閑話 片想いの行方
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部屋の隅まで歩みを進めると、そのまま壁際に追い込むように優樹の二の腕をつかんで首筋に顔をうずめた。
「ちょっ⋯⋯何して⋯⋯」
「⋯⋯たとえば僕が、誰か別の顔見知りの男だったとしたら? 油断させて君を思いのままにすることだってありえますよ」
そのまま帯に手をかけようとすれば、慌てたように押さえられる。
「わ、かりましたから⋯⋯気をつけますから。明るいうちから⋯⋯こういうのはちょっと⋯⋯」
動揺した様子の優樹の両頬をはさむように上向かせると、そのまま額に口づけを落とした。
「ええ⋯⋯本当に気をつけて」
いつもと違う様子の弁慶も、その後はいつも通りに戻って。
だが、日も沈み暗くなり、昼間と同じように壁際に追いやられ優樹は息をこらえた。
「っ⋯⋯⋯⋯」
暗がりの中、触れてくる感触だけに意識が向く。
何もまとっていない肩や背が肌寒く感じ、わずかに身震いした。
二の腕を押さえるようにつかまれたまま、声をこらえるように小さく息を吐き出す。
胸元に当たった髪がくすぐったく感じ、身をよじった。
互いの吐息の音と、時折響く水混じりの音だけが宵闇の中で耳につく。
つい声がこぼれて身じろぎすると、押さえる力が強くなり執拗に同じ場所に熱を感じた。
びくりと動いた両の足を閉じようとしても、男の体にさえぎられてしまう。
触れてもいない腹の奥底から甘い痺れが駆け抜けていくようで、吐息とともに何度も声がこぼれ落ちていく。
自分がこぼした声が、さらに自分の体の熱を高めるようにさえ感じた。
身じろぎをしても、追いかけてくるように同じ感触がそこから伝わってくる。
熱に浮かされたように頭がぼんやりとしていく。
今宵何度目かわからない熱を含んだ吐息を、優樹はこぼした。
近所の畑仕事を手伝いに行った帰り道、優樹はため息をついた。
何度も昨晩の出来事⋯⋯感触を思い出してしまい、頭を振る。
違うことを考えよう、と思っても何度もそこにたどりついてしまう。
「あ⋯⋯優樹さん」
前方から呼びかけられ、はっと顔を上げる。
見れば平太が向かいから歩いてきていた。
「平太さん、こんにちは」
笑顔をこぼしながら、先日の弁慶の言葉と⋯⋯その後に続いたことを思い出し、優樹は意図せず心臓がはねた。
「あ、の⋯⋯昨日はすみません。もし、この後も時間があったら、話を聞いてほしいんですけど⋯⋯」
「あ、うん⋯⋯話⋯⋯」
⋯⋯家で二人で会うのは良くないけど⋯⋯外なら話をしても大丈夫だよね。
もし弁慶が聞いたらため息をついていただろう考えを、優樹は胸の内で落とした。
「鈍すぎて全然伝わらねーんだよなぁ⋯⋯」
人気のない河原沿いの土手に腰掛けて早々吐き出した平太に、優樹は苦笑をこぼした。
「でも、一応気持ちは伝えたんだよね。⋯⋯ちなみに何て言ったか聞いても良い?」
「どういう男が好みなんだよ、とか。年上が良いって言ってるけど、年下だってありなんじゃないか、とか」
「⋯⋯⋯⋯」
⋯⋯? と優樹は思わず笑顔のまま沈黙してしまった。
「うーん、と⋯⋯告白⋯⋯? なの、それ? 気持ちを伝えたいなら、もうちょっとはっきり言った方が伝わるかも⋯⋯しれないね」
「はっきりって言うと?」
「それは⋯⋯好きです、とか結婚してほしい、とか」
優樹が言った途端、平太は顔を真っ赤にした。
「ばっ⋯⋯そんな恥ずかしいこと言えるかよ⋯⋯っ」
「⋯⋯いや、そのくらい言わないと伝わらないと思うよ」
平太はあー⋯⋯とか、うー⋯⋯とかうなりながら、頭を抱えてしばらくうつむいていた。
そんな様子を見ながら、自分も人のこと言えないんだけどな⋯⋯と優樹は考えていた。
突然がばりと顔を上げた平太に、優樹は思わず身を引いた。
「俺! お前のことがずっと好きだった⋯⋯!! 他に、好きな相手いるのかもしれないけど、俺と
