シャングリラ

 ここは故郷というよりは古巣とでも呼ぶべきだろうか。
 国家の体制が変われば同じ建物を見ても随分と印象が変わるものだ、と、久方振りにイシュガルドを訪れたエスティニアンは、眼前にそびえ立つ荘厳な建造物を見上げながら、そのようなことをしみじみと考えていた。

 イシュガルド教皇庁。

 かつてその建造物は絶対権力者の宮殿として、また、政治の中枢部として、大多数の者には立ち入ること自体が厳しく制限をされていた。
 そして建国から竜詩戦争が終結するまでは、様々な策謀が編み出されていた場でもあった。

 竜詩戦争終結後、国家が神権政治による王制から議会を有する共和制へと変革を遂げたことで政教が分離され、教皇庁は純粋にイシュガルド正教の総本山としての役割を担わされることとなった。
 そして現在、その聖堂内の一部が歴史史料館として整備をされたことでイシュガルド随一の観光地となり、その門戸は国内外から訪れる全ての者に開かれていた。

 教皇庁をこうまで変貌させ、観光客の足を途絶えさせないこととなった大きな原因は、国が共和制となったことの他には、竜詩戦争の終結を見届けたエドモン・ド・フォルタン伯爵の著作『蒼天のイシュガルド』が挙げられる。

 かの名著は出版されるや国内外で老若男女を問わず多くの読者の心を掴み、その想いを山の都へと導き、そして数多の歴史研究家を生み出す源となった。
 歴史研究を生業や学問とする者や、趣味として嗜む者。
 読者それぞれで探求の熱量に差こそあれ、この一冊がイシュガルド史を議論研究する場の裾野を拡げたという点については、微塵も疑う余地がない。

 ──その初版本は現在、書籍ではなく骨董品として扱われている。

 アバラシア山脈から吹き寄せる風に白銀の髪をなびかせ教皇庁を感慨深げに見上げ続ける男を、最後の蒼の竜騎士エスティニアンと認識できる人は、既にここにはいない。
 竜詩戦争時代には邪竜と呼ばれていた七大天竜の一翼・ニーズヘッグと一時融合をしてしまい、仲間たちの手によって人の側へと引き戻された彼の身は、外見こそ融合前と変わらぬものであったのだが、その内側には竜の属性が色濃く残されてしまっていた。
 自身が人の理を外れ、竜と同様に万年を生きてしまうであろう身と化していたことをエスティニアンが自覚し、悠久の時を覚悟せざるを得ない事態に陥ったのは、竜詩戦争時代に神殿騎士団の総長を務め、戦後は貴族院の初代議長に据えられた友の頭髪がすっかり白くなった時だった。


「どうやら最後の蒼の竜騎士には、この先のイシュガルドを見守るという任務が与えられたようだな」
 相も変わらずバーチシロップが多めに入れられた紅茶を啜りながら、友は苦笑をした。
「蒼の竜騎士の称号は、病室で返上をしただろう。耄碌したか?」
「忘れるものか。だから「最後の蒼の竜騎士」と言っているんだ」
「……チッ。戯れ言を抜かすな」

 舌打ちをした後に睨み付け、そして口角を上げる。
 いつの頃からか、エスティニアンが極めて親しい相手にのみ意図的に見せるようになった、その悪戯めいた一連の仕草を、友は昔と変わらず満足げに受け止めた。

「何の因果か……いや、原因には心当たりがあり過ぎだが、ともあれ俺はこの有り様だ。ここに定住する訳にはいかんが、時々様子を見に来てやるさ。心配するな」

 友と、そう約束をした。
 それも遠い昔の出来事だ。


 久方振りに教皇庁の外観を気の済むまで眺めたエスティニアンは観光客の流れに紛れ、教皇庁内の歴史史料館に陳列された様々な展示史料を見物することにした。
 展示は国の礎となった聖堂の創建時から始まり、トールダンやハルドラスによる建国と竜詩戦争勃発の真相、そして十二騎士の功罪。
 竜詩戦争時代にイシュガルド正教の宗教画として創作をされた絵画や、それに纏わる各種の伝承は、偽りの歴史を彩った史料として紹介がなされていた。
 そして竜詩戦争末期から終戦までの時期。
 史料館を訪れる『蒼天のイシュガルド』の愛読者たちが年表上で最も注目をする、エスティニアンが蒼の竜騎士となり、その後知り合った仲間たちと共に駆け抜けた時代についても、イシュガルドの国内情勢から関わったドラゴン族に関連する様々な事柄に至るまでが、正確に、余すところ無く紹介をなされていた。
 あくまでも淡々と、粛々と。
 その展示のされ方からは、担当をしたアーキビストやキュレーターの力量と矜持を窺い知ることができる。

