春風の悪戯
降り注ぐ陽光が日ごとに煌めきを増し、その下で草木を芽吹かせる春風がそよ吹くこの時期は、人々の気持ちも自ずと高揚をするのだろう。
プリンセスデーの装飾が施された都市内は、華やかな衣装を身に纏い心なしか軽やかな足取りで散策をする人々で賑わっている。
そして同じ都市には、その華やかさとはまるで無縁の日常を淡々と送る人々が集う場も存在していた。
それは戦闘能力を極めるための道場、または物造りや採集の専門技能を極めるための工房を構えている、各種の専門分野の名を掲げたギルドだ。
リムサ・ロミンサに拠点を置くギルドのひとつである鍛冶師ギルドには、決して火が絶やされることのない炉が設えられた工房内で、それぞれの受け持つ品を完成させるべく黙々と槌音を響かせ続ける鍛冶職人たちが居た。
鍛冶師ギルドを訪れる者が建物正面の扉を開き、そのことで吹き込む風が炉の熱で火照った職人たちの肌に一瞬の安らぎをもたらす。
いつもは不意に訪れるその機会が、この日に限っては先ほどからほぼ定期的に繰り返されていた。
「いやぁ、その姿で工房に春風を運んでくるキミは、まるでリムレーンの使いのようですね」
「いやですよ、ブリサエルさん! おだてないで下さいってば」
鍛冶師ギルドマスターのブリサエルから声を掛けられた人物は、そう返事をしながら背後からの風を受けて広がりかけた純白のサベネアンカルゼ・オータムドレスの裾を咄嗟に片手で軽く押さえると、照れくさそうな笑みを零す。
「いやいや、おだててなどいませんよ。今日は花冠を頂いている姿だから余計にそう思わされるのかもしれませんが、その冠とドレスはどちらも可憐で、とてもお似合いです」
「これはウルダハで、とある名家のお嬢様の手伝いをするためにお揃いの服を着て、着替えずにそのままこちらに来ちゃったってだけで」
「なんと、そうだったんですか。ふふ、言わなければバレなかったのに」
そんな二人のやり取りを傍らで余すところなく聞かされる形となっていた職人が、もう堪えきれないといった様子で笑い始めた。
「おや、どこかおかしかったですか?」
「おかしいもなにも。そいつは同じ女神でも、ハルオーネの化身だと言われるような奴だからな」
「ハルオーネのお姿も美しいでしょうが、彼女が戦神に例えられることは、僕には想像だにできませんよ」
「まあ、こいつの戦場での姿を見なければ、想像が及ばんのも致し方ないところではあるだろうが」
「なるほど、キミは彼女と共に戦ったことがあるのですね」
「共闘と、あとはブッ飛ばされたこともあるからな」
「ブッ、飛ば……された? キミが、彼女に?」
「ちょっ、エスティニアン! ここでそんなこと言わなくても!」
ブリサエルの絶句に被せる形で、女神の使いや女神の化身と言われた彼女──光の戦士は、堪らずに相棒たるエスティニアンへ向けて抗議の言葉をぶつける。
「……えっ? そこ、否定をしないんですか」
新たな疑問を湧かせたブリサエルから質問を飛ばされた冒険者は、彼とは反対側になる天井を見上げ、途端にバツの悪そうな表情となった。
「ククク……。否定など出来ようはずもないさ。何せ俺は、こいつに二度も足腰の立たない状態にされちまったからな」
「足腰を……二度も?」
呆然とした表情で二人の姿を交互に見ながら、未だ信じられないといった口調で言葉を零すブリサエルの前で立ち続けることに耐えられなくなったのか、冒険者は慌てる素振りを見せた後、エスティニアンの傍らに積み上げられたインゴットを見下ろす。
「こっ……これはもう出品してきていいわね」
「ああ、頼む」
エスティニアンの短い依頼の言葉を受けるや、冒険者はドレスの裾を捌きその場にしゃがみ込むと空になった鞄を開いてインゴットの山の前に置き、山の中から品質の高いインゴットを選び出しては手早く鞄へと納め始める。
