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それぞれの背中

 漆黒の巨竜問題を解決した後に成り行きでモル族の集落を訪問し、翌朝におりた神託で名指しをされたことで一夜にして竜狩りの達人から西方のチーズ作りの達人呼ばわりをされてしまったエスティニアンと、その相棒たる冒険者は、その日の夕食を終えて滞在延長初日の夜を迎えていた。
 訪問時に宛がわれた来客用のゲルの中で二人が展開していたのは、前夜のようなゆったりとした食後の団欒などではなく、納期が逼迫した、しかも手探りの工作である。
 彼らは翌日に続くチーズ作りの作業に向けて、冒険者にとっては未知の道具を就寝前に急遽手作りをしなければならないという事態に直面をしていたのだった。


「まさか道具まで一から作ることになるだなんて、思いもしなかったわ」
「ああ。俺も、こうまでなるとは思わなかったな」
「作ると言った張本人がそんなこと言うの?」
「一からにするつもりは無かったんだが、あのザマでは仕方なかろう。指南を請け負ったからには、半端なことには出来ん」
 そんなやり取りをしながらエスティニアンが視線を送った先、ゲルの片隅には、クガネで軒を連ねる商店や街頭の照明として利用されている球形の提灯がひとつ、骨組だけとなって打ち棄てられ、見るも無惨な姿を晒していた。
 羊の乳搾りと朝食の後にモル族の日用品を検分し、クルザス流のチーズ作りを指南するにあたって明らかに不足している道具があると判断をしたエスティニアンが、その道具を自作するために冒険者に調達を指示した物品の中に何故か含めたのが、この提灯ひとつだったのだ。

「クガネのランプシェードの骨組を活用できるかと思ったんだが、まさか竹と紙で作られていたとはな。これほどまでに脆く、しかも容易に変形するなど、想定外もいいところだ」
 そう言いながら舌打ちをするエスティニアンを見て、冒険者はその肩を竦める。
「これも東方特有の文化、ってところかしら? 貼られた紙に文字を書いて看板代わりにしたり、季節ごとに違う絵柄のものを使い分けたりもするんですって。そうなると交換したものは保管しなきゃならないから、小さく畳めた方が都合がいいんでしょうね」
 嘆息するエスティニアンに冒険者は苦笑をしながら応じる。
 そんな彼女はクガネのマーケットで調達したダークスチールナゲットを、慣れた手つきでダークスチールワイヤーへと加工していた。

「話を聞くだけではエスティニアンが作ろうとしているものの完成形をイメージし辛かったから、目指す形と大きさが判るだけでもありがたいわ」
「ならば、まるで無駄にはならなかったか」
「私はクガネとの間を二往復する破目に陥ったけどね」

 クガネから冒険者に持ち帰らせた提灯の構造をエスティニアンは丹念に調べ上げた挙句、破壊するに至った。
 そして提灯の骨組の形を金属で頑丈に作りたいとの彼の追加要望を受けて、彼女はその材料とするためのダークスチールワイヤーを作るべく、再度クガネへと足を運ばされていたのだ。

「イシュガルドまで行けと言ったわけではないし、仮にそうだったとしてもエーテライトを使うのだから大したことではなかろうが」
 冒険者からの苦笑しながらのぼやきを鼻で笑い一蹴したエスティニアンは、彼女に調達をさせたうちの一品である1.5ヤルムほどの長さの細長い木材を削り、槍の柄のような太さに整えようとしていた。
「確かにね。この依頼が済んだら、またギラバニアに戻らなきゃならないし」
「相変わらず、光の戦士殿はご多忙であらせられる」
「しばらくは向こうで行動する予定だったんだけど、オーン・カイが急いでこっちに来てと呼ぶものだから、数日なら大丈夫だろうと駆けつけたのよね。まさかエスティニアンと逢えるだなんて思わなかったから驚いたけど、おかげ様で装備一式を新調できたから、一石二鳥だったわ」
 そう言いながら冒険者は手を休め、傍らに置かれたトゥルーブラッドチェストを見遣る。
「その鎧ならば臍や太股は出ないからな。安心して身に付ければいい」
「ああもう! コロセウム装備の時の話はしなくていいから!」
 軽口まみれの返答をぶつけられ大袈裟に嫌がる相棒の様子を見てエスティニアンは楽しげに口角を上げると、直後にそれを収めてやや険しい表情となり、話を続けた。