 ──良い展示だ。

 斜に構えることが常で、口を開けば皮肉混じりの発言が多いエスティニアンだが、竜詩戦争を終結へと導いた仲間たちと自らの刻んだ足跡が、英雄譚の如く無駄な讚美を纏わされることなく、単に事実のみを知らしめる形で紹介をされていた点に、素直に好感を抱いていた。


 イシュガルドの歴史を語る上で四大名家と各騎士団については欠かすことができず、その展示項目の中には当然、竜騎士団も含まれていた。
 竜騎士団員選抜の為の苛烈を極めた様々な試練についてや、晴れて竜騎士となった先で彼らを待ち受けていたのが、常に最前線へと送り込まれる使命を帯び、極めて高い損耗率という薄氷の上に立たされ続ける日々であったことなどが紹介されており、観覧者の中からは次々と驚愕のざわめきが沸き上がる。
 それは彼らが知る現在の、竜と共に空を翔る竜騎士とは対極に位置する、対竜戦闘に特化をした存在であったが為か、と、人々のざわめきの中にあって一人、エスティニアンは苦笑をした。

 竜騎士団の解説から、その筆頭竜騎士として代々選ばれる蒼の竜騎士の解説へと観覧が移行をすると、人々の驚愕の度合いは更に高まってゆく。

『蒼の竜騎士とは、竜騎士の資格を得た者の中で最も強く賢い者が、イシュガルドの秘宝・宝珠として扱われていたニーズヘッグの眼球・竜の眼から魔力を引き出して、竜さながらに戦った存在である』

 という情報を、ここに至るまでに文献で予備知識として備えていてもなお、果たしてそのようなことが可能だったのだろうか? や、そこまでのことをして力を得なければならなかった時代だったのだ、という、想像の域を遥かに凌駕し、ただ畏怖のみに感情が支配されてしまう段階へと突入する。
 そんな彼らの感情が頂点に到達をするのは、決まって最後の展示物の前だった。

 最後の展示物として見学経路の最終地点に据えられたもの。
 それは、竜詩戦争の終結を以ってイシュガルド史上最後の蒼の竜騎士となったエスティニアンが、奇跡の生還を果たした時まで身に着けていたとされる竜騎士鎧である。

 皆、一様に言葉を失い、ある者は瞬きをすることすらも忘れただ一点のみを見つめ呆然と立ち尽くし、後続の観覧者や係員に促されることによってようやく正気に戻り、後ろ髪を引かれつつも出口へと向かう。
 この場では、そんな光景が日々繰り返されていた。

 漆黒の仕立てが制式とされているはずの蒼の竜騎士の鎧が何故赤いのか。
 兜の左角を破損せしめるまでの戦闘とは、どれほどのものだったのか。
 鎧の左肩と右腕に絡み付いた、今なお生々しく見える禍々しい異物は何なのか。

 それらについては全て、フォルタン伯爵の著作資料となった手記や終戦直後に関係者に聞き取り調査をして作成された資料に基づき可能な限り詳しく解説がなされてはいたのだが、それでも実物を目の当たりにした観覧者の衝撃は計り知れないもののようだった。

 歴史史料館の主役展示物をしっかりと目に焼き付けて帰ろう、と、可能な限り鎧の間近に寄る観覧者たちの列からエスティニアンは離れ、広間の壁際から群集越しに、歴史史料と化した自らの竜騎士鎧を複雑な面持ちで見上げていた。

