03.おいでませ!
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「これ⋯⋯私に、ですか?」
目の前に差し出されたものに、優樹は目を丸くした。
「ええ、君も着物がひとつだけしかないと、何かと不便でしょう」
若葉一色の着物。自分の胸の前にあてがいながら思わず笑顔が広がった。
それを見て、男の顔にも淡く笑みが浮かぶ。
「ありがとうございます! 大切にしますね!」
薬草をざるに並べながら、優樹はふふと思わず笑みをこぼした。
視線を下ろせば、着物の若葉色が一面に入り込む。
弁慶がくれたもの。そう思うと顔がゆるんで仕方がなかった。
「あとはこれを天日干しにしないと」
ご機嫌な様子でざるを軒下に並べている優樹を屋内で見守りながら、男は笑みをこぼした。
一日中、着物を見下ろしては顔をほころばせる優樹。
男冥利に尽きるとはこのことか、と視線を落とし本日何度目かわからない笑みを弁慶はこぼした。
まぶたの先から淡い光が覆ってきて、優樹は思わず目を開けた。
見慣れた教室。整然と並べられた机と椅子。
がらんとしていて、とてもさみしい。ここはさみしい。
ガラス窓からのぞく大きな夕陽に、思わず目を奪われた。
美しいと思うと同時に、もの悲しさと、畏怖の念とも呼べる恐怖を感じた。
何も描かれていない黒板に視線を移したとき、はっとする。
しまった。早く教室を移動しないと。
いや、教室移動? どこに? いまは何限の間だっけ。いや、まずい。授業中だ。
どうしよう、遅刻だ。みんなもう行ってしまっている。
って、あれ? いまは放課後? みんな帰った。
どうしよう。早く帰らないと怒られ⋯⋯──。
「──どうしたんだ? そんなに深刻そうな顔して」
はっとして優樹は振り返った。
ひだのついた短いスカートが風でふわりと舞う。
「ま、将臣⋯⋯?」
机の上に座っている級友に、困惑する。
真新しい記憶よりもだいぶ若々しい顔立ちと体つきであった。
「ね、どうしよう⋯⋯早く行かないと」
「行くってどこに?」
「どこってそれは⋯⋯」
あれ、と思った。どこに行こうとしていたのか。
「え、と次の授業、に⋯⋯?」
「おいおい、もう冬休みに入ったんだからよ。授業の話とか勘弁だぜ」
軽快に笑う将臣に、ほっと胸をなでおろすも淡い疑問が浮かび上がる。
「いや、だったらなんで制服着て学校にいるの」
「たしかに。それは言えてるわ」
ははは、と笑う将臣は疑問に答えてくれるわけでもなく。
「それにしても、だ。その着物。なかなか似合ってて良いじゃねーか」
「何言って⋯⋯」
制服でしょ、と言おうとしたら、いつのまにか若葉色の着物を身にまとっていた。
この着物、この着物は──。
「あ、れ⋯⋯。私、どうして──どうして、学校にいるの。だって、だって私は──」
どこに、いたんだったか。
「あれ、なん、だっけ⋯⋯」
「おいおい、大丈夫か。寝ぼけてるのか? 夢の中でまで寝ぼけるなんて、お前らしいな」
「ゆ、め⋯⋯?」
「なんで夢でお前と会っているんだろうな。事実は小説よりも奇なり、ってか」
「夢って何言って⋯⋯て、そうだ、これ。夢だよね」
「ようやく気がついたのか」
自分よりもはるかに落ち着いた態度で、将臣は夕陽を眺めていた。
「元気でやってんのか? あいつとはうまくいってるか?」
「うん、元気だけど⋯⋯あいつ?」
あいつって一体誰のことを──。
「って、そう! そうなんだよね」
「何がだ?」
「この着物、弁慶さんがくれたんだ。そうだ、私、向こうの世界に残って⋯⋯」
「まさか、弁慶のこと忘れてたってか? そんなこと言ったらあいつどんな反応するんだろうな。見てみたいぜ」
