第四章 笑顔に隠れた空虚
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「ってことがあったんですよ!」
「はは、それはぜひ見てみたかったな」
「あんなに普段優しげな顔をしているのに⋯⋯本当に、け、獣のようにっ⋯⋯」
思い出しながらわなわなと震えている優樹を見て、ふたたび与一は笑った。
「まさか、弁慶殿が刀の扱いにも長けているとはな。知らなんだ。知略にも富んでいる方だというのに、文武両道とはまさにあの人のことを言うのか」
「文武⋯⋯あれは武⋯⋯いや、有無を言わさぬ圧倒的な⋯⋯も、もうなんて言えばいいのかわからないですが⋯⋯本当にケダモノッ」
「日野先輩、あんまり大きい声で話していると弁慶さんの耳に入りますよ」
後ろから水差しを出してきた譲に、びくりと優樹はあたりを見渡した。
「⋯⋯今日は九郎さんの邸にいるわけじゃないんだから、大丈夫ですよ。冗談です」
「や、やだな、驚かさないでよ」
「⋯⋯もう完全にトラウマじゃないですか」
「ふっ⋯⋯武者震い⋯⋯だよ」
にぎやかに濡れ縁で盛り上がっっている三人の姿を、那須党の者たちはじぃっと見ていた。
「ああ⋯⋯今日は望美殿はいないのか」
「あの稚児だけか⋯⋯望美殿も一緒に来ないかなあ⋯⋯」
望美のことで頭がいっぱいの仲間をはために、七郎はふんっと鼻で笑った。
「女子にうつつを抜かすとは、ずいぶんと腑抜けているじゃないか。我々がなんのために上京してきたと思っているんだ」
むき出しにした上半身を濡れた布でごしごしと拭いて勇んでいる七郎に、仲間たちはじと目になった。
「⋯⋯うわあ⋯⋯この前の弓対決で望美殿の好意を勝ち取るために勇んでたヤツがよく言うよ⋯⋯」
「自分があの稚児に勝てないで望美殿の気持ちをかっさらえなかったからってよ⋯⋯」
「望美殿に『かっこいいですねっ!』って言われて、でれでれ顔を崩してたくせによお⋯⋯」
「お前そういうとこあるよな⋯⋯」
「う、うるさいぞお前達!!!」
ふんっと鼻息荒く顔を背けると、七郎の視界には濡れ縁で談笑する三人の姿が映った。
「⋯⋯与一も与一だ。同郷のそれがしたちの方が長く苦楽をともにしてきたというのに、ぱっとでのあの者たちと仲良くして⋯⋯」
ぶつくさと漏らした七郎を、きょとんとした顔で仲間たちは見つめた。
次いでにやにやと笑い出した。
「なんだ嫉妬かよ⋯⋯。お前も存外、与一が大好きだよな」
「な! ちがっ⋯⋯!」
「最近、与一は譲殿と懇意だもんな⋯⋯わかるぜ、嫉妬しちゃうよな⋯⋯」
「だから⋯⋯っ」
「どうせこの前の対決のときに、あの稚児に与一が味方して手助けしたことに妬いているんだろ」
七郎は二の句が告げずに、口をぱくぱくとさせた。──あまりにも的を射すぎた指摘の数々に言葉が出なかった。
しかも自覚していなかった分、よけいに面食らった。
ぎりぎりとこぶしを握りしめながら、七郎は優樹をにらみつけた。
なぜだろう。
譲に対してはそれほど強い感情を覚えないのに、どうしてか優樹に対しては言い知れない気持ちが湧き上がってくる。
この気持ちを一言で表すとするなら──気に入らない。
どうしてかはわからないが、気に入らない。
当たり前のように望美の隣に座って、笑顔を向けられて。──与一と気兼ねなく仲良くして。
「ぬっ! ぐ、うぅうううふんんんっ!」
急にうなり出し、濡れ縁に向かって駆け出した七郎に、仲間たちは特段驚きはしなかった。
「⋯⋯あいつすぐに熱くなるよな⋯⋯」
「人一倍熱心なんだけどな」
「まあまあ、命に別状のない気の病のようなものだから」
「⋯⋯病のわりには日常的に起こるけどな」
なんてことを言われているなど、知らぬは当人のみである。
「いや、もう、優しい仮面をかぶった野獣⋯⋯」
優樹は表情を凍りつかせ、俊敏な動きで臨戦態勢に入った。
(っ──!!!!? これは、殺気──!!)