「気に入らん。よりによってここに飾っておいて、このザマか」

 突如湧き上がった激情に駆られてか、エスティニアンはその一言を脳裏にのみ留めることができず、つい口走ってしまった。
 エスティニアンが観覧者からは離れた壁際に陣取っていた為、彼らの耳には届かずに済んだであろうその一言は、同じく壁際の、エスティニアンからほんの少し離れた場に立ち、展示物と観覧者を静かに見守っていた史料館の職員の耳にのみは届いてしまっていた。

「貴方は、不思議なご感想を抱かれるのですね」

 不意に語り掛けてきた声の主の姿を検めたエスティニアンは、その顔を見た途端に驚きの表情となって言葉を失う。
「どうなさいましたか? 私の顔に、何か?」
「いや、すまない。そうではなく……」
 やや首をかしげ、穏やかな笑みを浮かべながら更に声を掛けてきた職員に向けて咄嗟に詫びの一言を入れたエスティニアンは、改めて職員の顔をまじまじと見直し、しばらく考え込む素振りを見せてから意を決したように質問を返した。

「……貴方は、フォルタン家の血筋の方か?」

 これはハイデリンの悪戯なのか。
 エスティニアンに声を掛けた歴史史料館の職員は、黒髪であることを除いて、オルシュファン卿と瓜二つであったのだ。

 初対面の相手に突然出自を、しかも家の名を出されながら問われるという、あり得ない事態に見舞われた職員は、当然のことながら困惑を隠せない表情となった。
「はい。傍系となりますが、我が家の祖は確かにフォルタン家です。貴方は何故、私の顔を見ただけでそう思われたのでしょうか」

 さて、どうしたものか。
 この時代にまさか、オルシュファン卿その人と親交があったから見知っている顔だった、などと言うわけにもいくまいし。

 そうエスティニアンは思案をし、暫しの後、もっともらしい理由にできる事柄を思い出すことができた。
「貴方の雰囲気が、以前に見たオルシュファン卿の肖像画と似ていたもので」

 オルシュファン卿の肖像画は竜詩戦争後、武器商人ロウェナの手によって星の数と言ってもいい程に複製をされ、エオルゼア中に拡散したという経緯がある。
 この時代にあっても、そのうちの一枚に偶然遭遇する可能性は低くはない。
「なるほど、そうだったのですね」
 職員は納得できたような面持ちでそう返し、それを受けたエスティニアンは密かに胸を撫で下ろした。

「先ほど申し上げました通り、私は僅かではありますがフォルタン家の血を受け継いでおります。その血が騒ぐのか、あるいは先祖の著作を愛読書としているからか、学生時代より歴史史料の研究に勤しみ、それが高じてここのアーキビストを職として選びました。勤め始めてまだ数年しか経っていない若輩者ではありますが、ここの展示をより良いものとしたいという思いは、人一倍抱いていると自負をしております。その一心から、先ほどのお言葉の真意を伺いたく思い、失礼ながらお声掛けをさせていただきました」

 竜騎士鎧を観覧する来館者の邪魔にはならないよう、しかし、エスティニアンにはしっかりと聞き取れるよう、職員は自らの意図することを余すところ無く告げた。

「気に入らん、と言ったことだろうか?」
「いえ。その後の「よりによってここ」というお言葉です。まるで、鎧が展示される前の、この場の状態をご存知であるかのように受け取れたのですが?」

 ──彼がオルシュファン卿と瓜二つなのは見た目だけではなく、その観察力や洞察力までもだったか。

 エスティニアンは眉間に皺を寄せ、出かかった舌打ちを寸でのところで呑み込みながら、そう思った。
 
 策を講じる機会自体が無かった状態ではあるが、万策尽きた、という面持ちで沈黙を続けるエスティニアンに向けて、職員が切り出した。
「この歴史史料館には、新任の職員が現場に出る前に、とあることの周知を徹底するという伝統があるのです」
「とあること、というと?」
 事ここに至っては沈黙を続けていても致し方ないと覚悟を決めたエスティニアンは、彼の話を聞くことにした。
 そもそも、職員の側から話し掛けてきたのだ。
 人によってはそのまま聞き流していたであろう呟きを拾い上げ、鋭い指摘を差し込んでくるだけの根拠が、彼が今しがた口にした「とあること」にあるのだろう。