叫ぶように吐き出しきった平太は、息を切らしながら顔をうつむけ、体ごとそっぽを向いた。
「こ⋯⋯こんだけ言えば⋯⋯伝わる、かな⋯⋯」
「お、おぉー⋯⋯。お⋯⋯」
一瞬自分が言われたのかと勘違いししてしまうくらいの熱量を真正面から受け、どぎまぎとしながら優樹はうつむく平太を見た。
「良い、と思う⋯⋯今のなら絶対伝わるよ」
「⋯⋯⋯⋯。⋯⋯いや、伝わったとしても、はぐらかされそうって言うか。普段の態度から見て、断られそうっていうか。他の家族からもあんまり好かれてる気がしないし⋯⋯。やっぱり年下の俺なんて⋯⋯」
急にうじうじとし始めた平太に──優樹はさっと立ち上がった。
「──意気地なし」
自分で思ったよりも、大きな声が出てしまう。
「年下とか、そんなの関係ないよ。本当に好きなら、好きだって言うなら、ちゃんと最後までやりきってよ」
自分でも、なぜこんなに苛立ってしまうのかわからなかった。
「他の人が認めてくれないって言うなら⋯⋯駆け落ちしようくらい言ったら!?」
まさかそんなことを言われると思っていなかったのか、平太は呆然としたように優樹を見上げていた。
「その、くらいの覚悟で言ってくれたら⋯⋯そうしたら⋯⋯」
ふいに両手を握られ、優樹は驚いたように平太を見つめた。
「ありがとう」
意を決したような、先ほどまでと打って変わった精悍な顔つきに変わった平太の横顔が、夕陽に照らされる。
「俺、決心ついたよ。他に好きな相手がいたって、まわりが認めてくれなくたって、そんなの関係ないよな。俺⋯⋯やるよ。やってみせる!」
男らしい顔つきに変わった姿に思わず胸を打たれ、優樹は息を震わせた。
「俺の勇姿を、そばで見てほしい。今から一緒に来て」
「えっ⋯⋯」
「もう、今しかないと思うんだ。今なら、なんだってやれる気がする。だから、そばで見守ってほしい」
胸が熱くなり、優樹はうなずいた。
「わかった⋯⋯」
そして、手を握りしめ、二人一緒に駆け出そうとして。
「だ、だめー!! 何言ってんのよあんたたちー!!!」
がさがさ、と茂みから飛び出してきた影と──後ろから手首をつかんできた力強い何かに優樹は飛び上がった。
「菜花!?」
「弁慶さん!?」
平太と優樹は同時に叫んだ。
弁慶はまるで全力で駆けつけてきたかのように、うつむきながら荒い息を繰り返していた。
「さす、が⋯⋯に⋯⋯見過ごせな⋯⋯」
息が荒すぎて何を言っているのか聞き取れない。
「ちょっと平太! あんた人妻に対して何を⋯⋯っ」
菜花が叫ぶかたわら、肩で息をしながら優樹の手をつかんでいた弁慶は──そのまま優樹を抱き寄せた。
「え、ちょ⋯⋯っ!?」
人前で何をして、と慌てるも、腕の力は弱まらず。
あたふたとしたまま優樹は「これは、ちがっ⋯⋯」と意味をなさない言葉を出した。
「せ、先生⋯⋯っ」
その様を見て、平太の瞳が驚いたように見開かれる。
「ほら! 見なさいよ! これであんたもわかったでしょう!」
「ああ⋯⋯──わかった!」
平太は菜花の手を握りしめた。
「俺と夫婦になってくれ菜花!!」
平太が叫んだ瞬間、しん、とその場が静まり返った。
優樹は口元を押さえ、年下二人の様子を食い入るように見た。
人前で抱きしめられている恥ずかしさなんて吹っ飛んでいた。
平太の告白を受け、菜花は──顔を思いきりしかめた。
「さ、最低ー!! 優樹さんを弁慶先生から奪えないってわかったら、近くにいた私で妥協しようってわけ!? 信じらんない!!」
「えっ⋯⋯!?」
平太と優樹は同時に声をもらした。
優樹ははっとした。まさか──。
「もうしばらくあんたとは口も聞きたくないから!」
「な、菜花⋯⋯っ」
駆け出していった菜花に、優樹は弁慶の腕を振りほどいた。
「平太さん! 私の口から説明してくるから! ちょっとそこで待──」
駆け出そうとして──引っ張られた腕に優樹は反動で倒れそうになった。
そのまま自分の背にかばうようにして弁慶は優樹を引き寄せると、平太の肩に手を置いた。
