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あめのひに


 駅の改札を出て、少し歩くと雨がぽつぽつと降りだした。
この東都でもあと数日で梅雨入れが発表されるだろうかとういう時期であるが、朝降っていなかったことで傘を持ってくるのを忘れてしまったらしい。駅に戻ればコンビニがあるが、ビニール傘を買うために戻るのも手間だし、本降りになる前に帰ればいいかなんて思い、歩みを進める。


  今日の雨は緑がかった雨だな、とぼんやり思う。
夢描いた将来を諦めて新卒で入った仕事は、残業は多いが、良い人ばかりで不満はない。
だが、自分はこれでよかったのだろうかとも時々思う。もし、あの時夢をあきらめていなければ、という考えが頭に浮かぶ。
雨の日はそんな感傷に浸らせてしまう。

 そんな思いを振り切るべく、そして、雨も少しずつ強くなってきたこともあり、足を小走りにさせる。

 家に帰る近道は途中の公園を横切ることだ。普段なら中学生や高校生が、制服のままキャッチボールをしたり、女子たちが井戸端会議に花を咲かせている時間で、聞こえてくる掛け声や恋バナにほほえましく思いながら帰っているのだが、さすがに雨の日は誰もいないらしい。
雨が葉っぱに落ちる音しか聞こえない公園で、急ぐことにも疲れた私は、途中の東屋で休もうと決め、歩みを進める。

 藤棚を抜けた先にある東屋は私のお気に入りの場所である。普段から、学生は通らないし静かな場所だから、今日のような日は誰もいないだろうと思っていた。

 しかし今日は先客がいたようだ。上を見上げている、深い森のようなオリーブ色のスーツを着た眼鏡の男は、途方に暮れたように立っていた。
おそらく私のように傘を忘れて雨宿りしていたのだろう。髪を濡らして息を切らしている私を確認した彼は、自分と同じ立場であることを確認したのであろう、軽く会釈をしてくれた。私も会釈を返し、濡れた髪をハンカチで拭くべく、ベンチに座ってカバンの中を探す。彼もこの雨がすぐやまないことを察したのか、ベンチの端にゆっくりと座った。

 雨の音しか聞こえない東屋で、距離はあれど隣に座る彼を気にしながら、ぼんやりと向こうを見る。雨の向こうに見える藤の花は、いつもより灰みを帯びていた。
花はいつも違う表情を見せてくれるから好き。今日の藤の花も好きだ。

 ふと横見ると、切れ長の彼の目がこちらを見ていて、ばっちり目が合ってしまう。
 「あ……」
思わず出た声に恥ずかしさを覚え、思わず下を見る。
彼は思わず軽く笑い
 「雨やみませんね」と声をかけてくれた。
 「そうですね。朝慌てて傘持ってくるの忘れちゃったんですよ。はは、梅雨入りまじかだと言うのにばかですよね私って」
何か返事をしなくてはと思って、頭に出た言葉を話すと
 「いや、僕も傘忘れたんです。お互い様ですね」
 「あ、そうじゃなくて、私だけみたいな。いやあなたにいった訳でなくてですね。」
いや、傘を彼も忘れているのだかその言葉はないだろう。と自分の言葉を責める。何の言葉を足してもどんどん墓穴を掘る気がして、どんどん語尾が小さくなる。
申し訳なさで彼の顔を見ると、
 優しい顔で、私の方を見て
 「僕たち、二人揃ってあわてんぼうですね。」
と一言。

その優し気な声と表情に私は目を、こころを奪われてしまった。

 「はい。」
どきどきと早鐘を打つ心臓では、そう答えるだけで精一杯だ。

彼は、まだこれから仕事なのだろうか、スマホをちらちら覗いている。

 「これからまだお仕事があるんですか?」
 「あ、いや、仕事というほどではないのですが、少し用事がありまして」
今日あったばかりの私に詳細を話すことは難しいだろうとも思い、
 「残業って大変ですよね。私も仕事はじめたっばかりなんですが、覚えること多いし、躓いてばっかりで、仕事ってこんなに大変なんだと痛感しています。
ほんとにこれが自分に合ってる仕事なのか分からないです」
と自分のことを長々と話してしまう。
私は仕事が嫌いな人は大勢いると思うし、ただ同意してくれれば話も弾むかなと思いそう話しただけだったが、

 「自分は今の仕事に誇りを持って働いています。尊敬できる上司にも会えたし、残業で大変なことはありますが、生涯この仕事をし続けたいと思っています」

だが、彼は自分の仕事も馬鹿にされたように感じたのだろうか、はっきりとした言葉でそう返事をした。

仕事に誇りを持って働いている彼が羨ましいし、カッコよく思う。
 「すごいですね。そんな自分が働きがいがある職場で働けること羨ましいです」
純粋な思いで言ったのだが、卑屈な言葉になってしまっただろうか、自分の言葉に後悔しながらも、彼の言葉を待つ。
少しして、かれは口を開ける。

 「人には向き不向きはあるかもしれません。しかし、自分がやりたいと思う力はそれを超えられると思います。
自分も自身の力不足を痛感することはあります。しかし、だからと言ってあきらめることはできない。もっと努力して上司に認められたいとも思います。
あなたも、自分の状況を嘆くだけでなく、何か行動をしましたか。していないなら、行動するべきではないのですか」

彼の言葉に思わずハッとさせられる。自分は夢をあきらめたのだから。という言い訳を続けてきた私は、なにか行動をしてきたのだろうか。
そもそも夢をかなえるための行動をしたのだろうか。
自分の今までを思い起こすため思わず無口になる。

そして再び東屋は雨の音でいっぱいになる。

お互いに言葉を交わすことなく雨が落ちていくところを二人で見ていた。
数分経っただろうか、雨は徐々に小降りになり、少し濡れれば歩けるだろうと思えるほどになったとき、
隣の彼がすっと立ち上がり、
 「では、僕はもう行きます。風邪ひかないようにして下さい。」
と私に声をかけ、歩き出す。
 「あ、あなたも体に気を付けて!」
思わず立ち上がり少し大きな声で彼に返す。
またあえますか。
口に出かかった言葉を隠し、
 「今度は傘忘れないようにします!ありがとうございました!」
何の宣言かも分からないが、彼に振り向いてほしくて、最後に顔を一目見たくて言った言葉を
彼は軽く振り向きながら
 「では、お互い気を付けましょう。さよなら」
と軽く微笑みながら返し、スタスタと歩いて行った。

彼が話した言葉をもう一度頭で繰り返すと思わず口角を上げてしまう。
もう二度と会うことはできないかもしれない。しかし、もう一度会えたときにもっと彼と話ができるように、いい報告ができるように
今から頑張ってみようと思った。かれは私を忘れないでいてくれているだろうか。

さっきより明るくなった空が雨を照らしている。まるで勿忘草の色のようだとふと思い。私も家に帰ろうと、

立ち上がった。
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