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あめのひに

「白詰め草と雨の日」

 彼女に会ったのはもう何年前のことだっただろうか。

 あれはまだ自分が警察官になりたての頃。
仕事に慣れることに精いっぱいで、警察官になった意味すらも忘れかけていた時だった。

 もちろん自分が警察官になる選択をしたことに後悔はない。
しかし、自分の力不足を痛感し、落ち込むことばかりだった。
警察学校を良い成績で卒業したこともあり、将来を見込まれているのだと思うが、
上司からの厳しい言葉は、自分への自信をへし折ってくる。
大学卒業し、警察官になった自分は世間を知らなかったのかもしれない。
所詮あの頃の自分は井の中の蛙であったのだろう。

 毎日決まった時間に帰れる仕事ではないが、あの時は偶然帰りが早かった。
帰り道、周りはほとんど学生たちで、この後遊びに行く相談をしている。
自分が遊びに行ったのはいつ以来だろうと考えながらも、毎日の仕事に疲れあまり遊ぶ気にもなれない自分がいる。
今日もせっかく早く帰れるのに早く家に帰りたい気持ちでいっぱいである。

 家帰る近道は、公園を突っ切ることである。
今日も公園では多くのことどもたちが遊んでいるのかと思いきや、ほとんどまばらだった。
それもそのはずだろう。公園を歩いているとぽつぽつと雨が降り始めた。
おそらく天気予報で雨マークがついていて、子供たちは家の中で遊んでいるのだろう。
あいにく今日は傘を持ってきていない。
不運だなと思いつつ、公園の端に東屋があることを思い出し、少し雨を避けようと向かうことにした。

 東屋には先客がいた。高校生くらいだろうか?制服を着た女性がぼんやりと藤棚を見ていた。
彼女も雨宿りだろうかと思いきやそうではないようだ。彼女の横には少し雨に濡れた傘が立てかけてあった。
それでは休憩だろうかと考えながらも、若い女性の横に座るのも憚られて、走れば家まで何分で着くのだろうかと考え始める。
まだ雨は降り始めだ。早めに帰れば濡れるのも最小限で済むはずだ。
気合を入れて、屋根のある東屋から走り出そうと思っていると、横の学生がハッとこっちに気づいた。
彼女はにこっと笑いかけ、声をかけてきた。
  「こんにちは」

まさか話しかけてくると思っていたかったから
  「あ、こんにちは」と答えることしかできなかった。
彼女は、
 「いきなり降ってきましたね雨、私びっくりしました」
と輝く笑顔を向けられ、少しドギマギしてしまう。

 「自分もいきなり降ってきてビックリしました。
雨の多い季節になってきましたね」
雨はじめじめするし、良いことがないと思っている。だからこそ、同意を求めた会話だった。
だが彼女は違ったようだ。

「そうですね。でも私雨嫌いじゃなくて、雨の日の花の煌めきはすてきだなと思うんです。
雨が藤の花を伝って落ちていくのが好きなんです」

彼女が傘を持っているのにここに座っているのは、これが理由かと納得しながら、
彼女の声に耳を傾ける。そして、少し間をあけて彼女の横に座る。

花がきれいだと思う時間も最近はなかったが、話しながら藤棚を見る彼女の視線につられ、そちらを見る。

ああ彼女が言っていたことがよくわかる。

普段とは違って雨で花びらが透けているようで、また藤の花から滴る雨が藤色のようにも見える。
雨のような藤の花というのがあるそうだが、これはまた逆だ。
こんな素晴らしい景色があったのか。思わず
 「きれいだ」
とつぶやく。

彼女はそうでしょと言わんばかりににっこりとうなずき、
 「身近にも、いろんなきれいなものが隠れているんです。
世界には素晴らしいものがもっとたくさんあと思います。
私はこんな気持ちを共有してもらえるような、芸術家になるのが夢なんです。」

自分の夢を語る彼女はとてもキラキラしていた。
とてもきれいだった。
ああ自分はこのきれいなものを守れる警察官なんだと唐突に自覚し、
警察官になってから自分のことしか見えていなかったことに気づく。
自分に足りていなかったのはこの使命感なのかもしれない。

「素敵な考えですね。自分には持っていない考えでした。
ですが、あなたの言葉で何か気づけた気がします。
ありがとうございます」

彼女の言葉は自分の考え方の根本を変えたことがよくわかる。

周りのものすべてが素晴らしく見える。水たまりに落ちる雨も、木から滴るしずくも
そして彼女の笑顔も。


きっとただの一時的なものだろう。こんなに胸が高鳴るのは。


 「いえ、そんな。すこしくさいこと言っちゃたかなって恥ずかしっかったんです。
でもそういってくれるならうれしいです。こちらこそありがとうございます」

彼女の一挙手一投足が見逃せない。


 「あ、私、そろそろ帰りますね。
あなたも、、、って、傘持ってないからここに来たんですよね。
良ければ折り畳み持ってるので、この傘使ってください。
じゃあ、ありがとうございます。話聞いてくれて楽しかったです」

彼女の笑顔がもう一度見たい。

 「あ、あの」

 「はい、なんですか??」

彼女が行ってしまうのを少しでも引き止めたい

 よければまた、
そういいたいのをぐっとこらえ

 「傘借りても返せないので、大丈夫ですよ」
遠慮の言葉を一言。

 「いえ、ただのビニール傘なので。
それに、私も傘忘れがちなので、お互い気を付けましょう。
じゃあ、失礼します」

彼女はそう言い切ると、カバンから折り畳み傘を出し、ぱっと開き出ていってしまった。

傘はそのまま、その場においてある。
本来なら傘を返しに行くために連絡先を聞くとか、何か方法はあっただろうが、
ただ彼女を見送るしかできなかった。

彼女はまたこの場所に来るだろうか。自分を忘れないでいてくれるだろうか

もし次に会えた時、自分が彼女に救われたことを伝えたい。
そのためにも今できることをしなくては。そう決意して、彼は彼女に借りた傘を差し家に向かうために
立ち上がった。


いつもはただの雑草にしかみえない白詰草もなんだか今日はかわいらしく思えた。





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