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 乱藤四郎が修行へと旅立ってから、四日目の朝を迎えた。
 あの日、朝食での連絡から間を置かず、乱くんは私のもとへとやってきた。あまりに早かったものだから私と切国さんは執務室にたどり着いてもいなくて、大広間から本丸の奥へと向かう廊下の途中で呼び止められたのだ。当然一番乗りだったし、初期刀である切国さんの次に顕現したいわゆる初鍛刀、さらに遠征部隊長や池田屋攻略における第二部隊長としての活躍から乱くんを頼りにする男士は多く、誰からも反対されることなく彼は翌朝旅立って行った。
 そして、四日目の朝。そろそろ乱くんが帰還する頃合いだということで、本丸は昨夜からどこか浮ついた雰囲気だった。

「緊張する……」

 昨日の朝、「そろそろ帰る」という旨の連絡を受け取った私は、誰よりもソワソワとしている自信があった。そのせいか歌仙さんからは「主がその調子では皆も落ち着かないだろう」と小言を言われてしまい、反省を踏まえて朝食の席ではいつも通り「落ち着いた主」に見えるよう振る舞っていたつもりなのだが、執務室に戻った途端これだ。一振り目からこの調子で二振り目から大丈夫なのだろうか。それとも一振り目だからこそ落ち着かないのだろうか。何にせよ落ち着かない。こうなることを見越して午前中は内番以外は業務なしにしておいたのだけど、大正解だった。

「主君、心配せずとも乱兄さんは必ず戻ります」
「そうだぜ大将。乱のやつなら何も心配いらん」

 ここ数日、切国さんの受け持っている近侍業務の引き継ぎのために執務室を訪れていた何振りかのうちの二振りである前田くんと薬研くん、今はいないけれどここに来るまでに加州くんや大和守くんなど付き合いの長い男士たちも声をかけてくれていたけれど、それとこれとは別問題なのだ。

「乱くんが戻らない想定はしていませんが……話によると極めた男士は装いや言動も変わると聞くので……」

 ぶつぶつと呟く私を前に言葉は意味をなさないと判断したのか、前田くんはお茶を入れて来ますねと言って執務室を出ていった。気を使ってくれているのが伝わって、申し訳ないようなむず痒いような不思議な気分になる。もはや「落ち着いた主」の面影などどこにもない。もう少しかっこいい主でいたかったなあと思っていると、横から薬研くんに声をかけられた。

「大将、そんなんで近侍殿が修行に出た時はどうするんだ」

 からかうような調子で笑いながら言う。近侍殿、つまりは切国さんの修行、ということか。どうすると言われても――と考えて、何とも言えない感覚を覚える。
 四日、いないのだ。切国さんが、この本丸に。

「…………頑張らないとですね」

 辛うじて絞り出した声は思いの外悲壮感に満ち溢れていて、切国さん本人すらギョッとさせてしまった。薬研くんは「俺は近侍殿よりも大将の方が心配だなあ」と笑っていたけれど。

「……心配か」

 切国さんは、そう控えめに問いかけた。本来であればここで「信じているから大丈夫」と答えるべきなのだろうけれど、私は正直に話すことにした。切国さんには正直に包み隠さず伝えてしまった方が誤解の心配が少ないのだ。

「それは、まあ……心配にもなりますよ。こちらの体感で四日なだけで、みなさんの経過時間では何十日、あるいは年単位で本丸を離れることになるかもしれませんし」

 その間は手入れもできませんからね、と言うと、薬研くんが「大将らしいな」と言った。
「でも、みなさんが旅立ちたいと言うのなら送り出したいのも本音なので……。切国さんに限らず薬研くんもですけど、ちゃんと旅先でお手紙、書いてくださいね」

 私の安眠のためにも、と冗談めかして伝えれば、薬研くんは豪快に笑って「任せときな」と肩を叩いた。
 ちょうどその時、執務室の障子を叩く音がした。前田くんだ。

「主君、切国さん、薬研兄さん。お茶をお持ちしました」
「前田くん。ありがとうございます」

 前田くんは私に向かって控えめに微笑むと、私、切国さん、薬研くんにお茶を注いでくれた。ふうふうと冷ましてから口をつければ、ホッと心がほぐれていくような気がした。

「そういえば、主君。乱兄さんが戻った後、次の修行はどなたか決められているのですか?」

 私がお茶を飲んで落ち着いたのを見てか、前田くんが問いかけた。

「うーん……そうですね。何振りか修行に行きたいと言っている方もいますし、戻り次第入れ替わりで出てもらうという手もあるのですが、修行後の乱くんと話してみないと何とも言えませんね……」

 さすがに「私の身がもたないかもしれないので」というのは憚られてそう伝えたところ、前田くんは真面目な表情で頷いて「そう次々に修行に出しても慌ただしくなりますからね」と同意してくれた。
 乱くんはどんな風になって帰ってくるのだろうか。手紙では主である私が良からぬことを考えていないか心配していたようだけれど、こちらとしては乱くんのことが気になって気になってそれどころではなかった。今すぐにでもそれを伝えたかったのに、どうやらあの手紙は一方通行らしく返事を書くことすらできないのだ。もどかしくて仕方がなかった。
 「おかえりなさい」の後は何を言おうか。いくら考えてもまとまりそうにない。
 そんなことを考えていると、バタバタと廊下を駆ける音と本日の転送ゲート監視担当である加州くんの声がした。そちらに気を取られていると、執務室にいつの間にかこんのすけが現れていた。

「主! 乱が帰ってきたよ!」
「主さま、乱藤四郎が帰還しました!」

 ほぼ同時に飛び込んだ知らせに、私はほとんど反射で身を起こした。薬研くん、前田くん、切国さんとともに執務室から転送ゲートへと急く。道中、粟田口の男士たちも合流して、みんなで転送ゲートへと向かった。この日ばかりは小走りになっても誰にも咎められなかったし、私の小走りなど刀剣男士、ましてや機動に優れた短刀や脇差にとってはあっという間に追い抜ける速度だったろうに、みんな私を置いていくことなく後ろから着いてきてくれる。本丸のみんなの優しさに、私は心が温かくなるのを感じた。
 廊下を走る、走る。早くこの目でその姿を確かめたくて、足がもつれそうになりながら、最後の角を曲がった。
 最後の戸を開け放つ。ぶわり、視界いっぱいに薄紅の花弁が舞った。

「あるじさん」

 くるり、見たことがないのに、どこか懐かしいシルエットが花弁の奥に現れる。

「どうかなあ? ボク、見違えたでしょう? 似合ってる?」

 ねえ? ふわりと微笑んだ乱くんを見て、私は「おかえりなさい」すら言葉にならないまま、ギュッと彼を抱きしめたのだった。


 おかえりなさい。私の、私だけの大切な初鍛刀、乱藤四郎。
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