「これでよし……っと。じゃ、行ってきます!」
おそらくは意識的に出しているのであろう溌剌とした声と共に、彼女は鞄を抱えて立ち上がると即座に扉を開き、脱兎のごとくに飛び出してゆく。
そのことで工房には新たな春風が誘い込まれ、そして彼女の代わりに残された。
「逃げ……ましたね」
「だな」
ブリサエルとエスティニアンは互いに顔を見合わせ、ニヤリと笑い合う。
「今の話をオシュオンがリムレーンにやらかした結果のように誤解されてはかなわんから補足をさせてもらうが」
「キミはそんなことをする人には見えませんよ」
「そりゃどうも」
「そもそも、あの伝説でのオシュオンの行動は、男としていかがなものかと思いますがね」
「フッ、確かに」
エスティニアンは自ら例えとして口にした男神の逸話を鼻で笑い、次の材料を手元に並べながらブリサエルに語り始めた。
「俺が今この姿で槍や、こうしてここでハンマーを振るっていられるのは、あいつ……相棒が命懸けで叩きのめしてくれたからこそでな。成り行きで先ほどは軽口のようになってしまったが、俺はブッ飛ばされたことに感謝をしているのさ」
「この姿?」
「そこのところは、言葉の綾と解釈をしておいて貰うと助かる」
「……わかりました。命懸けとは穏やかではないですが、そのような経験を経てキミたちの信頼関係が築かれたのですね」
「ああ、そういうことだ」
短く応じながら次のインゴットを作り始めたエスティニアンの姿をブリサエルは穏やかな視線で改めて見つめ、程なくしてその傍らに戻ってくるであろう冒険者の姿を重ねた。
「しかし、この時期に花冠を頂いた女性が忙しく立ち回っているとは。立場が逆転していますね」
「立場が逆転? それは今やっている祭りに関連していることなのか?」
エスティニアンは仕上がったインゴットを傍らに置きながら、ブリサエルを見上げて問い返す。
「ええ。プリンセスデーはウルダハの王朝で起きた姫君の失踪事件が起源なのだそうですが、その事件の顛末に準えて、花冠を頂いた女性をプリンセスとして遇し、男性は執事王に倣ってプリンセスに傅く……というのが、この祝祭の趣向なのですよ」
「なるほど。それで逆に、あいつが俺に傅いているように見えたと」
エスティニアンは材料を作業台に並べていた手を止めると、短く鼻で笑った。
「プリンセスも執事も、どちらも俺たちのガラではないな」
「ふふっ、男は大抵がそう思ってしまうものですよね。でも女性は少女時代に、お姫様のような時間を過ごしてみたいと誰もが一度は夢見るのだそうですから、そういうものだと信じて男は勇気を出してみろ、という意味も含んだお祭りなのかもしれません」
「ふむ……少年の場合の騎士ごっこと似た位置付け、といったところか」
リムサ・ロミンサに於ける、少年にごっこ遊びの対象とされる代表的な存在は、海賊だ。
少女の夢に相当する少年のそれとしてエスティニアンが例えとして何気なしに口走った騎士ごっこという言葉を受けたブリサエルは、先ほど彼の口からハルオーネの名が出されていたことも手伝って、入門時に多くを語ろうとしなかったこの風変わりな新人鍛冶職人の素性を、推測ではあるが垣間見ることができていた。
先ほどから冒険者が工房とマーケットを幾度となく往き来し、エスティニアンの作ったインゴットを代行して出品しているのは、彼自身の手でマーケットに出品をすることが不可能であるからに他ならない。
つまり彼は、見た目が冒険者のようであっても冒険者ではない。冒険者登録をしていないのではなく、できないのだ。
音に聞く英雄である冒険者を相棒と呼び、その彼女が着の身着のままで彼のもとへとサポートに駆け付け、本人の言で曰く付きであるとの、ブリサエルが一目で途方もない業物と判断をすることのできた異形の槍の修理を目標に掲げて鍛冶師ギルドの門戸を叩き、技術を学び始めたエスティニアンの正体は……。
