08.邪教の輩〜侵食スル夢〜
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ああっ!
女の体がびくりと跳ねる。
オン、オン、オン──⋯⋯。
いくつも床に並べられた灯火が影を作り出す。
奇妙に体を絡ませ合った者たちの影が、床や壁で揺れ動く。
荒い息が繰り返される中、誰かの笑い声がこぼれた。
一組だけではない。
衣をまとわぬ男女が体を絡め合い、小刻みに動きを繰り返していた。
そのたびに女の嬌声が響く。
自分の下でよがる女の姿を、男は冷ややかに見下ろした。
背中を向けて顔が見えないことだけが、救いか。
自分の右手首に巻き付けた髪紐に、一心に神経を集中させる。
それを見れば、恍惚とした気分が湧き上がってくる。
よがる女の背に、違う女──まだ少女のおぼこさを残した顔立ちを重ねる。
一度だけ見た顔。
けれど、忘れるものか。
その顔が乱れる姿を想像すれば、気持ちが一気に高揚した。
ああ、早く。早く。
男の瞳が、高ぶりに揺れる。
早くあなたと──。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「市井でばらまかれている⋯⋯いわくつきの壺、ですか?」
町をまわりながら語られた言葉に、優樹は首をかしげた。
「ええ。その壺は持っているだけで利益を得ることができると、ただで渡されたそうです。想い人と通じ合える、仏と和合して悟りを得ることができる。極楽浄土の夢を見ることができる。⋯⋯人によって謳い文句はばらばらです」
「あの、その壺って⋯⋯まさか」
「ええ、察しの通り、僕が行商人から受け取ったものと、形が瓜二つでした。茶色を帯びていて⋯⋯蓮華を思わせるような装飾が施されている」
優樹は口をつぐんだ。
そういえば自分も最近、御利益があるとうれしそうに壺を見せてくれた女性に出会った。
かなり、広まっているということだろうか。
「それとは別に、泰衡殿からも別の忠告をもらっていましてね。最近、巷で怪しい教えを広めている一派がいるらしい、と」
「怪しい教え、ですか?」
「泰衡殿も僕たちもまだその実体をつかめてはいません。ですが、仏の教えを語る⋯⋯邪教のようなものだそうです。巷で広がっている御利益のある壺⋯⋯もしかしたら何かしら関連があるのではないかと思いましてね」
お前たち余計なことには首を突っ込むなよ、と眉間にしわを寄せた泰衡の顔を忘れようとするように、弁慶は首を振った。
泰衡から新しく聞いた話では、邪教⋯⋯男女の性交渉を仏の悟りに至る道と謳い、行為をうながす教えだという。
弁慶も京にいた頃、少しだけ聞いたことがある。だが、あくまで噂程度のことであった。
「先日も俺と弁慶でその壺をもらったという者たちを探して聞き込みをしていた。が、怪しい教えをしている者たちとのつながりはいまのところつかめていない」
九郎の言葉に、弁慶は目を伏せる。
九郎の言う通り、壺との関係はわからない。
もしかしたらまったく関係がないのかもしれない。
だが、時期の重なりが気になる。
三人で町を練り歩くのを楽しみながら、しばらくして優樹はぽつんと二人の後ろ姿を眺めた。
二人は慣れた様子で聞き込みをしており、ただ横で話に耳を傾けていた。
「今日は⋯⋯なかなか収穫がないな」
「壺を広めている者さえ捕まえることができたら、話は早いんですけどね」
もう昼近く、真下に収まり始めた自身の影を見ながら、優樹は二人についていく。
「もう少し調べを進めたら、少し休憩にしましょう」
弁慶の言葉に返事をしようとして、足を止める。
急な耳鳴りに、周りの景色が遠く感じる。
ぐにゃり、と視界が歪んで、優樹はたたらを踏んだ。
あ、と手を伸ばす。
立ち止まる優樹には気がつかず、九郎と弁慶は前へと進んでいく。
待って。待ってくださ──。
オン、オン、オン、オン──。
ぞくり、とした。
頭の奥で、嫌な低重音が鳴り響く。
こわ、い。
オン、オン、オン、ギャチ⋯⋯二エイ⋯⋯カ。
オン──ギャカニエイ⋯⋯カ。
オン、ダ⋯⋯二、ギャチ、ギャカニエイ、ソ⋯⋯カ。
どくどくどく、と心臓が大きく脈打つ。
こわい、怖い、こわい!