「⋯⋯君も男でしょう。自分でやらかしたことの後始末くらい、自分でしなさい」
優樹からは二人の顔が見えなかったが、弁慶の声にいつもの温かみを感じず思わず身じろぎしてしまった。
「わ、わか⋯⋯わかったよ弁慶先生⋯⋯っ」
ものすごい勢いで駆け出していった平太の背を、優樹は呆然と見送った。
そして──振り返った男と目が合う。
「⋯⋯さて、君からも話を聞かせてもらいましょうか。⋯⋯くわしくね」
夕陽のせいか、いつも以上に迫力の増した美しい顔に、優樹はつばを飲み込んだ。
「──告白の相談⋯⋯?」
しっかりと手をつないだまま帰路で告げられた言葉に、弁慶は沈黙を落とした。
「はい、平太さんからずっとそのことで相談を受けていて」
他の誰にも内緒にしておいてほしい、という言葉を思い出しながら、もう現場を見られたから良いよね、と優樹は肩の荷が下りるのを感じた。
菜花に想いを寄せながらも、年下であるためにガキと呼ばれ相手にされず、悶々とした日々を送っていた平太。
誰かに相談したくても、からかわれるに決まっている。
そんなときに現れたのが優樹だった、とのことである。
自分よりも年上で他の同年の友人たちと違って自分をからかわないように見え、菜花とも親しげにしていた。
⋯⋯何より、普段から菜花がかっこいい、素敵と言っていた弁慶の結婚相手だから、というのが大きかったそうである。
「君⋯⋯本当にまぎらわしいんですよ⋯⋯」
いい加減にしてほしい⋯⋯と吐き出され、優樹は「えっ!?」と弁慶を見上げた。
「まぎらわしいって⋯⋯何がですか」
「本当にもう⋯⋯いい加減にしてください」
だから何がですか、と聞き返してもため息をつかれるばかりで。
しっかりと握りしめられた手に引っ張られるようにしながら、優樹は帰り路の足を進めた。
「そっか。じゃあ⋯⋯これで一件落着ってことで良いのかな?」
翌日、幸せそうな笑顔をかくしきれない平太から事の顛末を聞いた優樹は、笑みをこぼした。
気恥ずかしそうに頭をかきながら「へへへ」と笑いをこぼす平太は、年相応に見えた。
これは次回、菜花に会ったときが楽しみだ⋯⋯とにまにましながら、ふと視線を走らせる。
同じく平太も気配に気づいたようで、視線を同じ方向へと走らせた。
今日の診察が終わったのか、薬師としての仕事帰りの弁慶が向かいの小道から歩いてくるのが見えた。
向こうもこちらに気がついたようで、自然と視線が絡み合う。
「あ⋯⋯⋯⋯」
どちらともなく、声がこぼれる。
「じゃ、じゃあ! 俺もう帰るんで!」
「あ、平太さん⋯⋯っ?」
平太は慌てたように駆け出し、弁慶とのすれ違いざまも軽く挨拶しただけで走りを止めなかった。
そんな様を見て──弁慶は口元を押さえながら目を伏せた。
⋯⋯さすがに、大人気ない態度を取りすぎたか。
菜花を追いかけようとした優樹を引き止め、ついいつもの微笑みを取りつくろうことも忘れて──平太の肩をつかんでしまった。
⋯⋯力の加減も忘れて。
あのときは、なに人の妻と駆け落ちしようとしているんだ、なんて思っていたから。
つい突き放すような言葉も言ってしまった。
今度会ったら、何か差し入れでもしよう。
そんなことを思われているとは知らない平太は、息を弾ませながら昨日のことを振り返っていた。
何の恥じらいもなく優樹を抱き寄せた弁慶。
そして──。
「かっけぇ! かっけえよ、弁慶先生⋯⋯っ!!」
いつもの優しげな笑顔を消し去ったあの表情。そして言葉。
線が細いと思っていた手から肩に伝わってきた力強さ。
はっ、と笑みがこぼれる。
「男の中の男だぜ⋯⋯っ」
まるで男ならこうしろと言わんばかりの、見本を見せられているかのようであった。
一人の少年の中で、自分が憧れの対象になっていたことなど、弁慶は知るよしもなかった。
─終─
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