「騎士ごっこでは、お姫様に跪く真似事などはしなかったのですか?」
少々の口の悪さはあるが、エスティニアンが教え甲斐のある熱心な新人である点は疑うべくもない。
ならば素性の詮索などはせず、自分は彼に鍛冶の技術指導をすれば良い。
そんな結論に至ったブリサエルは改めて微笑み、騎士ごっこについて、そう質問を返した。
「廃材で適当に拵えた槍や剣と盾を振り回しながら山を駆け巡っていただけだからな。言われてみれば確かに騎士の定義としては片手落ちだが、そもそも俺の育った地方では姫のイメージ自体が無かったのさ。子どもの目線で盛り込めていない点は致し方なかろう」
そう応じながらエスティニアンは肩を竦めて苦笑をし、道具をしまい始めた。
「そんなわけで、王族でも使用人でもないあいつに俺は、今日はメシぐらい食わせてやらねばならん」
「なるほど、それはいいですね。存分に労ってあげてきてください」
「……が、この街は未だ不案内なので、ギルドマスター殿にお奨めの店があるのならば指南を頂きたい」
道具をしまい終えたエスティニアンは、そう言いながら立ち上がると作業用のグローブを外し、ブリサエルを見おろして口角を上げた。
「ふうん。ブリサエルさんにここを奨められたのね」
鍛冶師ギルドを出てアフトカースルに渡った場で冒険者が戻るのを待ち受けていたエスティニアンは程なく彼女との合流を果たし、その後二人はともにリムサ・ロミンサの高級レストランとして名高いビスマルクへと足を運んだ。
二人の前にはそれぞれにワインが注がれたグラスがあり、一皿目として供されていたキノコのガーリックソテーを肴にグラスを傾けていた。
「この店はドードーのグリルが人気なのだと聞いてな。人気を博しているのであれば間違いなく美味いものにありつけるだろうと思ったのさ」
ドードーのグリルは既に注文を済ませていたのだが、人気メニューなだけのことはあり、彼らのテーブルにそれが届くまでには今しばらくの時間を要する状態だった。
「ドードーというのは、アバラシア雲海のローズハウスあたりに生息しているガストルニスに似た丸っこい鳥のことか?」
「ええ。西ラノシアにある営巣地に沢山いるから、あそこがリムサ・ロミンサ領内では代表的なドードーの肉や卵の供給元になるんだと思うわ。陸路と海路があるけど、こと物資の輸送となると海路が圧倒的に便利よね」
エスティニアンは冒険者の説明に耳を傾けながらグラスを傾け、時折キノコを口へと放り込む。
そんなエスティニアンに続いてキノコとワインを口にする冒険者の背後から二皿を持つ給仕が歩み寄り、待ちに待ったドードーのグリルが彼らのもとに届けられた。
「なるほど、確かにこれは美味いな」
エスティニアンが一切れ目を口にするなり率直な感想を述べてワインを飲み干すと、適度な距離を保ち客の様子を観察していた給仕が、彼のグラスをワインで満たした。
「でしょう? キノコのガーリックソテーで食欲がそそられているから、余計に美味しく感じられると思うわ」
「計算ずくの一皿目だったというわけか」
「ふふっ、そういうこと」
冒険者は満足げにエスティニアンへ笑みを見せると、自らの皿にあるドードーのグリルを上品な所作で切り分け、その一切れをゆっくりと堪能し始めた。
リムサ・ロミンサの上甲板層に店を構えるビスマルクは、全ての客席がテラスに配置をされている。
その客席で客は、料理を堪能することで味覚と嗅覚を刺激される他に、残る三つの感覚をも刺激をされるのだ。
つまり、雄大な眺望で視覚を。
波音や海鳥の鳴き声で聴覚を。
そして、季節ごとの風で触覚に刺激を受けることができる。
食事を楽しみながら五感の全てを刺激される環境であることが、ビスマルクが高級レストランとして不動の地位を確立し維持し続けている、おそらくは一つの要因なのであろう。
