05.邪教の輩〜狐ノ眷属〜
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オン、オン、オン、オン、あ、あ、あ、あ、あ、あ──。
ああ、ああ⋯⋯ようやく。
あ、あ、あ、あ、オン、オン、オン、オン。
ああ──嫌だ。
ここはねっとりとして、重苦しくて、怖くて。
灯がゆらゆらと揺れて、暗い影を壁や床に映じる。
それが得体の知れない化け物のようで、恐ろしかった。
あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ。
はっ、はっ、はっ、はっ、はっ、はっ、はっ、はっ。
ああ、やめて、それは、聞きたくない。
オン、オン、オン、オン。
やめて、うるさい。うるさい。お願いだから止めて。
その先に、行きたくない。その先は、見たくない。
それなのに。勝手に進んでいく。
部屋の奥へと。祭壇がある方へと。
いやだ、いやだいやだ。
だって、だってこの先にあるのは。
オン、オン、オン、オン、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ⋯⋯。
いや。いやだ。そこに行きたくない。見たくない──!!
「⋯⋯なら、こっちにおいでよ」
──はっ、と優樹は目を覚ました。
どくどく、と心臓が鳴り響いている。
びっしょりと体中に汗をかいていた。
ど、ど、ど、と耳の奥で自分の鼓動が聞こえる。
真っ暗闇であった、夜だ。
まだ、夜明けは遠い。
何も、わからない。
何かをたぐり寄せようにも、頼りになるものは何もない。
ふと、隣で人の気配がした。
視界の端に、ほの白い何かが映った。
「弁慶、さん⋯⋯?」
夜着に身を包んで、眠っている人がいる。
体を丸めていて、顔がよく見えない。
そっと肩に手をかけた瞬間、それはがばりと顔を上げた。
優樹は声にならない悲鳴を上げた。
それは、人の顔をしていなかった。
目は狐面のようにつり上がり、鼻も獣のそれだ。
口は耳の近くまで大きく裂け、唾液がしたたっている。
のそりとその影は起き上がると、首をかしげた。
「また会えたね、うれしいよ」
次の瞬間、優樹は自分が学校の廊下にいることに気がついた。
腰を抜かしたまま影に顔を向け、息を飲む。
「──君は」
「ふふ、ひさしぶり、かな?」
そこには、可愛らしい顔立ちをした男の子がいた。
以前も、会ったことがある。
「こ、こここ、こっく⋯⋯り、さんっ」
「ああ⋯⋯たしかにそんな名前で呼ばれたこともあるかも⋯⋯別に名前なんてどうでもいいんだけどさ。元々形なんてないんだから。僕なんて僕ですらないんだから。⋯⋯それよりも、さ。おねえちゃん」
にたり、と笑いながら少年は優樹に顔を近づけた。
「弱って、いるんだね。かわいい、かわいいよおねえちゃん。──魂が、弱っているんだね。おかげでまた会うことができた。人間の魂ってのは普段強いから、求められないかぎり介入するのは難しいんだよね」
くすくすくす、と笑い声が響く。
ぞっとして、優樹は後ずさった。
すると、むき出しの太ももが目に入った。気がつけば、高校の制服に身を包んでいた。
「あ、は。ふふ。また、鬼ごっこやる? 僕が鬼かな。僕がおねえちゃんをつかまえたら⋯⋯本当におねえちゃんは鬼になるよ。ううん⋯⋯違う。おねえちゃんは僕と一つになるんだ。⋯⋯僕も、その他のやつらとひとくくりにされないで、ちゃんとした僕になりたいんだよ」
「っ⋯⋯⋯⋯」
どんっ! と押し倒され、優樹は背中を打ちつけた。
両手首、足首に、何かがぐるぐると巻きつく。
目の前には男の子──ではなく、白い毛に身を包み大きく口を割いた、獣とも呼べぬ化け物がせまっていた。
本来ならば動物の四肢であるはずのものが、軟体動物の手足のようにぐるぐると体に巻きついている。
「あはは、痛い? 痛いよね? ⋯⋯今度は鬼ごっこはなしだよ。だって、今回もおねえちゃんに逃げられたら、いつまた会えるかわからないじゃない」
獣の口の中から、少年の顔が飛び出してにこりと笑った。
愛らしい唇から長い舌が伸びて、優樹の口の端をなめた。──気持ち悪い!
