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山姥切国広の布

 ピピピピ……と規則正しい機械音が耳のすぐ側で鳴り響く。頭の中で直に音が鳴っているような錯覚を覚え、のそのそと布団の中から腕を持ち上げ――た時に覚えたのは僅かな違和感だった。

「うで……おっも……」

 止まらない目覚まし時計に思考回路が支配されて正常な思考ができない。ふわふわとした頭の中で、私は再び布団へと沈んだ。



「一時的な霊力の乱れが原因だと思われます。おそらく、鍛刀の回数が多かったのではないかと」
「霊力の、乱れ……?」

 布団の中に沈みこんで間もなく、鳴り止まない目覚まし時計の音に不信感を覚えた切国さんが私室に入り、布団の中でぐったりしている私を見つけたとのことだった。ちなみに執務室と近侍部屋は襖で、執務室と審神者の私室はドアで繋がっているので、切国さんは一つ離れた部屋の中から目覚まし時計の音を聞き取っていたことになる。いくらけたたましい音だったとはいえ、刀剣男士は身体能力だけではなく五感も優れているのだろうか。
 ともかく、顕現してまだ数日の切国さんは当然人間の体調不良への対処などわかるわけもない。こんのすけを呼び出し、なかなか朝食に現れない私たちを心配してやってきた前田くんに薬研くんを呼びに行かせて、最終的にはなぜか審神者の私室周辺に男士たちが勢揃いするという奇妙な状況になってしまった。

「主、主……お水とかいる……?」
「主……体辛くない……?」
「まっ、まって加州くん大和守くん、私別に病気とかじゃないから、ね」
「でも…………」

 特に元主の影響なのか、加州くんと大和守くんはオロオロと手を彷徨わせている。それだけではなく、「ボクたちは守り刀だからね」と言って乱くん、前田くん、薬研くん、五虎退くんと虎くんが私の枕元を囲んでいる。おまけに一言も言葉を発さずになぜか同田貫さんと三日月さんが並んでドアの横にいる。この二振り、出陣以外で話しているところを見ない気がするのに。つまるところ、今この本丸に顕現している九振り全員がここに集結していることになるわけだ。心配をかけてしまって申し訳なくなる。

「主さまは就任して日が浅いですし、慣れない環境で鍛刀や手入れをして疲れが溜まったのでしょう。今までも何度かあった事例のようです」

 こんのすけの冷静な答えにホッとしていると、加州くんたちの後ろで佇んでいた切国さんが口を開いた。

「それで、その『何度かあった事例』の時はどうやって解決したんだ?」
「そうですね。一番最近の事例で主さまと似た状況ですと……刀剣男士の私物を一時的に主さまが身に纏った状態でしばらく安静にしていたところ、早期回復したとのことです」
「し、私物」

 意外と簡単に解決できるんだなと思う一方、そんなことのためだけに私物をしばらく貸してください、なんていくら主とはいえ、いや主だからこそ申し訳なさすぎる。自然回復とかできないのだろうか。そんなことを考えていると、布団のそばから離れようとしなかった加州くんと大和守くんががばりと起き上がった。

「私物? なんか着けてるもんとか?」
「誰のでもいいの?」

 それなら僕らの襟巻とかでもいいんじゃない? と言い始める彼らに対し、短刀四振りは前田くんのマントとかは? と話している。なんだか協力的な様子のみんなに感激しつつ、さてどうしようかと見上げた先にいたのは初期刀であり近侍の切国さんだった。この状況で目が合うとあまりにも気まずいのでそっと目を逸らす。そんな私に気付いたのか気付いていないのか、こんのすけが声を上げた。

「そういえば、先の事例では一番関わりの深い男士のものを借りたと報告書に書いてありました。この本丸はまだ数日ですし、顕現時期にもさほど違いはありませんが……念には念を入れた方がいいでしょう」
「そうなると、妥当なのは……」

 今度は全員の視線が意図的に切国さんに向けられた。いきなり八振りと一人と一匹の視線を向けられた切国さんは後ずさる。

「山姥切国広さま。何か、主さまに貸せるようなものはありませんか? できれば、顕現してから身につけているものが望ましいのですが……」

 こんのすけのつぶらな瞳に見つめられたからか、切国さんはたじろいだように見えた。そうして何かをもごもごと呟くと、頭の上の布をキュッと引き下げる、むくりと立ち上がって廊下に出ていった。

「……気を、使わせてしまったでしょうか」

 よほど嫌だったのだろうか。初日に色々あったとはいえ、彼とはそこそこ良好な関係を築けていると思っていたのだけれど。自惚れもいいところだったのかと思うとずきりと胸が痛んだ。

