酒とスルメと男と女
『私の初めてを、貴方に』
(『酒とスルメと男と女』書き下ろし作品冒頭サンプル)
ラピス・マナリスの奥底にカイナッツォがこじ開けたヴォイドゲートは術者の死をもって消滅し、宝物殿のヴォイドゲートを破壊したルビカンテは相棒が始末した。
四天王と名乗る妖異の全てを討滅し、アジュダヤの片眼を確保することはできたが、それと引き換えに往来の手段を失ってしまったことは、こちらに人的損害が無かったとはいえ痛手と言えよう。
カイナッツォがヴォイドゲートをこじ開けたという事実がある以上、奴を従えていたゴルベーザは少なくとも同様のことが可能なのだと考えておかねばならない。
現在ヤ・シュトラが講じている別の手法が現実のものとなるまでは、残念だが、ゴルベーザの側に次の戦いの火蓋を切る主導権がある、というわけだ。
アジュダヤの片眼は現在、ヴリトラの管理下にある。
ここに至る経緯や期間と保管場所は異なるが、第三者が管理をしているという一点に於いては、竜詩戦争時代に四大名家の父祖たちが宝珠呼ばわりをし、また、ハルドラスの身体ごと棺に秘匿し教皇庁で管理し続けていたニーズヘッグの眼と同じだ。
左眼を携行することで囮となり、各地を転々とした時期にニーズヘッグが棺に納められた右眼を奪還しようと企てていたように、アジュダヤが、自身の眼を手掛かりとしてこちらの位置を把握するのはたやすいと考えることができる。
と同時に、アジュダヤの身柄を拘束しているゴルベーザも、こちらの位置を把握できるようになってしまったのだと考えておかねばなるまい。
つまりカイナッツォに与えられていた任務は、こちらに『目印』を付けること。
だからこそ奴は、ああもあっさりと眼を手放したのだ。
眼のエーテルはヴォイドの影響を多少受けているが、完全に闇に染まってはいない、とのヤ・シュトラの言葉を根拠とすれば、ヴリトラに姉として寄り添い、そしてティアマットの咆哮に応え、メラシディアの窮地を救わんと尽力していたアジュダヤが、我々に対して敵対行動を取ることは無いと考えて差し支えないだろう。
──しかし。
ヴリトラは先般、ラピス・マナリスにアジュダヤの魔力が出現したことを即座に感知した。
眼が持ち込まれたという想定外の出来事であったにも関わらずアジュダヤの魔力を拾い上げたヴリトラが、ヴォイドでは本体を感知することが叶わなかった。
我々が潜入したトロイアコートや滞在したゼロの領域と、アジュダヤが囚われている場との間に、竜の魔力を感知することが叶わぬほどの物理的な距離があったのか。
ヴリトラの感覚では、ラザハンからラピス・マナリスまでを確実に感知可能な「この辺り」に含められる距離と考えることができる。
ルビカンテが散る間際に相棒とゼロに語った「アジュダヤはゴルベーザと共に月にいる」との情報がブラフではなかったのだとすれば、距離により感知が不可能だったと解釈することができよう。
あるいは、魔大陸を覆っていた魔法障壁のような竜の魔力を遮る何かに、アジュダヤの身が包まれているのだろうか。
魔法障壁を突破して魔大陸に降り立つまでティアマットの魔力を感知できなかったことを思えば、そのような状況も十二分に考えられる。
いずれにせよ、片眼を奪われてしまっている事実から導き出せるアジュダヤの現状は、ゴルベーザに圧倒され、今なお囚われ続けているものだと認識せねばなるまい。
かつて自らが竜の眼の魔力を行使し、ドラゴンズエアリーでニーズヘッグの動きを封じたように。
彼我のどちらで次の戦いの火蓋が切られるかは分からないが、こちらの目的はアジュダヤの救出であるのだから、新たなヴォイドゲートをヤ・シュトラが開くかゴルベーザがこじ開けてくるかのどちらにせよ、我々はヴォイドへ再び乗り込むこととなる。
その際、ここまでで駒を全て使い果たしているゴルベーザは、アジュダヤを手駒として使ってくる可能性もあるだろう。
敵対する妖異に竜の魔力を与え四天王に仕立て上げた行為がアジュダヤの意思によるものだとは考えられない以上、アジュダヤはゴルベーザの呪縛により操られてしまっていることも想定しておかねばならない。
かつて自らがニーズヘッグの呪縛により、イシュガルドに槍と牙を向けてしまったように。
そうなってしまった場合はおそらく、雲廊での戦いのような死闘となる。
しかしあのときとは違い、対峙する相手は救うべき者……。
──否。あのときと同じだ。
エスティニアンは脳裏に思い描いたイメージを直後に覆すと、抜けるような青空を見上げてニヤリと笑った。
あのとき雲廊で相棒とアルフィノは、ニーズヘッグと内に囚われていた自らを、討滅対象としてではなく救うべき者として位置付け、その意志を貫いてみせたではないか。
無論、牙を剥いてくる相手を救うべく立ち回ることは容易ではなく、来るべき戦いに雲廊の戦いを重ねて考えるべきではない。
しかし、これは呪縛からの切り離しが成功した例であり、参考資料として提示することのできる実績なのだ。
(『酒とスルメと男と女』書き下ろし作品冒頭サンプル)
