがとてもとてもよく判る。
 エスティニアンの相棒は意を決して窓枠の上部に逆手に手を掛けてその身を勢いよく窓の外に投げ出し、逆上がりの要領でくるりと宙返りをして屋根の上に立った。
「フッ、まるでオポオポだな」
「大道芸人とでも言ってくれないかしら。それにしても、オポオポを知っているとは思わなかったわ」
「竜騎士団に入りたての下っ端時代に、黒衣森の巡回で何度も見かけたのさ」
「なるほどね」
 彼女はエスティニアンを見おろしながら、とても入院患者と見舞い客とは思えない言葉のやり取りをし、エスティニアンの隣に腰を下ろす。そして周囲を見回し、なるほど、と思った。
 屋根の上は当然のことながら見晴らしが良く、長年、空を舞いながら戦いを繰り広げてきたエスティニアンにとって居心地の良い場所なのだろう。同じ竜騎士として共感はできる。共感は。
 だからといって、療養中の者が来て良い場所ではないのだが。そもそも、屋根葺き職人や煙突掃除人以外の大人が居る場所ではない。
「いくら退屈だからって、こんな所に居るのがバレたら病院長に怒られるわよ」
「病院長でなくとも怒ると思うが」
 含み笑いをしながら応じる姿を見ると、やはりこの状況が楽しいらしい。
 ひとしきり笑った後、エスティニアンは屋根の上に登った理由を語り始めた。
「外を眺めていたら、果物籠を抱えたお前が見えたもんでな。今、そんな物を持って来るのはここしかないだろう? それで登っていたわけだ」
「……それ、全然理由になっていないんだけど」
「お前と二人だけで話がしたくてな。ここなら、病室に誰かが来ても話を聴かれることはないだろう?」

 それまで呆れ顔一辺倒だった冒険者の表情が、途端に研ぎ澄まされたものになる。
「ドラゴンズエアリーでのことね」
「そうだ。幾つか確認したいことがある」
 互いが口にした言葉は極めてシンプルなものだった。
 必要な事柄だけを簡潔に。
 それは、一瞬がその先の明暗を分けるという状況を幾度となくクリアしてきた、相棒同士の言葉の遣り取りだった。

 暫しの沈黙の後、エスティニアンが口を開いた。
「あの後、体調に……変わりは無いか?」
「今、生理中で、もうじき終わるわ。まあ、いつもと変わらない感じ」
「お、おう……」
 相棒のあまりにもストレートな回答に、元・蒼の竜騎士はたじろいだ。いかに仲間同士とはいえ、男性を相手に清々しいにも程がある。
 しかし、必要な事柄だけを簡潔に、という対応をしたのは、彼女なりの気遣いなのかもしれない。
 確認をしなくてはならないが、お互いに時間を掛けたくはない話題なのだから。
「なっ、何と言えばいいかわからんのだが……あんな事件でお前の人生を狂わせるようなことにはならなかったんだな。安心した……」
「ああいうことは、なるようにしかならないと思っていたわ。そう……あれは犯人が別に居る事件で、私たちは被害者よ。これにて一件落着、でいいでしょう?」
 相棒はそう言って、エスティニアンに目配せをする。
 エスティニアンはその視線を受けて無言で頷き、次いでドラヴァニア雲海の方角を仰ぎ見た。

 この件は互いに被害者だ、と彼女は言う。
 確かにそうではあるし、そう考えておけばこの先も互いに笑って言葉を交わすことができるから、彼女はそこを落とし所に決めたのだろう。 
 ニーズヘッグによる凶行が想像を絶する辛さだったであろうことは、その時間を共有させられたエスティニアンは痛いほどに分かるのだが、彼女もまた、エスティニアンの辛さを分かっている。
 その彼女がこれでいいと言うのであれば、それ以上の気遣いは無用ということだ。

「幾つか、ってことは、まだ聞きたいことがあるのよね?」
「ああ。だが、あとは何となく気になっている程度だからな。答えたくなければ答えなくても構わんぞ」
 答えるためには、内容はどうあれあの時のことを更に思い出させる形となる。そのため、エスティニアンは逃げ道を用意してから続けた。

「お前、あの時なぜ笑ったんだ?」

 冒険者は驚いた表情を見せた後、記憶を手繰るように首を傾げてから「あの時」に辿り着いた。
「この間、あの状態で意識はあったって言っていたものね。そっか。あれエスティニアンにも見えていたんだ」
「……見せることが、あの時の俺に対する攻撃だったからな」
 逃げられることなく話が進んでしまい、エスティニアンは溜め息混じりに応じるしかなくなった。
「あれね。気を紛らわせるために、あの時の状況以外のことを何でもいいから考えていたい、って思っていたら、少しだけ過去を視たのよ。エスティニアンとニーズヘッグの」