しかし、そんな他にはない感動をもたらす自然環境は、同時に気まぐれなものでもある。
「ああっ!」
冒険者がドードーのグリルを半分ほどまでに削ったその時、突如テラスへと吹き込んだ春風が彼女の花冠を舞い上げ、そして、あろうことか海の側へと運び去ってしまった。
通常時の彼女ならば咄嗟に手で押さえることができたかもしれないが、間の悪いことに両手はナイフとフォークで塞がっており、また、レストランという環境で派手な行動は憚られる状況であったため、文字通り何の手出しもできぬまま、彼女は呆然と、ロータノ海の彼方へと飛び去ってゆく花冠を見つめることしかできずにいた。
「せっかく、アルディシアさんから貰ったのに……」
冒険者の身に突然降りかかった不幸を間近で目撃することとなってしまったエスティニアンも、あまりの想定外の展開に咄嗟の対処をすることができず、しばしの間、彼女と同様に呆然とした表情で花冠を目で追っていた。
小さくなってゆく花冠から冒険者へとエスティニアンが視線を戻しても、なおも冒険者はナイフとフォークを握り締めたまま名残惜しそうに花冠を見つめ、その表情は完全に消沈をしてしまっている。
(相棒も、花冠でプリンセス気分になっていたということなのか?)
彼女の思わぬ一面を垣間見たエスティニアンの脳裏には、次いで先ほどブリサエルから聞かされたうちの一言が蘇り、彼は思わず苦笑をする。
(そういうものだと信じて男は勇気を出してみろ……か)
「……あの花冠は残念だが」
そのエスティニアンの言葉を受けて冒険者はようやく向き直りはしたものの、未だ言葉を紡ぐことができないままでいた。
「起きてしまったことは仕方がない。とりあえず、グリルが冷める前に食ってしまえ。そして、食い終わったら俺について来い」
ビスマルクでの食事を終えた二人は、グリダニアへと移動をした。
エーテライト・プラザから都市転送網を利用して槍術士ギルド前に向かい、そこから東桟橋へと歩を進めるエスティニアンの背を、冒険者は見上げながら無言で追う。
「花蜜桟橋へ頼む」
船頭のロマリクへとエスティニアンが行き先を告げ、そして二人は小舟へと乗り込んだ。
程なくして小舟は花蜜桟橋へ接岸し、二人は桟橋を後にするとエスティニアンの先導で左手側の水辺に建てられたガゼボへと足を踏み入れた。
「ここで、しばらく川でも眺めていてくれ。すぐに戻る」
そう冒険者に言うとエスティニアンは再び外に向かい、ガゼボの周囲を探り始める。
ガゼボの床面は階段を数段上がった高さにあるため、冒険者が出入り口側を振り返っても外のエスティニアンの様子を窺い知ることはできなかった。
川を眺めていろと言われてしまった以上、彼が今、何をしているかは探らずにいるべきだろう。
冒険者はそう判断をし、ビスマルクのテラスからとは違う眺めと、鳥の鳴き声と川のせせらぎと、そして春風を感じることにした。
そんな彼女の頭上に、先ほど失われてしまったはずの軽やかな感触が戻ってきた。
「……えっ?」
驚き、彼女が頭上に両手をあてがうと、その指先からは草花の感触が伝わってくる。
「えっ? どうして?」
頭上に乗せられたものをその目で検めた彼女は、更に驚きの言葉を零す。
冒険者の手の中にあるものは、花冠であったからだ。
驚いたままの彼女に、背後から思いもよらぬ言葉が掛けられた。
「新しい冠は、お気に召しましたでしょうか?」
振り向いた冒険者は、エスティニアンの姿を見下ろす形となっていた。
その視線の先ではエスティニアンが、執事王のごとくに跪いていたのだった。
「……二度は言わんぞ」
花冠を胸元に抱え、未だ呆然とする相棒に向けてエスティニアンは、そう呟きながら微かに舌打ちをした。
初出/2019年3月19日 pixiv&Privatter
『第34回FF14光の戦士NLお題企画』の『プリンセスデー』参加作品