ラピス・マナリスの奥底にカイナッツォがこじ開けたヴォイドゲートは術者の死をもって消滅し、宝物殿のヴォイドゲートを破壊したルビカンテは相棒が始末した。
四天王と名乗る妖異の全てを討滅し、アジュダヤの片眼を確保することはできたが、それと引き換えに往来の手段を失ってしまったことは、こちらに人的損害が無かったとはいえ痛手と言えよう。
カイナッツォがヴォイドゲートをこじ開けたという事実がある以上、奴を従えていたゴルベーザは少なくとも同様のことが可能なのだと考えておかねばならない。
現在ヤ・シュトラが講じている別の手法が現実のものとなるまでは、残念だが、ゴルベーザの側に次の戦いの火蓋を切る主導権がある、というわけだ。
アジュダヤの片眼は現在、ヴリトラの管理下にある。
ここに至る経緯や期間と保管場所は異なるが、第三者が管理をしているという一点に於いては、竜詩戦争時代に四大名家の父祖たちが宝珠呼ばわりをし、また、ハルドラスの身体ごと棺に秘匿し教皇庁で管理し続けていたニーズヘッグの眼と同じだ。
左眼を携行することで囮となり、各地を転々とした時期にニーズヘッグが棺に納められた右眼を奪還しようと企てていたように、アジュダヤが、自身の眼を手掛かりとしてこちらの位置を把握するのはたやすいと考えることができる。
と同時に、アジュダヤの身柄を拘束しているゴルベーザも、こちらの位置を把握できるようになってしまったのだと考えておかねばなるまい。
つまりカイナッツォに与えられていた任務は、こちらに『目印』を付けること。
だからこそ奴は、ああもあっさりと眼を手放したのだ。
眼のエーテルはヴォイドの影響を多少受けているが、完全に闇に染まってはいない、とのヤ・シュトラの言葉を根拠とすれば、ヴリトラに姉として寄り添い、そしてティアマットの咆哮に応え、メラシディアの窮地を救わんと尽力していたアジュダヤが、我々に対して敵対行動を取ることは無いと考えて差し支えないだろう。
──しかし。
ヴリトラは先般、ラピス・マナリスにアジュダヤの魔力が出現したことを即座に感知した。
眼が持ち込まれたという想定外の出来事であったにも関わらずアジュダヤの魔力を拾い上げたヴリトラが、ヴォイドでは本体を感知することが叶わなかった。
我々が潜入したトロイアコートや滞在したゼロの領域と、アジュダヤが囚われている場との間に、竜の魔力を感知することが叶わぬほどの物理的な距離があったのか。
ヴリトラの感覚では、ラザハンからラピス・マナリスまでを確実に感知可能な「この辺り」に含められる距離と考えることができる。
ルビカンテが散る間際に相棒とゼロに語った「アジュダヤはゴルベーザと共に月にいる」との情報がブラフではなかったのだとすれば、距離により感知が不可能だったと解釈することができよう。
あるいは、魔大陸を覆っていた魔法障壁のような竜の魔力を遮る何かに、アジュダヤの身が包まれているのだろうか。
魔法障壁を突破して魔大陸に降り立つまでティアマットの魔力を感知できなかったことを思えば、そのような状況も十二分に考えられる。
いずれにせよ、片眼を奪われてしまっている事実から導き出せるアジュダヤの現状は、ゴルベーザに圧倒され、今なお囚われ続けているものだと認識せねばなるまい。
かつて自らが竜の眼の魔力を行使し、ドラゴンズエアリーでニーズヘッグの動きを封じたように。
彼我のどちらで次の戦いの火蓋が切られるかは分からないが、こちらの目的はアジュダヤの救出であるのだから、新たなヴォイドゲートをヤ・シュトラが開くかゴルベーザがこじ開けてくるかのどちらにせよ、我々はヴォイドへ再び乗り込むこととなる。
その際、ここまでで駒を全て使い果たしているゴルベーザは、アジュダヤを手駒として使ってくる可能性もあるだろう。
敵対する妖異に竜の魔力を与え四天王に仕立て上げた行為がアジュダヤの意思によるものだとは考えられない以上、アジュダヤはゴルベーザの呪縛により操られてしまっていることも想定しておかねばならない。
かつて自らがニーズヘッグの呪縛により、イシュガルドに槍と牙を向けてしまったように。
そうなってしまった場合はおそらく、雲廊での戦いのような死闘となる。
しかしあのときとは違い、対峙する相手は救うべき者……。
──否。あのときと同じだ。
エスティニアンは脳裏に思い描いたイメージを直後に覆すと、抜けるような青空を見上げてニヤリと笑った。
あのとき雲廊で相棒とアルフィノは、ニーズヘッグと内に囚われていた自らを、討滅対象としてではなく救うべき者として位置付け、その意志を貫いてみせたではないか。
無論、牙を剥いてくる相手を救うべく立ち回ることは容易ではなく、来るべき戦いに雲廊の戦いを重ねて考えるべきではない。
しかし、これは呪縛からの切り離しが成功した例であり、参考資料として提示することのできる実績なのだ。
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