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初期刀 山姥切国広

 障子の前に正座して、深呼吸する。心臓が口から飛び出そうなほどに脈打っている。目覚めているかはわからなかったけれど、目覚めていてもいなくても一度様子を見ておこうと思ったのだ。

「山姥切国広さん、審神者です。入っても良いですか?」

 短い返答があったので、そっと手をかけた。できる限り静かに開けて、ゆっくりと手入れ部屋に入る。

「失礼します。具合はどうで……って、だ、大丈夫ですか……!?」

 思わず私が大きな声を上げてしまったのも無理はないと思う。だって、部屋の中で横になっていると思っていた山姥切国広は、布団を頭から被り、丸くなっていたのだから。

「え、えっと……」

 布団を顕現した時から被っていた布の代わりにしているのだろうか。真っ暗な布団の奥に姿こそ見えるものの、どんな表情をしているのかはわからない。
 もしやまだ気分が優れないのだろうか――そう考えて、一歩踏み出そうとしたその時だった。

「……あんたの言った通りだったな」

 暗がりから小さく、けれどはっきりと、声が聞こえた。

「どういう……」

 あんたの――私の言った通りとはどういうことだろうか。声音で、楽しい話題ではないことだけはわかった。でも、それだけだ。今、彼が何を考えているのかは、わからない。

「あんたも考え直した頃だろう。そら、早い方がいい」

 布団を被ったまま淡々と話す山姥切国広とその主。傍から見たら奇妙な光景だろうと考える。でも、同じくらい、当事者である私にも事態は飲み込めていない。
 ただ、漠然と、嫌な予感だけがしていた。

「考え直すって……何を、ですか」

 声が震えないようにしながら、布団の奥に向かって問いかける。

「今なら、選び直せるんじゃないのか」

 ひゅ、と息の音がした。

「……最初の、刀を」

 暗闇の奥に、宝石のような煌めきは見えない。

「山姥切、国広」

 落ち着いて、落ち着いて――そう言い聞かせながら、口を開く。ぎゅうと右手を握りしめる。お腹の奥でぐつぐつと煮えたぎる何かを押さえ込んで、我慢して、息を吐く。

「それは、私が、あなたではない他の刀を初期刀にするべきだと……そういうことですか」

 何とか絞り出した声に、布団の塊が僅かに反応する。

「……ああ」
「なんで……そんなこと」
「俺では、不足だからに決まっている」

 その瞬間、頭が真っ白になって、何かがパンと弾けたような――そんな感覚がした。
 きっと頭に血が上るってこういうことなんだろう、とひどく冷静な私が呟いた。

「……そんなことが言いたかったんじゃありません」

 先程までの躊躇いが嘘のように、言葉がスルスルと出てくる。真っ白だった頭の中に重傷を負った山姥切国広がフラッシュバックして、喉の奥がヒリヒリと焼けるように痛い。

「私……、あなたを、たった一振りで出陣させて、それで、あんな怪我を……ッ」 
「……俺は、あのまま朽ちてしまっても構わなかったんだがな」

 拳がより強く握りしめられて、手のひらに爪が食い込む。短く切りそろえたはずだったのに、たしかな痛みを主張した。
 それでも、そんなことどうでもいいと思えるほどの激情に、今にも飲み込まれそうだった。

「そんなこと、言わないで……」

 必死で全部飲み下して、代わりに溢れたのはまるで懇願だった。卑屈から出る言葉でも本心であっても、朽ちるだなんて縁起でもない、と。我儘みたいだ。出会ってまだ一日も経っていないただの人間が、審神者と名乗る資格があるのかもわからない私が、彼の行く末に意見なんてできるわけがないのに。でも、やっぱり、あのまま朽ちてしまうだなんて嫌だった。どうしても嫌だったのだ。
 だって、山姥切国広は。

