04.邪教の輩〜君ヲ恋ウ〜
名前変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
すきま風が、灯台の火を揺らす。
吐息混じりの甲高い女の声が聞こえた。
何かの影が壁に映り、揺れている。
大きな口を開けた、毛の長い生き物だ。
まるで心臓の鼓動のように、なんども上下に小刻みに揺れている。
地の底から響いているかのような、低い男の声がひたすらに堂の中を満たしていた。
一体何を言っているのか。低くくぐもっていてわからない。
じり、と火が音を立てる。
ねっとりとまとわりつくような空気が、息苦しい。
嫌だ、と思った。ここは嫌だ。
はっ、はっ、はっ、と荒い息が低い声に混ざり聞こえてくる。
ひどく苦しそうである。けれど──どこか悦びが混ざっているようにも聞こえた。
大きな黒い影は、何度も何度も小刻みに揺れている。
逆光のせいで、その姿を見ることができない。
壁に映っている影よりもずっと小さい。
灯りがひどくまぶしい。
まるで何かの儀式のように、床板に等間隔に置かれている。
ひときわまぶしいのは、その黒い影の奥にある灯台だ。
奥には、祭壇のようなものがある。
その上に、何かが置かれている。
だが、何度も小刻みに揺れる黒い影のせいで見ることが叶わない。
ああ、嫌だ。見たくない。その先を、見たくない。
お願い、その先を見せないで。
どんどん近づいていく。
近づいた分、黒い影も大きくなっていく。
嫌だ嫌だ、嫌だ。
お願いやめて。
はっ、はっ、はっ、と荒い息づかいがさらに激しくなっていく。
何かを唱えている低い声が、耳の奥で反響する。
お願い。やめて。
このままでは、飲み込まれる。
黒い影が、どんどんせまってくる。その先、祭壇にあるものは──。
お願いやめて!!!!!!
「っ⋯⋯──!!」
──はっ、と優樹は目を覚ました。
視界の先には、見慣れた天井が。
どくどくどく、と心臓の鼓動が全身を包み込んでいる。
朝焼けのほの暗い明かりの中で、ほこりが舞っている。
は、あ⋯⋯とゆっくりと息を吐き出し顔をなでつければ、びっしょりと汗が手のひらについた。
「⋯⋯それを知った兄は怒り、弟を斬り殺してしまったそうです。だからオトギリソウ、と。こうやって葉を透かすと黒い斑点があるでしょう? これは斬られた弟の返り血で、その念が入っていると⋯⋯優樹くん?」
「⋯⋯え? はっ、はい」
優樹が慌てて返事をすると、弁慶はにこりと笑った。
手に持っていた葉をくるりと指先でもてあそび、床に置く。
「今日はここまでにしましょうか。あまり詰め込みすぎるとよくありませんから」
「いえ、大丈夫です。⋯⋯すみません、せっかく説明してもらったのにぼうっとしちゃって」
「昨日も夜まで書の修練をしていましたからね。ときに休養をとることも、勉学の向上のために大事なことです」
「そう、ですね。今日はちょっと夢見も悪かったですし⋯⋯」
「⋯⋯まさか、また将臣くんと夢の中で逢瀬でも?」
「⋯⋯違いますよ」
冗談っぽく笑いながら聞いてきた弁慶を軽くいなす。──目が笑っていないんですけど!