プリンセスデーの装飾が施された都市内は、華やかな衣装を身に纏い心なしか軽やかな足取りで散策をする人々で賑わっている。
そして同じ都市には、その華やかさとはまるで無縁の日常を淡々と送る人々が集う場も存在していた。
それは戦闘能力を極めるための道場、または物造りや採集の専門技能を極めるための工房を構えている、各種の専門分野の名を掲げたギルドだ。
リムサ・ロミンサに拠点を置くギルドのひとつである鍛冶師ギルドには、決して火が絶やされることのない炉が設えられた工房内で、それぞれの受け持つ品を完成させるべく黙々と槌音を響かせ続ける鍛冶職人たちが居た。
鍛冶師ギルドを訪れる者が建物正面の扉を開き、そのことで吹き込む風が炉の熱で火照った職人たちの肌に一瞬の安らぎをもたらす。
いつもは不意に訪れるその機会が、この日に限っては先ほどからほぼ定期的に繰り返されていた。
「いやぁ、その姿で工房に春風を運んでくるキミは、まるでリムレーンの使いのようですね」
「いやですよ、ブリサエルさん! おだてないで下さいってば」
鍛冶師ギルドマスターのブリサエルから声を掛けられた人物は、そう返事をしながら背後からの風を受けて広がりかけた純白のサベネアンカルゼ・オータムドレスの裾を咄嗟に片手で軽く押さえると、照れくさそうな笑みを零す。
「いやいや、おだててなどいませんよ。今日は花冠を頂いている姿だから余計にそう思わされるのかもしれませんが、その冠とドレスはどちらも可憐で、とてもお似合いです」
「これはウルダハで、とある名家のお嬢様の手伝いをするためにお揃いの服を着て、着替えずにそのままこちらに来ちゃったってだけで」
「なんと、そうだったんですか。ふふ、言わなければバレなかったのに」
そんな二人のやり取りを傍らで余すところなく聞かされる形となっていた職人が、もう堪えきれないといった様子で笑い始めた。
「おや、どこかおかしかったですか?」
「おかしいもなにも。そいつは同じ女神でも、ハルオーネの化身だと言われるような奴だからな」
「ハルオーネのお姿も美しいでしょうが、彼女が戦神に例えられることは、僕には想像だにできませんよ」
「まあ、こいつの戦場での姿を見なければ、想像が及ばんのも致し方ないところではあるだろうが」
「なるほど、キミは彼女と共に戦ったことがあるのですね」
「共闘と、あとはブッ飛ばされたこともあるからな」
「ブッ、飛ば……された? キミが、彼女に?」
「ちょっ、エスティニアン! ここでそんなこと言わなくても!」
ブリサエルの絶句に被せる形で、女神の使いや女神の化身と言われた彼女──光の戦士は、堪らずに相棒たるエスティニアンへ向けて抗議の言葉をぶつける。
「……えっ? そこ、否定をしないんですか」
新たな疑問を湧かせたブリサエルから質問を飛ばされた冒険者は、彼とは反対側になる天井を見上げ、途端にバツの悪そうな表情となった。
「ククク……。否定など出来ようはずもないさ。何せ俺は、こいつに二度も足腰の立たない状態にされちまったからな」
「足腰を……二度も?」
呆然とした表情で二人の姿を交互に見ながら、未だ信じられないといった口調で言葉を零すブリサエルの前で立ち続けることに耐えられなくなったのか、冒険者は慌てる素振りを見せた後、エスティニアンの傍らに積み上げられたインゴットを見下ろす。
「こっ……これはもう出品してきていいわね」
「ああ、頼む」
エスティニアンの短い依頼の言葉を受けるや、冒険者はドレスの裾を捌きその場にしゃがみ込むと空になった鞄を開いてインゴットの山の前に置き、山の中から品質の高いインゴットを選び出しては手早く鞄へと納め始める。
「これでよし……っと。じゃ、行ってきます!」
おそらくは意識的に出しているのであろう溌剌とした声と共に、彼女は鞄を抱えて立ち上がると即座に扉を開き、脱兎のごとくに飛び出してゆく。
