即・再会の市

「依頼主への報告は済んだようですね、エスティニアン殿」

 アジムステップで長きに渡って人々の悩みの種とされていた漆黒の巨竜問題が解決し、竜狩りの達人としてその事態の収拾を請け負ったエスティニアンが、依頼主であるケスティル族の商人から艱難辛苦を乗り越えて報酬の後金を受け取り終わった直後、澄ました女の声が彼に掛けられた。

 その声は、エスティニアンには聞き覚えがあるどころの話ではなかった。
 振り返って姿を検分するまでもない。
 つい先刻まで散々声を掛け合っていた相手──彼が相棒と呼ぶ冒険者である。

 エスティニアンに掛けられた言葉自体は、彼らの周囲を行き交う人々や軒を連ねる商店の売り子たちが耳にしても何ら気に止めることはない、至って普通のものだ。
 しかし彼女の言葉遣いも声音も、エスティニアンにとっては気味が悪いことこの上なかった。
 なにせ、エスティニアンは彼女から殿付きで呼ばれたことなど今までただの一度も無く、加えて、要人との会合の場以外で彼女の澄ました声での丁寧語を耳にすることも無かったからだ。

「なんだ? アルフィノの口真似のつもりか?」

 これは多分、ろくなことにならない。
 そんな直感が脳裏を過るなかで努めて平静を装いエスティニアンが振り返ると、そこには先ほど別れたばかりの冒険者が満面の笑みを湛えて、オーン・カイとともに佇んでいた。
 冒険者の背後で滞空を続けるオーン・カイの瞳が先程より輝いて見えるのも、おそらく気のせいではないだろう。
 蒼の竜騎士としての経験と邪竜にその身を囚われていた体験とで培われたエスティニアンの、他の追随を許さない域に達している対ドラゴン族に特化された観察眼が、この場では無駄にその能力を発揮していた。
 視覚から得られた情報を合わせてみても、やはりこれは、ろくなことにならない。

「似てた?」
「いや、全然だな」
「でしょうね」

 彼女は肩を竦めながら笑い、その後、腕を組みエスティニアンを改めて見上げると言った。
「貴方は竜騎士としては先輩だけども、冒険者としてのキャリアは私の方が上よ」
「まあ、そうだな」
 指摘された点は紛れもない事実なので、話の先を促すことを目的にエスティニアンは素直にそれを認める。
「その先輩冒険者からひとつ質問なのだけど、今回の依頼は貴方だけで解決できたものだったかしら?」
「……チッ」
 加えて指摘をされた点も当然否定することはできず、エスティニアンは彼女から視線のみを逸らして軽く舌打ちをした。

「ギルドから冒険者に義務付けられているというわけではないのだけど、いわゆる冒険者の処世術ってやつね。途中で他の人の手を借りた場合、私はその協力者に謝礼をすることにしているの。そうしておくと先々で新しい依頼が舞い込んできたりもするから、知っておいて損はしないわ」
「なるほどな。覚えておこう」
「そして、その逆もまた然り……よ」
 わかるわよね? と言いたげな視線を改めて相棒から送られたエスティニアンは、覚悟を決めるより他はなかった。

 ここは再会の市。広大なアジムステップの中にある。
 ほぼ平坦な草原には逃げ場など無いし、そもそもエスティニアンの技量を持ってしても逃げ果せる相手ではない。
 そして、この場での揉め事はご法度だ。

「……つまり、協力者を蔑ろにすると、この先の冒険者稼業に支障をきたす、と。お前は、そう言いたいわけだな」
「ええ、大雑把にはそういうこと。で、今回の協力者を連れてきたのよ」
 笑顔で出された彼女の言葉を合図としたかのように、オーン・カイが前方に躍り出た。

「イタダキマス、って言えばいいんだっけ? ゴチソウサマデス? まだ何も食べてもいないのにゴチソウサマデスって言うのは不思議だよね」
「……お前のヒトの言葉の理解度は、その歳でなかなかのものだと思うぞ、オーン・カイ」
 エスティニアンはため息混じりでオーン・カイに語りかけ、それを言葉通りに受け取ったオーン・カイは嬉しそうにくるりと一回、その場で宙返りをした。