「ギラバニアの辺境だったか、南端に何かが激突して出来たような真新しい大穴があるだろう? それについて、何か知っているなら教えてくれ」

 エスティニアンの質問を受けた瞬間、作業を中断した冒険者の表情は彼に続いて険しいものとなり、彼に向け直したその視線でまず要点に無言で触れた。
「やはり、竜の眼絡みだったか」
「ええ。正確に言うと、あれは神龍を追跡したオメガが開けたものになるわ」
「神龍、だと?」
 肩に預けた木材には手を添えたまま、しかしそれを削っていたナイフは傍らの床に置くと、エスティニアンはその表情を更に険しくさせた。

「神龍と呼んでいるけどドラゴン族じゃないわ。どういうわけか雲海の底から竜の眼が拾われてしまっていてね。竜の眼を手に入れたアラミゴ人が眼に残っていた魔力を使って、バエサルの長城でアラミゴ解放軍の兵士たちを生贄として惨殺して、更に眼を手にした本人までもが命を投げ打ったことで、その場に凝縮された絶望と憎悪の感情を使って蛮神召喚をしたの。その蛮神についてはエオルゼア四国の同盟軍が情報を共有した上で協議をして、その時に目撃情報から便宜上「神龍」と名付けて、以後そう呼ぶようにしたのよ」

 険しい表情のまま冒険者の話に耳を傾けていたエスティニアンは、彼女が話を結んでから暫しの間、眉根を寄せて思案をすると、深い溜め息を吐き出してから語り始めた。
「同胞を生贄にして、更に術者自らまでもが……。壮絶に次ぐ壮絶な展開だな」
「この件では他にも壮絶な出来事があったんだけど、それはもう終わってしまったから省いたわ」
 淡々と語る冒険者の瞳に教皇庁の惨劇後と同種の陰りが微かに見え隠れするのを認めたエスティニアンは、終わってしまった壮絶な出来事の真相を把握してその目を伏せた。
「……そうか。要約すると、神龍と呼ぶことにした蛮神の核に竜の眼が使われていて、現状そいつはどこかに潜んでいる。そういうことだな?」
 エスティニアンが纏めた内容を聴いた冒険者は黙って頷くと、改めて厳しい表情となってから話を続けた。

「竜の眼が関連しているとわかった以上、静観するつもりは更々無いんだろうとは思うけど、これだけは約束して。神龍が蛮神としての形を保っている間は、絶対に手を出さないで」
「ラーヴァナの時と同じ、か」
「大雑把にはね。でもラーヴァナの時と明らかに違うのは、神龍には竜の眼が取り込まれていて、貴方と竜の眼は親和性が極めて高いという点よ。万が一にも事態を悪い方向に進めたくはないから、お願い」
 自身が竜の眼と親和性が高いという点は、その身に竜の血を廻らせているエスティニアンには否定をすることなどできなかった。

 ──お願い。

 そう言った直後から現在まで揺るがない、冒険者からの突き刺すような視線。
 つい先ほどまでの陰りがすっかり取り払われたその瞳の奥には、是と言わなければスチールヴィジルの時のように、ここで足腰を立たなくさせることも辞さない、と言わんばかりの強烈な意志が含まれていることを、エスティニアンは感じ取っていた。
 雲海に遺棄された時の竜の眼にニーズヘッグの意志が含まれてはいないという確信はあるが、雲海から拾い上げられアラミゴ人の手に渡った竜の眼には生贄とされたアラミゴ人たちの、極限にまで凝縮されたであろう負の感情が詰め込まれている。
 アラミゴ人たちの負の感情が竜の眼と絡むことでどのように作用するかという点が測れない以上、ここは蛮神討伐の第一人者である彼女の意向に添うのが最良かつ唯一無二の選択だ。

「わかった」

 エスティニアンから短い是の回答を受けた途端、冒険者はその視線を和らげると安堵の息を吐いた。
「アラミゴ人たちが第七霊災の時に目にした竜……バハムートをも凌ぐ力をアラミゴに、と望まれたことで、竜の姿の蛮神になったのだろうと言われているわ。つまり、神龍の姿が保てなくなれば竜の眼とアラミゴ人の感情とは切り離されて、蛮神としての脅威は無くなると思うの。そこまでは、私に任せてちょうだい」
 冒険者は、近々途方も無く厄介な存在を相手とすることを余儀なくされている者とは思えない、まるで明日の献立の下拵えを任されたかのような口調でエスティニアンに応じると、それまで中断させていた作業を再開した。