夢なら、お願いだから早く覚めて。早く、早く。
「っ⋯⋯⋯⋯」
長い舌が首筋をなめ、そのまま制服の中に入ってくる。
足首にまきついていた白い獣の足が、ぐるぐると上へ登っていく。
なぶるようなゆっくりとした動きに、体が震える。
「ああ、怯えているおねえちゃん、かわいいよ⋯⋯」
体を這う白い足が、スカートの中、太ももの先へと上がっていき、びくりとする。
「っ⋯⋯⋯⋯」
布の下に潜り込んできた感触、触れてきた場所に、体が震える。
腕に巻きついていた足も、袖から中へと侵入してくる。
脇の下からさらに先。這ってきたものが触れた場所に、肩がびくりと跳ねた。
それさえも押さえつけるかのように、四本の足は体に巻きついて離れない。
ざらざらとした白い毛の感触に、目をぎゅっと閉じた。
やわらかい肌をなぶるように、獣の足ばゆっくりと這う。
抵抗しようとする手足を許さないように、ぎちぎちと白い足に力がこもる。
ゆっくりと同じ場所を行ったり来たり繰り返す動きに、優樹は身をよじった。
無駄だとわかっているのに力を込める姿に、獣はにこりと笑みを向けてきた。
急に力の弱まった獣の足に、優樹は逃れようと足を動かす。
だが、そんなわずかな抵抗さえわずらわしく思うかのように、白い毛に覆われた足がぎゅっと両足を閉じるようにぐるぐる巻きつき締めつけてきた。
「っ⋯⋯⋯⋯」
動くざらついた感触に、震える。
身をよじっても逃げられない。何も、できない。
ぎちぎちと音を立てながら、両足が獣の足によって押し広げられる。
宙吊りにされ、なすがままになっている姿に、獣は笑い声をこぼした。
生き物にとって、縮こまる姿勢は防御そのもの。
それができないということは、降伏、服従の意だ。
怯えてただ震えることしかできない姿に、悦びがあふれる。
人間はどうもこの体で触れられると怖くてたまらないようだ。
それが楽しくてたまらない。
触れれば怯えが強くなるところを、なぶるようにゆっくりと足でなぞった。
恐怖で汗がにじんだのか、何度も肌を往復する足が湿り気を帯びてきた。
汗の噴き出す場所をなぞれば、毛で覆われた足が濡れそぼっていく。
足を押しつければ水を含んだ布のようにじわりと汗がにじんだ。
ぐっしょりと濡れた足は、おもしろいほど滑らかに人間の肌の上を滑った。
湿り気を帯びた足で何度もなぶれば、時折耐えきれないように声を上げて体を揺らした。
逃れようと体をのけぞらせ足を震わせる体を、伸ばした足で押さえつける。
まだ抵抗する力があるんだな、とわずらわしく思いながら抵抗が止むまで何度も何度も怯えが強くなる場所を触った。
壊しはしない。そんなことをすれば、遊びが終わってしまう。
あくまでも優しく、なぶるように足を肌に這わせる。
体の震えが激しくなる場所を見つけると、自然と笑みがこぼれた。
声を上げる動きを見つけると、執拗に繰り返した。
震えて、耐えきれず声を上げる様がおもしろくてたまらなかった。
人間が怯えて悲鳴を上げるときというのは、ずいぶんと可愛らしい声に変わるものだ。
悲鳴がこぼれるのと同じくらい、汗もにじみあふれていく。
色々な体勢をつくっては遊ぶ。
動物にとって降伏の姿勢をとらせれば、心が満たされた。
そのまま思い出したかのように触ると、またびくりと大きく体が震えた。
後ろから執拗になでつければ、悲鳴が小さくこぼれた。