「教皇庁の一部を歴史史料館として整備し、そこに収蔵した歴史史料を広く公開する運びとなったのは、貴族院初代議長の遺言書に記されていた指示によるものです」
「アイメリクの遺言書……だと?」
「やはり」
 職員は、何かを確信できたという含みのある一言と共に視線をエスティニアンへと返すと、一呼吸を置いてから再び語り始めた。

「遺言書には、史料館の構成についてが事細かく記されておりました。収蔵すべき品目から解説の文面に至るまで……。職を退かれて以降、晩年の多くの時間を、その編纂に費やされたのだろうと言われております。現場のレイアウトについては専門職に任せる、とのことで、ただひとつを除いて触れられてはおりませんでした。唯一、指定をされていたのが、竜騎士鎧をここに、ということだったのです。なのでこの場は展示の起点であり、終点でもあるのです」
「始まりと終わり……か。なるほどな」
 噛み締めるように一言を呟くエスティニアンに、職員は穏やかで、かつ嬉しそうな視線を送ると話を続けた。
「そして、その遺言書の末尾に記されていた別件が、先刻申し上げました、私どもに周知徹底がなされている事柄です。今に至るまで、この指示をなさった初代議長には失礼ながら、本当にそのようなことがあるのだろうかと半信半疑の状態で胸の内に収めていたのですが」
「……聞かせてくれ」
「はい」
 エスティニアンの言葉に職員は頷いた。

「竜騎士鎧の展示方法に異を唱える人物が現れ、その人物の風貌が人相書きと一致した場合、この場の謂れを問い、解説に追記せよ……と」

「人相書き?」
「はい。まさかこれほどまで一致しているとは思わず驚いたのですが。遺言書に添えられていた人相書きは、暁の賢人アルフィノの筆によるもの、と記されておりました」
「なん……だと……」
 驚くエスティニアンの様子を伺うように職員は一旦言葉を切り、彼を改めて見つめると話を続けた。

「人相書きと酷似したお姿。この場について何やらご存知でいらっしゃるご様子。私の顔を見て驚かれ、次いで家の名を出されたこと。そして、初代議長のファーストネームを何のためらいもなく呼び捨てられたこと。以上の事柄から、確信を持ってお名前をお伺いします。貴方は、エスティニアン殿ご本人様であらせられますね」

 鎧を見る観覧者と同様の呆然とした表情のまま職員の言葉を聞いたエスティニアンは、直後に目を伏せると深く溜め息を吐いて頭を掻き、そして苦笑をしながら呟いた。

「まさか今ここで仕事をさせられるとは思わなかったぞ。アイメリク……アルフィノ……」


 基本的には静粛にしているべき展示フロアで延々と立ち話をするわけにもいかず、エスティニアンは忘れられた騎士亭で職員と待ち合わせる約束をし、歴史史料館──教皇庁を後にした。

 グランド・ホプロンを進み、建国十二騎士像を両手に見ながらラストヴィジルへと至ると、南端に設えられた円形の台座には覚えのあるエーテルを纏った一頭の若いドラゴンが降り立ち、その前にはホーバージョンを装備した数名の若者が並んで打ち合わせをしていた。
 遠巻きに様子を伺ってみれば、どうやら彼らは竜騎士候補生のようで、これから竜の背に乗る訓練が始まるようだ。
 初めての訓練なのか、ガチガチに凝り固まった彼らの後ろ姿を見ているうちにふと悪戯心が首をもたげてしまい、このくらいならば構わないかと、ドラゴン語で語りかけた。

『親父の真似事をしに来たのか? オーン・カイ』
『失礼な。真似事ではなく仕事をしに来たんだ、俺は』

 そう言うなりオーン・カイは咆哮を上げ、予期せず間近でそれを受け止めさせられた候補生たちは堪らずに耳を塞ぐ。
 以前アジムステップでエスティニアンが促して上げさせたものとは比べ物にならない威力の猛々しい咆哮は、雲海を暫しの間こだますると、その底へと吸い込まれていった。