「お前が今、ギラバニアを拠点としているのは、その神龍の対策を任されているから、というわけか」
 冒険者からやや遅れて自らの作業を再開したエスティニアンは、今しがた得た情報を締めくくる意味合いを込めて冒険者へと語りかけた。
「神龍の件と、もうひとつはアラミゴ情勢そのものね。ウルダハのラウバーン局長と暁の仲間のリセがアラミゴ出身で、今は彼らが中心となってエオルゼア同盟軍と連携を取って、アラミゴ解放軍の指揮をしているの。二人にはこれまで散々お世話になったから、私はその恩返しみたいな感じで動いているわ」
 冒険者は作り終えたダークスチールワイヤーをモル族から借り受けた手桶の外周に沿わせることで均一な曲線を描くワイヤーへと成型しながら、エスティニアンの問いに答えた。
「なるほどな。暁の仲間をサポートしているとなると、アルフィノも共に?」
「ええ、彼もアラミゴ解放軍と行動を共にしているわ。イシュガルドを後にしてからこっち、今まで苦手としていたことにも果敢に挑戦してみたりと、凄いのよ」
「ほう? あの坊ちゃんが苦手なこととなると、身体能力に物を言わせる分野だな」
 その方向性を容易に想像することのできたエスティニアンは楽しげに鼻で笑い、つられて冒険者も、その手許を疎かにしてクスクスと笑う。
「それが何なのかは秘密にしておくわ。知りたかったら直接アルフィノに聞くことね」
「フン、光の戦士殿は随分と意地の悪いことで」
 そう言いながらエスティニアンは苦笑をするとナイフをヤスリに持ち替え、削った木材の表面を整える作業に取り掛かった。

「そういえば、リセの境遇はエスティニアンと似ているのかもしれないわ」
 冒険者は曲線を描くワイヤーを提灯状に組み立て始めながら、ぽつりと呟いた。
「……リセも家族を戦争で失ったのか」
 静かに応じるエスティニアンに、冒険者は頷く。
「リセのお父さんとお姉さんは、どちらもアラミゴの開放に尽力をされた方なんですって。今回の戦いに勝ってアラミゴを帝国から開放することができたら、お二人の悲願が叶うことにもなるんだけど、彼女にとってお二人の存在は大きいままだろうから、見ていて大変そうだなって思う時もあるわ」
「親や姉となると、常に背を見て追い駆ける存在だからな。ましてや故人となってしまっていては、追い駆けも追い越しようもない。そこは致し方ないだろうが……」

 話と共に作業をする手を止めると、エスティニアンは暫しの間思案をした後に口を開いた。
「しかし、四国からの支援を取り付けて帝国に立ち向かうという現在の状況を作り出した点は、リセにしか成し得なかったことだろうと思うぞ」

 エスティニアンの意見を受けた冒険者は、リセにパパリモが言い残した「お前にしかできない役目がある」という言葉は、きっとこのことを指していたのだろう、と、唐突に思い至る。
 それまで伏せ気味だった彼女の睫毛が勢いよく天井へと向いた。
「そうよね! ありがとう、イイことを聞けたわ!」
「戦いの旗頭として擁立され、常にそう見られる側の気持ちは、立場は違えどお前にも判るだろう。そういった方面でリセから相談をされたら、お前がイシュガルドで経験をしたことが役に立つだろうさ」
 冒険者の喜ぶ様子を見たエスティニアンは目を細めながら、その手で仕上げた道具の柄となる部分を彼女の前の床に置いた。
「その骨組が仕上がったら、こいつの先端に固定をしてくれ。大鍋に一杯の、プディングほどの固さになった材料をかき回して細かくする道具だから、かなりの力がかかる。簡単には外れないように頼むぞ」
「わかったわ」
 冒険者は短く応えながら差し出された柄を自らの側に手繰り寄せるとワイヤーを提灯形に成型する作業を再開し、エスティニアンは足元に広げた敷布では受け取り損ねて周囲の床にこぼれてしまった木屑を拾い始めた。