そのことで工房には新たな春風が誘い込まれ、そして彼女の代わりに残された。
「逃げ……ましたね」
「だな」
ブリサエルとエスティニアンは互いに顔を見合わせ、ニヤリと笑い合う。
「今の話をオシュオンがリムレーンにやらかした結果のように誤解されてはかなわんから補足をさせてもらうが」
「キミはそんなことをする人には見えませんよ」
「そりゃどうも」
「そもそも、あの伝説でのオシュオンの行動は、男としていかがなものかと思いますがね」
「フッ、確かに」
エスティニアンは自ら例えとして口にした男神の逸話を鼻で笑い、次の材料を手元に並べながらブリサエルに語り始めた。
「俺が今この姿で槍や、こうしてここでハンマーを振るっていられるのは、あいつ……相棒が命懸けで叩きのめしてくれたからこそでな。成り行きで先ほどは軽口のようになってしまったが、俺はブッ飛ばされたことに感謝をしているのさ」
「この姿?」
「そこのところは、言葉の綾と解釈をしておいて貰うと助かる」
「……わかりました。命懸けとは穏やかではないですが、そのような経験を経てキミたちの信頼関係が築かれたのですね」
「ああ、そういうことだ」
短く応じながら次のインゴットを作り始めたエスティニアンの姿をブリサエルは穏やかな視線で改めて見つめ、程なくしてその傍らに戻ってくるであろう冒険者の姿を重ねた。
「しかし、この時期に花冠を頂いた女性が忙しく立ち回っているとは。立場が逆転していますね」
「立場が逆転? それは今やっている祭りに関連していることなのか?」
エスティニアンは仕上がったインゴットを傍らに置きながら、ブリサエルを見上げて問い返す。
「ええ。プリンセスデーはウルダハの王朝で起きた姫君の失踪事件が起源なのだそうですが、その事件の顛末に準えて、花冠を頂いた女性をプリンセスとして遇し、男性は執事王に倣ってプリンセスに傅く……というのが、この祝祭の趣向なのですよ」
「なるほど。それで逆に、あいつが俺に傅いているように見えたと」
エスティニアンは材料を作業台に並べていた手を止めると、短く鼻で笑った。
「プリンセスも執事も、どちらも俺たちのガラではないな」
「ふふっ、男は大抵がそう思ってしまうものですよね。でも女性は少女時代に、お姫様のような時間を過ごしてみたいと誰もが一度は夢見るのだそうですから、そういうものだと信じて男は勇気を出してみろ、という意味も含んだお祭りなのかもしれません」
「ふむ……少年の場合の騎士ごっこと似た位置付け、といったところか」
リムサ・ロミンサに於ける、少年にごっこ遊びの対象とされる代表的な存在は、海賊だ。
少女の夢に相当する少年のそれとしてエスティニアンが例えとして何気なしに口走った騎士ごっこという言葉を受けたブリサエルは、先ほど彼の口からハルオーネの名が出されていたことも手伝って、入門時に多くを語ろうとしなかったこの風変わりな新人鍛冶職人の素性を、推測ではあるが垣間見ることができていた。
先ほどから冒険者が工房とマーケットを幾度となく往き来し、エスティニアンの作ったインゴットを代行して出品しているのは、彼自身の手でマーケットに出品をすることが不可能であるからに他ならない。
つまり彼は、見た目が冒険者のようであっても冒険者ではない。冒険者登録をしていないのではなく、できないのだ。
音に聞く英雄である冒険者を相棒と呼び、その彼女が着の身着のままで彼のもとへとサポートに駆け付け、本人の言で曰く付きであるとの、ブリサエルが一目で途方もない業物と判断をすることのできた異形の槍の修理を目標に掲げて鍛冶師ギルドの門戸を叩き、技術を学び始めたエスティニアンの正体は……。
「騎士ごっこでは、お姫様に跪く真似事などはしなかったのですか?」