 彼女が過去視をする場面には何度か居合わせていたエスティニアンだったが、あの時はその可能性にまでは考えが及んでいなかった。そう言われてみれば、確かにあの時の様子は過去視のそれに符合する。
「なるほどな。しかし、笑うところなど……」
 そうは言われても、エスティニアンには自分とニーズヘッグの間に笑える箇所など思い浮かぼうはずもなく、全く考えが及ばない。
 アルフィノと同じくらいの年頃の小娘ならば帽子が落ちても笑い転げることがあるらしいが、相棒はとうの昔にその年代を通り過ぎているはずなので、意味不明な事柄が笑いの原因になったというわけでもないだろう。
 ならば一体どこがおかしかったのだろうか、と、ひとしきり頭をひねり終わったエスティニアンが向き直ると、視界に入った冒険者は何故か不機嫌そうな顔をしていた。
 たった今、彼女の年齢に関してあれこれ考えたことを過去視されて機嫌を損ねてしまったのだろうかとエスティニアンが軽く冷や汗を流していると、彼女は上目遣いで睨み付けながら言った。
「「まさか」はないわよ。「まさか」は」
「は?」
 身を乗り出して詰め寄られても、分からないものは分からない。
「あのね、私だってドレスぐらい持っているわよ。それも、何着もね」
 エスティニアンにとっては、それこそまさかの展開だった。
「お前、よりによって……そこを視たのか」
 ようやく思い出して脱力をするエスティニアンを見て、冒険者はあの時ぶりに彼の前でクスクスと笑う。
「グナースがどうだとか、あのニーズヘッグが応じているのがおかしくて。……スッキリした?」
「スッキリだと? あの時はお前がどうにかなってしまったのではなかろうかと本気で思ったんだぞ、全く……。寿命が縮まるかと」
 自身の髪をぐしゃぐしゃと掻き回して混乱を鎮めようとしていたエスティニアンの動作が不意に止まり、次いで長耳が微かに動いた。
「なにか?」
「アイメリクの足音だ。戻るぞ」
「えっ? 足音で特定できるの?」
 丸腰の皇都内限定ナイトと元・蒼の竜騎士は、揃って屋根の上で立ち上がった。

 後から屋根に登った冒険者の方が窓に近いので必然的に先に降りることとなったのだが、時既に遅し。二人はアイメリクだけが居る病室に戻る形となってしまった。

「盾があるのでもしやとは思ったが、君までがそのようなことをするとは……」
 その口振りから察するに、エスティニアンがこのような奇行をやらかすのはアイメリクには想定の範囲内らしい。
 アイメリクは旧知の仲ゆえにエスティニアンに対しては少々手厳しいのかもしれない、などと冒険者は、そもそも自身が呆れられていることは棚に上げて考察をした。
 よくよく考えればエスティニアンと冒険者が逢ったきっかけが彼のやらかした竜の眼盗難事件になるのだから、エスティニアンがアイメリクを始めとして周囲からそう思われるのは別段不思議なことではないのだろう、という結論に至る。
「貴方の親友でもある、竜騎士の不良な先輩に唆されましてね」
 見られてしまったからには致し方ないので、光の戦士はこの国の最高責任者の前で開き直る。
「聞いて下さいよー。この人、私がドレスを持っている訳がないだなんて決め付けていたんですよ。酷いと思いません?」
 いつの話題なのか、という点さえ伏せれば単なる馬鹿話と化す直前の話題の一部分をアイメリクに咄嗟に投げ付けることでシリアスな密談の存在を隠蔽し、冒険者は肩越しに親指で真後ろの窓を差す。直後に窓からエスティニアンが飛び込んできた。
 そんな二人の様子を腕組みをして冷ややかな視線で見守っていたアイメリクは、深々と溜め息を吐いた。
「確かに、それは酷い」
「でしょう? 私が持っていないのはイノセントとパッションとエターナルくらいなのに」
「お前、金なら相当貯めているんだろう? そんなもの、欲しいなら全部とっとと買えばよかろうに」
 エスティニアンに向けられる冷ややかな視線が増えた。
「ね、酷いでしょう?」
「ああ、酷過ぎていっそ清々しいくらいだな」
 エスティニアンは突然二人が意気投合をした理由がまるで分からず、怪訝な表情で寝台に腰掛けた。

「さて。こんな有り様では病院長に、入院患者は体力が有り余っているようだと報告しなければならないな」
 未だ冷ややかな視線のアイメリクは、腕組みをしたままエスティニアンを見おろして言い放つ。
「それは勘弁してくれ。あまりにいい天気なもんで魔が差しただけだ」
「お前のことだ。晴れるたびに魔が差すのだろう?」
 まるで信用がない。
「すまん、本当に今回だけだ。報告なんぞされたら一日中病室内に監視を付けられちまう」
 二人の言葉の応酬は腐れ縁を絵に描いたもののようで、間近で見せ付けられた冒険者はたまらずに噴き出してしまっていた。
「おい、笑うな」
 エスティニアンに睨み付けられながら威圧感満載の声色でこのように言われると常人ならば震え上がっていたのだろうが、あいにく言葉の矛先は常人ではなかったのでまるで効き目がない。
「本当に仲がいいんだな、って思って」
 冒険者は目尻に溜まった笑い涙を何度も指で拭い、ようやく落ち着いたようだった。
「呼び戻さなかった私も悪いんですから、見逃してあげてくれませんか。別に怪我をしたわけじゃないんだし、今回だけだ、って言ってますし」
「仕方ない。今回だけだぞ」
 アイメリクは入室してから何度目になるか既に分からなくなっている溜め息を、もうひとつ追加した。


