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征竜将の再来

「チッ、一筋縄ではいかんだろうと思ってはいたが……。こんな所まで来てしまうとは」

 アルフィノを伴い雪原での薪拾いという思わぬ難題に立ち向かうこととなってしまっていたエスティニアンは、ファルコンネストから遠く離れたクルザス西部高地の北西端で周囲を見渡しながら舌打ちをした後、溜め息混じりに呟いた。
「こんな所、というと、以前にもこの辺りを訪れたことが?」
「ああ、霊災前から何度もな」
 エスティニアンがそう受け答えをしながらアルフィノの様子を伺うと、その小さな身体からは、いつ終わるとも知れない薪拾いに対して明らかに疲弊をしている気配が感じられた。

 先程、これまでに集めた薪の量についてを迂闊にも「ようやく三分の一くらいか」などと口走ってしまったことを、エスティニアンは後悔していた。
 目の前の敵を排除することや目的地に向けての行軍などであれば、個人差はあっても残りどの程度で目的が達成できるかをある程度は想像できるというものだが、土地勘の無い場で雪に埋もれた薪として使える枝木を探し出すことは、エスティニアンの思った以上にアルフィノには堪えるものだったようだ。
 これでは、多少移動距離は多くともゴルガニュ牧場を再訪して廃材や保管されたままの予備建材と思しき材木を拝借してきた方が効率が良かったのではないかと考えてみたりもしたが、そこは現在地とはまるで逆の方角となるので、時既に遅し、である。

 雪原に立ち尽くし、途方に暮れながら辺りを見渡しあれこれと考えている中でエスティニアンは、ふと一つのことに思い至る。
 このお坊ちゃん──アルフィノの今までの暮らし向きではおそらく経験したことが無いであろうことを今、ここで経験させておけば、今回の旅路やその先の彼の人生に、多少なりとも役立つのではないか、と。

「……よし。ここまで来てしまったついでだ。少し寄り道をするぞ」
「寄り道、とは?」
「気分転換をさせてやろう。いいからついてこい」
 予期せぬ提案を突きつけられ、予想通りに目を丸くしたアルフィノを見てエスティニアンはニヤリと笑うと、突如決めた気分転換のための目的地へと向かって歩き始めた。


「泉が凍っていない……。それに、この辺りは僅かながら気温が高いようにも感じられるが?」
 程なくしてたどり着いた場の光景と、その体感についての感想を堅苦しい言い回しで述べるアルフィノを見て、エスティニアンは苦笑をする。
「いちいち難しく考えるな。手を突っ込んでみればいいだけだろう?」
 そう言いながら顎で泉を指し示し行動を促すエスティニアンを見上げたアルフィノは、面食らった表情を見せた後に意を決して片方の手袋を外してひざまずき、恐る恐る指先で水面に触れた。
「……温かい。なるほど、これが温泉、というものなのか」
 相変わらず堅苦しい表現で感想を述べつつ、危険は無いと判断をし手首までを沈めて湯をかき混ぜ始めたアルフィノを見て、エスティニアンの口許が思わず綻んだ。
「やはり知識はあっても、実際に触れたことは文字通りなかったようだな」
 そのエスティニアンの言葉に振り向いたアルフィノの表情からは先程までの陰りが取り払われ、未知の自然に触れた感動に満ち溢れていた。
「ああ! 百聞は一見に如かずとは、まさにこのことだ。極寒の地に、まさかこのような場所があるだなんて……」
 アルフィノはそう言いながらもう片方の手袋を外し、今度は両手を温泉へと沈めた。

