ひと夏の作戦
あのように祭りを楽しんでいた時が、かつて自分にもあったのだ。
リムサ・ロミンサからの定期便が到着するや我先にと船から飛び出し桟橋から紅蓮祭の会場方面へと全力で駆けてゆく子どもたちと、それを苦笑をしながら早足で追う父母の姿をエスティニアンは桟橋の最寄りにある洋上コテージから眺めつつ、自らの幼少期を回想していた。
もっともエスティニアンの場合のそれは乗り物を利用してまでの旅行ではなく、村の広場で開催される収穫祭だった。
見慣れた場であるはずの広場が祭りの日だけは別世界のようになるのが無性に楽しみで、その別世界を一刻も早く見渡したいがために、急ぐなと笑いながら嗜める両親を尻目に全力で駆け出していたのだ。
いつかは自分も、この祭りの飾り付けをして楽しませる側になるのだろう。
最後の収穫祭を満喫した時にはそのように漠然と考えたりもしたが、村の大人たちが作り上げていたささやかな別世界は日常ごと突然焼き払われてしまい、それ以降、エスティニアンは祭りとは縁遠い日々を送ることを余儀なくされた。
強制的に新たな生活の場となった皇都に祭りが全く無かったわけではないが、そんなことに時間を費やすより一回でも多く槍を振るっていた方が良い。
当初は、生き残った自分だけが娯楽を楽しむなど許されることではない、と、少年が自らに課した切実な思いを覆い隠す手段でもあったのだが、それがいつしか、エスティニアンは祭りを始めとした娯楽全てを遠ざける性分なのだ、と、周囲から認識されるものへと変っていた。
長じて神殿騎士団入りをしてからは、周囲にそのように思われるのはエスティニアンにとってむしろ都合の良いこととなり、それは蒼の竜騎士となっても変わることは無かった。
そして、現在に至る。
竜詩戦争が終結した現在は、自分も時に娯楽を楽しんでも良いのだろう。
エーテル界を覗くことができるのならば、両親や弟からそのように言われるのかもしれない。
……と、頭ではわかっていても、行動がどうにも伴わない。
娯楽にやたらと首を突っ込んでみたところで、長年娯楽を遠ざけてきた身には逆にそれがストレスと化してしまうのは自明の理であり、そのことから結局は、およそ祭りと名の付くものには極力近寄らずにいたエスティニアンだった。
そんなエスティニアンとは真逆に、彼の相棒たる光の戦士は娯楽を好む性分だ。
いや。
目新しいことにやたらと首を突っ込みたがる性分と表現をした方が、より正確だろう。
ともあれ娯楽を楽しむこと自体は特に問題となるものではないのだから、単独で好きにしていれば良い、というのが、光の戦士に対するエスティニアンの姿勢であった。
しかし、これが紅蓮祭となると事情がまるで変わってしまう。
エスティニアンは、それまで桟橋に向けていた視線を右方向にチラリと送ってから正面の灯台へと移す。
祭りに極力近寄らないことを旨とするエスティニアンが紅蓮祭に限っては光の戦士よりも先に開催地へと足を踏み入れているという、一見すると奇妙なこの状況には、確固たる理由があった。
今しがた視線を送った側に鎮座する一人の男。
エスティニアンが言うところのスケベジジイこと、コスタ・デル・ソルの地主たるゲゲルジュが光の戦士へと向ける好奇の眼差しが、彼にとっては大問題だったのだ。
今回、あの馬鹿でかい遊戯設備が無い点は良いが、だからといって、この地の「王様」が大人しくしているとは思えない。
祭りに乗じて何をしでかすかは予測が不可能だ。
そう考えながらエスティニアンは溜め息を吐き、往来する船を眺めていることに飽きてきたのか、立ち上がって目の前の海へと釣り糸を垂らす。
自らを魔槍を持つしか能のない男、と称するエスティニアンが釣り竿を持つに至ったのは、リムサ・ロミンサからコスタ・デル・ソルへと向かう直前の出来事が原因だった。
リムサ・ロミンサで鍛冶師ギルドに立ち寄り、ギルドマスターとの話を済ませた後に海路でコスタ・デル・ソルに向かうべく足を運んだ船着場で、このような雑談が偶然エスティニアンの耳に飛び込んできたのだ。
「ロミンサンアンチョビのペーストは酒によく合う」