「今更だけど、それ、お見舞い品ね。食べるなら幾つか剥くけど、どうする?」
 冒険者がサイドテーブルにある果物籠を指し、それを見たエスティニアンは一瞬その目を細めた。
「ああ、頼む。七天樹の実か、懐かしいな」
 エスティニアンの依頼を受け、冒険者は果物ナイフを取り出して果実を剥き始める。
 ようやく病室内に、まともな見舞いの光景が繰り広げられた。
「その七天樹という樹木の名は、七大天竜に由来しているのだろうか?」
 アイメリクはようやく仁王立ちをやめ、椅子に腰掛けながら話に加わってきた。
「どうでしょう? 民間伝承にある七天七獄の七天も、由来の候補になるような気がしますね」
「どちらも七が付くからややこしいな。今度マルスシャンにでも聞いてみたらどうだ」
「そうね……はい、どうぞ」
「おう」
 ごく短い返事をしながら冒険者に差し出された皿を受け取るエスティニアンを見て、アイメリクは溜め息を更に追加する羽目になった。
「全く……お前は礼の一つもまともに言えんのか」
「今のがお礼みたいなものだと思っているから、いいんですよ。それより、アイメリクさんも食べてみます?」
 当事者にそう言われてしまっては引き下がるより他はない。
「む……。では、お言葉に甘えよう」
 アイメリクは冒険者が差し出したフォークを受け取り、果実の一切れを取った。

「アイメリクさん、今日はこの後にもお仕事があるんですか?」
「いや、今日はもうあらかた済ませてきた状態だよ」
 果実を頬張りながらアイメリクの回答を聞いた冒険者は、頷きながら食べ終わると言葉を続けた。
「では、ここで少し話をしてもいいですか。魔大陸で見てきた教皇のことを」

 食べかけの果実が刺さったままのフォークを握り締めて固まる眉目秀麗なエレゼンの男性二人というシュールな光景を見た者は、後にも先にもこの冒険者くらいになりそうだった。
 余談になるが、彼らのこのデバフの解消には十秒程を要した。

「公にすることではないのだけど、この先のイシュガルドを導いていく人には必要な情報だろうと思って」
「そうだな。お心遣い、感謝する」
 総長室での表情に戻ったアイメリクを見た冒険者は、彼に外で仕事をさせることになってしまったな、と苦笑をしてから話し始めた。

「蛮神の問題については、教皇の他に蒼天騎士団の十二人も含めての形になるので、同様の事態が再発する可能性は、ほぼ無いと考えていいと思います」
「なるほど……。それを聞いて安心した」
 アイメリクはゆっくりとその目を伏せ、言葉と共にゆっくりと息を吐いた。
 その胸の内を窺い知ることはできないが、あの脅威を過去だけの事案にできるという点以外にも様々なものが去来していたであろうことは想像に難くない。
「討滅の内容は力技なので割愛しますけど、私に向けられた刃そのものについてはお伝えしておきたいんです」
「刃そのものって、俺が辿り着いた時に転がっていた、あの馬鹿でかい剣か」
 冒険者はエスティニアンに頷きながら言葉を続ける。
「そう。あれは何だと思う?」
「何って、見た通りに剣だろう。大きさは建国十二騎士像が持つ剣に匹敵していたが」
 実にエスティニアンらしい反応だ、と思ったのか、冒険者は口許に微かな笑みを浮かべたが、すぐに真顔に戻った。

「あれね、ハルドラスの遺体が蛮神の力で変化させられたものなのよ」

「なん……だと……」
 エスティニアンはそれ以上の言葉を失い、言葉を出すことすらできなかったアイメリクの手からはフォークが床へと滑り落ち、病室内に響き渡った金属音がその心境を代弁した。

 アイメリクとエスティニアンは、共に愕然とした状態から抜け出すことができずにいる。
 その暴挙を力尽くで止めなければならなくなった相手とはいえ、教皇は国の最高指導者だった人物だ。イシュガルド人ならば物心ついた時から敬うべき存在として教えられ、長じてからは個人差はあるだろうが、それでも一定の敬意は払ってきた。
 と同時に建国の英雄・ハルドラスも当然、誰にとっても幼い頃からの崇拝の対象なのだ。

 その教皇が、建国の英雄の遺体を冒涜した。
 イシュガルド人にとって、イシュガルド正教にとって、これ以上に衝撃的な事件はその歴史上、無い。

 見れば、アイメリクはその身を微かに震えさせさえしていた。
 自身の主義を優先させ、教皇庁へ盗みに入ることを躊躇わずに実行した過去から、あまり信心深くないであろうことが推察できるエスティニアンですら、見た目にも明らかに衝撃を受けているのだ。
 実父が建国の英雄を冒涜したという事実をも同時に突き付けられた形になるアイメリクの受けた衝撃が、エスティニアンのそれを遥かに凌駕しているのは当然である。

「ここから先は私独自の解釈も混じるので、あくまでひとつの意見として扱ってくださいね」
 冒険者は、未だ愕然としたままのアイメリクに向けて、話を続ける旨を宣言した。