「ありがとう、エスティニアン殿。こうして凍えた手を温めれば確かに気分転換になるし、残りの作業に向けての英気を養うこともできる。しかも集めた薪を損なうことなく即座に暖が取れるとは、これは一石二鳥ではなく三、いや、四鳥とでも言うべきだろうか」
「フッ、手を温めるだけで英気を養えるとは、随分と効率が良いものだな」
 素直に礼を言ったのに何故鼻で笑われなければならないのかと思いアルフィノが振り返ると、エスティニアンはアーメットを外し素顔を晒した姿でガントレットに手を掛け、それを外そうとしていた。
「一体何を? エスティニアン殿……」
「何って、この湯に浸かるに決まっているだろう。これからの旅路ではおそらく野営の連続になるからな。体調管理のために、このような場があれば積極的に活用する姿勢を身に付けておくといい」
「そっ、それは確かにそうかもしれないが……。しかしこのような気温の野外で裸になるなど、自殺行為ではないのか?」
 アルフィノが困惑し、湧き上がる疑問を投げ掛ける間もエスティニアンの手が止まることは無く、彼は次々とその身から装備を外しては地面へと無造作に並べてゆく。
「ただ裸になるだけならば、確かに自殺行為だな。しかし温泉に浸かることで話は変わってくるのさ。それこそ百聞は一見に如かず、だぞ」
 呆然とするアルフィノの前でそう語りながら鎧を外し終わり、最後の砦たるアンダーウェアまでも躊躇なく脱ぎ去り、エスティニアンはとうとう一糸纏わぬ姿となってしまった。
 傷一つ無い、その見事なまでに均整のとれた逞しくも美しい裸身の後ろ姿を目の当たりにしたアルフィノは思わず見惚れてしまい、まるで美術館の中心で主役の座を欲しいままにする勇者の彫像のようだ、という印象を抱いたのだが、しかし目の前の存在は美術品などではなく生身の人である。
 いかに鍛え上げられ、この地の気候に慣れているとはいえ、当然寒さは感じているのだ。エスティニアンは先刻宣言をした通り、足早に温泉の中へと入りその身を湯に沈めてしまった。

「男同士なのにどうした? 人前で裸になるのが恥ずかしいお年頃なのか? それとも、使用人を伴っての湯浴みとはわけが違うのか?」
 それは未だ呆然としたまま立ち尽くすアルフィノに決断を促すためにあえて煽り文句を適宜織り混ぜた……いや、盛大に煽り文句まみれとしたエスティニアン独特の言い回しであったのだが、彼と行動を共にしてまだ日の浅いアルフィノはそれに馴染んではおらず、疲労とここまでの想定外の出来事とで思考が飽和状態に近付いていたことも相俟って、エスティニアンの言葉を受け流すことができなくなっていた。
「そっ、そんなことはない! ましてや傅かれての入浴など、したこともない!」
「ククク……。ならばそれを、行動で示してみせるんだな」
「うっ……」
 結果、アルフィノはエスティニアンの術中にまんまと嵌り、その進退が窮まってしまう。
 アルフィノは意を決して装束を脱ぎ、雪に足をとられて転倒をせぬよう慎重に歩を進めると、エスティニアンの隣に腰を下ろし口許まで湯に浸かった。


 しばらく黙って湯に浸かっていたアルフィノは身体がある程度温まると、肩が水面から少し出る程度に姿勢を正してから語り始めた。
「確かにこうして湯の中にいれば寒さを感じずに済むが……。しかしこれは、外に出た時に寒さで大変なことになってしまうのでは?」
「それは、出た時のお楽しみだな」
 アルフィノに入浴を果たさせて満足をしたのかエスティニアンはその口角を上げ、湯を片手で掬い落としながら話を続けた。
「地の底から湧く湯には、おそらくエーテルの影響が及んでいるのだろう。不思議なことに宿舎などで沸かして使う湯とは違い、格段に身体から熱が逃げないのさ。それに……」
 そこで話を中断したエスティニアンは座ったまま身を捩り、腰から上をアルフィノの側に向けると話を再開した。
「長年この稼業を続けていると当然だが、見ての通りに怪我が多くてな。この湯に浸かると傷の回復が早くなるという噂を耳にしてからは、何度かここの世話になっているというわけだ」
「なるほど、それはエーテル学の観点からも興味深い話だ。湯からもたらされる熱が身体から逃げにくいという点が、怪我の回復に一役買っているのかもしれない」
 温泉の効能についての議論を交わしていたアルフィノは、不意に訪れたひとすじの風によってそれまで溜まっていた湯けむりが払われ視界が明瞭となったことでつぶさに観察できるようになったエスティニアンの上半身を目の当たりにして愕然となった。
「なんだ? このような傷を見るのは初めてか?」
「いや、そうではないのだが。その……貴方の、壮絶な生き様を垣間見たような気がして」
「壮絶? これしきの傷で光の戦士御一行様にそう言われるのは不思議なものだが……ふむ。外部の者には、イシュガルドとドラゴン族との戦いが、負った傷も含めて特異に映るものなのかもしれんな」