「わ、忘れてない。忘れるわけない! だって一緒に暮らし──」
優樹は口を押さえた。
「お、同棲とかやるじゃねえか」
「う、うるさい」
「同棲は同じ屋根の下に住むことの意。それ以上でもそれ以下でもない。⋯⋯なーに焦ってんだよ」
ぐ、と優樹はこぶしを握った。⋯⋯にやにやしながら聞いているくせに。
全部わかってて話を進めているのだから腹が立つ。
「それにしても、弁慶にその着物をもらったか。へー、あいつもなかなかに⋯⋯」
「なかなかに⋯⋯何?」
にやにやしながら見てくる級友に、優樹はどぎまぎとしながら聞き返した。
「お前さあ、男が女に服をプレゼントする理由なんてひとつしかないだろ」
「な、なに」
わずかに期待が高まる。
答えは知らないが、何か良いものなのではないだろうか。
「っと⋯⋯そろそろ時間か。ま、あいつと末永く仲良くな!」
「え、ちょ、ちょっと! ねえ! なんなの、男が女に服をプレゼントする理由って!? ねえ──」
急速に空間が白んでいく。
「──将臣っ!!」
がばり、と優樹は起き上がった。
ぴょこん、と前髪が一房跳ね上がる。
ぴーちちちちちち⋯⋯と小鳥がさえずるのどかな音が聞こえてきた。
「ゆ、め⋯⋯?」
改めて実感したことに、一気に疲労が襲ってきた。
がっくりと顔を
「ドクダミってたしか腹痛に効くんですよね。あとたしか⋯⋯えーと、飲水病にもでしたっけ?」
「⋯⋯⋯⋯」
「⋯⋯弁慶さん?」
うかがうように優樹が声をかけると、はっとしたように弁慶は顔を上げた。
「ああ⋯⋯すみません、ついぼうっとしてしまって」
「もしかして寝不足ですか?」
「寝不足⋯⋯いえ、たんに寝覚めが悪かったというか⋯⋯」
ふ、と小さく吐息をつきながら弁慶は頭を振った。
「いえ、なんでもありません。座学はここまでにして、ちょっと薬草摘みにいきませんか。この季節はたくさん採れますし⋯⋯実際に自分の目で見た方が覚えが良いでしょう」
「そう、ですね。じゃあ準備してきます」
草が生い茂る野を並んで歩きながら、優樹はふと思い出した。
『お前さあ、男が女に服をプレゼントする理由なんてひとつしかないだろ?』
あれ⋯⋯どういう意味だったんだろう。
いやいや、あれはただの夢。自分の潜在意識に眠っていたものや色々な記憶が整理されただけだろうし。⋯⋯やけにリアルな夢だったな。
⋯⋯どうせだったら答えを聞いて目を覚ましたかったな。
優樹は弁慶をちらりと見た。
どうして着物をくれたんですか。
そう聞きたい気持ちもあったが、もうすでに言ってくれているではないか。
一着では不便だから、と。
「今日もたくさん採れましたね」
「ええ、これでたくさん
遠出をして疲れたためか、その日も優樹はすぐに眠りに落ちてしまった。
「よお、また会ったな」
目を開けると、夕焼け色の光とともに手を挙げている級友の顔が映り込んだ。
「また将臣の夢。⋯⋯すごい。私、夢の中で夢を見てるって気づいている。とうとう明晰夢の力に目覚めた?」
「明晰夢ねえ⋯⋯。ま、いいさ。それにしても、なーんでこう、お前とまた会うんだろうな。お前そっちで何かあったか? 気にかかっていることとか」
「気になっていることって言われても別に⋯⋯って、そうだ。将臣に聞きたいことがあったんだ」
「お、なんだ」
優樹は無駄に咳払いをした。
「あ、あのさ⋯⋯男の人から女の人に服をプレゼントする意味って⋯⋯なんなの?」
将臣は一瞬黙り込んだ。かと思うとにやりと笑った。
「さあな。俺も知らねえわ」
「はあ!? だって自分で昨日言ったのに!」
「さあーて、何のことだか。お前夢でも見てたんじゃないのか」
