第七章 女の衣を身にまといて
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「あ、これ可愛い」
「ああ、なんだか見ているとなつかしい気持ちになるわね」
濡れ縁を歩いていると、楽しそうな声が聞こえてきて優樹は引き寄せられた。
「なーにしてるの、二人とも」
ひょっこりと部屋に顔を出すと、望美と朔は顔を上げた。
「優樹、ちょうど良いところに来たね! 見てこれ、朔の化粧道具とかだよ」
「といっても、今は使っていないけれどね。仏門に入った身だから。⋯⋯だから、本当はこういった道具も、誰かに譲った方が良いのだけれどね。母上と兄上がどうしてもって承知しなくてね」
「うん、こんなに綺麗なんだもの。もったいないよ」
「あなたにそう喜んでもらえたのだったら、とっておいた甲斐があったというものかしら。この着物も、もう私には幾分派手だから、しまっておいたのよ」
「すごい綺麗だね。道具ひとつひとつに装飾がされていて⋯⋯なんだか趣があるなあ」
優樹も二人のそばに腰掛け、化粧道具や着物を見て取る。
「望美、紅差してるの? 可愛いね」
「優樹もよかったらしてもらったら?」
「私は⋯⋯いいよ、そういうの似合わなそうだし」
望美と朔は顔を見合わせた。
そして、意気投合したように笑みを浮かべる。
「まあまあ、そんなこと言わずに」
「せっかく掘り出したんだもの⋯⋯使ってくれるとこの子たちも喜んでくれると思うわ」
「え⋯⋯な、なに⋯⋯。望美も、朔も⋯⋯な、なんで近寄ってくるの」
じりじりと優樹は後退する。
ふふ、ふふふふふ⋯⋯と妖しげな──いや、楽しげな笑みを浮かべる二人に、優樹は知れず冷や汗を流した。
「ちょ、二人とも、まっ⋯⋯」
優樹の悲鳴は、二人の少女の楽しげな笑い声にかき消されていった。
「いい、いいよ」
「やっぱり紅を差すと雰囲気ががらっと変わるわね」
「あ、あの⋯⋯もう、動いても良い⋯⋯デスカ」
こっちの衣装はどう? あっちも良いわね。
鬢もつけて⋯⋯白粉もして⋯⋯とあれやこれやと次々に二人に衣装替え兼化粧をほどこされ、優樹はげっそりとしていた。
ああ、だがしかし、二人が楽しそうにしているから止めるに止められなかった、というのもある。
一体いま自分はどんな姿やら⋯⋯。
「そうだ、せっかくだからみんなにも見てもらおうよ!」
「っいや! それは待って!」
立ち上がろうとした望美の手を、優樹は慌ててつかんだ。
「の、望美サン、頼みますお願いだからそれだけはヤメテクダサイッ」
「こんなにかわいくなったのに⋯⋯」
しゅんとした様子の望美に、うっ! と良心が痛みつつも、ここは流されてはだめだと逡巡する。
「! ほ、ほら、みんなからは男だって思われているし⋯⋯女装しているなんて思われたら嫌だし⋯⋯」
別に自分から男のふりをしようとしたわけではなく勝手に思われただけだが!!!
もう便利だから便乗してそのままにしているだけだが!!!
ここでは己の身の可愛さ故に使わせてもらう!!!
「あ、じゃあ譲くんにだったらいいね」
そういう意味じゃなぁあああああい!!!!!
ってにやにやしているからわかっててやってるこの子!!!
