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全てを抱く風

「ほう。汝らがこしらえたその菓子を、彼方にある翼が眼に焼き付け食したことで、再び風をその身に纏い、故郷の高き霊峰へと想いを馳せるに至らしめたと……。それは何よりの報せであるな」

 冒険者の報告を聞きながらドラゴンスター・オ・マロンを見つめたヴィゾーヴニルは、満足げに感想を述べた。
「その竜は、あなたに希望を繋いでもらえたという感謝の言葉も口にしていたの。伝言を頼まれてはいないけど、私はお節介な性分だから、伝えずにはいられなくて」
 そう言いながら屈託なく笑う冒険者の隣で、エスティニアンが堪らずにくつくつと笑い始めた。
「あと、叶わぬ願いと言ってはいたけれど、ヴィゾーヴニル、あなたに逢うことができたらいい、とも。竜同士だからいつか逢うことは叶うかもしれないけど、それを私が見届けることができるとは限らないから、とりあえず伝えておくわ」
「あいわかった。汝の心意気とともに、この胸へと刻みつけておこうぞ」
 そんなヴィゾーヴニルの返答を、冒険者は微笑みながら受け止める。

「して、その妙なる菓子を吾輩も賞味したく思うてはいるのだがな。いかんせん、吾輩の爪や牙では、美しき峰を崩さず口へと運ぶことが叶わぬ。汝の手を煩わせてしまうが、峰の片方を吾輩の舌に載せてはくれぬか」

 若干の戸惑いを帯びたヴィゾーヴニルの申し出に冒険者とエスティニアンは揃って驚き、顔を見合わせた後に微笑みを交わした。
「わかったわ。こちらの、少し高い側でいいかしら?」
 チョコレートで作られた大きな翼が頂上に据えられたケーキを冒険者が指し示し、それを見届けたヴィゾーヴニルは微かに頷いた後、頭を床に近付けてからゆっくりと口を開いた。
 冒険者はそれまで床に置かれていたトレイをエスティニアンに預けると、指定された側のケーキを両手で慎重に持ち上げて運び、ヴィゾーヴニルの願いを叶えた。

「どうぞ、召し上がれ」

 冒険者の言葉に促されたヴィゾーヴニルは平素の姿勢に戻り、しばらくの間沈黙をしてから口を開いた。

「……ふうむ。やはり吾輩には小さすぎたのであろう。甘味がほのかに感じられはしたものの、淡雪が如くに消えてしもうた」
「まぁ、そこは致し方あるまい。こいつはどう見てもヒトが食べる大きさだからな」
 ヴィゾーヴニルの言葉に同意しながら苦笑をするエスティニアンを見て、冒険者もまた苦笑をする。
「味もこだわってはいるけれど、今回は見た目を美しく整えることに重きを置いたの。ケーキは焼いて作るものだから、私たちの技術ではあまり大きくできないという事情もあるし。今後ドラゴン族に向けて作るメニューの課題は大きさだってスティグマ・フォーが言っていたから、彼らの技術を駆使すれば、将来的にはバスタブくらいの大きさのケーキが作れるようになるかもしれないわ」
「この菓子はまこと、かの地の竜を癒すに足るものであったのだ。成した幸いの大きさに比べれば、吾輩の興味など塵芥に過ぎぬ。しかし……」
 ヴィゾーヴニルは先ほどからトレイを持ったままのエスティニアンを見つめると、話を続けた。
「菓子作りに行き詰まり、吾輩を訪うた一団の中に汝はおらなんだ。つまりは汝も吾輩と同様、この菓子の味を知らぬであろう? それに残る一峰を食し、風味についてを忌憚なく語って聞かせてはくれぬか」
「……俺が?」
 全く想定していなかった展開にエスティニアンが驚き問い返すと、ヴィゾーヴニルは更に話を続けた。
「汝はヴリトラと、かの地に棲まうヒトとの関係を確固たるものにした立役者であると聞き及んでおるぞ。吾輩の望みを聞く程度、造作もなかろう?」
 呆然とし、トレイを持ったまま立ち尽くすエスティニアンを改めて見た冒険者は、にんまりと笑みを浮かべてからトレイに両手をかけた。

「私も感想を聞きたいわ。これを作った二人に話せば、今後の参考にしてもらえるから」
「お、おう……」

 リア・ターラの竜への更なる癒しになるだろう、との冒険者の一言でエスティニアンは完全に退路を断たれた形となり、彼女に奪い取られたトレイの上にあるドラゴンスター・オ・マロンの残りを見つめる。
 そしてヴィゾーヴニルには使われることのなかったデザートナイフとフォークを手に取り、切り分けた一口分を静かに口へと運んだ。

「甘味のあとにチョコレートが溶けることで、思いのほか強めの苦味が口の中に広がった。クリームに混ぜられたミントは口に入れる前から香り、砂糖粒のミントは溶けたり砕けたりすることで、後から香ってくる。色とともに、これが風を表しているように思えたな」

 エスティニアンが語る渾身の感想が静寂に包まれた不浄の三塔の中に響き渡り、暫しの後、その内容を十二分に吟味したヴィゾーヴニルが口を開いた。
「斯様に細やかな風味までもが、ヒトの身には感じ取れるものであったか」
 ヴィゾーヴニルは今しがたの言葉を噛みしめるかのように喉の奥から静かな唸りを漂わせた後、父祖が定めた霊峰の頂を天井の先に見遣る。

「甘きは安息を、苦きでは苦難を謳い……。そして全てが涼やかな風に包まれていた、と」

「俺は甘いものを好んで食う質ではないからな。的外れな表現になっているかもしれんが、そこのところは大目に見てくれ」
 困惑と気恥ずかしさを混在させた表情となったエスティニアンが片手で頭を掻きながら言葉を添えると、ヴィゾーヴニルは彼を見据えてからゆっくりと首を横に振る。

「いや、それこそを吾輩は望んだのだ。汝の紡ぐ言の葉を……な」

    ~ 完 ~

   初出/2022年11月4日 pixiv
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