エスティニアンからの手紙

 石の家を一歩出ると途端に、全身が酒場特有の喧噪に包み込まれた。
 施設名の由来となっているであろう石造りの建物の見事なまでの防音効果には、出入りをするたびに感心させられる。
 エスティニアンは後ろ手で扉を閉めながらそのようなことを考えるとセブンスヘブンの出入口と正対する形で店内を見回し、直後に一点を見つめて微かに口角を上げてからカウンターへと向かった。

「非番で羽を伸ばしているところをすまない。こいつと引き換えに、お前の時間を少しばかり貰っても構わんか?」

 エスティニアンは調理場寄りの窓際にある四人掛けのテーブル席へと歩み寄り、そこに一人佇むエレゼン族の女の前へ一本のワインと二つのグラスを置きながら問い掛ける。
 その呼び掛けに応じ振り向いた女は、予期せぬ来訪者の姿を草色の瞳に映すと驚きの表情を見せ、直後に微笑んだ。
「蒼の竜騎士殿が私の時間をご所望とは……。勿論、構わないどころか大歓迎だよ」
「その呼び方は勘弁してくれ、エフェミ。随分と前に称号は返上したのでな」
 エフェミが指し示した席へと苦笑をしながら腰を下ろしたエスティニアンは、持参したワインをグラスに注ぐと彼女の前に差し出した。
「そうだったのか。とはいえ、パガルザンではウルダハの兵士たちに戦いぶりを称号と共に絶賛されていたんだろう? アルフィノが得意満面で話してくれたよ」
「アルフィノの奴、そんなことを吹聴していたとは……」
 エスティニアンは深々とため息を吐きながら自らのグラスへとワインを注ぎ、グラスを軽く掲げると、エフェミからのリアクションを待たずに唇を潤した。
「パガルザンにしろカルテノー平原にしろ、実際に活躍をした話なんだから構わないじゃないか。アルフィノから聞かされずとも、ここに居ればいずれ、同じ情報が自然と耳に入るってものさ」
「だが、そのような情報はここに至る道中で、やたらと尾ひれ背ひれが付けられてしまうのだろう?」
「ははっ。英雄譚とは、誰のものでもだいたいそんなことだろうと思っているよ」
 笑いながら応じたエフェミは、ようやくグラスを手に取ってエスティニアンに返礼をするとワインを口にした。