「あの場に柩が持ち込まれてきて目の前で暴かれたものだから、私は必然的に遺体……と言っていいのか分からないのだけど、とにかくハルドラスの姿を拝む形になったんです。その顔は血の気が失われているだけで、まるで直前に柩へ納められたかのようでした」
 淡々と語られる冒険者の話に、二人は悲痛な表情のまま耳を傾けている。
 冒険者は、自身の胸の中心に右手の拳を当てて目を伏せ、祈りにも似た時間を経てから話を続けた。
「銀色のドラケンアーマーを身に付けた彼の胸の真ん中……このあたりに、竜の眼があったんです。私の拳くらいの大きさにしか見えなかったから、眼の大半は身体の中に喰い込んでいる状態だったんでしょうね」
 エスティニアンは、自身の置かれた状態と比較をして戦慄した。
 胸の真ん中に喰い込まれたのでは、肩と腕に喰い付かれた自身の苦痛を遥かに上回るものであっただろう。
 あるいはエスティニアン自身にも徐々に竜の眼が喰い込んできて、自らもいずれハルドラスと同様の末路を辿っていたのかもしれない、と。
「……二人とも、大丈夫?」
 冒険者の呼び掛けにアイメリクとエスティニアンは揃って驚きの表情を見せ、次いでお互い顔を見合わせてから彼女を見て頷いた。
「そのハルドラスを見ての教皇の言葉なのだけど、アイメリクさんには厳しい内容だと思うので、心の準備を」
 アイメリクは唇を噛み、一時その視線を床に逃がした後、冒険者に向き直って意識的に穏やかな口調で言った。
「本来ならば、私自身が現場で全てを見聞きしなければならなかったことだ。心の準備をさせてくれて、むしろ感謝しているよ」
 冒険者はアイメリクの視線を受け止め、頷いた。
「教皇は私に説明をするように、こう言ったんです。「眼から力を引き出しながらも、その力に呑まれ、 朽ちぬ死体と化した哀れな男」だ、と」
 冒険者の言葉を聴いたアイメリクは両膝の上に添えていた手で膝頭を掴み、あらん限りの力で握り締めていた。
 指先が膚に喰い込んでいるのではないかと錯覚する程のその様子は、心の痛みを膝頭に分散させてどうにか耐えているかのようだった。
「死者を……言葉でまでも冒涜するとは……」
 状況は把握した、という意思表示をしておきたかったのであろう。彼は辛うじて、その一言だけを吐き出した。
「そう言っておいて、自分が為そうとすることを正当化したかったってのか?」
 まるで俗物じゃないか、という言葉を、エスティニアンは辛うじて飲み込んだ。自分にとっては気に食わない存在と成り果てても、親友の実父である点は変えようがないからだ。
「かも、しれないわ」
 そんなエスティニアンの言葉に冒険者は短く応じ、その後の病室内は、しばしの間静寂に支配された。

「でもね」
 冒険者がその静寂を破った。
「教皇はハルドラスを哀れな男だと言ったけど、私は違うんじゃないかと思っているんです」
 彼女に、アイメリクとエスティニアンの視線が注がれる。
 二人の視線を浴びた冒険者は、静かにその瞼を閉じてから一節を諳んじた。

「竜王叫びて北天に凶星輝きしとき、赤き鎧まといし者現れ、世界を焼き尽くさん」

 静寂の中でゆっくりと瞼を開いた冒険者の瞳には、先刻までの悲壮な表情から驚きの表情へと変わった二人の姿が映し出された。
「なぜ、君がその詩を知っているんだ?」
「以前、ウリエンジェさんが諳んじたのを聞いたんです。これはクルザス西部の伝承だそうですね」
「なんと……。暁の賢人は、計り知れない知識をお持ちなのだな」
 アイメリクの状態がようやく普段のものに戻った。
「私、ついこの間まで、この詩の内容が嫌だなあと思っていたんです。だって、ほら」
 彼女が指差した出窓には、赤く染まり左の角が折れたエスティニアンのドラケンアーメットが置かれている。
「赤き鎧……か」
「新調するとか言っていたのにいつまで経っても着替えないから……と、まあ、それはさておき。ドラゴンズエアリーでニーズヘッグを討った時、最後にエスティニアンはこう言われたんです。「この先に待つ運命も知らずに」と」
 赤く変質した鎧のことを穿り返されてバツの悪そうな表情になっていたエスティニアンだったが、当時を回想することで真顔に戻っていた。
「ああ、確かに言っていたな。俺には、単なる捨て台詞にしか思えんが」
「単体で聞くと、単なる捨て台詞かもしれないわ。だけど、さっきの伝承と、イシュガルドを去ったはずのハルドラスが遺体としてイシュガルドに安置されていたという事実。そして教皇たちの動向とエスティニアンの身に降りかかった状況を合わせて考えてみると、もしかしたら昔、ハルドラスの時代にも、この間の雲廊と似た光景が繰り広げられたのかもしれない、と思い至ったのよ」
 これまでで提示した情報をまとめて言い直し、一つの仮説を突きつけてきた冒険者の前で、アイメリクはその腕を組んで思案する。
「先日の雲廊での決戦は不気味なほど伝承と一致しているが、過去に同様の出来事が起きていたのだとしたら、胡散臭い予言などではなく、ニーズヘッグを取り逃がした先人が我々に宛てた警鐘……とも受け取れるな」
 アイメリクの言葉に、冒険者は頷いた。
「私が視たニーズヘッグの過去でのハルドラスは二つの竜の眼を持ってイシュガルドを去ったのだけど、その後に残された四大名家の父祖の一人がこう言っていたんです。「王はいずれ舞い戻ろう。その間、イシュガルドを失うわけにはいかぬ」って」
 アイメリクとエスティニアンが、再び驚きの表情を見せる。
「まさか、父祖たちはハルドラスの帰還を予見していたと?」
「竜の眼を食べたことによる人智を超えた能力で予見できたのかしらね? それと何故か、彼は舞い戻ると言っていたの。それが比喩でなく、本当に舞い、戻っていたとしたら? そしてハルドラスの身体は実際、イシュガルドに安置されていた」
 アイメリクの脳裏に、先日見たばかりの雲廊へと舞い降りるニーズヘッグの姿が浮かんだ。
 エスティニアンには、ニーズヘッグの眼が捉えた上空からの皇都の全景が蘇ったのだろうか。