 蒼の竜騎士の称号や屠龍という二つ名を冠され、猛者集団との誉れ高い竜騎士団の筆頭に君臨をするエスティニアンの生き様は、確かに壮絶と評するべきものだろう。
 しかし今、アルフィノが壮絶と形容したのはその点ではなく、先ほど目の当たりにした彼の後ろ姿についてであった。
 エスティニアンの背面には、今アルフィノが目にしている身体の正面には点在している傷跡が、一切無かったからだ。
 即ちそれは、現在に至るまでのドラゴン族との戦闘に於いて幾度となく傷を負う事態となりつつも、エスティニアンがドラゴン族に背を向けたことがただの一度たりとも無かったことを意味するのではないか。

 アルフィノは、ファルコンネストを出立してからここに至るまでの道中で何度も間近で目にしたドラゴン族の凍りついた遺骸を思い起こし、そこから、空を縦横無尽に舞い襲い掛かってくる巨大なドラゴン族と対峙することとなるイシュガルド特有の戦闘を脳裏に思い描いて戦慄した。
 それが計り知れない恐怖を伴うものであろうことは、接近戦の経験が無いアルフィノにもある程度は想像できる。
 しかし、初陣の時からそのような巨大な敵に臆することなく立ち向かってきたのであろうエスティニアンの計り知れない精神力を、アルフィノは想像をすることができなかった。

 アルフィノが今、ひとつ分かったこと。
 それは、エスティニアンが蒼の竜騎士に、なるべくしてなったのだということだった。

「エスティニアン殿」
「なんだ?」
「皇都で情報収集をしていた折に幾度となく耳にしたのだが、皆、口々に貴方のことを征竜将の再来だと評していた。今、こうして貴方という人を見て、私はその意味が少しだけ分かったような気がするんだ」
 しみじみとしたアルフィノの述懐を聞いたエスティニアンは、その肩を竦めて苦笑をする。
「そんな市井のご大層な評価など、面映いだけなのだがな。俺に必要なのは、邪竜と唯一渡り合うことができる、蒼の竜騎士の力だけだ」
「ああ、勿論、エスティニアン殿の竜騎士としての強さについてが評価の大部分に含まれているのだろうが、私が着目したのはそこではなくて……」
「違うのか?」
 首を傾げながら出されたエスティニアンの短い問いにアルフィノは頷くと、話を続けた。
「征竜将の征という文字には、まっすぐに行くという意味もある。そのことから征竜将は、ドラゴン族と常に真正面から向き合うことを旨とした人物だったのではないかと思ったんだ」
「ほう……字が持つ意味か。その年になってから初めて建国神話を紐解くと、そのような読み方もできるのだな。面白い」
 自身の戦闘能力のみについてを指して皇都でそのような評価をされているのだと思っていたエスティニアンは、アルフィノの意外な切り口での解釈に感心をしていた。
 そのエスティニアンの反応を嬉しく思ったのか、アルフィノは照れ笑いをしてから話を続けた。
「貴方の身体の傷を見て壮絶と言ったのは、正面にそれだけの傷を負いながら背中には全く傷が無かったからだ。エスティニアン殿は戦場に赴くようになってから今に至るまでずっと、ドラゴン族と常に真正面から向き合い戦ってきたのだと」
「そんなことは当然だろう。竜どもに背を向けるなど、俺にはできん」
「それを当然と言い切るエスティニアン殿の勇猛さを指して、ニーズヘッグの片眼をくり抜いたと神話で謳われている征竜将に準える向きもあるのだろうね。私も、そう思う」
 アルフィノは話を中断し、その目を伏せ口許に手を当てて首を傾げた後、改めてエスティニアンを見据えて言った。