この話に興味をかき立てられたエスティニアンは乗船を後回しにして発言主を探し出し、それはどこで手に入れられるのかと問うてみた。
発言主はワワラゴというララフェルの男性で、彼の回答は、ロミンサンアンチョビのペーストは店で売られてはいない、というものだった。
それを聞いて微かな落胆の表情を見せたエスティニアンに向けてワワラゴは、ロミンサンアンチョビが誰にでも簡単に釣れる魚なので、皆が余暇を使って自分で釣り、各家庭でペーストを作るものなのだ、との回答を付け加える。
そしてエスティニアンに初心者向けの釣り竿を押し付け、目の前の海で釣れるから試してみろ、と提案をしてきたのだった。
半信半疑かつ見よう見まねでエスティニアンが船着場付近の海に釣り糸を垂らしてみたところ、すぐに青い鱗に被われた小さな魚がかかり、傍らで一部始終を見守っていたワワラゴが、その小魚こそがロミンサンアンチョビなのだと解説を寄越してきた。
あとは作りたい数を釣り、まずは新鮮なうちに骨と内臓を取り除いて塩漬けにしろ、と言われたエスティニアンは再び落胆した表情となり、自分は山育ちなので魚を捌いたことはないと零す。
そんなエスティニアンを見てワワラゴはニヤリと笑い、話を続けた。
「酒の肴に喰い付いてきたチミなら、行きつけの酒場の一つや二つはあるぢやろ? そこの料理人にチップを渡して頼めばええんぢや。あるいは……」
釣り竿に手応えを感じたエスティニアンは、直後に釣り糸を巻き取りながら引き上げ、獲物の姿を確認する。
「なんだ、こいつは?」
首を傾げたエスティニアンの眼前に吊るし上げられもがいている魚は、釣り上げた直後から徐々に形を変え、元々ずんぐりとしていた姿がたちまち風船のように丸くなってしまっていた。
「それはブローフィッシュよ。怒ると身体を膨らませる魚なんだけど、毒があるから食材にはできないわ」
始めたばかりの釣りに集中するあまり、不覚にも背後から声を掛けられることで初めて冒険者の存在に気が付いたエスティニアンは驚きの表情と共に振り返ると、まずは彼女の姿を見て密かに胸を撫で下ろした。
エスティニアンが過去の紅蓮祭で散々注文をつけた結果であるムーンファイアホルターにウェーブサマーパレオという装いで歩み寄り彼の横に立った冒険者は、暴れるブローフィッシュを両手で持ち、話を続ける。
「一応売ることもできるけど、どうする? 逃がしてあげる?」
「素人に釣れるような魚では、どうせ大した額にはならんのだろう? 俺は竿を片付けるので、その間に逃がしてきてやってくれ」
「わかったわ」
冒険者は頷きながら片手で釣り針を摘まみ、それを素早く外すと再び両手で魚を抱え、そして左後方の階段から砂浜へと降りて行った。
「……あるいは、カミさんが彼女にでも頼んでみろ、か」
冒険者が階段を下りて洋上コテージの下をくぐり、先ほど釣り糸を垂らしていた付近の海面に魚を逃がしてやるさまをエスティニアンは見下ろしながら、先ほどワワラゴに言われた言葉を呟き、その目を細めた。
「なるほど、ロミンサンアンチョビのペーストを、ね。それならリングサスさんに訊けば多分、基本的な作り方を教えてもらえるとは思うわ。でも、そもそもここでロミンサンアンチョビは釣れないわよ」
洋上コテージから波打ち際に降りて冒険者と再合流したエスティニアンは、釣りをするに至った理由を彼女に打ち明け、全容を把握した冒険者は返事をし終えた後にクスクスと笑う。
「対岸ならば同じ魚が釣れるのだろうと思っただけだ。リムサ・ロミンサを発つ前に釣れた数匹ならばここにある」
エスティニアンは軽く舌打ちをした後に話を続けると、荷の中から袋を取り出し口を開いて、アイスシャードと共に詰め込まれた魚を彼女に見せた。
「この状態なら、しばらくの間は大丈夫ね。先に紅蓮祭に行ってきてもいいかしら?」
「ああ、行ってこい。ただし……」
「ただし?」
首を傾げる冒険者の前でエスティニアンは、魚の入った袋をしまってから胸前で腕を組み、やや険しい表情となって右上を見上げながら話を続けた。
「あそこでふんぞり返っている野郎に何か注文をつけられたら、その内容を俺に知らせてくれ」