「似ているといえば、エスティニアンとリセは見た目もだったわ」
「何を言うかと思えば、妙なことを。リセは女なんだろうが」
 拾い集めた木屑を敷布の上に積み上げたエスティニアンは、その手に付着したままの細かな木屑を払いながら、片眉を上げた視線を冒険者へと向ける。
「あ、言葉が足りなかった。そういうことではなくて」
 苦笑をし、その肩を竦めた冒険者は話を続けた。
「知り合ってから竜詩戦争が終わった頃まで、彼女はお姉さんの形見のマスクで目元を覆っていてね。ずっと素顔を見せてくれなかったのよ。エスティニアンも知り合ってから竜詩戦争が終わるまでアーメットで顔がよく見えなかったから、そういう意味での見た目ね」
「ふむ、なるほど」
 その一言と共にエスティニアンは薄く笑う。
「俺の場合は蒼の竜騎士としてドラケンアーマーのフル装備を義務付けられていただけだが、リセは姉の形見を身に付けることで自身を鼓舞していたのかもしれんな」
「そうね。マスクの他にお姉さんの名前を名乗ってもいたから、マスクを外して本名を打ち明けられた時は本当にびっくりしたわ」
「そこまでのことをしていたのか。姉の名と外見を装って行動をすることでのみ成し得たことがあったのかもしれんが、故人の、しかも家族の名を常に耳にすることは、相当精神的な負担を伴っていたと思うぞ。俺も……」

 驚きの表情でそこまでを口にしたエスティニアンは、アルベリクに保護をされ皇都で暮らし始めてからしばらくの間、他人の後ろ姿に幾度と無く両親や弟の姿を重ねてしまい、また、偶然同じ名前を耳にしては胸を痛めていたことを思い出し、沈黙をしたまま、自らその状況に身を投じたリセの精神力に感嘆をしていた。
 自身は、新たな保護者となったアルベリクが、父親とは見間違いようのないヒューラン族で、しかも黒髪の持ち主であったことに、密かに感謝をしたほどだったのだから。

「俺も、って、えっ? まさかエスティニアンも、お父さんか弟さんの名前を名乗ってた……とか?」

 そんなエスティニアンが浸っていた一時の感傷は、冒険者が突如口走った妄言により強制的に幕を閉じられてしまった。
「おい、何故そうなる?」
「だって、リセとお姉さんの名前の話の途中で黙り込んでしまったから」
 困惑しながら理由を白状した冒険者の様子を見て、エスティニアンはニヤリと笑う。
「実はな……と言ったら、どうする?」
「えっ? ちょっ……待ってそれ困る! じゃなくて、ええと」
 困惑の度合いが加速度的に増し挙動不審に陥った冒険者の姿はエスティニアンの含み笑いを増幅させていたのだが、当の本人はそれどころではないので、それには全く気付かずにいた。
「うーん。相棒だし、紅の竜騎士同士なわけだし、これからは同じ鎧も身に付けるんだから、やっぱり、本名は知っておきたいなぁ、と」
 困惑を残しながらも真剣な眼差しで訴える冒険者の様子を観察していたエスティニアンは、堪えきれずにとうとう噴き出してしまった。

「……もしかして、冗談?」
「ククク……当たり前だろうが」
 笑いを残しながらそう言うエスティニアンを冒険者は呆然とした表情で見つめると、工作途中の道具を膝上に置いてその頬を染めた。
「単に昔のことを思い出していただけだ。アルベリクに皇都に連れてこられてしばらくの間は、銀髪の他人が両親や弟の姿に見えてしまったりしてな」
「そうだったの……ごめんなさい。辛かった時のことを思い出させちゃったのね」
 直前の赤面させた表情を一転して曇らせた冒険者を見て、エスティニアンはその首を横に振る。
「いや、そこは気にせずともいいぞ。俺の場合も悲劇が発端だが、ファーンデールを出なければ竜騎士などにはならず、そのまま家業を継いで羊の世話をしていただろうからな。お前やアルフィノとは勿論、アイメリクと逢うこともなく、イシュガルドは今も国を閉ざしたまま竜詩戦争を続けていたのかもしれん。振り返ってみれば、そういう廻り合わせだったということだ。そもそも今日の作業をするために朝からずっと、両親が作業をしていた姿や両親から教わったことを思い起こしていたからな。昔のことを考え易い状態になっていたんだろうよ」
 自らの作業を後始末まで終え、相棒が最後の仕上げをする様子をその対面で見守りながら、エスティニアンは穏やかな表情と口調で話を続けた。