「私はあの時あなたがいいと思った。あなたにひと目で惹かれたから名前を呼んだ」

 鋭くて、力強くて、どこか青く光っているように見えて、かっこよくて、とっても綺麗。そんな刀なのだ。

「私はあいにく、刀剣に特別詳しくありません。先ほど、やっとあなたの言う“写し”を知ったほどです。正直不足だと言うなら私の方だと、そういわれたら否定できません」

 彼が休んでいる間、仕事をさせたくなかったので、私は本丸内の書物を調べていた。そのうちの一つに刀についての簡単な知識が纏められているものがあった。そこでようやく、彼が気にしていた写しというものの詳細を把握したのだ。いくら学校を卒業してすぐ研修もそこそこに就任したとはいえ、知識不足もいいところである。

「その上で私はあなたに言わせてほしいんです。私はあなたに初期刀でいてほしい。どうか、始まりの一振りとしてこの本丸にいてほしい。……お願いします」

 そう言って、正座をして彼の前で頭を下げた。すると布団の塊がごそごそと動いて、中から山姥切国広が現れた。「ギョッとしている」が一番正確なたとえになるであろう、そんな表情だ。

「あ、主がそんな簡単に頭を下げるな……!」
「お願いしているのは私の方なんですから当然です」

 肩を掴み、山姥切国広は私の顔を上げさせようとする。私にも意地があるので抵抗を試みたのだが、霊力が世の中の平均値よりも少し高いだけの一般人である私が刀剣男士の力に敵うわけもなく、観念して顔を上げた。すると当然ながらそこには山姥切国広の顔があって、普通ならまず近付かないであろう距離にいることを認識する。
 さらさらした金糸のような髪の奥に宝石みたいな瞳が、すぐそこにあった。

「おい、どうした」

 呼びかけも素通りするほどに見惚れて、それから。

「……綺麗」

 思わず口走ってしまい、咄嗟に口を押さえる。まずい、非常にまずい。「綺麗」は山姥切国広との会話において禁句にも近い。何せわざわざ自分の衣服をみすぼらしくするほどに気にしているのだ。冷や汗が伝う感覚を覚えながら恐る恐る彼の方を見ると、想像とは少し異なる表情に「あれ」と思わず面食らう。聞こえていなかったのかと思いきや、やはりこの至近距離で聞こえていないはずもなく、山姥切国広はふいと顔を背けてしまう。

「綺麗とか、言うな……」

 そう言って山姥切国広は右手をおでこの辺りに持っていき、その手は何も掴むことなく空を切った。私が首を傾げていると、何かを思い出した様子でまた布団の中に戻ってしまう。それを見て、ようやく私はあの布団が頭から被っていた布の代わりだったことに思い至り、手入れの際に脇に置いてしまった布をとりあえず手渡してみる。すると、やはり山姥切国広は布を頭からすっぽりと被っててるてる坊主状態になった。想像とは異なる表情――嫌悪ではなく照れの滲んだようなそれが見えなくなってしまったことを残念には思いつつも、あれで彼自身が落ち着くのであればそうしてもらうのがいいんだろうと一人で納得する。
 その姿を見て、私はもう一度、名前を呼んだ。

「山姥切国広さん」

 青とも緑とも言い難い色の瞳。私の持てる語彙では表せないとわかりつつも、やはり宝石のように綺麗だと言うほかない。そんな息を飲み見惚れるほどに美しさの中に、刃のように鋭い光を秘める。
 逸らされない視線は、真っ直ぐに私のことを見ていた。

「不足だと言うなら、きっと私もなんです。情けないことに、あなたのことも、刀のことも、戦のこともまだまだ知らないことばかり」

 正直今だって、怖い。怖くて怖くて仕方がない。また彼をあんな目に遭わせるのかと思うと、身が裂かれそうなくらいに辛い。
 それでも、私は引き受けたから。

「至らないところもたくさんあると思います。でも、どうか、私を支えてくださいませんか」

 一緒に乗り越えるなら、あなたがいい。
 そんな思いを込めて、真っ直ぐに見つめ返した。

「主が、俺に何を期待しているのかはさっぱりわからない。……だが、それがあんたの命令なら、引き受けよう」

 命令。その言葉からは、彼がどういった意味で私の言葉を受け止めたのかはわからない。けれど、彼が納得してくれるならそれでいいと思えるほどには、私にとっての山姥切国広は大切な存在になっていたのかもしれない。
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