02.心の声が聞こえる
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あ、と思ったときには遅かった。
ぱりーん、と甲高い音が足元から響き、身をすくめると同時に嘆息した。
「あ、あー⋯⋯」
優樹は乾いた笑みを浮かべながら割れた壺を見た。
「どうしよう⋯⋯瞬間接着剤とか⋯⋯あるわけないし⋯⋯」
かち、かち、と割れた破片を合わせようとしながら、はあ、とため息をついた。
「弁慶さん、怒るかなあ⋯⋯。なんとかごまかし⋯⋯いやいや、謝んないとだよね⋯⋯」
この先起こるであろうことを想像して、気が散漫になっていたのだろうか。
「いたっ⋯⋯」
指先に走った痛みに、優樹は小さく悲鳴を上げた。
「⋯⋯踏んだり蹴ったりとはこのことかな」
ぷつり、と指先に浮かんだ赤い粒に、優樹は今日何度目かのため息をついた。
さて、このまま破片を放置していたら自分、もしくは弁慶が怪我をするかもしれない。
急いで片付けないと、と一旦手にしていた破片を置こうとしたときであった。
うっかりと指先の血が破片についてしまい、慌てて優樹は手を引いた。
壊してしまったとはいえ、これ以上汚してしまうのは──。
そう思ったときであった。
「っ──」
ぱちん、と静電気のような刺激が指先に走ったかと思うと、目の前が白光に包まれる。
「って⋯⋯え? ⋯⋯⋯⋯え?」
優樹はまばたきを繰り返した。
「いま、目の前に光が⋯⋯気のせい? って⋯⋯あれ、壺は⋯⋯?」
床に散らばっていたはずの破片が、跡形もなく消えていた。
「え、え⋯⋯? どういうこと?」
目をこすっても、手品のように現れるわけでもなく。
「おかしい⋯⋯たしかに壺が。⋯⋯私夢を見ていた⋯⋯わけないけど、白昼夢?」
人差し指の先には、くっきりと赤い血の筋が残っている。
「こんなところで一人座り込んで、何をしているんです?」
背後から声をかけられ、優樹は飛び上がった。
「あ、あの⋯⋯おかえりなさい。⋯⋯部屋の掃除をしようと思ったら、弁慶さんが箱の上に置いていた小壺を割ってしまって⋯⋯。床に破片が散らばっていたはずなんですけど、跡形もなく消えてしまって⋯⋯」
申し訳なさと罪悪感でいっぱいになりつつ頭を下げたが、返ってくる沈黙に気まずさがあふれてくる。
「え⋯⋯と、割れたものは片付けてくれた、ということですか?」
やっぱりそこ気になるよね!!!
私も現在進行系で気になっています!!!
「い、や⋯⋯片付けたというか、なんというか⋯⋯」
目を泳がせている優樹が、怒られることに焦っていると思ったのだろうか。
弁慶は笑みを浮かべた。
「もしかして、あの黄味がかった土色の壺ですか? 気にしなくて良いですよ。行商人から巻物を買ったときに、そんなに買ってくれるならとお礼ついでにもらったものですから。そんなに気にしないでください」
ほっと胸をなでおろすも、ふと弁慶の眉がひそめられたことに気がつき、ふたたび気を引きしめる。
「指⋯⋯怪我してますね。破片を片付けるときに傷つけましたか?」
流れるような動作で右手をさらわれる。
「あ、えーと、そう、ですね。あ⋯⋯で、その破片なんですけど、私が片付けたんじゃな、く⋯⋯」
『なんで君はそう、僕が目を離したすきに怪我をつくるんですかねえ。これじゃ心配でおちおち出かけられやしない』
「す、すみません⋯⋯」
あきれたような、少し苛立ちを混ぜたような声を吐き出され、優樹は肩をすくませて目を伏せた。
「怒っているわけじゃありませんから、そんなにかしこまらないでください。ただ⋯⋯」
声音と同じように優しく指をなでられ、くすぐったさにぴくりと指が動く。
『そんなにしゅんとされると、いじめたくなってしまいますねえ⋯⋯ふふ、どうしようかな』
「そんな、弁慶さん、ひど⋯⋯」
「これからは気をつけてくださいね。君が傷つくと僕も心が痛みます」
「あ、え、あ⋯⋯はい」
『いっそのこと僕が離れているときは縄で手足を縛って閉じ込めてしまえば⋯⋯なんてね』
「ばっ! な、何ですかその変態プレイは!?」
がばり、と顔を上げれば、目を点にした弁慶と目が合う。
「え?」
『びっくりした』
って⋯⋯え!!!?
優樹は弁慶の顔を凝視した。
弁慶さんの口元が全然動いていない!?