少々の口の悪さはあるが、エスティニアンが教え甲斐のある熱心な新人である点は疑うべくもない。
ならば素性の詮索などはせず、自分は彼に鍛冶の技術指導をすれば良い。
そんな結論に至ったブリサエルは改めて微笑み、騎士ごっこについて、そう質問を返した。
「廃材で適当に拵えた槍や剣と盾を振り回しながら山を駆け巡っていただけだからな。言われてみれば確かに騎士の定義としては片手落ちだが、そもそも俺の育った地方では姫のイメージ自体が無かったのさ。子どもの目線で盛り込めていない点は致し方なかろう」
そう応じながらエスティニアンは肩を竦めて苦笑をし、道具をしまい始めた。
「そんなわけで、王族でも使用人でもないあいつに俺は、今日はメシぐらい食わせてやらねばならん」
「なるほど、それはいいですね。存分に労ってあげてきてください」
「……が、この街は未だ不案内なので、ギルドマスター殿にお奨めの店があるのならば指南を頂きたい」
道具をしまい終えたエスティニアンは、そう言いながら立ち上がると作業用のグローブを外し、ブリサエルを見おろして口角を上げた。
「ふうん。ブリサエルさんにここを奨められたのね」
鍛冶師ギルドを出てアフトカースルに渡った場で冒険者が戻るのを待ち受けていたエスティニアンは程なく彼女との合流を果たし、その後二人はともにリムサ・ロミンサの高級レストランとして名高いビスマルクへと足を運んだ。
二人の前にはそれぞれにワインが注がれたグラスがあり、一皿目として供されていたキノコのガーリックソテーを肴にグラスを傾けていた。
「この店はドードーのグリルが人気なのだと聞いてな。人気を博しているのであれば間違いなく美味いものにありつけるだろうと思ったのさ」
ドードーのグリルは既に注文を済ませていたのだが、人気メニューなだけのことはあり、彼らのテーブルにそれが届くまでには今しばらくの時間を要する状態だった。
「ドードーというのは、アバラシア雲海のローズハウスあたりに生息しているガストルニスに似た丸っこい鳥のことか?」
「ええ。西ラノシアにある営巣地に沢山いるから、あそこがリムサ・ロミンサ領内では代表的なドードーの肉や卵の供給元になるんだと思うわ。陸路と海路があるけど、こと物資の輸送となると海路が圧倒的に便利よね」
エスティニアンは冒険者の説明に耳を傾けながらグラスを傾け、時折キノコを口へと放り込む。
そんなエスティニアンに続いてキノコとワインを口にする冒険者の背後から二皿を持つ給仕が歩み寄り、待ちに待ったドードーのグリルが彼らのもとに届けられた。
「なるほど、確かにこれは美味いな」
エスティニアンが一切れ目を口にするなり率直な感想を述べてワインを飲み干すと、適度な距離を保ち客の様子を観察していた給仕が、彼のグラスをワインで満たした。
「でしょう? キノコのガーリックソテーで食欲がそそられているから、余計に美味しく感じられると思うわ」
「計算ずくの一皿目だったというわけか」
「ふふっ、そういうこと」
冒険者は満足げにエスティニアンへ笑みを見せると、自らの皿にあるドードーのグリルを上品な所作で切り分け、その一切れをゆっくりと堪能し始めた。
リムサ・ロミンサの上甲板層に店を構えるビスマルクは、全ての客席がテラスに配置をされている。
その客席で客は、料理を堪能することで味覚と嗅覚を刺激される他に、残る三つの感覚をも刺激をされるのだ。
つまり、雄大な眺望で視覚を。
波音や海鳥の鳴き声で聴覚を。
そして、季節ごとの風で触覚に刺激を受けることができる。
食事を楽しみながら五感の全てを刺激される環境であることが、ビスマルクが高級レストランとして不動の地位を確立し維持し続けている、おそらくは一つの要因なのであろう。
しかし、そんな他にはない感動をもたらす自然環境は、同時に気まぐれなものでもある。
「ああっ!」