『──求め⋯⋯な』
霞がかる頭の中に響いてきた声に、はっと息を吐き出す。
オン、オン、オン、オン、ダ⋯⋯二⋯⋯オン、ダ⋯⋯二、ギャチ、ギャカニエイ、ソ⋯⋯カ。
怖い、こわい!
耳を手でふさぎ、ぎゅっと目を閉じる。
震える息がこぼれ出る。
こわい、怖い、こわい。
『──⋯⋯』
ふと、頭の中に浮かんだ言葉にはっと息を飲み込む。
自然と、こぼれ出るようにその言葉が口から放たれた。
「──⋯⋯」
「──優樹くん!」
肩を揺する手に、はっと目を開ける。
のろのろと顔を上げれば、真剣な表情をした弁慶と目が合った。
は、は⋯⋯と息が短く口からこぼれ出る。
耳を覆っていた手は強張り、意識しないと下ろすことができなかった。
「大丈夫か、顔が真っ青だぞ」
逆光を浴びた九郎の顔が、心配そうにこちらを見下ろしていた。
「⋯⋯わた、し⋯⋯」
怖い、こわい、怖い。
そう胸の内が震えていた──⋯⋯はずなのに、何が、怖いのだろう。
さっきまで何か、とてつもなく怖いと思う何かがあった気がするのに、何も思い出せない。
「急に、めまいがして⋯⋯」
「⋯⋯向こうの木陰で少し休みましょうか。歩けますか」
弁慶の手を借りながら、ゆっくりと移動する。
そのまま乱雑に木の幹に背中を預け、しゃがみ込んだまま息を吐き出す。
「最近夢見が悪いと聞いているぞ。眠りが浅いと体にも響くだろう」
「そう、かもしれません⋯⋯」
──違う。
九郎の言葉に瞬時に自分の内で否定の言葉が駆け抜ける。
けれど、それに対する答えを自分は知らない。わからない。
血の気の引いた顔で地面を見つめる優樹の横顔を、弁慶はじっと見つめていた。
「優樹くん」
「は、い」
呼びかけにのろのろと顔を上げれば、感情の見えない瞳と視線がかち合う。
「──オン、キリカクソワカ」
「え⋯⋯?」
弁慶の顔を見返す。
「なん、ですか?」
「知りませんか? 今の言葉」
もう一度ゆっくりと繰り返された言葉を聞いても、優樹は首をかしげるばかりであった。
「え、と⋯⋯呪文か何かですか」
「⋯⋯いえ、ちょっとした言葉遊びです。意味はないですから、気にしないでください」
帰宅して早々床につき寝息を立てた優樹の顔を、弁慶は静かに見つめた。
結局今日は、優樹の体調を考慮して、すぐに帰路についた。
静かに上下する優樹の胸を見て、無意識にほっと息をつく。
そして、何度も記憶に残すように胸の内で呟いていた言葉をふたたび繰り返した。
──オン、キリカク、ソワカ。
自分の聞き間違いでなければ、たしかに優樹はそう口にしていた。
気づかぬうちに、頭を抱えてしゃがみ込んでいた優樹。
何度声をかけても返事がなく焦り始めたときに、突然優樹が口にした音の連なりだ。
弁慶にとっては、耳なじみのある音韻であった。
オンもソワカも、なんとはなしに意味はわかる。
オンは、神聖な音の連なり。
ソワカは結びによく使われる祝福を意味する音。訳するならば、幸あれ、といったところだ。
優樹が口にした音の連なりは──
特定の音を繰り返し唱えることで、仏と自己の一体化をはかろうとする修行法がある。
そのときに使われる音の連なりが真言だ。
唱えることで、仏の加護や
だが、キリカクとはなんだ。自分の知らない音だ。
自分の知っている限りでは、他の真言では、その位置にだいたい帰依したい仏の名前が入る。
『──荼枳尼天の害はもうないと言っていたが、本当に信じてよかったのか』
泰衡の言葉が、胸の内に暗い影を落とす。
音韻を口にしたはずの当の本人に投げかけても、ぽかんとした表情を返されたことが気にかかる。
キリカク。
何も関係がなければ、それでかまわない。
⋯⋯荼枳尼天の情報を持っていた彼なら、何か知っているだろうか。