「え!? 弁慶さん⋯⋯パペット、じゃない! 腹話術なんて⋯⋯な、何を急に?」
「えーと⋯⋯」
『何を言っているのかな? 相変わらず焦ると変なことを口走りますね』
「え、え、え⋯⋯?」
『目が白黒していておもしろいな⋯⋯。あ、朝からついていた寝癖、まだ直っていない⋯⋯ふふ、可愛い、抜けてますねえ⋯⋯』
「え、寝癖!?」
ばっと優樹は両手で自分の頭を押さえつけた。
「⋯⋯優樹くん、さっきから⋯⋯大丈夫ですか」
優樹はじっと弁慶の顔を見た。
今度は、口の動きと聞こえてくる声は一致している。
「⋯⋯⋯⋯」
「⋯⋯⋯⋯」
「あ⋯⋯の、ちょっと⋯⋯疲れているのかもしれません、ちょっと⋯⋯休みます⋯⋯」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
源氏と平家の戦いが一応の終わりを見せた後、床に伏せていた優樹は長い期間を経て目を覚ました。
その後は、平泉で弁慶とあばら屋を借りてともに暮らしている。
弁慶の本心としては京に足を運びたい気持ちもあるようだが、情勢がはっきりとしない今はまだ安全な地で様子見をしたいとのことであった。
⋯⋯そう、ともに暮らしている。
本当に平和に同じ屋根の下で暮らしている。健全な仲として。
ばたり、と優樹は疲れたように床に体を投げ出した。
「なんだろう⋯⋯最近生活が落ち着いてきて気がゆるんできたから、幻覚とか幻聴が⋯⋯?」
さっきのあれは何だ。一体何なんだ。
弁慶の声で、弁慶が発していない言葉が聞こえてきた。
「いやそんな馬鹿な⋯⋯弁慶さんだってふざけて腹話術なんてするはずないだろうし⋯⋯そもそも腹話術できない、でしょ⋯⋯」
うんうんうなっていると、ふと指先の赤に目がいった。
傷が浅かったせいか、もう固まっている。
⋯⋯あの破片だって、どうしたというのだろう。
「ああ、だめだめ! 部屋にこもっていると余計に気がふさぐ!」
がばりと身を起こすと、優樹は外に飛び出した。
「ちょっと出かけてきます!」
「え、優樹く──」
弁慶が声をかけてくるのもかまわずに、優樹は駆けていった。
「鬱々としたときは走るにかぎる! はし、っる!」
ぜいぜいと息を切らしながら、足を前へ前へと進めていく。
こんな風に一人で自由に駆け巡れるようになったのも、この世界に龍神の加護が戻ったおかげだ。
胸の苦しさに、優樹は足をゆるめた。
だんだんと歩幅をゆるめ立ち止まると、心臓がどくどくと脈打つ。
「はあ、ひさしぶりに、つ、かれた⋯⋯」
はあ、はあ、と荒く息をしながらすぐ脇の木に手をついた。
「──優樹様?」
「⋯⋯⋯⋯え?」
優樹はぎょっとして飛び跳ねた。
いま⋯⋯いま木が喋った? そんな馬鹿な。
「う、嘘⋯⋯嘘だ。とうとう⋯⋯幻聴が⋯⋯そんな馬鹿な。まさか植物の声が聞こえるようになったの、私!?」
言いながら木肌をなでる。
「木の声まで聞こえるようになったなんて、そんなわけ──」
「──いいえ、私は木の精。ずっと、ずっとあなた様と言葉を交わしたいと願っていました。このようなうららかな陽の光の下であなたとまみえることができるなんて、罪に汚れた我が身なれど、神と御仏に感謝せずにはいられません」
優樹は言葉を失った。⋯⋯そんな、木が自ら名乗るなんて。
──なんだか聞き覚えのある声と口調の気がしたが、気が動転していた優樹の頭からは抜け落ちていた。
「そんな⋯⋯う、嘘⋯⋯。わ、私はどうすれば⋯⋯!?」
「⋯⋯元に戻る方法を、知りたいですか」
「し、知っているんですか!? ど、どうすれば良いんですか!?」
一瞬間が空いたかと思うと、ふっと笑いをこらえるような吐息が聞こえた気がした。
「──では、そのまま私に背を預けて、しばし目を閉じていてください」
「は、はい。こうですか?」
「ええ。そのまま、目を閉じていて」
ふわり、と何かが動く空気──いや、気配を感じた気がしたが、優樹はぎゅっと目を閉じていた。
ざらざらとした木肌を背に感じる。
ああ、まさか木と会話する日が訪れるとは。異世界は小説よりも奇なり。
『本当に、純粋な方だな。幼子のように無垢で、愚かなくらいに己を人の言葉に預けて、いまならこのまま私のものにだって──』
何かが頬に触れた、と思った瞬間に聞こえてきた声に、ばちりと優樹は目を開けた。
目の前には白銀の髪の──良く知った男がいた。
「え!? ⋯⋯し、銀さん!?」
男はくすりと笑みをこぼした。
「⋯⋯いいえ、私は人の姿を借りた木の精。あなたに会いたくて、言葉を交わしたくて、こうして仮の姿をとっただけです」
「⋯⋯木の裏にいたんですね。なら、言ってくれたらよかったのに」
素で勘違いしていたことに、優樹は羞恥で頬に熱が集中するのがわかった。
『ああ⋯⋯頬を赤らめて、まるで熟れた実のようにみずみずしく可愛らしい方だ。このまま夜の
「⋯⋯⋯⋯」
優樹は銀が発した言葉に閉口した。
もちろん、彼はいっさい口を動かしていない。
銀の手は、いまだに自分に触れている。
これはまさか、だ。まさかのまさか。
いや、そんな馬鹿な。