「情報を時系列順に整理しましょう。まず、トールダン王の存命時まで遡るわ。竜の眼を欲してラタトスクを殺したのはトールダン王単独の思惑で、ハルドラスと十二騎士はトールダン王に命令されたか騙されたかで竜の眼を食べた。怒り狂ったニーズヘッグがトールダン王を殺して妹の仇を討ったけど、その後ハルドラスに父王の仇として両眼を奪われる。この時点でニーズヘッグは死んで、邪竜の影になったと考えるの」
「フレースヴェルグに片眼を要求した時点では、既に……?」
 エスティニアンの問いに冒険者は頷き、話を続けた。
「フレースヴェルグ自身も妹を殺された立場だし、ヒトに絶望をしていたのだから、両眼を奪われた直後の激昂した兄弟を前にして冷静に、その姿が実物なのか影なのかの見極めはできなかったのかもしれないわ」
「……確かに。先日ミドガルズオルムにその点を指摘されたフレースヴェルグは、初めてその可能性に考えが及んだようにも見えた。あるいは、目の前に現れたニーズヘッグが既に命を喪っている姿と確信していてなお、兄弟を慮って眼を差し出したのかもしれないが、我々はそのことをとやかく言える立場ではないし……な」
 アイメリクの言葉にも冒険者は頷いた。
「ハルドラスは生き残った騎士たちの前で自分のことを「竜の眼を喰らった咎人」と言っていたわ。つまり遅くともその時点で、ラタトスクを殺して竜の眼を食べたことを悔やんでいたのよ。そして、残されたニーズヘッグの眷属たちからの攻撃を一身で受けるために、両眼を持ちイシュガルドを去った。いずれはニーズヘッグの魂に詫びて、両眼を弔うつもりだったのかもしれないわ。でも、フレースヴェルグの片眼で魔力を得た邪竜の影の登場は、ハルドラスにとっては想定外のはず。ハルドラスは邪竜の影に襲われて、エスティニアンのように身体を奪われてしまった。その状態のハルドラスが、伝承で詠われた「赤き鎧まといし者」の正体だと思うの」

 開け放たれたままの窓から風が吹き込み、カーテンと、花瓶に活けられた花を揺らす。
 そのことを全く気に留められないほど、二人のイシュガルド人は冒険者の語る内容に心を奪われていた。

「そうしてハルドラスの身体を奪って皇都に舞い戻った邪竜の影を四大名家の父祖たちが迎え撃って、アルフィノと私がこの間エスティニアンにやったようにハルドラスの身体から竜の眼を引き剥がそうとしたけれど、胸に埋まった側の眼は引き剥がすことはできなかった……」
 この場にいる全員が竜の眼の大きさを知っているだけに、先ほど冒険者から語られた柩の中のハルドラスの情報と合わせて、ハルドラスの身体を切り裂きでもしない限り竜の眼との分離が不可能であったであろうことは、それぞれが容易に想像できていた。
「そこでハルドラスは、片方の眼は自分の身体を使って然るべき時まで封印をするので、もう片方はイシュガルドの秘宝を装って厳重に保管しろ、といった感じの遺言をしたんじゃないかしら。そして、身体にある竜の眼の封印に専念をすることによって、傍目には朽ちない遺体とも見て取れる状態に陥ったハルドラスの身体を竜の眼と共に秘匿するために都合の良い場所が、柩の中だった。ハルドラスの身体を柩に納めた後に四大名家の父祖たちは、ハルドラスがニーズヘッグから奪ったのは片眼だ、という偽りの歴史を作ったの。赤き鎧の伝承も、あるいは父祖たちの手によるものかもしれないわね」
「なるほど……。しかし、その然るべき時、とは?」
 問い掛けるアイメリクを見た冒険者は、直後にエスティニアンへと視線を移しつつ答えた。

「ハルドラスと同じ状態に陥っても、それに打ち克つ力を持つ者が出現する時よ。つまり、イシュガルドの民をしてハルドラスの再来と言わしめた、エスティニアン、貴方が現れることを、ハルドラスは待ち続けていた」
「俺を!?」

 驚き冒険者を見つめるエスティニアンに向かって、彼女は頷いてから言葉を続けた。
「そのために、秘宝にされた側の竜の眼は、千年の間ずっと蒼の竜騎士を選び続けてきたんだと思うの。ハルドラスの意志で、ね。竜の眼はニーズヘッグのものだけど、ニーズヘッグが自分の敵になる蒼の竜騎士を選んで竜の力を授けたり、エスティニアンに「間もなく目覚める邪竜より皇都を守れ」と助言したりするだなんて、考えてみたら奇妙な話でしょう?」
「確かに、改めて言われてみれば奇妙な話だ。我々は竜の眼を秘宝だと教えられ、蒼の竜騎士に竜の力が与えられる点についても、昔からの伝統ということだけでそれを信じ切り、誰もその理由を考えようなどとはしなかったということか。……なるほど、イシュガルド人ではない君ならではの解釈だ」
「千年の間に幾人かは疑問を抱いた奴も居そうだが、だとしても異端者として闇に葬られてしまったんだろうな」
 生粋の皇都育ちであるアイメリクの言葉にエスティニアンは頷き一言を添え、その後相棒へと視線を移して彼女に話の続きを促した。