リムサ・ロミンサからの定期便が到着するや我先にと船から飛び出し桟橋から紅蓮祭の会場方面へと全力で駆けてゆく子どもたちと、それを苦笑をしながら早足で追う父母の姿をエスティニアンは桟橋の最寄りにある洋上コテージから眺めつつ、自らの幼少期を回想していた。
もっともエスティニアンの場合のそれは乗り物を利用してまでの旅行ではなく、村の広場で開催される収穫祭だった。
見慣れた場であるはずの広場が祭りの日だけは別世界のようになるのが無性に楽しみで、その別世界を一刻も早く見渡したいがために、急ぐなと笑いながら嗜める両親を尻目に全力で駆け出していたのだ。
いつかは自分も、この祭りの飾り付けをして楽しませる側になるのだろう。
最後の収穫祭を満喫した時にはそのように漠然と考えたりもしたが、村の大人たちが作り上げていたささやかな別世界は日常ごと突然焼き払われてしまい、それ以降、エスティニアンは祭りとは縁遠い日々を送ることを余儀なくされた。
強制的に新たな生活の場となった皇都に祭りが全く無かったわけではないが、そんなことに時間を費やすより一回でも多く槍を振るっていた方が良い。
当初は、生き残った自分だけが娯楽を楽しむなど許されることではない、と、少年が自らに課した切実な思いを覆い隠す手段でもあったのだが、それがいつしか、エスティニアンは祭りを始めとした娯楽全てを遠ざける性分なのだ、と、周囲から認識されるものへと変っていた。
長じて神殿騎士団入りをしてからは、周囲にそのように思われるのはエスティニアンにとってむしろ都合の良いこととなり、それは蒼の竜騎士となっても変わることは無かった。
そして、現在に至る。
竜詩戦争が終結した現在は、自分も時に娯楽を楽しんでも良いのだろう。
エーテル界を覗くことができるのならば、両親や弟からそのように言われるのかもしれない。
……と、頭ではわかっていても、行動がどうにも伴わない。
娯楽にやたらと首を突っ込んでみたところで、長年娯楽を遠ざけてきた身には逆にそれがストレスと化してしまうのは自明の理であり、そのことから結局は、およそ祭りと名の付くものには極力近寄らずにいたエスティニアンだった。
そんなエスティニアンとは真逆に、彼の相棒たる光の戦士は娯楽を好む性分だ。
いや。
目新しいことにやたらと首を突っ込みたがる性分と表現をした方が、より正確だろう。
ともあれ娯楽を楽しむこと自体は特に問題となるものではないのだから、単独で好きにしていれば良い、というのが、光の戦士に対するエスティニアンの姿勢であった。
しかし、これが紅蓮祭となると事情がまるで変わってしまう。
エスティニアンは、それまで桟橋に向けていた視線を右方向にチラリと送ってから正面の灯台へと移す。
祭りに極力近寄らないことを旨とするエスティニアンが紅蓮祭に限っては光の戦士よりも先に開催地へと足を踏み入れているという、一見すると奇妙なこの状況には、確固たる理由があった。
今しがた視線を送った側に鎮座する一人の男。
エスティニアンが言うところのスケベジジイこと、コスタ・デル・ソルの地主たるゲゲルジュが光の戦士へと向ける好奇の眼差しが、彼にとっては大問題だったのだ。
今回、あの馬鹿でかい遊戯設備が無い点は良いが、だからといって、この地の「王様」が大人しくしているとは思えない。
祭りに乗じて何をしでかすかは予測が不可能だ。
そう考えながらエスティニアンは溜め息を吐き、往来する船を眺めていることに飽きてきたのか、立ち上がって目の前の海へと釣り糸を垂らす。
自らを魔槍を持つしか能のない男、と称するエスティニアンが釣り竿を持つに至ったのは、リムサ・ロミンサからコスタ・デル・ソルへと向かう直前の出来事が原因だった。
リムサ・ロミンサで鍛冶師ギルドに立ち寄り、ギルドマスターとの話を済ませた後に海路でコスタ・デル・ソルに向かうべく足を運んだ船着場で、このような雑談が偶然エスティニアンの耳に飛び込んできたのだ。
「ロミンサンアンチョビのペーストは酒によく合う」
この話に興味をかき立てられたエスティニアンは乗船を後回しにして発言主を探し出し、それはどこで手に入れられるのかと問うてみた。