「その人は俺の相棒だ。お前たちの先輩でもあるんだぞ」

 オーン・カイは、今度はヒトの言葉で候補生に向けて語りかけながら楽しそうに笑う。
 名を出さず「その人」と簡単に紹介をしたあたりは、オーン・カイなりにエスティニアンに気を遣っているのだろう。
 候補生たちから武人の脊髄反射とも言える一斉の敬礼を受けたエスティニアンは、片手を上げて軽く返礼をすると、候補生たちには「気を引き締めて頑張ってくれ」とヒトの言葉で、オーン・カイには『またな』とドラゴン語で声を掛けて、その場を後にした。

 ──この先のイシュガルドが、 人と竜が手を携える土地となれることを信じている

 アイメリクがミドガルズオルムにそう語っていたのだと、いつだったか相棒に聞かされた。
 これこそがアイメリクの夢見た、理想のイシュガルドの姿なのだろう。
 聞かされていなければ、この光景と結びつけることはできなかった。
 厄介だと思っていた相棒のお喋り癖も、時には役立つものだ。


 忘れられた騎士亭は以前と変わらず出入口が二ヶ所の構造で、神殿騎士団本部の隣にあった。
 以前と変わったのは、フロアの上下で客層が極端に別れてはいなさそうな点だろうか。
 この店の伝統に則り現在のマスターも負傷兵という経歴を持つのかについては本人に聞いてみなければ判らないが、マスターにとって一見の客にそれを問われては気味が悪いだろうと、エスティニアンは訊ねることを見送った。

 二人で飲むならばカウンターで良かろうと、エスティニアンは二席を確保してカウンターの片隅を陣取り、エールのグラスを傾ける。
 アイメリクとは幾度と無く、相棒とは何度かここで酒を酌み交わしたが、オルシュファン卿とはついぞその機会に恵まれることは無かったな、と、溜め息混じりに回想をした。

「お待たせしました」
 グラスのエールが空になりかけたタイミングで、史料館の職員が到着した。
 史料館内での彼の制服姿もそうであったが、オルシュファン卿と酷似した姿でホーバージョンではないものを身に付けられると、エスティニアンはどうにも違和感を覚えてしまう。
 それだけ、オルシュファン卿が謹厳実直な騎士だったということだ。
「ここに来る途中で偶然、竜の相棒を見掛けてしばらく冷やかしたりしていたもんでな。さほど待ってはいないから気にしないでくれ」
「お心遣い、痛み入ります」
 彼は会釈をするとエスティニアンの隣に座り、直後、二人の前にはエールのグラスが一つずつ差し出された。

「まずは、あの展示場所について……でいいだろうか」

 エスティニアンは、史料館の職員がエールを三口ほど飲み下したのを見届けてから問い掛けた。
 彼にとって、エスティニアンは伝説の英雄のうちの一人だ。
 この時代では、その子孫を訪ねて遺品の手記などを紐解いてもらい、それを学術的な知識とすり合わせて限りなく事実に近付けられたと思える推測、という形でしか新たな情報を得ることが出来ないところを、当の本人の口から直接、完全な事実として聞き取れるという、通常では考えられない事態に見舞われている。
 学生時代から歴史研究に没頭をしていたと語っていた彼のことだ。
 おそらくは、先ほどエスティニアンがラストヴィジルで見た竜騎士候補生たちとは比べものにならない程に緊張をしているだろう。
「は、はい。よろしくお願いします」
 予想通りに緊張を隠せない状態で応じる職員を見遣り、エスティニアンは苦笑をするとエールを一口呑んだ。

「あの場所にはな、元は竜の眼が安置されていたんだ」
「竜の眼……が……」

 職員はエスティニアンを凝視した状態でその一言だけをどうにか呟くと、ゴクリと生唾を飲み込んだ。
「そのことは当然アイ……いや、ここであいつらの名を口走るのは少々まずいか。初代は「奴」、暁は「坊ちゃん」と置き換えて話を続けるぞ」
「坊ちゃん……ですか」
「ああ。坊ちゃんのプロフィールはあんたも知っているだろう? だから坊ちゃんなんだ」
 目を丸くする職員を見ながら、エスティニアンはニヤリと笑う。
 エスティニアンが咄嗟に提示をした二人の代名詞は会話内容を暈す効果の他に、期せずして彼の緊張を僅かばかりではあるが和らげる効果もあったようだ。

