10.邪教の輩〜邪教ノ正体〜
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差し込む朝日にまどろみながら、弁慶は腕の中のぬくもりを引き寄せた。
腕の中でもぞもぞと動いていた人物が目を開けて固まり始めたことを感じながらも、かまうものかと頬をすり寄せた。
人間、一度経験すれば二度目は気が軽くなるというものだ。
「⋯⋯言っておきますけど、しがみついてきたのは君ですからね」
⋯⋯別の人格、いや神格だが、という言葉は飲み込んでおく。
腕の中のぬくもりはよくわからない声を上げながら身もだえしているようであったが、かまわず抱きしめ続けた。
昨晩は色々なことがありすぎて、なかなか寝つけなかった。
今ようやく眠気がやってきたのだから、もう少し休ませてほしい。
このくらいは許されても良いはずだ。
ようやく腕の中のぬくもりが慣れたように身を預けてくれた頃、弁慶は目の前にある柔らかな毛をいじりながら口を開いた。
「今日も、僕は泰衡殿の所をたずねようかと思っています」
上目遣いで見てきた優樹の不安げな表情に、落ち着かせるように頭をなでつけた。
君も一緒に来ますか? と聞けば、強張っていた表情もやわらぐ。
昨今味わった幻覚のような出来事は、だいぶ彼女を不安にさせているらしい。
正直、優樹を泰衡の元に連れていくのは気が進まない、というのが弁慶の本音であった。
荼枳尼天の顕現のことを知れば、泰衡はどんな行動に出るのか。
だが、それ以上に優樹を一人にすることの方が危険に思えた。
昨晩の会話を思い出す。
──闇夜が支配する時間帯には気をつけろ。
たしか、そう言っていなかったか。
明るいうちならば、まだ大丈夫という意味か。
二人そろって泰衡の館へと向かう道中、弁慶は隣を歩く優樹をちらりと横目で見た。
水干に、袴姿。
昨日もそうだが、なつかしい格好だ。
普段ともに過ごしているのだから女性ということはわかっているはずなのに、不思議とその姿をしているとおぼこい少年に見える。
最近はもっぱら小袖の姿であったが、やはり格好を変えるくらい心情に変化が起きているということなのか。
それに、と瞳を伏せる。
少し顔色も悪く見えた。
本人は普段通り振る舞っているようではあったが。
ふと、道の先で人だかりができているのが目についた。
その中に見慣れた男の後ろ姿があり、思わず声をかける。
「九郎」
呼びかけられた男は、驚いたように振り返った。
頭の後ろで高くくくりつけられていた長髪がたなびく。
「弁慶、優樹。奇遇だな。こんなところで会うとは」
「この人だかり、何があったんですか」
問いに、九郎の表情が曇る。
「──胸を一差しか?」
「まだ若いのに⋯⋯ひどいことを」
群衆の中から聞こえてきた言葉に、優樹は思わずそちらに顔を向けた。
弁慶の顔も険しくなる。
「⋯⋯殺し、ですか?」
「⋯⋯ああ。若い娘が一人、草陰に隠すように投げ捨てられていたようだ」
優樹は口元を押さえた。
誰がこんなことを。
役人はまだなのか。
周りの音が、どこか遠くに聞こえた。
頭の中が、急にごちゃごちゃとかき混ぜられているような感覚になる。
着物がはだけて⋯⋯。
⋯⋯されたような痕もあったんだろう?
ひどい、ひどいことを。
頭がぼんやりとする。
無意識に足が一歩進んだ。
はあ、と吐き出した自分の息が、耳の奥に響くようであった。
まるで水の中にいるように、周りのすべてがくぐもっているように感じる。
人混みをかきわけ、一心に前に進む。
その先に、
端から、長い黒髪がこぼれていた。
反対側からは、生白い足がのぞけた。
それに視線が釘付けになる。
は、あ⋯⋯と息をつく。
突然、強い風が吹いた。
筵の端がめくれ上がり、隠されていたものがあらわになる。
ひゅっ、と思わず息を飲んだ。
目が合ったように思えて、焦点の合わない瞳。
ぐ、と胸の下からせり上がってくるものに、口元を押さえる。
ふらふらとしながら、人だかりから離れようとした。
頭が、ぐらぐらとする。
思わず近くの木に手をついた。
そのままずるずるとしゃがみ込んでしまう。
ああっ──ああ!