ぴりぴりと肌が粟立つ。
(ま、まさか弁慶さんがいまの話を聞い──)
「ひぃっ!!!」
猪のように目前までせまってきた影に、優樹は悲鳴を上げた。
砂埃を上げて止まった猪──ではなく七郎は、射殺しそうな目で優樹を見下ろしていた。
な、なんだろう。また決闘を挑まれるのだろうか。
そして、なんで上半身裸⋯⋯。
だらだらと滝のように汗を流して固まっている優樹に対し、与一は頬杖をつきながらその様子を眺めていた。
が、次の瞬間、般若のような顔が自分に向けられたことに、思わず肩を揺らした。
七郎はうつむき、握り拳をぶるぶると震わせていたかと思うと、鬼瓦のような顔でふたたび与一をにらみつけた。
なんだなんだ、今日は一段と不審だな。
与一がひょうひょうと眺めていると、う、と七郎は顔を歪めた。──かと思うと突如、滝のような涙をどっと流し始めた。
これにはさすがの与一も、笑顔のままぎょっとした表情をした。
「よ、与一はっ⋯⋯与一は⋯⋯! それがしよりもその者たちの方が良いのかっ! 那須郷より志同じくし、ともに上京してきたというのにっ!」
「し、七郎⋯⋯まずは落ち着⋯⋯」
「最近は譲殿につきっきりで稽古をして、時間がないのかと思って我慢していたらぱっと現れたそこの稚児助に弓の手ほどきをして! それがしたちに対しては、最近あまり稽古をしてくれないというのに!! 仲間の扱いがここのところぞんざいだとは思わないかっ!!!!?」
本気で泣いている七郎に、与一はなんとも言えない顔をした。
目を泳がせ、奇妙な形に歪んだ口元を覆い隠すその姿に⋯⋯。
──照れている?
横目で見てしまった優樹も、なんだか気恥ずかしい気持ちになってきた。
同性といえど人からここまで真っ直ぐに気持ちをぶつけられてしまえば、迷惑ではあるがうれしい気持ちがないといえば嘘になり。
なんと言ってなだめようか、と与一がなんとも言えない笑みを浮かべながら口を開こうとしたとき──。
「あのとき、与一の心を分けてもらったと思ったのはそれがしだけだったのか!?」
あのとき──という言葉が出た瞬間、与一の頬が強張った。濃い色の瞳に浮かぶ瞳孔が開く。
注意深く見ていなければ見逃してしまいそうなほどの、わずかな変化である。
まばたき一瞬ほどのわずかな間に、それは消えていく。
そんなことは、存在しなかったかのように。
与一は腕組みをしながらにかっと笑った。
「すまなかったな! 七郎! たしかに、お前の言う通り、私は最近お前たちのことをないがしろにしていた節があるかもしれない。だがな」
与一の手が、七郎の肩に置かれる。
「お前たち皆の力を誇りに思っているからこそだ。この背中を預けられるほどに。だから、もう必要以上に私の手をかける必要はないと思ったんだ」
強いまなざしにまっすぐに見つめられ、七郎は涙をしずめた。
だが、その視線はふいとそらされる。
「⋯⋯そう言えばなんだかんだで、なだめてすかせると思っているのだ、与一は」
ぼそりと呟かれた言葉に、うっと与一は笑顔のまま固まった。
⋯⋯さすが長年一緒にいた仲間。知られたくないお互いのことがよくわかってしまう。
だが、本心がそこにあることもまた事実。
「私の言葉に嘘偽りはないぞ。だが、お前の言葉で反省もした。これからはもっとお前たちとの稽古の時間を増やそう」
その言葉に、ようやく涙でぐしゃぐしゃになっていた顔は満面の笑みに輝いた。
がっつり稽古をするぞー! と那須党の皆が勇み盛り上がっている中、与一は厠に行ってくると一人離れた。
喧騒から離れた濡れ縁を歩けば、軒下の陰が顔の上を踊る。
陰の中で、瞳がより一層ほの暗く沈んだ。
そばにある木が急にけたたましい音を立てて、思わず与一は顔を上げる。
音の正体である小鳥は、すでに青空へと羽ばたいていた。
「⋯⋯ひば、り⋯⋯」
それはもしかしたら、雀だったのかもしれない。
けれど、与一の脳裏には雲雀が羽ばたく姿が見えた。
「⋯⋯雲雀はもう⋯⋯さない」
あまりにもか細い声は風にさらわれていく。
はっ、と泣き笑いのような顔は風に揺れる髪で隠れてしまった。
「⋯⋯もう十分と言えるほどに⋯⋯たさ。きっと、これからも」
──息を、吐きなさい。自分の内に溜まったすべてを。それから深く息を吸うのです。ゆっくりと。
声が、記憶の底から語りかけてくる。
「──与一」
背後からかけられた声に、はっと与一は顔を上げる。
振り返れば──兄の十郎がそこに立っていた。
女人を思わせる、柔和な顔立ち。
静かな瞳が自分をじっと見て──それが今はたまらなく居心地悪く感じられた。
「兄上も厠ですか? お先にお使いください。私は急いでおりませんので」
与一は笑みを浮かべた。
いつも通りの──いつも通りの笑みを。
そこには何事もなかったのだというように。