「俺が最初に気に入らんと言ったのは、最後の展示に至るまでの解説が完璧だったにも関わらず、あの場では鎧の解説のみで、場所そのものについての解説が一切無かったからだ。父祖たちの手によって竜の眼が宝珠としてあの場に置かれたことで、そこから様々な歴史が生み出される結果となった。言わば、あの場はこの国の歴史の源泉だ。よりによってそのことを語らずして、だだっ広いあのフロアの形状が展示品の最後を飾る鎧の単独展示に適しているという理由で選んだのか? と思ってな」

 エスティニアンが静かに熱く語る事の真相を、職員は黙って頷きながら手帳に書きとめていた。

「だが、手落ちに見えたそれら全てが、奴の指示に基づくものだったってわけだ。奴と俺は長い付き合いでな。何をすれば俺が機嫌を損ねるかということを、悔しいが熟知していやがる。あの場で意図的に竜の眼……ニーズヘッグについてを解説から外し、鎧の説明だけにすることで俺を苛立たせ、他の客とは違う挙動をさせて、あんたたちの目に止まるように仕向けたんだろうよ」
「確かに、お客様の列から外れられた時から、ご機嫌が優れないご様子でしたね」
 そう言いながら職員は堪らずにクスリと笑みを零してしまう。
「やはり、その時から注視されていたんだな。道理で呟きも聞き取られるわけだ」
 そして職員の感想は、エスティニアンの苦笑を誘った。

「更に、記憶力が抜群で絵描きが特技だった坊ちゃん謹製の人相書きを添えることで、奴は保険をかけていたって訳だ。目の前で描かれた記憶は無いから、奴がこの企みを思い付いた時に依頼をして坊ちゃんに描かせたんだろうよ。万が一、展示を見て俺以外で悪態をつく者がいたとしても、人相書きと一致しなければ赤の他人を巻き込まずに済む。全く、用意周到過ぎて開いた口が塞がらん」
 エスティニアンはそう言うと深々と溜め息を吐き、グラスに残るエールを一気に飲み干した。

「奴があの場に鎧を飾れと指示をしたのは、始まりの場に終わりの物を置くべきだと奴も思ったからだ。竜の眼自体は葬ったが、ニーズヘッグのエーテルと融合し互いの姿を何度も行き来したあの鎧は言わば、人が作った鋳型に竜のエーテルを流し込んで象られたニーズヘッグの欠片だ。そして、最後の蒼の竜騎士の欠片でもある」
 グラスを握り締めたまま話に聞き入る職員にエスティニアンは視線を送る。
「おい、そんなにグラスを握り締めてばかりいると、エールがぬるくなってしまうぞ?」
「は、はい」
 促されたことで慌ててエールを煽り、軽くむせ返ってしまった彼を見直したエスティニアンは、くつくつと楽しそうに笑いを零した。

「今言ったように、あれは他の鎧とは違い、エーテルが再結晶をしたようなものだ。あの場に居合わせた見物人を観察してみたところ特に影響は無かったようだが、稀にエーテル酔いを発症する見物人がいるかもしれん。あの場で体調を崩す者が出たら、エーテル酔いの可能性も考慮して応急処置をするといいだろう」
「わかりました。隣接する部屋を医務室として整備するように致します」
 真剣な表情で頷き手帳に書き記す職員を見て、エスティニアンは頷くと話を続けた。
「あの場については、だいたいそんな感じだ。俺のことは伏せて、うまいこと追記をしておいてくれ」
「ありがとうございます。お任せ下さい!」
 職員は存分にペンを走らせ情報を吸い込ませた手帳を閉じるとエスティニアンに向き直り、右手で拳を握り締めて応えた。

「で、折角こうして知り合えたわけだ。他に、俺に聞きたいことはあるか?」
「えっ……よろしいのですか!?」
 歴史研究者としての興味が溢れかえって既に吹き零れるような状態なのだろう。
 その身に程よく酒が廻っていることもあってか、彼は明らかにその目の色を変え、鼻で深呼吸をしてしばらくの間考え込んでから切り出した。