姿が見えない方が、怯えが強まるらしい。
見えない場所から触られるというのは、人の恐怖を煽るようだ。
人間の悲鳴はずいぶんと可愛らしい。
背中を小突けば、おもしろいくらいに体がびくりと震えた。
おもしろくてたまらなくて、何度も場所を変えては小突いていく。
心臓近くの肌に足を這わせれば、早鐘を打つ心地の良い
どくどくと脈打つ心の臓の音が心地良い。
耳の付け根近くの首筋にやわく巻きつけた足からも、どくどくと脈打つ音が聞こえてくる。
どくどく、どくどくと脈打つ振動が心地良い。
もっと心地の良い震えを感じたくて、強く鼓動を感じる場所に足を押しつけた。
見えない場所から化け物に触れられる恐怖というのは、人間にとって格別のようだ。
一番体の震えが強まるところを探し出し執拗に小突けば、怯えを隠せぬように悲鳴を上げた。
こらえることができないのか、小突くたびに声が上がる。
それがおろしろくてたまらなくて、何度も体を突き上げた。
そうするたびに、どくどくと脈打つ鼓動が強まるようであった。
逃れようとしても弾むように揺れる体は何度も足に吸い寄せられる。
あまり強く弾ませては壊れるのではないか、と心配になり、腰に足を絡ませ押さえつけた。
もがく体を腰からゆっくりと引き寄せれば、抵抗するように背中をのけぞらせ足を揺らした。
巻ついた足から逃れるためか小刻みに震えるように動く足を押さえつけ、さらに引き寄せる力を強めた。
抵抗を見せても、どくどくと脈打つ鼓動が隠せぬ恐怖を示してくれているようであった。
にじむ汗で濡れそぼった足が、肌の上を滑る。
しばらく動きを止めても、どくどくと脈打つ鼓動は早いままに心地良く足を震わせる。
荒い呼吸に呼応するように上下する胸の奥にある心臓が、足を何度も小刻みに揺らす。
鼓動の早さが恐怖の大きさを伝えてくれるようで、強く脈打つ場所を愛しくなでつけた。
もっと鼓動を感じたくて、足を強く押しつけた。
強く押しつけたせいか、人間の体がびくりとはねる。
心臓も首筋も生き物にとって急所だからだろうか。
ただ押し当てるだけで、どくどくと鼓動が早まり、呼吸が荒くなった。
それがおもしろくてたまらなくて、強く脈打つ場所に時折力を込めて足をぐりぐりと押し当てた。
ただ押し当てるだけで呼吸が乱れ鼓動が早まるのがおもしろい。
こらえきれない悲鳴を口からこぼしながら体を震わせるたびに、どくどくと強く脈打ち、足先が心地良く震えた。
まるで波のように、一度怯えがひそまったかと思っても、繰り返せばまた震える様を見せてくれた。
繰り返せば繰り返すほどに、その間隔が短くなってすぐに震える様を見ることができた。
何度も上げる悲鳴が心地良く響く。
時折思い出したかのように足で肌をなでつけ、見えない場所から体を突き上げた。
何度も繰り返して、心地の良い鼓動に耳を傾けたくなれば、脈打つ場所に足を押し当てた。
何度も繰り返せば、恐怖のあまり人間は汗をぐっしょりとかいて髪が額に張りついていた。
一度恐怖の限界を超えれば、悲鳴をこらえることも震えを止めることもできなくなるらしい。
繰り返せば、次第に息も絶え絶えに大人しくなった。
ぐったりとした体に反するように、どくどくと脈打つ鼓動が心地良く足に伝わってくる。
心臓の音が心地良い。
脈打ち震える場所に足を押し当てうっとりとする。
だが、まだ逃れる意思は失っていないのか、手足に力が込められる。