「おい相棒、お前は一体こいつに何を吹き込んだんだ?」
 一転してエスティニアンは眉根を寄せ、冒険者を見据える。
「吹き込んだ、って、そんな人聞きの悪い……。ヒトとのつきあい方、とかかしら。さっき聞いたでしょう? オーン・カイの将来の目標は、自分の背に竜騎士を乗せることだって」
 ふむ、とエスティニアンは思案をし、改めてオーン・カイを見ると言った。
「俺がどんなヒトなのかは、もう大体わかったんじゃないのか?」
「ん~、会ったときは怖そうだなって思ったけど、ほんとは優しいヒトなんだ、ってのはわかったよ」
「うっ……」
 あどけない口調で次々と直球を投げ付けられたエスティニアンは、彼らしからぬ戸惑いの表情となって言葉を詰まらせる。
「……ならば、それでいいだろう?」
「違うんだよ。僕は、せっかく東方に来たんだから、帰る前にここのヒトたちの様子も知っておきたいと思ったんだ。でも、ここはイチバっていうところだから、オカイモノってことをしなきゃならないんでしょ? 僕にはオカイモノをすることができないから、代わりにやってみせてほしいんだ」
 オーン・カイは大きな瞳をキラキラと輝かせながら希望を述べ、エスティニアンは半ば呆然としながらそれを受け止めていた。
 そんな二者の様子を傍らで見守っていた冒険者が頃合いを見計らって、トドメという名の口添えを容赦なくエスティニアンに刺す。

「エスティニアンは今、旅をする中で人と竜との仲介をやっているんでしょう? そして、今回の件で協力者に謝礼を、と言っても、オーン・カイにギルそのものは使い辛いでしょう? だから、オーン・カイと一緒に市場を一巡りして、彼が欲しいというものを買ってあげて」

 かくして、人と竜とが連れ立って買い物をするという、再会の市が開かれて以来初となる光景が、暫しの間繰り広げられることとなった。


「おかえりなさい! まあ、本当にものすごい量のお荷物ですね!」
 二人の竜騎士と子竜という来訪者をモル・イローの門前で迎えたシリナは、その目を大きく見開いて驚きの声を上げた。
「突然お邪魔をすることになってしまってごめんね、シリナ」
 一行を代表して恐縮をしながら挨拶をする冒険者と、その背後で大荷物を抱えて困惑の表情を浮かべているエスティニアンと、それなりの量の荷物を首にぶら下げながらこの先の展開を期待して目を輝かせているオーン・カイに向けて、シリナは笑顔で応じる。
「大丈夫ですよ。神託がおりていましたから、今日、皆さんがいらっしゃることはわかっていました。お休み戴くためのゲルも整えてありますよ」
「神託?」
 首を傾げるエスティニアンに向けて、シリナは笑顔のまま話を続けた。
「私たちモル族は、神託に従って日々を送っているんです。今日おりた神託の内容は、私でも、本当に? って思ってしまっていたんですけど……」
 シリナは話を中断すると、それまで堪えていたものを吐き出すようにクスクスと笑った後に話を再開した。
「お客様がいらっしゃるけど晩ごはんの買い物はしなくていい、というものだったんです」

 シリナの話す内容が完全に予測不可能なものだったためか、それまでの困惑の表情を一瞬ひきつらせたエスティニアンは、その顔を綻ばせると荷物をシリナに見せるように抱え直して言った。
「あなた方の神託とは、凄いものなのだな。確かに、この集落の全員に行き渡る程の食料を、俺たちは持ち込んでいるようだ」
「どう見てもお三方で召し上がるには多過ぎると思いますけど、どうしてこんな量になってしまったんですか?」
 シリナが抱いた当然の疑問に、エスティニアンは苦笑をしながら答えた。
「オーン・カイ……この竜が買い物をするのが、市場の者には珍しいどころか幸運を招く出来事と思われたらしい。こいつが食い物ばかりを買い求めているうちに、縁起を担がせてくれと次々に食料を差し出され、それを無下にするわけにもいかず……でな。気が付いたらこうなってしまったわけだ」
「そうだったんですか! その縁起を担ぐというのは、ドマの風習かもしれませんね。……あっ! お荷物を抱えさせたままにしてしまってごめんなさい! どうぞこちらに」
「ああ、気にしないでくれ。この程度ならば大丈夫だ。世話になる」