「展示品目に含まれた絵画の中に、ニーズヘッグの頭上に立ち、抉った片眼を高々と掲げる姿の竜騎士が描かれた作品がございます。歴史上、ニーズヘッグの眼を抉るに至った蒼の竜騎士は二人であり、あの絵に描かれた人物が征竜将ハルドラスなのか、最後の蒼の竜騎士エスティニアンなのか、研究者の間で意見が分かれております。何かご存知のことがございましたら、是非ともお聞かせ下さい」

「……ああ、あの絵か」
 エスティニアンは短く応えてカウンターの端に片腕を預け、彼の側にやや上半身を捩ってから話を続けた。
「俺は現役時代、任務のことしか頭に無くてな。実は、あの絵は今回初めて見た形になる。なので悪いが、俺が成し遂げるよりも前にあの絵が存在していたか否かについては、分からんとしか言えんのだ」
「そうでしたか……」
 期待した結論を得ることができず目に見えて意気消沈をする彼を見て、エスティニアンは苦笑をする。
「だが、あの絵の考察材料として扱えるかもしれん情報なら、いくつか出せるぞ」
「本当ですか!」
「ああ。ひとつは鎧の色だ。ハルドラスは白銀。俺は黒で、左角が折れて以降は赤になる」
「なんと……! ハルドラスの鎧の色をご存知だとは、驚きです」
 彼の表情からは先程の陰りがすっかり取り払われ、見開いた目は既に探究心でぎらついていた。
「鎧の色は俺の相棒……光の戦士が、棺に納められたハルドラスの姿を実際に見てのことなので、間違いは無い」
「なるほど! ありがとうございます」
「次に、俺がニーズヘッグから抉った眼が実際はフレースヴェルグから貸与された眼であったことは、神殿騎士団に報告書を提出しているから知っているな?」
「はい」
「ニーズヘッグの眼の色は赤で、俺が抉った眼は、金色だ」
「金色……」
 ペンを握り締めながら彼はそう呟くと、弾かれたように手帳へ情報を刻み込んだ。

「最後に、クルザス西部に伝わる伝承は知っているか?」
 エスティニアンの質問を受けた史料館の職員は天井を仰ぎ、記憶の中からそれを手繰り寄せた。
「竜王叫びて北天に凶星輝きしとき、赤き鎧まといし者現れ、世界を焼き尽くさん……というものですね」
「そうだ」
 エスティニアンはゆっくりと頷くと、話を続けた。
「赤き鎧という表現と、俺がニーズヘッグに囚われてから終戦に至るまでの実際のニーズヘッグの立ち回りとを照らし合わせて、その伝承が今は、竜詩戦争末期の光景を詠ったものと解釈する向きがあるだろう?」
「はい。そう結論付けられていますね」
「あの伝承はな、俺の鎧が黒い時には既にあったものなんだ」

 職員の手からペンが滑り落ち、カラン、と音を立ててから背後に転がってゆく。
 慌てて席を立ち、ペンを拾って座り直した彼の表情は、茫然自失を絵に描いたような状態だった。

「随分と驚かせてしまったようだが、今話をした事柄は全て事実だ。それを元に研究をする時間は、あんたにはたっぷりあるだろう?」
「はい……そうですね、はい。ありがとうございます、頑張ります!」
「フッ、いい返事だ」
 エスティニアンは薄く笑いながらそう言うと、激励のつもりで彼の背に一発、平手をお見舞いした。

「うわっ!!」

 エスティニアンの腕力で不意に背を叩かれた職員は、そのあまりの威力に悲鳴を上げてから悶絶をした後しばらくの間カウンターに突っ伏して身動きが取れなくなり、痛みが治まるまでかなりの時間を要する事態に陥ってしまった。
 エスティニアンとマスターが何やらやりとりをしている様子をおぼろげに耳で拾い、ようやく姿勢を正せるようになって顔を上げた彼の視界に飛び込んできたのは、一本の酒のボトルと、三つ並べられた空のグラスだった。

「済まなかったな。久方振りに人に逢ったもんで、少々力加減を違えたようだ」

 詫びの言葉を口にしながらもエスティニアンの声音と表情に悪びれた様子は微塵もない。
 蒼の竜騎士である上にニーズヘッグと融合し、その後分かたれたことで、常人とは比べ物にならない程の力がエスティニアンの内には秘められているのだろう。
 常人の、しかも武人ですらない自分が打撲程度で済んだのは幸いと言うべきで……いや、この時代にあって救国の英雄本人に直接叩かれるなど、イシュガルド史を探求する身には、これをハルオーネからの褒美と言わずして何と表現すれば良いのだろうか。
 背に痣が残ろうものなら、それは勲章にも等しいのではないか。