「ひとつ質問があるの」
「俺にか?」
「ええ。私が目にした範囲で……の話なのだけど、エスティニアンが竜の眼を扱うことに明らかに手を焼いたのは、エクセルシオのエーテルラムに魔力を供給した時だけだと思うの。それ以外であの時ほどに大変だったことはあった?」
 話の続きが予期せぬ内容だった為か、エスティニアンは一瞬その目を見開き、しばらくの間記憶を手繰り沈黙した後に口を開いた。
「……いや、無いな。あの時は注文内容が特殊だったとはいえ、あそこまで苦労をするとは思わなかった」
「やっぱりね」
 その回答で答え合わせができたかのような冒険者の一言に、エスティニアンとアイメリクは揃って首を傾げる。
 そんな二人を見据えて、冒険者は話を続けた。
「その時、棺──ハルドラスの身体は教皇達によって魔大陸へと運び込まれていて、魔法障壁の向こう側にあったのよ」
「そういうことか!」
 驚嘆の声を上げたエスティニアンは直後に相棒を見つめ、その視線を受け止めた冒険者は大きく頷いた。
「竜の眼が及ぼす一連の現象にハルドラスの意思が及んでいるのかもしれないと私が思ったのは、あの時だけ竜の眼とハルドラスの身体が置かれた環境が違っていたからなの。あの時は魔大陸の魔法障壁に阻まれてハルドラスの意思が及ばなかったから、エスティニアンがあれほどまで竜の眼の扱いに苦労をしてしまったのだと考えれば、辻褄が合うわ」
「なるほど……」
 納得し合う蒼の竜騎士たちから若干の遅れを取っていたアイメリクがようやく納得の表情を見せると、冒険者は話を続けた。

「話を元に戻すわね。竜の眼に蒼の竜騎士としてエスティニアンが選ばれた時に邪竜の影は、竜詩戦争がエスティニアンの手によって終結してしまうかもしれないと危惧して、もう一人の蒼の竜騎士に私が選ばれたように見せかけたんじゃないかと思うの」
「見せかけた? 何故……?」
 アイメリクが怪訝な表情で冒険者に問いかける。
「エスティニアンを自分の手の内に入れて潰すために、私をけしかけたんです」
 極めて物騒な内容を平然と言い切る冒険者を見て驚きの表情に変わったアイメリクの横で、エスティニアンが頷いた。
「それは合っているぞ。ヤツは、俺に竜の力を更に望ませるためにお前を選んだと言っていたからな」
「やだ……本当に?」
 冒険者は驚きのあまり、口許に両手を当てがって目を見開く。
 その様子を見たエスティニアンは苦笑して話を続けた。
「おい、自分で仮説を立てておいて嫌だもなにもないだろう? とにかく、お前を選んだ理由はそうなんだと」
 そこで一度話すことを止めたエスティニアンは、気まずそうにこめかみを掻きながら続けた。
「……恥ずかしながら、俺はその企みにまんまと嵌まっちまったんだがな」
 そのエスティニアンらしからぬ素振りに、アイメリクと冒険者は顔を見合わせてから共に苦笑いをした。

「エスティニアンを手の内に入れるためには、竜の眼がより馴染みやすい身体に仕立て上げる必要があったんでしょうね。でも、エスティニアンは実際に竜の眼を食べたわけではないから、いかにイシュガルド人とはいえハルドラスの身体ほど相性が良いわけじゃない。だから、エスティニアンの身体に竜の血を流し込むことでその差を埋めようとしたんじゃないかしら」
「竜の血を受けてからは、眼が手元に無くともヤツの声を聴いたり眼の在処が分かったりしていたんだが、それが、馴染みやすい身体に仕立て上げられた結果、というわけか」
「多分、ね」
 頷きながら冒険者は、エスティニアンが魔大陸のシンギュラリティ・リアクターに難なく辿り着いたことを思い返していた。
 お守り代わりにでもしていろ、などと言いながら手渡された竜の眼は確かにアシエン戦で役には立ったが、受け取った当初は、こんなものを渡されても気味が悪いだけだと閉口したものだ。
「どうして魔大陸で合流できたのかと疑問に思っていたんだけど、私の居場所を特定するために竜の眼を預けてくれたのね」
「ああ、そういうことだ。フレースヴェルグがエクセルシオの俺たちを探し当てたのと同じだな」
 竜の眼を地図上の目印にされたりエーテルラムのエネルギー源にされたりといった事態は、さすがにニーズヘッグには想定外だったであろうが。

「アルフィノと私が竜詩戦争に関わるより前にエスティニアンの身体を作り替える段階はあらかた終わっていたから、邪竜の影はドラゴンズエアリーで「この先に待つ運命も知らずに」と言ったのよ。あの時には既に、エスティニアンの身体を奪う気満々だったというわけね」
 堪らずにエスティニアンが舌打ちをする。
「俺はヤツの掌の上で踊らされていた、ってわけか」
 心底悔しそうな素振りを見せるエスティニアンにアイメリクは同情の視線を送っていたが、その二人を見て冒険者は苦笑いをした。

「そうね。でもそれと同時に、ハルドラスの掌の上で邪竜の影も踊らされていたのよ。邪竜の影が仕掛けてきた様々な事柄は、結果として全てハルドラスの目的達成に必要不可欠なものとなっているんだから。エスティニアンが身体を奪われることも、ハルドラスの目的を達成するための過程のひとつだったのよ。だから、私が返した竜の眼を持った状態のエスティニアンがあの剣から──ハルドラス自身が千年の間抱えて護り続けてきた側の竜の眼を抜き取ることを許したの。その結果エスティニアンの身に起きることも承知の上でね。エーテルラムに魔力を供給する時に暴走しかけた素の状態の竜の眼を制御することのできたエスティニアンならば、一時的に身体を邪竜の影に奪われても、それをも乗り越えられると確信して、自分の希望をエスティニアンに託した……」