駆け出した望美に負けじと優樹は追いかけた。
「なあんて冗談だよ」
「えっ」
くるっと入り口近くで踵を返した望美に、体がついていかず。
もとい普段着慣れない女物の装束で足がもつれて重心がうまくとれず。
優樹は勢いのままに入り口より外側に身を乗り出した。
「おっと⋯⋯大丈夫」
誰かにぶつかり、目を閉じる。
その人は優樹が転がらぬように両手で支えてくれたようであった。
おそるおそる顔を上げて、優樹は目を見開いた。
目の前には──与一がいた。
な、なんでここに与一さんが。
与一は優樹の顔を見るなり、目を見開いた。
「か⋯⋯え⋯⋯」
「は、はひっ⋯⋯」
呆然としたように声を漏らす与一に食い入るように見つめられ、思わず変な声が出てしまう。
そして隣に十郎──与一の兄がいることにも気がつく。普段物静かであまり感情を表に出さない彼だが、優樹の姿を見て驚いたように目を見張っていた。
「あれ、こんなところで何しているんですか?」
与一の背後から聞こえてきた声に、優樹は考えるよりも先に体が動いた。
「っおい、ちょっと待て!!!」
脱兎のごとく逃げ出した優樹に、与一は呆気にとられるもすぐに追いかけた。
「え、なんです、何があったんですか」
現れた譲が、ぽかんとしたように望美と朔、そして十郎を見やった。
優樹は駆けながらぜいぜいと息をついた。──重いなこの衣装!
だがしかし、意地でも譲にこの姿を見られたくなかった。
ちょっと知り合い程度の人ならまだしも、身内に近い人間に普段と違ったおしゃれな姿を見られることほど恥ずかしいことはない!
「待て! ⋯⋯待てと言っているだろう!!」
「っ⋯⋯⋯⋯」
な、なんで与一さん追いかけてきてるの!?
いつのまにか門の外に出てきていたが、知ったことか!!!
だが⋯⋯だが!
だ、だめだ、もう限界だ。
もともとそこまで体力にはすごい自信がある方ではない。加えてこの着慣れない衣装。
思わず壁に手をつくと、勢いのまま──逃さぬためか、後ろから閉じ込めるように与一が両手を体の脇についてきた。
走ってきた勢いのままに与一の胸が背に押し当たる。
「どう、して私から逃げる⋯⋯」
ぜえぜえと言っている優樹とは違い、与一は軽くしか息が上がっていなかった。
だが、首筋にかかる吐息が熱く感じる。
な、なんだこの状況。
優樹は息を整えようと呼吸を繰り返した。心臓がどくどくとうるさい。
「そ、そち、らが⋯⋯追いかけて、くる、から⋯⋯」
「それは⋯⋯いや、先に逃げたのはそっちだろう」
どこか怒ったような声音に聞こえた。
「あ、の⋯⋯与一、さ⋯⋯手を、どかし⋯⋯離れて、くださ⋯⋯」
「──だめだ」
いつになく強い声音に、思わず優樹は首を後ろに回した。
壁についていた手に手を重ねられ、思わず肩がはねる。
「離したら⋯⋯離れたら、私の元からいなくなってしまうんだろう、また⋯⋯」
悲しげな色を含んだ声音に、なぜだか胸がざわついた。
目の前で逃げ出したことが、そんなにも彼を傷つけてしまったのだろうか。
いつにないまなざしに、こくりとつばを飲み込む。
息が、詰まる。
「よかった、与一さん。捕まえてくれたんですね。日野先輩、春日先輩と朔が心配していましたよ。急に飛び出したりするから」
与一の体越しに見えた姿に、優樹はげ、とうめき声を上げた。
「げ、ってなんですか、げ、って。⋯⋯そんな、女性の格好したからって、からかうわけないでしょう。ほら、早く帰りますよ」
「優樹、殿⋯⋯?」
やや、呆然としたように呟いた与一に、優樹は視線を上げる。
食い入るように見つめてくる瞳に、気恥ずかしさで目を泳がせた。
「あ、あの⋯⋯与一さん、もう⋯⋯逃げたりしないから⋯⋯離れてもらっても良いですか」
見れば譲の後から十郎もやってきた。
やたら気恥ずかしい思いがして、優樹は誰の顔もまともに見れなかった。
「あ、あの、与一さん⋯⋯!」
意を決してふたたび話しかけたとき、与一にしては珍しく動揺した様子を見せたことに目を伏せていた優樹は気がつかなかった。
「この姿については、どうか忘れてください。誰にも言わないようにっ⋯⋯お願いします。これは私の意思でやったことではありませんのでっ⋯⋯」
「あ、あ⋯⋯そんなこと、するわけないだろう」
普段通りを装おうとして──優樹を見る目がどこか遠くを見ているようで──じっと見つめる瞳はいままでにない熱を含んでいるようで。
十郎は遠目で見えたそれに、気づかないふりをしようとした。