「うーん……あれはどっちかと言うと」
「いや乱、そういうのは俺たちが言うのも野暮ってもんだろ」
「えー、でも……」

 乱くんと薬研くんが何か話しているのが遠くから聞こえる。ここは穏便に前田のマントか加州くんの襟巻を貸してもらおうか――と思考を切り替えようとした、その時。
 襖が開いて、切国さんが入ってきた。

「え、あの、切国さ……」

 私が状況を飲み込む間もなく、ばさりと頭の上から何かを被せられる。……これは、布、だろうか。モゾモゾ動いていると、顔の横に何かが触れた。切国さん、だろうか。視界が塞がれているのでよくわからないけれど、布越しに意外と大きな掌が耳に触れるのを感じた。普段は気に留めないようなわずかな衣擦れの音がやたら鮮明で、なんだか心臓が奇妙な飛び跳ね方をしている。私があわあわしている間にも布らしきものはぐいぐいと遠慮なく引き下げられていて、頭のてっぺんから布の感触が消えると同時に視界が明るくなる。恐る恐る目を開ければ、そこには布を被ったままの切国さんがいた。

「そら、被せたぞ」

 一応洗い替えだ、と切国さんは付け足した。
 洗い替え。その言葉を反芻して、ハッと思い至る。なるほど、どうやら先程黙って部屋を出ていったのは――

「あんたたちが、せめてたまにでいいから洗えと言ったからな。それに主に被せるのに土まみれだったら、他のやつに怒られるだろう……」

 いつも口数の少ない切国さんにしてはやけに饒舌で、私は思わず口をぽかんと開けてしまった。
 彼は彼なりに、私たちが言っていることを守ろうとしてくれたのだ。言葉は足りないけれど、私のことを気遣ってわざわざ、貴重な洗い替えの布まで持ってきてくれた。
 ああ、私って馬鹿だなあ。こんなにいい仲間に恵まれているというのに。

「……ふふ、ありがとう、切国さん」
「……こんなのでよかったならいいけどな」
「大助かりですよ」

 ねえ? とこんのすけの方を見れば、力強く頷いてくれた。
「ええ! 少し安定してきていますので、そのまま安静になさっていれば直に回復するでしょう」
 そんなこんのすけと私、それから切国さんを眺めて、薬研くんがぽつりと呟く。

「……へえ、霊力ってのは衣服にも染み込むもんなんだなあ。しかもそれが大将の霊力安定に……、一体どういう仕組みになってるんだ?」

 今にも知的好奇心を爆発させてこんのすけを質問攻めにしそうな薬研くんに苦笑いしつつ、たしかに不思議なものだと考える。いくら神さまの身につけていたものとはいえ、衣服にそこまで霊力が染み込んでいるものなのだろうか。刀剣男士も審神者も仕組みがよくわからない。
 ただ、なんだかホッとするのに間違いはない。そう口に出すと、大和守くんが興味があるのかないのかわからない口調で相槌を打つ。

「ふーん、やっぱり初期刀のだからとか?」
「どうなんでしょう……よくわかりませんが、安心感はありますね」
「安心感」
「なんといいますか、包み込まれているような気がして……」

 ぼんやりと考えながら出た結論をそのまま伝えれば、私室は一瞬時が止まったかのように静まり返った。静かすぎて木々のざわめきがうるさく聞こえるほどに。

「はっはっは、主はなかなか大た……むぐっ」

 沈黙を破り、何かを言いかけた三日月さんを遠慮なしに切国さんが塞いだ。

「っと、りあえずこの場は乱たちとこんのすけに任せて他のやつは一旦外に出るぞ。乱、何かあったら呼んでくれ」
「はーい」

 切国さんはそのまま三日月さんの背をぐいぐいと押して、加州くん、大和守くん、同田貫さんにも声をかけながら部屋から出ていった。彼があんな強引な態度をとるのはなかなか珍しい。またしても私がぽかんとしていると、堪えきれないといった様子で薬研くんが笑い出した。

「……っく、ははっ、大将、あんたって人は……!」
「薬研兄さん、笑いすぎです……、っふ」
「いや、……っふふ、しかしなあ……っ」

 横でひいひい言いながら笑う薬研くんに、それを窘めながらも肩がプルプル震えている前田くん。そして五虎退くんは「はわわわ……」と言いながら虎くんを抱きしめている。きょとんとしながら乱くんに視線を向ければ、こちらも唇の端っこがむずむずとしている。

「も〜……、あるじさんったら……」
「えっ、なに、なになに私何かしてしまいましたか……!?」


 その後しばらく切国さんの布を纏っていたら本当に霊力は安定したし体調も良くなったけれど、寝て起きた後自分の発言を思い出してドッカンと赤面し、さらにそれを見た短刀四振りに生暖かい視線を向けられてしまったのはまた別の話。
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