 一行はシリナの案内で族長の待つゲルに通され、程なくして彼らが持ち込んだ食料を中心としての、モル族の晩餐が始まった。


「テムルンさんは、すごく物識りなんだね! 石の柱のこととか、色々なお話が聞けて楽しかったよ」
 晩餐を終えて、休息用にと提供されたゲルに入るなり、オーン・カイはその中を検めるように飛び回ると中心で宙返りをして言った。
「様々なことを知っていなければ、族長は務まらんからな。彼女は、聖竜の陣営で例えれば、フレースヴェルグと同じ立場だぞ」
「えっ? そんなに偉いヒトだったんだ! じゃあ、僕より年上だったりするのかなぁ?」
「いや、さすがにそこまでの歳ではないだろう」
「本当に? ヒトって、短い時間でたくさんのことを覚えられるんだね」
 感嘆するオーン・カイにエスティニアンは穏やかな眼差しを送ると、ゲルの一角を陣取り愛槍を柱に預けて手荷物を床に置いてからその脇に腰を下ろす。
 そのエスティニアンと同様に愛槍を柱に立て掛けた冒険者は、彼の前に敷布を広げると、晩餐から退席する際にシリナから預けられた籠の中にある小鉢と飲み物を取り出してそこに並べた。

「ヒトってごはんを食べた後すぐに、またごはんを食べるの?」
 その様子を見てオーン・カイが投げかけた素朴な疑問に、冒険者は微笑みながら答える。
「これは、何と言えばいいのかしら? 食後の団欒用? 寝る時までお喋りをするための小道具といった感じのものね」
「毎夜寝るわけではないドラゴン族には、理解し難い感覚かもしれんな」
「ふうん? よくわからないけど、とにかく、これは食べていいんだよね」
 首をかしげながら二人の言葉を聴いていたオーン・カイは、そう言うなり小鉢に盛られたドライフルーツに手を出した。

「それにしても、キオルエンの話には驚いたわよね。あの石柱にそんな仕掛けがあっただなんて、二度も行ったのに分からなかったわ」
 冒険者は敷布を挟んでエスティニアンの対面に座り、話を始めた。
「ああ。俺も討伐依頼をされた時に、あの場の由縁までは説明をされていなかったからな」
「討伐依頼そのものも、よくぞあのケスティル族から受注したものだと驚いたけどもね」
「あれな……受注も報告も苦労したぞ」
 クスクスと笑う冒険者を見て、エスティニアンはため息を吐く。
 そんな二人を見て、オーン・カイが口を開いた。
「ファウネムさんが居た場所へ着いた時に僕、焦っているはずなのに、でも気持ちが落ち着くような、不思議な感じがしたんだよ」
 その言葉にエスティニアンは、思案をしながら答えた。
「ふむ、なるほど。……竜の血がこの身に流れているだけでは分からない感覚だったようだな」
「えっ? ヒトの身体に竜の血が流れているって、どういうこと?」
 驚くオーン・カイに向かって、エスティニアンは意外そうな表情を浮かべながら言う。
「何だ、親父から俺のことを聞いたりはしていなかったのか」
「聞いてないよ。竜騎士ってみんなそうなの? まさか……」
 オーン・カイは絶句をして冒険者を見つめ、その視線を受けた冒険者は慌てて首を横に振り否定をした。
「私は違うわよ。いっとき、竜の生き血に浸けて造られたという甲冑は着たけども」
「生き……血……!?」
 冒険者のまるで逆効果な弁明を聞いたオーン・カイは、愕然となったあまりに羽ばたきを忘れ、木の葉が舞うように定まらない軌道を描きながら床に落ちた。
「……竜騎士って、怖いよ」
 床に突っ伏しながら辛うじて一言を絞り出したオーン・カイを見て、二人の竜騎士は揃って苦笑をする。
「お前を怖がらせるつもりではなかったんだがな。とにかく、そうまでしなければヒトはドラゴン族とは戦えなかったということさ。俺のように身体にニーズヘッグの血を廻らせてまでの」
「ニーズヘッグの血!?」
 オーン・カイは話を聞き終わる前に、まるでイルーシブジャンプをしたかのように大きく後方へと跳び、エスティニアンへと驚愕の視線を送る。
 その様子を唖然としながら見た冒険者は、直後に穏やかな口調でオーン・カイに語りかけた。
「そんなに驚かなくても、もう大丈夫よ。ニーズヘッグはイシュガルドの人たちの祈りに送られて、星に還ったから」
「そ、それはわかっているつもりだったけど、今も身体にその血が廻っているとか、突然言われるとびっくりしちゃうよ」
 そう言いながら恐る恐る歩み寄るオーン・カイを見て、二人の竜騎士は揃って再び苦笑をする。