「ちょっとした怖い夢ですよ。何の脈絡もない」
「⋯⋯床をともにすれば、君を悪夢から守れると思うんですけどね」
優樹がぐ、と言葉に詰まって目線を泳がせると、弁慶は小さく笑みをこぼし立ち上がった。
「別に、無理強いはしません。安心してください」
その背中を見送りながら、優樹は息を吐き出した。
⋯⋯実をいうとそういう雰囲気になるのが怖くて、わざと夜遅くまで勉学に励んで⋯⋯というのは秘密である。
活気でにぎわっている町を練り歩きながら、弁慶は人知れず笑みをこぼす。
龍神の加護が戻ったことにより、怨霊の出現もほとんどなくなり作物も豊かに育つようになった。
笑顔の人々が行き交い、活気づいている。
だが、隣を歩く九郎の言葉に笑みをひそめた。
「あやしい教えを流布している一派、ですか」
「ああ。泰衡殿から聞いた話だが、なんでも最近
「そんなもの放っておけ⋯⋯と言いたいところですけれど、神仏の力を信じる者たちの力は馬鹿にできませんからね。下手な教えをばらまかれては、平泉の体制もあやうくなるかもしれない」
自分が修行をしていた寺の僧兵たちを思い出し、弁慶は苦笑をこぼす。
同じ思想を元に一致団結しやすく、下手な武家よりも敵にまわしたときに厄介で手強い。
「⋯⋯俺たちに何とかしろ、というわけではなく⋯⋯一応は注意しておけと、そう言われた。だからお前も頭の片隅に入れておいてくれ」
「わかりました。⋯⋯ところで、泰衡殿は息災で?」
む、と眉根を寄せた九郎に、弁慶もつられて眉をひそめた。
平泉の大地で繰り広げられた源氏と奥州藤原氏の戦いの際、泰衡は背中に大きな傷を負った。
そのときの詳細は知りはしないが──優樹が自分のせいだと気に病んでいたことだけは知っていた。
暇ができては見舞いに向かう優樹に、若干の嫉妬は感じつつも止めはしなかった。
だが、逆に泰衡が「いい加減、悲壮な面で見舞われるのは迷惑だ」と言ったことにより優樹は軽い出禁になっていた。
やっぱり私の顔なんて見たくないですよね⋯⋯とへこんでいた優樹をなぐさめたのは、記憶に新しい。
「あ、あ⋯⋯一応な」
「一応、ですか。もし体調が芳しくないのでしたら、僕も何か──」
「い、いや! もうぴんしゃんと悪態をつけるくらい元気になったから大丈夫だ!!」
九郎は思わず顔をそらした。
見舞いに来た優樹の後ろで毎度金魚のフンよろしくついてまわっていた弁慶に、笑顔で嫉妬混じりの視線を飛ばされては誰が気を休めるというのか。
本当に鬱陶しいことこの上ない、と泰衡がぼやいていたのを思い出す。
嫉妬の目が日に日に殺気立ってきていたため、弁慶を出禁にするために優樹の見舞いが禁止にされたことを九郎は知っていた。
怪我人の介護と称して毒を盛られかねない⋯⋯と本気で言っていた泰衡の顔は、今でもまざまざと思い出せる。
「そうですか⋯⋯残念です」
最後だけ一段落ちた声音に、九郎はびくりとした。
み、見舞いにいけないことが残念なんだよな!? と思わず隣の男を食い入るように見た。
「そ、そうだ。というわけで、俺はもう行くからな」
はいどー! と颯爽と馬にまたがり去っていった九郎の背中を、弁慶は目をぱちくりとさせながら見送った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
はっくしょん! と優樹は口元を押さえた。
「うう⋯⋯急に鼻がむずむずとしてきた⋯⋯」
鼻先をなでると、優樹はふたたび歩き始めた。
「野菜もそろそろ足した方が良いかな?」
市場を目指して、優樹は意気揚々と往来を歩いていた。
考えごとをしながら歩いていたせいか、どん、とすれ違った人物に肩をぶつける。
「あっ⋯⋯」
思わず手に抱えていたざるをとりこぼす。
後ろに倒れそうになるところに横から手が伸びてきた。
目の前に黒い
ふわり、と鼻先に香りがかすめる。
優樹は目を見開いた。この香り、どこかで──。
「ああ、すみません」
上から降り注いできた声に、記憶をたどる糸が途切れる。