「片田舎の平凡な牧夫で突然一生を終えてしまった俺の親父は無念だったろうが、死の直前までは、竜詩戦争のさ中とはいえ平穏な日々を過ごしていたからな。リセの父や姉のような悲願などは抱えていなかったはずだ。何か胸に秘めていたものがあったとしたら、それは家族の安泰と牧羊業の安定・発展、といったところか。両親から見れば俺の知識や技術などまるで粗削りだろうが、それでも、霊災で以前より牧羊には向かない環境となってしまったクルザスから遠く離れたこの地にそれらを伝えられるのは、牧童上がりの俺が竜騎士として立ち回った結果だからな。モル族の神託には驚かされるばかりだが、同時に、両親と弟を驚かすことのできる土産話になったと思っているさ」
「ファウネムがキオルエンに潜んでいたことも廻り合わせ、と考えると、千年前からのことまで絡んでくるから不思議な気持ちになるわよね。はい、こんな感じでどうかしら?」
「おっ、できたか」
 エスティニアンの話に微笑みながら相槌を打った冒険者は、提灯を模したダークスチール製の骨組を棒の先端に固定した道具を彼に手渡した。

 冒険者から完成品を受け取ったエスティニアンは左手で柄を持つと右掌へとワイヤー製の球部分を数回振り下ろし、骨組そのものと柄との接合部分の強度を確認する。
「これならば大丈夫だな。一時はどうなることかと思ったが、助かったぞ、相棒」
「良かった! それをどういう風に使うのか、明日が楽しみだわ」
「こいつの出番の前に、明日もまずは乳搾りをするからな。夜明けと同時に作業を始められるよう、起きて身支度を整えてくれ」
「えっ? そんなに早くから?」
 手元の工具を片付けることを中断して驚く冒険者を見たエスティニアンは途端に呆れ顔となり、その首を盛大に横に振った。
「お前な……。そもそもそれが普通で今日が遅過ぎたんだ。家畜からは乳や毛や、果ては命までをも貰うんだからな。その代わりにあいつらが日々を平穏に過ごせることを第一に考えてやらねばならん。羊に限らず、家畜を扱う仕事はどれも朝が早いぞ」
 そう言いながらエスティニアンは道具を手にしたまま立ち上がり、ゲルの柱に立て掛けている魔槍の横に敷布を広げると、骨組を下にして魔槍の隣に立て掛けた。

「ああ、そうだ」
 モル族から借り受けた寝巻きに着替えるべく衝立の向こう側に立ったエスティニアンは、片付けを続ける冒険者へと再び話し掛ける。
「今朝絞って寝かせてある乳だが、明日の朝には分離してクリームが出来ているぞ。クリームは取り除くから、とりあえずそれは献立に活用してくれと、明日の朝シリナに伝えてやってくれ」
「わかったわ。それにしても、クリームを副産物にしてしまうだなんて凄いわね」
「副産物というよりは、もうひとつの商品と位置付けるべきだろうな。チーズがすぐには出荷できない分、俺の家ではクリームを使って菓子を作ったり、あるいはそのままで出荷をして日銭を稼いでいたのさ。毎日身近にあるものだったが、祭りの時くらいしか子どもは口にできなくてな。美味いのは判っているから、弟と作業小屋に忍び込み、桶からクリームをすくって盗み食いをしては、お袋に怒られたもんだ」
「何それ、かわいい! ……あれ? お父さんからは怒られなかったの?」
 クスクスと笑った後に首を傾げる冒険者の様子を見たエスティニアンは、口許に笑みを浮かべながら目を伏せると話を続けた。
「ああ。不思議と親父には、見つかっても怒られなかったな。今思えば、きっと親父もガキの頃に同じことをしていたんだろうさ」
「ふふっ。男同士のなんとか、ってやつかしら。ここでもいずれ、そういう光景が見られるかもしれないわね」
「そうだな。昔話が聞きたければ明日話をしてやるから、今日はもう休むぞ」