「ヴィゾーヴニルはニーズヘッグを敬うべき存在と言っていたけど、あなたのように竜詩戦争のさなかに聖竜側で生まれた若い竜には、考え方が難しい存在なのかもしれないわね」
「……うん。遠く離れた場所からの咆哮ひとつで、ファウネムさんがあんなことになってしまったんだし」
 オーン・カイは俯きながらそう言うと、目を伏せて思案をした後に二人の竜騎士を見つめて語り始めた。
「ファウネムさんがあそこに居たのは、石の柱から流れてくる風の詩を竜詩の代わりに聴いて、壊れそうな心を守ろうとしていたんだと思うんだ。ファウネムさんは、ここの昔のヒトが作った物に助けられていたんだね」
「……そうだな。加えるならば、千年の間ヴェズルフェルニルの願いを胸に秘め続け、どんなに苦しくとも再会を信じて、東方以外の地に逃げようとはしなかったのだろう。ファウネムは、どこまでも優しい竜だったということだ」

 オーン・カイにそう語りながらエスティニアンは、その脳裏にシヴァの時代を思い浮かべる。
 聖竜と邪竜。そして、詩竜と呼ばれたラタトスク。
 それぞれの眷属たちが交流をし、ヒトをその背に乗せてドラヴァニア雲海を行き交っていた時代。
 ファウネムのように極めて温和な眷属が邪竜の陣営にも存在し、それをニーズヘッグが統べていた。
 失われた翼たちは戻らないが、ニーズヘッグ亡き後、眷属の中で高位となるファウネムがドラヴァニアに戻ることによって、徐々にではあるだろうが邪竜の陣営に新たな時代の到来を知らしめることができるはずだ。
 オーン・カイがヴェズルフェルニル程の歳となる頃には、竜がヒトや他の種族とも共存共栄をする、第二の蜜月時代となっているに違いない。
 その時、オーン・カイの胸の内には、果たしてどのような竜詩が紡がれていることになるのだろうか。

「そんなファウネムさんの優しいところを父ちゃんは好きになって、番いになったんだね……って、あれ? ゆらゆらしてるけど、どうしたの?」
 オーン・カイが首を傾げて視線を送った先では、いつの間にか冒険者が船を漕いでいた。
「ああ、眠ってしまったか。昼間、あれだけの大立ち回りをしたからな。さすがの英雄殿も疲れたのだろう。そのまま、そっとしておいてやってくれ」
 指摘を受けて冒険者の様子を見たエスティニアンはその目を細め、心なしか小声でオーン・カイに注意を促す。
「さっきまで普通に話をしていたのに、ヒトってこんなに突然寝ちゃったりするんだ……」
 改めて冒険者の顔を覗き込んだオーン・カイは心底不思議そうな口調で、竜ならではの感想を述べた。