ああ、まだ抵抗するのか。
「このまま、弱らせて⋯⋯弱ったら⋯⋯」
ぎりぎりと、手首を締め上げる。
「──おねえちゃんの魂、僕にちょうだい」
びくり、と優樹はまぶたを震わせた。
ぎりぎりと締め上げられた手足が、力を失う。
突然抵抗をやめた優樹に、少年は首をかしげた。
「おねえちゃん⋯⋯? 僕と一つになるの、受け入れてくれた?」
「──下等な自然霊ごときが、ふざけたことを」
「え⋯⋯」と次の瞬間、少年は己の体を見下ろした。
ざくり、と鋭い音が響く。四肢が切り刻まれ、少年は顔を歪ませた。
「うわあああ! なんなんだよ!! なんなんだよこれ!!」
びしゃびしゃと己の身に降りかかる粘液を気にもとめず、優樹はゆっくりと立ち上がった。
優樹の身からほとばしる神気に、少年は息を飲んだ。
「お前っ⋯⋯この国のものじゃないな⋯⋯なんだよ、なんだってんだよ!!」
「さて、な。お前ごときに名乗る名など持っていない。強いて言うならば、魂を喰らうものか」
にやり、と笑う優樹に、少年は震えた。
すでに体は再生していたが、圧倒的な力の差に体が言うことを聞かない。
「先ほどはずいぶんとふざけたことを言っていたな。この者の魂をよこせ、だと? 戯れ言を。これはわたしのものだ」
くつくつと笑みをこぼすその姿は、まるで蛙をにらみつける蛇のようであった。
「人がせっかく気持ちよく眠っていたところを叩き起こした罪は重いぞ。なおかつ人のものを勝手に己がものにしようとしていたとは⋯⋯。どうする。もっと細かくその手足を先から順に切り刻んでやろうか。それとも一瞬で木っ端微塵に存在ごと消し去ってやろうか」
「いやだ⋯⋯嫌だ⋯⋯僕、消えたくない、嫌だよぉ⋯⋯」
先ほどまでの気迫はどうしたのか、えぐえぐと泣き崩れる少年に、優樹は視線を落とした。
「己が己であることを求めるか。⋯⋯そなたが人の魂を食らったとて、望みは叶うまい。どうせここで野放しにしたとて、また同じことを繰り返すのだろう。──ならば」
かちり、といつのまにか手にしていた異国風の剣を構えた優樹に、少年は「うわあああん!」 と頭を抱えた。
「ずびばぜんずびばぜんんんっ!! もうじばぜんがらあああああ!!!」
「まことその願いを叶えたいならば⋯⋯名を与えよう。わたしの眷属になれ──
顔の先に切っ先をすえられた少年は、びくりと体を震わせた。
次の瞬間、少年の体から白い光が溢れ出す。
徐々に小さくなっていった光の中にいたのは──九つの尾を持つ白い狐であった。
ゆっくりと優樹は手を伸ばした。
あご先をなでれば、白狐は顔をすり寄せた。
「ときどき思い出したように人に悪さしかせぬより、夜叉であれ何であれ神の眷属に加わった方がそなたもうれしいだろう」
こーん、と鳴きながら、白狐は目を細めた。
そしてそのまま光の粒となり、優樹の手にする剣に吸い込まれていった。
「まったく⋯⋯目が覚めたと思えば、一体これは⋯⋯」
オン、オン、オン、オン──チ⋯⋯ネイ⋯⋯オンギャ──オン、オン、オン。
優樹は眉根を寄せた。
これは──。
「ここは⋯⋯夢かうつつか⋯⋯」
オン、オン、オン、オン──⋯⋯。
ああ、うるさい。わずらわしい。
剣で空を切る。
すると、低く響き渡っていた音は霧散した。
「⋯⋯まったく、人の子よ。⋯⋯本当にそなたは難事に巻き込まれる性質を持って生まれてきたのやもしれないな」