発言主はワワラゴというララフェルの男性で、彼の回答は、ロミンサンアンチョビのペーストは店で売られてはいない、というものだった。
それを聞いて微かな落胆の表情を見せたエスティニアンに向けてワワラゴは、ロミンサンアンチョビが誰にでも簡単に釣れる魚なので、皆が余暇を使って自分で釣り、各家庭でペーストを作るものなのだ、との回答を付け加える。
そしてエスティニアンに初心者向けの釣り竿を押し付け、目の前の海で釣れるから試してみろ、と提案をしてきたのだった。
半信半疑かつ見よう見まねでエスティニアンが船着場付近の海に釣り糸を垂らしてみたところ、すぐに青い鱗に被われた小さな魚がかかり、傍らで一部始終を見守っていたワワラゴが、その小魚こそがロミンサンアンチョビなのだと解説を寄越してきた。
あとは作りたい数を釣り、まずは新鮮なうちに骨と内臓を取り除いて塩漬けにしろ、と言われたエスティニアンは再び落胆した表情となり、自分は山育ちなので魚を捌いたことはないと零す。
そんなエスティニアンを見てワワラゴはニヤリと笑い、話を続けた。
「酒の肴に喰い付いてきたチミなら、行きつけの酒場の一つや二つはあるぢやろ? そこの料理人にチップを渡して頼めばええんぢや。あるいは……」
釣り竿に手応えを感じたエスティニアンは、直後に釣り糸を巻き取りながら引き上げ、獲物の姿を確認する。
「なんだ、こいつは?」
首を傾げたエスティニアンの眼前に吊るし上げられもがいている魚は、釣り上げた直後から徐々に形を変え、元々ずんぐりとしていた姿がたちまち風船のように丸くなってしまっていた。
「それはブローフィッシュよ。怒ると身体を膨らませる魚なんだけど、毒があるから食材にはできないわ」
始めたばかりの釣りに集中するあまり、不覚にも背後から声を掛けられることで初めて冒険者の存在に気が付いたエスティニアンは驚きの表情と共に振り返ると、まずは彼女の姿を見て密かに胸を撫で下ろした。
エスティニアンが過去の紅蓮祭で散々注文をつけた結果であるムーンファイアホルターにウェーブサマーパレオという装いで歩み寄り彼の横に立った冒険者は、暴れるブローフィッシュを両手で持ち、話を続ける。
「一応売ることもできるけど、どうする? 逃がしてあげる?」
「素人に釣れるような魚では、どうせ大した額にはならんのだろう? 俺は竿を片付けるので、その間に逃がしてきてやってくれ」
「わかったわ」
冒険者は頷きながら片手で釣り針を摘まみ、それを素早く外すと再び両手で魚を抱え、そして左後方の階段から砂浜へと降りて行った。
「……あるいは、カミさんが彼女にでも頼んでみろ、か」
冒険者が階段を下りて洋上コテージの下をくぐり、先ほど釣り糸を垂らしていた付近の海面に魚を逃がしてやるさまをエスティニアンは見下ろしながら、先ほどワワラゴに言われた言葉を呟き、その目を細めた。
「なるほど、ロミンサンアンチョビのペーストを、ね。それならリングサスさんに訊けば多分、基本的な作り方を教えてもらえるとは思うわ。でも、そもそもここでロミンサンアンチョビは釣れないわよ」
洋上コテージから波打ち際に降りて冒険者と再合流したエスティニアンは、釣りをするに至った理由を彼女に打ち明け、全容を把握した冒険者は返事をし終えた後にクスクスと笑う。
「対岸ならば同じ魚が釣れるのだろうと思っただけだ。リムサ・ロミンサを発つ前に釣れた数匹ならばここにある」
エスティニアンは軽く舌打ちをした後に話を続けると、荷の中から袋を取り出し口を開いて、アイスシャードと共に詰め込まれた魚を彼女に見せた。
「この状態なら、しばらくの間は大丈夫ね。先に紅蓮祭に行ってきてもいいかしら?」
「ああ、行ってこい。ただし……」
「ただし?」
首を傾げる冒険者の前でエスティニアンは、魚の入った袋をしまってから胸前で腕を組み、やや険しい表情となって右上を見上げながら話を続けた。
「あそこでふんぞり返っている野郎に何か注文をつけられたら、その内容を俺に知らせてくれ」
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