「ところでさ、エスティニアンに番いさんはいるの?」
 オーン・カイにとっては単に話の続きをしたに過ぎなかったのだが、そう口走った直後、彼は背筋の鱗が全て逆立つような感覚を覚えた。
「お前は、俺がデレデレしているところでも見たいのか? ん?」
 敷布の対面で眠る冒険者を気遣ってのことか、極めて静かな口調での返事ではあったが、恐る恐るエスティニアンを見たオーン・カイの瞳には彼の姿と共に、その周囲にうっすらと漂う赤黒い霧が映り込んでいた。
「あ……いや、その……今のは、聞かなかったことにして」
「ククク……いい心掛けだ」
 そう言ってニヤリと笑うエスティニアンの姿を心底恐ろしいと思ったオーン・カイだったが、数回瞬きをしてから改めて見ると、赤黒い霧は既に消えていた。
(あれ? 今のモヤモヤは、僕の見間違い……?)
 しかし、その疑問をこの場で解消するだけの勇気をオーン・カイは持ち合わせてはおらず、今はそれを胸の内に留め置くしかなかった。
「お前には悪いが、俺もそれなりに疲れているから寝るぞ。明朝には出立せねばならんからな」
「うん、わかった。外が明るくなるまで、僕は風の詩を聴いているよ」

 この日の晩はエスティニアンにとって久方ぶりに訪れた、屋根のある場所での心地の良い休息ができる機会だった。
 存分に英気を養わせてもらい、翌日からの旅に備えるとしよう。
 そう思いながら床についたエスティニアンだったが、しかし翌朝、彼のその目論見は脆くも崩れ去ることとなる。


「相棒、起きているか? ひとつ頼みがあるんだが……」
 冒険者は、心底困り果てたエスティニアンの声音で起こされた。
「おはよう……ってどうしたの? そんなにげんなりとした顔で」
 寝起きの彼女が驚くほどに、エスティニアンはその声と同様に彼らしからぬ、草原で迎える爽やかな朝にあるまじき複雑な表情でゲルの出入り口に立ち尽くしていた。
 冒険者がその様子を訝しみ彼の傍らまで歩み寄ると、エスティニアンはようやく事の真相を語り始める。
「顔を洗おうと外に出てみたら、そこでジェンクシという奴が作業に難儀をしていてな。見かねて手を貸したところ、何やら思うところがあったらしく、その西方の技術を教えてくれと言い始めて止まらんのだ。邪険にするわけにもいかず、どうしたものかと」
 そう言いながら肩を竦めるエスティニアンを見て、冒険者は彼の槍が未だゲルの柱に立て掛けられたままであることを再確認し首を傾げる。
「西方の技術といっても、槍……は、そこにあるから違うわよね? 一体、何を?」

「皆さん、起きていらっしゃいましたか! お、おはようございます!!」
 二人の話の間にシリナが乱入した。
 その様子は普段の彼女が見せる穏やかなものとはかけ離れた、驚きと困惑を隠そうともしないものだった。
「おはよう、シリナ。どうしたの? エスティニアンだけでなく貴女まで、何か困ったことが?」
「えっと、そのですね。今朝おりた神託がっ! どう解釈してもエスティニアンさんに関係しているとしか思えないもので。でも、竜騎士さんなのに、どうして……って」
「落ち着いて。話を聞かせて貰わないと、対処のしようが無いわ」
 浮き足立っているシリナを宥める冒険者に続いて、エスティニアンもその様子を見ていたたまれなく思ったのか、口添えをする。
「神託ならば昨日のもののように、無茶と思えてもなぜか丸く収まる結果になるのかもしれんしな。モル族には一宿の恩もある。話を聞かせてくれ」
 神託で指名をされた形となっているであろうエスティニアンから促されることでシリナはようやく決心がついたのか、大きく深呼吸をすると言った。

「西方でのチーズの作り方を、私どもに教えていただけますか!?」

 シリナの言葉を聞いたエスティニアンと冒険者は、揃って呆然とした。
 そんな二人の反応を見たシリナは俯いて苦笑をし、力なく話を続ける。
「あ……やっぱり。さすがに今日の神託は、解釈をやり直す必要がありますね」
 しかし、二人が呆然とした理由は同じではなかった。