 職員の脳裏を様々な思いが駆け巡り、性癖を刺激され尽くした結果、彼は無意識に薄ら笑いを零してしまっていた。
 そんな彼の姿を間近で見ることとなったエスティニアンは、彼がオルシュファン卿と瓜二つなのは見た目だけではなかったなと、改めて思い知らされていた。
「……大丈夫か?」
「はい。貴方の人となりを身を以て知ることができて、私はこの上なく嬉しいのです」
「そうか、それは何よりだ。ところで、まだ呑めるか?」
 エスティニアンがそう言いながら指し示したボトルとグラスを改めて見て、彼は再び探求者の顔に戻る。
「……これは、何か謂れがあるものですか?」
「さすが、察しがいいな」
 エスティニアンは彼を見つめてからボトルを開け、三つのグラスに注ぐと、彼の側と自分の側に一つずつ、残りの一つをカウンターの奥に置いて正三角形を描く。
「まずは、味わってくれ」
 そう言ってエスティニアンはグラスを持ち、彼ではなく奥に置いたグラスの向こう側に向けて乾杯の仕草を見せた。
 それを目の当たりにした職員は、首を傾げながらもエスティニアンの真似をして奥のグラスに向けて乾杯をし、そして一気に飲み干した。
「……イイ呑みっぷりだ」
 エスティニアンはそう言いながら自身のグラスを干し、カウンターに置くと語り始めた。

「この酒は、俺の相棒がオルシュファン卿に捧げた銘柄でな。オルシュファン卿があいつを護って命を散らした一年後、ここであいつとこうしてグラスを三つ並べ、改めて冥福を祈った。そのことをあんたに知って貰いたくなって、ここで待ち合わせをさせてもらったというわけだ」
「そんな……そのような、謂れが……」

 小刻みに震える職員の両手に抱え込まれたグラスの底がカウンターに打ちつけられることによって発する音が、二人の間にカタカタと漂う。
 エスティニアンは言葉を失ったままの職員の様子を横目で伺うと、その目を細めた。
「あんたに声を掛けられて、本当に良かったと思っている。他の職員があの場を担当していた可能性もあるんだろう? イシュガルド人の癖に信仰心など碌に持ち合わせてはいない俺だが、今日ばかりは天の采配に感謝をせねばならん」
「私などに……勿体ない、お言葉です」
 未だ震えが治まらず、今にも泣き出しそうなか細い声で応じる彼に、エスティニアンは改めて向き直りながら話を続けた。
「俺を俺と認識して話し相手になってくれた、あんたに頼みたいことがある。生憎、俺にはできそうもないことでな」

 最後の蒼の竜騎士にはできず、自分にできることなどあるのだろうか。
 エスティニアンの言葉に史料館の職員は首を傾げながら顔を上げると、やっとのことで応じる。
「どのようなことでしょうか」
 その返事を聞いたエスティニアンは、彼のグラスに今一度酒を注いでから話を続けた。

「あんたが遠い未来で召された時、この酒の味をオルシュファン卿に知らせてほしい」

 エスティニアンはさらりと口走りながら自らのグラスにも酒を注ぎ、呆然と見つめ返す職員に向けてグラスを掲げる。
「どうした? 無理難題だとでも言うのか?」
「あ……いえ! 大丈夫です。はい、お任せ下さい!」
 彼がようやく明るい表情となり自らのグラスを掲げて乾杯に応じる姿を見届けたエスティニアンは、満足げに口角を上げてからその手の中のグラスを傾けた。

「……ああ、そうだ。もうひとつ」
 エスティニアンは何かを思い出したような一言を漏らすとグラスを持ったまま天井を仰ぎ、その目を伏せてから話を続けた。
「超過勤務手当の申請書をよこせと、奴に伝えてくれ」

    ~ 完 ~

   初出/2018年8月9日 pixiv
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