 冒険者に応じながらエスティニアンは寝台へと足を運ぶ。
 それと入れ違いに衝立の向こう側に立ち着替え始めた冒険者は、その途中で頭だけを衝立の側面から覗かせるとエスティニアンへと語りかけた。
「今の話を聞いて、折角だからクリームを使ってここの子たちに何かお菓子を作ろうかなって思ったんだけど、何がいいと思う?」
 それは予期せぬ質問であったらしく、寝台に腰掛けた状態でその目を見開いたエスティニアンは、口許に手を当てて思案をした後に応じた。
「ザッハトルテは作れるか?」
「作れるけども、どうしてザッハトルテなの?」
「こちらでは珍しいものになるかと思ってな。あとは……」
「あとは?」
 エスティニアンは横になると頭の後ろで両手を組み、天井を見上げながら話を続けた。

「ザッハトルテは皇都から注文が入った時にだけお袋が作っていてな。おそらくは貴族からの注文だったんだろう。出荷されるまで厳重に保管されるもんで盗み食いなど到底できようはずもなく、ただの一度も、欠片すら食ったことが無いのさ」
 そう言いながらエスティニアンは冒険者の側を向き、ニヤリと笑う。
「それって、自分が食べてみたくなったからじゃないの?」
「そうとも言うな」
「一度も食べたことが無いだなんて……。イシュガルドで、いつでも買えたでしょうに」
 呆然としながら応じる冒険者を見て、エスティニアンは苦笑をする。
「単に今の今まで忘れていただけだ。たとえ思い出したとしても、ケーキ屋になど俺が足を運ぶと思うか?」
 そう言うとエスティニアンは脇に寄せていた毛布を被り、冒険者に背を向けた。
「お前も着替えたら早く横になれ。明日、時間になっても寝ていたら容赦なく叩き起こすぞ」
「今朝だって叩き起こしたようなものじゃないの」

 そんな冒険者の苦情めいた一言に、エスティニアンの反応は既に無く。
 瞬時に眠りに入ったのか、あるいは一刻も早く休めという、狸寝入りによる意思表示か。

 エスティニアンからの返事を諦めた冒険者は、着慣れない寝巻きの襟元を整えながら、先程の作業中に交わした様々な会話の内容を思い返す。
 ここでの彼の表情はイシュガルドの病室の時のそれよりは晴やかなものとなっていたが、竜の眼のその後についての情報を渡した途端に陰りが生じてしまった。
 しかし、先ほどまで心の中で渦巻いていた、遠からず神龍と対峙する際の最大の懸念と考えていたエスティニアン介入の可能性は、この雑談の最中に払拭することができた。

(ああなるのは当然のことだけど、でも、それではお天気のお姉さんの異名が廃るというものだわ)

 いつの日かエスティニアンには、己を見つめ直すものと語っていた現在の旅を、気ままな旅にしてほしい。
 その為には相棒として、もう一人の紅の竜騎士として、確実に神龍を屠らなければならない。
 いつの日かエスティニアンが竜の眼についてを振り返った際、あれが最良だったのだと思って貰えるようにするために。

(でも、とりあえずは明日のことを頑張らなきゃね。またクガネに行く必要がありそうだけど……)

 そう考えながら冒険者は手帳を取り出し、ザッハトルテのレシピを再確認する。
 バターは明日の搾りたての乳から作ることができるだろう。
 小麦粉は、ボーズを作ることのあるモル族ならば蓄えの中にあるだろう。
 調達をしなければならないのは、ロイヤルククルビーンとアプリコットとバブルチョコか。
 否。
 小麦粉をお菓子に使われてしまうことはモル族には想定外であろうから、小麦粉も併せて調達することとしよう。

 大まかに明日の見通しを立てることのできた冒険者は手帳をしまうと、自らの寝台へと向かいながらエスティニアンの様子をそっと確認する。
 彼は先程と同様に背を向けたままの姿勢で、今は微かな寝息を立てていた。

 エスティニアンの後ろ姿は、彼の父のそれと似ているのだろう。
 先ほど完成させた道具を明日、初めて彼が使う時も、何故かその姿勢は似ているのだろう。 
 そんな彼の背中を、エスティニアンの父は天界から見て喜んでいるのだろう。

 きっと……。

 自らの寝台に入った冒険者は、そのようなことを考えながら眠りについた。

    ~ 完 ~

   初出/2018年9月26日 pixiv
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