冒険者がドードーのグリルを半分ほどまでに削ったその時、突如テラスへと吹き込んだ春風が彼女の花冠を舞い上げ、そして、あろうことか海の側へと運び去ってしまった。
通常時の彼女ならば咄嗟に手で押さえることができたかもしれないが、間の悪いことに両手はナイフとフォークで塞がっており、また、レストランという環境で派手な行動は憚られる状況であったため、文字通り何の手出しもできぬまま、彼女は呆然と、ロータノ海の彼方へと飛び去ってゆく花冠を見つめることしかできずにいた。
「せっかく、アルディシアさんから貰ったのに……」
冒険者の身に突然降りかかった不幸を間近で目撃することとなってしまったエスティニアンも、あまりの想定外の展開に咄嗟の対処をすることができず、しばしの間、彼女と同様に呆然とした表情で花冠を目で追っていた。
小さくなってゆく花冠から冒険者へとエスティニアンが視線を戻しても、なおも冒険者はナイフとフォークを握り締めたまま名残惜しそうに花冠を見つめ、その表情は完全に消沈をしてしまっている。
(相棒も、花冠でプリンセス気分になっていたということなのか?)
彼女の思わぬ一面を垣間見たエスティニアンの脳裏には、次いで先ほどブリサエルから聞かされたうちの一言が蘇り、彼は思わず苦笑をする。
(そういうものだと信じて男は勇気を出してみろ……か)
「……あの花冠は残念だが」
そのエスティニアンの言葉を受けて冒険者はようやく向き直りはしたものの、未だ言葉を紡ぐことができないままでいた。
「起きてしまったことは仕方がない。とりあえず、グリルが冷める前に食ってしまえ。そして、食い終わったら俺について来い」
ビスマルクでの食事を終えた二人は、グリダニアへと移動をした。
エーテライト・プラザから都市転送網を利用して槍術士ギルド前に向かい、そこから東桟橋へと歩を進めるエスティニアンの背を、冒険者は見上げながら無言で追う。
「花蜜桟橋へ頼む」
船頭のロマリクへとエスティニアンが行き先を告げ、そして二人は小舟へと乗り込んだ。
程なくして小舟は花蜜桟橋へ接岸し、二人は桟橋を後にするとエスティニアンの先導で左手側の水辺に建てられたガゼボへと足を踏み入れた。
「ここで、しばらく川でも眺めていてくれ。すぐに戻る」
そう冒険者に言うとエスティニアンは再び外に向かい、ガゼボの周囲を探り始める。
ガゼボの床面は階段を数段上がった高さにあるため、冒険者が出入り口側を振り返っても外のエスティニアンの様子を窺い知ることはできなかった。
川を眺めていろと言われてしまった以上、彼が今、何をしているかは探らずにいるべきだろう。
冒険者はそう判断をし、ビスマルクのテラスからとは違う眺めと、鳥の鳴き声と川のせせらぎと、そして春風を感じることにした。
そんな彼女の頭上に、先ほど失われてしまったはずの軽やかな感触が戻ってきた。
「……えっ?」
驚き、彼女が頭上に両手をあてがうと、その指先からは草花の感触が伝わってくる。
「えっ? どうして?」
頭上に乗せられたものをその目で検めた彼女は、更に驚きの言葉を零す。
冒険者の手の中にあるものは、花冠であったからだ。
驚いたままの彼女に、背後から思いもよらぬ言葉が掛けられた。
「新しい冠は、お気に召しましたでしょうか?」
振り向いた冒険者は、エスティニアンの姿を見下ろす形となっていた。
その視線の先ではエスティニアンが、執事王のごとくに跪いていたのだった。
「……二度は言わんぞ」
花冠を胸元に抱え、未だ呆然とする相棒に向けてエスティニアンは、そう呟きながら微かに舌打ちをした。
初出/2019年3月19日 pixiv&Privatter
『第34回FF14光の戦士NLお題企画』の『プリンセスデー』参加作品
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