「それならば、お安いご用だが」
「えっ?」
「へ?」

 エスティニアンの呆然とした表情はシリナへと移り、冒険者は引き続き呆然とした表情のままで、かなり間抜けな声をその口から漏らした。

「しかも、その神託は既に動き出しているようだぞ、シリナ。俺はつい今しがた、外でジェンクシからあれこれと質問攻めをされてな」
 呆然としたままの冒険者は、その胸の内に渦巻く動揺に彩られた疑問をようやく言葉にまとめてエスティニアンにぶつけた。
「エ……エスティニアン、貴方、チーズを作れるの?」
「何だ相棒、その間の抜けた顔は。……ああ、そういえば、お前に話をしたことは無かったか」
 エスティニアンは冒険者の様子を見て笑うと、話を続けた。

「俺の生まれ故郷は、牧羊とそれに纏わる様々な生産物で生計を立てていてな。子どもは手伝いをするのが当たり前で、俺も一通りのことは教え込まれて身に付いているというわけだ。チーズならば四種類作れるが」
「よん?」
「……いい加減間抜け面はやめて、最後まで話を聞け。四種類のうちひとつは今日絞った乳を一晩寝かせて分離させ、明日新たに絞った乳と混ぜてからでないと仕込めない。なので、それを教えるとなると、少なくとも明日まではここに逗留せねばならんわけだ」
 エスティニアンの説明を魂が抜けたまま聞き終えた冒険者は、直後に頭を数回振り回すと言った。
「ちょっ……ちょっと待って! チーズの作り方でそういう手順は、初めて聞くのだけど」
「だろうな。残りの三つは、お前のような冒険者の間にも製法が知られているものだが、誰にでも手軽に作れるようなものを指して神託がおりるはずはなかろう。これは仕込んだ後に何年も熟成させる必要があるが、その分、商品価値は高くなる。時間はかかるが継続して生産すれば、この集落の良い収入にできるはずだ」
「何年も熟成……? 商品価値が高い……? それって、まさか、カルボナーラとかに使う、ストーンチーズ……じゃ?」
「ああ、そうだが」

 理路整然とした語り口のエスティニアンと、その話を聞いてひたすら挙動不審に陥っている冒険者の様子とを交互に見比べていたシリナが、ようやく口を開いた。
「では、ご教授いただけるんですね! ありがとうございます!」
「今言ったように、仕込みは明日までかかるぞ。そしてその後の熟成については説明のみになるが、それで良いのならばな」
「もちろんです! よろしくお願いします!」
 シリナは勢いよくエスティニアンに頭を下げ、その後向き直ると二人に言った。
「では、朝ごはんの準備ができていますので、あちらにいらして下さい」
 シリナは片手を大きく振り上げ、族長の座すゲルの側を示す。
 彼女を見下ろしたエスティニアンは、しかしその首を横に振った。

「悪いが、朝食は乳搾りの後にさせてもらおう。既に夜が明けてからかなり経っているからな。乳を分離させるための時間は、できるだけ長くかけてやりたい」
「は……はい」
「まず湯を沸かして、その湯で乳を溜める桶を洗ってくれ。寝かせる乳は明日まで火を入れることができんからな」
「わかりました!」
 エスティニアンの指示を受けたシリナが、桶の準備をするべく駆けていく。
 その後ろ姿を目を丸くして見送っている冒険者に向かって、エスティニアンは言った。
「お前には助手としてあれこれ動いてもらうから覚悟しろ。とりあえず、手順を書き留めるための筆記用具が必要だな。持っているか?」
「あるわ」
 相棒から間髪を容れず放たれた極めてシンプルな返事を受け、小気味好さを覚えたエスティニアンの口角が知らず上がった。
「よし、それを持ってついて来い。桶が来るまでの間に、良い乳を出す羊を選別するぞ」
 エスティニアンはそう言うなり、ジェンクシが世話をする羊の群れの側へと向かい始める。
 冒険者は慌てて自分の荷から筆記用具を探し出すと、彼の後を追うべく駆け足でゲルを飛び出した。


「……ほんと、ヒトっていろんなことを知っているんだなぁ」
 ゲルの屋根の上で日光浴をしながら今しがたの騒動を見守っていたオーン・カイは、率直な感想を呟いた。
「ストーンチーズ、か。どんな味なんだろう? 帰ったらクルザスに行って、アルベリクにオカイモノしてもらおうっと」

    ~ 完 ~

   初出/2017年7月28日 Privatter
1/2ページ
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