「申し訳ない、お怪我は、ありま、せ⋯⋯」
「大丈夫です。すみません、ちゃんと前を見ていなくて⋯⋯」
やんわりと相手の胸板を押し返そうとする。
けれど、背中にまわされた手が離れない。
なんだろうと優樹は顔を上げた。
「あ、なたは⋯⋯」
頭の上から布をかぶり、顔が影になっている。
年若い男だ。大きく開かれた瞳が自分のことを真っ直ぐに見つめていた。
「は、い⋯⋯」
知り合いだった? ⋯⋯そう思い見つめ返すも、記憶にない顔だ。
「あの⋯⋯よ、よろしかったら少し、ばかり⋯⋯」
男の声は上擦って、息もはずんでいた。
「お礼、いや、お詫び⋯⋯を」
「いえ、そんな⋯⋯私もちゃんと前を見ていなかったので」
硬直している男の腕を解こうと身を動かす。
いつまでも往来で密着しているのも、おかしな話だ。
それにこの人、ちょっと様子がおかしいような──。
その瞬間、どくん、と心臓が跳ねた。
どどっと駆け上がってきた鼓動に、息を詰める。
思わず男の胸に手を置く。
はっ、と息を吐き出す。何だ、いまの感覚。
何かが、自分の中で何かが──。
産声を上げる前の何かが、ぐらぐらと揺れ動いている。
何だ、何かが、何かが自分の中で。
「大丈夫ですか、顔色が⋯⋯」
どくどくと心臓が鼓動する。
男の腕が、両腕にかけられる。
「少し、そこのお堂で休みましょうか⋯⋯」
まるで抱きしめるかのように引き寄せられた瞬間、足の間、いや、腹の奥底からじいんとしびれるような感覚が湧いてきた。
指先まで甘いしびれが駆け抜けていく。
「ぁっ⋯⋯⋯」
自分でも意識せずに、吐息がこぼれる。
未知の感覚に、背筋がぞくぞくとする。
大丈夫です、そう言おうとするのに、言葉が出てこない。
なんとか声を出そうと顔をもたげる。
男と目が合った瞬間、優樹は瞳を揺らした。
何かが、脳裏を駆け抜けていった。
暗い部屋、不気味なくらいの明かりを放つ灯火。その奥で揺らめく──。
もやがかかって、瞬間的に思い出せなくなる。
「大丈夫ですから⋯⋯ね」
ずるずると、引きずられるように男に連れられていく。
ぼんやりとする頭で、先に見えるぼろぼろのお堂を見つめた。
足がもつれて倒れそうになるところを、ぐっと隣の男が支える。
腹部にまわされた手のひらの感触に、ふたたび体の奥にしびれが走った。
そのまま近くの木に背を預けるように体を押しつけられる。
重たく傾いた頭に、男の手がそえられる。
香りがふわりと鼻をかすめた。
ああ、この香り。嗅いだことがある。これは──。
ひひいん! と馬の鳴き声に優樹ははっとした。
その瞬間、自分を包んでいた感覚が消え去る。
馬の鳴き声がした方を見ると、見慣れた姿が猛烈な勢いで駆け抜けていくのが見えた。
「く、九郎さん?」
頭の後ろで高く括られた長い髪が、馬のしっぽと同じようにたなびいていた。
かと思うとあっという間に姿が見えなくなってしまった。
優樹ははっとしたように目の前の男を見上げた。
「あ、あの、体調もう良くなったので、大丈夫です。ありがとうございます! 急いでいるので、では!」
予想以上に至近距離にいたことにいまさらながらに気がつき、恥ずかしさと気まずさ──わずかばかりの恐怖に急いで離れる。
「あ⋯⋯」
伸ばされた手に気づくことはなく。
優樹は地面に落としていたざるを拾い上げると、頭を下げて足早にその場を去っていった。
胸元を押さえ、小走りに息を弾ませながら優樹は首をかしげた。
「立ちくらみ⋯⋯だったのかな⋯⋯」
あの瞬間だけ、やたらと感覚や記憶がぼんやりとしていた。
落ち着いたところで足の運びをゆるめると、ふう、と息をつく。
横髪がさらりと頬をなでつける。
「あれ⋯⋯?」
優樹は後頭部に手をまわした。
──髪紐がない。
慌てて振り返って地面を見ても──ない。
「ああ⋯⋯どこにやったんだろう」
結局、元来た道をたどっても、髪紐は見つからなかった。
「おや、これは珍しい」
「あ、はは⋯⋯どうも髪紐をどこかに落としたみたいで」