女の甲高い声が頭の中で響く。
うるさい。うるさい。
「大丈夫ですか」
肩をつかまれ、思わずびくりとする。
ぼんやりとしながら顔を上げれば、黒装束の男がそばに立っていた。
「気分が優れませんか」
視界がちかちかとして、男の顔かたちがはっきりと見えない。
動く口元だけがやたらと目についた。
「ああ⋯⋯こんなところで会えるなんて」
肩にそえられた手が、やんわりとなでつけるように着物の上を這う。
「私が⋯⋯すぐに楽にして差し上げますから」
この声⋯⋯この香り⋯⋯どこかで。
思い出そうとするのに、記憶にかすみがかかる。
は、あ⋯⋯と息をこぼしたのは、どちらであったのか。
「──僕のつれが、すみません」
ぼんやりとしていた世界に、はっきりとした声が響く。
「優樹くん、大丈夫ですか」
男との間に割って入るように、弁慶の手が肩にまわされる。
その瞬間、ようやく息をつけた心地がした。
「また立ちくらみですか」
「少、し⋯⋯。もう、大丈夫です」
弁慶につかまりながら、のろのろと優樹は立ち上がった。
男に礼を言う弁慶の声に耳を傾けながら、ゆっくりと呼吸を繰り返す。
いつもよりも強く肩を抱き寄せる手のぬくもりが、心強く感じた。
ほっと胸がゆるむ。
立ち去った二人の──男の背に激しい憎悪の目が向けられていたことに、はたして気づいた者はいただろうか。
「急に姿が見えなくなったから、驚いたぞ」
優樹は曖昧に九郎に笑みを返した。
たしかに、どうしてあそこに向かったのだろう。
「今日はもう、帰りましょうか」
弁慶の言葉に、優樹は思わず顔を上げる。
「そんな⋯⋯もう大丈夫ですよ。泰衡さんに聞きたいことがあるんですよね。一緒に行くくらい⋯⋯」
「それはまた、後日でもかまいませんから。僕にとっては、君の方が大事です」
「たしかにお前、少し顔色が悪いぞ。無茶をするな。あまり頑なになると、こいつの方が気を揉んで倒れるかもしれないぞ」
二人から矢継ぎ早に言われ、優樹は反論の言葉を飲み込む。
だが、今朝の弁慶の表情。
何か真剣な⋯⋯深刻なことがあるのではないか、と感じさせるものがあった。
連日向かおうとしていたからには、それなりの理由があるはずだ。
「じゃあ、お言葉に甘えて。先に家に帰ってますね。弁慶さんは泰衡さんに用があるみたいだし⋯⋯」
弁慶の難しい表情が深まったことに、優樹は笑顔を強張らせる。
⋯⋯いや、なんとなく予想はしていた。
「いえ、僕も一緒に帰ります。道中何かあったら心配ですから。誰もいないところで倒れでもしたら⋯⋯」
「し、心配しすぎですって」
「そうやって君はすぐに無理をしようとする」
「してません、本当に大丈夫ですから」
互いに譲り合おうとしない二人の様子を見かねたのか、九郎は小さく息をついた。
「なら、俺が優樹を家まで送り届けよう⋯⋯。あとで所用があるからずっと一緒にいてやることはむずかしいが、そう時間のかかることでもないんだろう?」
──昨日の件だろう?
目線だけで通じ合った友に、弁慶は逡巡した後に息をついた。
⋯⋯泰衡に優樹を会わせたくないと思っていたこともある。
「そう⋯⋯ですね。では、九郎。お願いしても良いですか」
「弁慶さんは心配しすぎなんですよ」
「そう言ってやるな。それだけあいつにとってお前が大事だということだろう」
弁慶と別れて後、思わず不満をこぼすも、九郎の返しに優樹は黙り込んでしまう。
「それじゃあ、俺はそろそろ行くぞ」
家でしばらく一緒にいてくれた九郎も、弁慶が戻って来ない様子に腰を上げる。
「いつまでも人妻と二人きりで過ごしていては、家の主にどんな恨みを買うかわからないからな」
去り際に朗らかに冗談を言い放った九郎に、優樹は頬を薄く染めながら口をもごもごとさせた。
一人になった家で、何かしないと落ち着かない気持ちになり動き回っていたが、特段しなければならない用もない。
手習いの修練でもしようか、と思うも、頭を使う作業をするには気が進まない。
平気だとは思いつつも、やはり体調はまだ万全ではないようだ。
「ちょっと早いけど、ご飯の準備でもしようかな。弁慶さんもすぐに帰ってくるような様子だったし」
調理器具を片手に、優樹は野菜を切りにかかった。
かたん、と入り口の方で音がし、思わず顔を上げる。
「おかえりなさ──」
そこにいた人物に、優樹は目を見開いた。