「なるほどね! ってそうだよ! 夢で聞いたんだよ!」
「ほらな」
「いやいや、いまだってまさに見ているよ!」
机から飛び降りながら将臣は笑った。
「あ! こら逃げるな!」
「だったら追ってくるなよ」
「逃げるから追うんでしょ! ねえ、答え教えてよ! 気になるでしょ!」
「おっと、もうそろそろ夜明けも近いんじゃねえか」
「え、ちょっと──」
優樹は声を張り上げた。
「将臣!!!」
──はっと優樹は目を覚ました。
青みがかった薄明かりが、外から差し込んできている。
「ま⋯⋯また変な夢見た⋯⋯」
まったくなんなんだ⋯⋯と優樹はまた眠りについた。
「⋯⋯⋯⋯」
「⋯⋯⋯⋯」
優樹は口に運んでいた
向かいには同じく朝餉を食べている弁慶が。いつも通りの朝の風景である。
だが、だがなんだろう。この空気。
黙々と箸を動かしている弁慶をちらりと見上げる。
いつもだったら何かしら会話が弾んでいるはずなのだが、今日、弁慶はあいさつ以外一言も発していない。
今日はそんな気分なのだろうか。
少し気にかかりながらも、優樹は静かにご飯を口に運んだ。
それにしても、と考えにふける。
何なのだろう。二日連続で似たような夢を見るというのは。
将臣に関して何か気になることがあるのだろうか。
だが、無意識下で起こっていることだから、わかるわけもなく。
「この世界での夢の意味、ですか?」
食後、気になり弁慶にたずねると、先ほどよりも気難しい雰囲気が強くなった気がした。
「⋯⋯相手が自分のことを強く思っている場合、その人が夢に現れる、とは言いますね。夢に現れるということは、それだけ相手が自分を好いているということ」
「おもしろいですね。私たちの世界とは逆なんですね」
「逆⋯⋯というと?」
「だいたい夢に誰かが出てくるってことは、自分がその人のことを考えているから、気にかかっているから。って私たちの世界では考えますね。まあ、夢なんて自分で好きに動かせないので、わからないですけれど」
「⋯⋯夢を見ている人がその人のことを考えているから、か」
弁慶の顔からさらに表情が消えたことに、優樹は気がつかなかった。
「ほかに⋯⋯意識的に夢を見る方法とかってありますか? 自分で見たい夢を見る方法なんて」
「⋯⋯何か、見たい夢でもあるんですか?」
「い、え⋯⋯ちょっと気になっただけというか」
吐息をつきながら、弁慶は立ち上がる。
「⋯⋯さあ、僕もその手のことはくわしくないかな。⋯⋯ちょっと今日も薬草を摘みに行ってきますので、君に留守をまかせても良いですか?」
「あ、それなら私も一緒に」
「いえ、今日は僕一人で行ってきます」
そのまま背を向けて、弁慶は支度を始めた。
今日はやけにそっけない態度をとる気がして、優樹は困惑した。
なんとなく、朝から機嫌が悪いような。
気のせいだろうか。
「いってらっしゃい⋯⋯」
出かける際も、ただその背中を見送ることしかできなかった。
「⋯⋯それにしても、ここまできたら、今日こそ夢でとっつかまえて答えを聞くしかないんじゃないかな」
腕を組みながら優樹は頭をひねっていた。
「そういえば、意識的に夢を呼び寄せる方法があったような⋯⋯」
どうやるんだっけな⋯⋯と思い出しながら、優樹は穴の空いた銭を一枚取り出した。
「たしか、こうだったっけ」
床に銭を置き、両の人差し指を添える。
目を閉じ、気を統一するように息を深く吸う。
「将臣さん、将臣さん、お願いだから来てください⋯⋯」
言い終わって、あれ⋯⋯と優樹は眉をひそめた。
これって、夢を呼ぶ儀式じゃなかったか。なんだったかな⋯⋯。
「⋯⋯なーんて、こんなので夢を意図的に見れるわけ⋯⋯」
ははは、と自分にあきれるように優樹は一人笑った。