「過去に繰り広げられたであろう雲廊での戦いを再現することが、ハルドラスの目的だったと?」
 突然割って入ったアイメリクの口調は、平静を装ってはいるが隠し切ることのできなかった怒りが見え隠れするものであった。
 自身が心血を注いできた竜族との融和への道。
 その道の半ばで散っていった沢山の同胞たちや、親友であるエスティニアン、そしてエスティニアンの信頼する仲間たちが受けた苦しみのことを思えば、それも無理からぬ人としての反応だ。

「ハルドラスの目的は、邪竜の影に両眼を返して、その状態でニーズヘッグの想いを全て吐き出させてから祈りを捧げること。想いを吐き出させる過程が、あの雲廊での戦いよ。そしてその想いを全て受けとめた上で、竜の両眼に鎮魂の祈りを捧げて抜き取る。祈りまでが、征竜将の思い描いた戦いの全体像……征竜戦、とでも言うべきものだったんじゃないかしら。アイメリクさんもあの時、祈っていてくれたでしょう?」

 そう述べる冒険者の瞼の裏には、竜の眼を抜き取る時に心を支えてくれたオルシュファンとイゼルの姿があった。
 彼らと同様に、冒険者が見知らぬ過去の時代の人々も、戦いを実際に見守っていた皇都の人々も、あの時あの場に向けて、祈りを捧げてくれていたのだろう。
 人と竜の別なく、竜詩戦争に関わり散っていった全ての者に向けて、鎮魂の祈りを。

「……だから、ハルドラスは決して哀れな男なんかじゃない。イシュガルドの未来と、竜詩戦争で喪われた全ての命への祈りを抱き続けていた蒼の竜騎士なんだと思うの。その悲願を成就させる機会を千年間待ち続けていたという執念深さはあるかもしれないけど、でも、それはあくまでも私たちの目線での話でしょう? もしかしたら眼と同化することで竜と同じ時間の感覚になっていて、彼にとっては色褪せていない想いだったのかもしれないわ」

 冒険者の言葉を受けたエスティニアンは、窓の外の蒼天を見上げた後にその目を伏せ、ゆっくりと息を吐いた。
「では俺は、ハルドラスの期待に応えて、その悲願を叶えた……ってことになるのか?」
「私の仮説を信じるのなら、ね」
 そう言って、エスティニアンの相棒は屈託の無い笑顔を彼に向ける。
「ハルドラスの望みは、父王トールダンの犯した罪の精算なの。彼は「この槍をもって、すべてを清算しよう」と言っていたわ。それはこの間、エスティニアンが言っていたことになるんじゃない? 全ての死を悼む心……って」
「そう……か。……そうだな」
 エスティニアンは自らに言い聞かせるように、同意の言葉を反芻した。

「あとね。ハルドラスは多分、竜騎士としての能力だけでエスティニアンを選んだんじゃないわ。肉親を殺した相手と対峙するというハルドラスやニーズヘッグと同じ境遇になるからこそ、その気持ちを理解して受け止めることができると見込んで選んだんだろうな、って思ったの。ともかく、貴方はハルドラスが選んだ蒼の竜騎士としての、最後の務めを果たしたのよ」
「最後の務め……か」
 エスティニアンは、あの時全ての力を振り絞って自身の最期の言葉として発したはずの言葉を再び口にして、その身に行き渡らせた。
「果たさせたわよ?」
 彼女はそう言って口角を上げる。
 最期と最後。
 エスティニアンの相棒は言葉の意味を置き換えた形で、彼の願いを叶えていたのだ。

「私の仮説が当たっていようがいまいが、竜の眼はもうイシュガルドには無いんだもの。エスティニアンが最後の蒼の竜騎士でしょう? 私は、ほら、偽者の蒼の竜騎士だしね」
「お前、自分で偽者って……」
 エスティニアンは何とかそこまでを口走り、その後堪らずに笑い始める。
 そんなエスティニアンを、アイメリクは驚嘆の面持ちで見続けていた。
(なるほど。お天気のお姉さんとは、言い得て妙なものだな……)
 それは親友と公言して憚らない間柄のアイメリクが見たことのない、一点の曇りもない笑顔だったからだ。
「……スッキリした?」
「ああ、そうだな。ありがとうよ、相棒」
 笑顔で言葉を交わす二人の蒼の竜騎士の前で、アイメリクは未だ驚きの表情を解くことができないでいた。
「私は驚いたぞ。お前がそのように笑うとは」
「珍獣を見たような顔で言うな」
「いや、珍獣以上に珍しいものだと思うぞ……っと、病院長が来たな」
「来たな」
 エスティニアンはアイメリクの言葉に応えながら、それまで尻に敷いていた毛布を腰まで掛けて入院患者としての体裁を整える。
 またしても足音で来訪者を特定しているエレゼン男性二人を交互に見て、冒険者はその目を丸くしていた。
「来たようだ、じゃなくて、来たな、って……。アイメリクさんも、足音でわかるんだ……」
 病院長の回診により、病室で繰り広げられていたイシュガルドの要人たちの議論に終止符が打たれた。