帰宅してきた弁慶に指摘され、優樹は苦笑をこぼした。
垂れ髪にするのは、ひさしぶりだ。
最近は結び髪にするのに慣れていたから、どうも首周りが暑く感じる。
「予備のものがあるから、それを使うと良いでしょう。⋯⋯いや、ちょっとこちらに来て」
弁慶に手招きをされ、優樹は近寄った。
「そちらを向いて、ここに座って」
「え? なんですか」
「良いから、さあ、早く」
弁慶に背中を向ける形で、優樹は座った。一体何だというのか。
ふわり、と首元に風を感じる。
髪を梳かれているのだと、見なくてもわかった。
気恥ずかしくなって、何か言わなくてはと思うも、何も思い浮かばない。
ただ口をもぐもぐと動かす。
一梳き、二梳き、とゆっくりと自分の髪が櫛になでられる。
思えば人に髪を梳かれるなど、小さい頃以来だ。
なんだかむずむずとする。
ふと、両肩に手を触れられ軽く引き寄せられる。
なんだ、と思う間もなく後ろ髪がかき分けられ、首筋に触れてきたものにびくりとした。
「っ⋯⋯⋯⋯」
前のめりになった体が押さえつけられる。
口からは無意味な声しか出てこない。
両腕で抱きすくめられ、首筋を甘噛みされる。
わけもわからず、泣きそうになった。逃げ出したい気分になる。
頬に手を添えられ、後ろから顔を寄せられる。
肩を引かれ、端正な顔と向き合った。
思わず目をつぶる。
ああ──そういう雰囲気だ。
飲まれそうになる、と思った。
飲まれてもかまいはしない。
そう思う反面、自分の片方はいつも怖がっている。目の前のこの人を。
一つになることを、極端に恐れている。
「⋯⋯⋯⋯君は、僕から逃げたいですか」
優樹は思わず、弁慶の顔を見た。
弁慶は優樹とは視線を合わせずに目を伏せていた。
「僕はね、君にはかなわないんですよ。君を好きだと、失いたくないと思っている僕を導くのは、いつだって君の存在だ」
「⋯⋯そんな」
「大げさだと、そう思いますか。それとも、僕はそんな人間だと思っていなかったですか」
優樹は口をつぐんだ。
ずっと近くで弁慶を見てきた。だからこそ、そんなことはないと思っていた。
この人は、何があったとしても、自分の信念を曲げない人だ。
何も──誰も押さえることなんてできない。
誰かが妨げになったとしても、止めることなんてできない。
「僕は、君がこの世界に残ってくれて本当にうれしかったんですよ。それと同時に、僕はいつも恐れている。君がこの世界を嫌だと思ったとき、僕の目の前から消えてしまうんじゃないかと」
「そんな、ことは⋯⋯」
優樹は言いかけ、口を閉じた。
黙ってしまった優樹に、弁慶はふわりと笑った。少しだけ切なそうに。
「僕はね、君のそんなところ、好きですよ。『そんなことはない』と言えないところ。未来のことは誰にもわからない。⋯⋯自分の心さえも。願望と現実は違う。不確かな絶対の約束ができない。そういう嘘をつけない。そんな誠実さが、僕は好きですよ」
そっと、弁慶の熱が離れていく。
「だから、それができるのだとしても、僕はできない。君の心を無視して欲望のままに君を好きにする、なんてね。できたとしても、できない⋯⋯」
優樹は弁慶を見上げた。
そっと離れていく背中を追うことができず、そのまま上げた手をさまよわせる。
弁慶の姿が完全に見えなくなってから、床に頭を押しつけて髪を乱暴に握りしめる。
「⋯⋯ああ、もう。⋯⋯そんなことないって、はっきり言えよ、馬鹿⋯⋯」
意気地なし、と自分を罵る言葉だけが胸の中でこだました。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ああ⋯⋯」
すう、はあ⋯⋯と男は荒く息を吸った。
手に握りしめたものに鼻を、唇を一心に寄せる。──男の手には、髪紐が一本。
「ようやく⋯⋯見つけた。ようやく」
はあ、はあ、と荒く息を繰り返す。
「あれこそ、本物の、私の⋯⋯」
はあ、あ⋯⋯と恍惚とした吐息が男の口からこぼれ落ちた。
「──⋯⋯様⋯⋯」