「で? このワインは差し詰め、前払いの報酬といった位置付けなのだろう?」
 含んだワインを口の中でゆっくりと転がして存分に風味を堪能したエフェミは、チラリとエスティニアンに視線を送りながら胸中にわき上がっていた疑問を吐き出した。
「フッ、勘が良いな」
 薄く笑いながら頷いて肯定をするエスティニアンを瞳に映したエフェミは、苦笑をしながらグラスを目の前に掲げると、中に残るワインをくるくると回した。
「あんたと頻繁に顔を合わせる状況になったとはいえ、誘われる理由が私には無い。そして、あんたはこういうことで馴れ合いをするような人ではないはずだ」
 続けてエフェミが語った推察を受け、エスティニアンは改めて頷く。
「いかんせん、石の家では金庫番の目と耳が厄介でな。なので、お前がここに居る時を狙わせて貰ったというわけだ」
「なるほど……。しかし、彼女に知られたくないことを私が知ってしまうのは構わないのか?」
 既に何かがあると知ってしまったわけだけども、と、おどけた仕草を見せながら問い返すエフェミに、エスティニアンはニヤリと笑いながらワインボトルを指差し、話を続けた。
「コイツには口止め料の役割も盛り込んでいるつもりだ。そして、これは俺の勘なのだが……」
 エスティニアンは、話の展開を図りかねて首を傾げているエフェミを見ながら自らのグラスを傾ける。
「お前は、宮仕えの経験があるだろう?」
「……よくわかったね。その通り。私は元双蛇党員だよ」
 想定外の問いに驚き、即座に肯定をしたエフェミを見て、エスティニアンは再び口角を上げた。
「やはりな。国は違えど、立ち居振る舞いからはある程度の共通点が感じ取れるものだ。そんな者に頼んだ方が、商人や傭兵あがりの奴よりは足元を見られる可能性が低かろう、と考えたのが、お前に目を付けた理由さ」
 そう言いながら再びグラスを傾けるエスティニアンに向けて、エフェミは満足げな笑みを返した。
「イシュガルドの英雄殿からそのように見立てて貰えたとは、身に余る光栄ってやつだ」
「その呼び方もやめてもらいたいのだが」
「こちらは称号ではなく私の主観だからね。とはいえ、嫌がられてしまうと分かったからには、今後あんたに向けて口にするのは慎んでおこう」
「ああ、そうしてくれ」
 ゆっくりと安堵の息を吐きながら応じるエスティニアンを見て、エフェミは再びワインを口にする。
「しかし私にとってこいつは、報酬と口止め料としてはあまりに法外だよ」
「そこは気にせずともいい。この手のものの相場が俺には今一つ分からんのでな。では、本題といこう」
 エスティニアンは懐から封書を取り出すと、エフェミの前に差し出した。
「これを、金庫番には気付かれない形で相棒へ渡してくれ。ただし……」
「ただし?」
 首を傾げるエフェミの前に、懐から取り出した手帳を広げて暦を指差しながらエスティニアンは話を続けた。
「刻限付きだ。この日まであいつが石の家に顔を出さなかった場合、渡す必要はない。コイツは焼却処分して、何ごとも無かったかのように振る舞ってくれ」
「……捨てろだって?」
 驚きのあまり丸くなった目でエスティニアンを見つめ返したエフェミは、手に取った封書を改めて見直すと、その目をゆっくりと伏せてから微笑を浮かべた。
「その理由を知りたくもあるけれど……。報酬と天秤にかけて、ここは呑み込んでおくべきなのだろうね。わかった。預からせてもらうよ」
「見立て通りに、殊勝な心掛けを持ち合わせているな」
 満足げな表情を浮かべながらエスティニアンはエフェミのグラスにワインを注ぎ足し、次いで自らのグラスを満たすと一気に飲み干した。

「ああ、そうだ。無事に渡せた場合、あいつが許すのであれば内容を訊いても構わんぞ」
「待ってくれ。これは、密書なのだろう?」
 再び目を丸くしたエフェミを見て、エスティニアンはニヤリと笑う。
「密書と言われれば確かにそうなのだろうが、それ自体を見られたとて特に問題はないのさ」
「なんだい、そりゃ? 私はてっきり、恋文の類なのかと」
 エスティニアンにとっては突飛な形でしかないエフェミの返答に、彼はたまらず軽く噴き出した。
「俺がそんなものを書くとでも?」
「そうは思えないから不思議だと考えているんだよ」
「ならばその疑問を、いっときの娯楽に置き換えでもしておいてくれ」
「ふふっ、それは面白いね」

 これ以上探るべきではないと判断したのか、エフェミは封書を懐に納めるとエスティニアンに視線を送りながら微笑み、そしてワインを口にする。
 そんなエフェミの行動を終止符と解釈したエスティニアンは席を立ち、自らの手で改めて終止符を打った。
「では、よろしく頼む」
 短く告げて店を出てゆくエスティニアンの後ろ姿を見届けたエフェミは、懐から封書を取り出すと頭上に掲げ、改めて裏表をくまなく見直した。

 封書には宛名も差出人名も無く、唯一、差出人の手掛かりとなりそうなものは封蝋印。
 エスティニアンの相棒──光の戦士は、この封蝋印が彼のものであると知っているのだろうか。
 そんな諸々の疑問は、封書が彼女の手に渡らなければ謎のままだ。

「英雄が英雄に宛てた謎の手紙……か。それを託されるだなんて、最高じゃないか」

 エフェミはセブンスヘブンの片隅で異邦の詩人が吟じる英雄譚を喧噪の中から長耳で拾いつつ、微笑みながら呟いて封書を再び懐に納める。
 そしてボトルに残るワインをグラスに注ぎ眼前に掲げると、揺らめくグラスの中の紅色を感慨深げに見つめ続けながら、指定された日までに冒険者が石の家を訪れることを祈った。
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