「順調な快復ぶりですな。さすがは蒼の竜騎士、素の体力が私どもなどとはまるで違うようだ」
 病院長はカルテに書き込みをしながら、エスティニアンに診断の結果を告げた。
「そうか。ありがとう、先生。ところで……」
 エスティニアンは礼を言いながら、病院長ならば先刻発生した疑問を解消してくれるだろうかと思い、質問をすることにした。

「……パッションとエターナルと、確かイノセントと言っていたかな? それらのドレスは、手に入れるまでが相当大変なんだろうか?」

 病院長は心底驚いた表情をエスティニアンに向け、次いで微笑みながら応えた。
「相当大変……と言えば、確かにそうなのかもしれません。差し詰め、その中でどれを選ぶかが非常に悩ましい、といったところでありましょう。何せ、一生に一度の大問題ですからな。後悔せぬよう、お金よりも時間を掛けて、じっくりと考えることです」
「なるほど、選ぶところで迷うのか。一生に一度とはいえ、女ってのは妙なところで大変……というか、わからんな」
 頭をひねっている様子のエスティニアンを見て、病院長は怪訝な表情を見せる。
「いや、男にとっても大問題ですぞ。婚礼衣装の選択を誤れば」
「こっ……!」
 エスティニアンにとってはまるで想定外かつ衝撃的な単語が突然出されたために病院長の言葉を遮る形となってしまい、彼は慌てて続く言葉を飲み込むために口許を押さえ、病院長から顔を逸らす。
「……どうしました? ここで選択を誤ってしまったら、一生それを引きずられますぞ。ともかくお相手の方と、よくご相談なさい」
 そのまま絶句しているエスティニアンを見て、今度は病院長の側が頭をひねる形となってしまった。
「ご自身のお話ではないので? 私はてっきり、これを機に身を固められるのかと思いましたが」
「その……違うんだ先生。今のは女友達から話をされてだな……」
 病院長の表情が、途端に含み笑いをしたものに変貌した。
「おや? 果たしてその女性は、女友達のままにしておいてもよろしいのでしょうかな?」
「いや、本当に違うんだ。あいつは……。勘弁してくれ、先生……」
「あいつ、ですか。蒼の竜騎士殿に、あいつと呼ばれるほどの女性が身近におられるとは」
 未だ笑いの治まらない病院長の前で、エスティニアンは蒼天を仰ぎ途方に暮れるより他はなかった。


 議長就任式典の挙行当日も、イシュガルドの空は見事に晴れ渡っていた。
 朝食と朝の回診が終わった神殿騎士団病院内は静まり返っている。職員はそれぞれに仕事をしているのだろうが、見舞い客は式典の影響で皆無なのだろう。
 数時間のうちは来訪者が無いであろうことを確信していたエスティニアンは無駄に広い病室内で、あろうことかゲイボルグを手に取り、素振りをしていた。
 旋回半径を調整し、水平方向のみの素振りで調度品のいずれにもギリギリの距離で接触をさせないその様は、いかに称号を返上したとはいえ、色褪せていない蒼の竜騎士の成せる技であった。
 エスティニアンは一旦素振りを止め、ゲイボルグを右手に預けてから左肩を何度か前後に回して関節可動域の確認をする。
「まあ、今はこんなものだろう」
 素振りの内容は、それなりに納得の行く結果だったようだ。
 右手から左手へとゲイボルグを移動させ、今度は右掌を見つめ、力を込めて数回握り締める。
「……よし」
 左肩と右腕の動作に不安がないことを確認したエスティニアンは、窓際に移動をすると窓を開け放ち、外を見渡した。
 眼下では市民たちが気忙しく歩き回っている。人々の足は、その大多数が式典の会場へと向いているようだ。

「絶好の脱走日和、だな」

 そんな日和など、世界のどこにもあってはならないのだが。
 今回だけだ、とアイメリクと約束をしたのは、あくまで屋根の上に登ることを慎むという点のみであり、エスティニアンの基準でそこに脱走は含まれてはいなかった。
「お前を置いて行く訳にはいかんからな。連れて行くぞ」
 エスティニアンはゲイボルグに向かって語り掛けた。
 あの日、力尽きかけた邪竜の影が最期の抵抗としてエスティニアンの身体を使い、彼の相棒に向けて投擲をしようとしたゲイボルグは、その最後の最後で赤く染まり上がった。
 形状が変化し赤くなったままのゲイボルグからは何の邪気も感じられはしないが、それでも他人の手に委ねる気には、エスティニアンはなれなかった。
 桁違いの魔力を浴び続けていたエスティニアンが感じていないだけで常人には悪影響があるかもしれないし、そもそも竜騎士となってから今までずっと傍らにあった、彼にとってこちらもかけがけのない相棒なのだから。
 浴びた魔力のせいでまかり間違えてこのゲイボルグが喋り始めでもしたら、延々と愚痴を聞かされることになるかもしれない。
 ゲイボルグのものかニーズヘッグのものか、そのどちらの愚痴であったとしてもじっくり聞いてやろう。何せ、時間はこの先たっぷりと出来てしまったからな、と、エスティニアンは語り掛けながら愛槍を窓の外に出し、次いで自らの身を乗り出す。

 そうしてハルドラスに選ばれた最後の蒼の竜騎士は、彼らの愛したイシュガルドの蒼天へと舞い上がった。

    ~ 完 ~

   初出/2016年10月8日 pixiv
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