「建国の父でもある征竜将は、優れた竜騎士であると同時に為政者だ。ならば、ドラゴン族との戦争を終結させようと、戦い以外の場でもドラゴン族と真正面から向き合おうとしていた人物だったのではないかと思ったんだ。そして今エスティニアン殿は私の、氷の巫女を介してドラゴン族と対話を試みようという策に賛同をしてくれている。そういった点からも、貴方は征竜将の再来と言えるのではないだろうか」

 アルフィノの話を驚きの表情で真正面から受け止めたエスティニアンは、直後に困惑した表情となり頭を掻き回す。
「……まあ、お前の策に賛同をしたのは確かだが、それでも俺はそんなご大層なものではないし、おだてたところで何も出せんぞ?」
「別に私はおだててなどいないし、エスティニアン殿からは既に薪拾いの指南と、この温泉の情報を出して貰っているが……うわっ!」
 突如エスティニアンが片手を勢いよく払い、楽しげな様子で軽口を言うアルフィノの顔にめがけて湯を浴びせかける。その直撃を喰らったアルフィノはたまらずに悲鳴を上げた。
「全く、口の減らないお坊ちゃんだな」
「ふふっ……大学では先輩たちに、口から先に生まれたのだろうなどと言われていたからね」

 顔にかかった湯を掌で拭いながら笑うアルフィノを見たエスティニアンは、たまらずに笑い返す。
 いつの間にか他愛の無い内容となった会話を温泉の中で交わしながら戯れる二人の長耳に、彼方で轟く衝撃音が舞い込んできた。
「おっと。光の戦士殿が孤軍奮闘をしている中で道草を食うのも、ほどほどにしなくてはな」
「今の音だけで、それと判るものなのか?」
「判るさ。あれは蒼の竜騎士の奥義であるドラゴンダイブの音だ」
 そう言いながら温泉から出て手早く身支度を始めたエスティニアンの背を見て、アルフィノもそれに倣う。
「なるほど、蒼の竜騎士だけが使える技なのだね」
「ああ。しかもあの音から察するに、かなりの威力が出たはずだ。さすが、この俺に膝を突かせた奴だけのことはあるな」
「エスティニアン殿が膝を……。そ、そのようなことが……」
 驚きのあまり身体を拭く手が止まったアルフィノを、エスティニアンは見おろして頷くと話を続けた。

「お前はあいつとの付き合いが長いようだが、その驚きようでは気付いていないな。あれはひとたび怒らせたら大変なことになるぞ。味方であれば心強いが敵に回したら最悪だ。あいつの人の良さに甘えて付き合い方の力加減を違えぬよう、心に留めておくといい」

「……そうだね。出立前に装束もこのように新調したことだし、文字通り襟を正すとしよう」
 何やら思うところのある風情で呟きながらジャケットに袖を通すアルフィノに、エスティニアンが一言を付け加えた。
「ところでどうだ? 湯から出ても身体に熱が残っているだろう?」
「あっ!」
 片袖を通した状態でアルフィノの動作が止まり、次いで自らの胸や首筋などを触って温浴の効果を確認し、目を見張りながらエスティニアンに応えた。
「温泉というのは凄いものだ。私は今、エスティニアン殿に言われるまで、寒空の下であることに全く気付かず着替えていたよ」
「その様子だと、十二分に英気を養えたようだな」
「ええ、おかげ様で!」

 ジャケットを身に付け終わり手袋を嵌めながら溌剌とした表情で返事をしたアルフィノをエスティニアンは見おろしながらニヤリと笑うと、自身はアーメットを被りメイルとの首元で重なる部分の確認をする。

「さて。薪を集め終わったら、いよいよ異端者どもとご対面だ。何が起こるかわからんからな。体力と気力は温存しておけよ」

 振り返りながらエスティニアンはアルフィノにそう言い含めると歩き出し、前を見据えながらアーメットの目庇を下ろした。

    ~ 完 ~

   初出/2017年9月14日 pixiv
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