第三章 五条大橋での決闘
名前変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「今日は、なかなかにおもしろいことが起こる日だったようですね」
邸への帰り路、護衛のためについてきた弁慶が愉快そうに声を弾ませた。
「まさか九郎自ら稽古をつけるとは⋯⋯一体どういう風の吹き回しでしょうね。望美さん、ずいぶんと九郎に買われているみたいですね」
「そう、ですかね⋯⋯? いえ、そんなことはないですよっ」
うれしそうな顔も一転。望美は般若のように表情を様変わりさせた。
その豹変ぶりに、横にいた優樹は思わず引いてしまう。
「いっっっっっつも! いっっっっっっっっつも! 用もないのに邸にやってきては嫌味ばかり言う! 今日はっ、ちょっとばかりは認めてくれたのかもしれないけど、でもっ、九郎さんは私のことっ⋯⋯!」
思い出しながら怒りで言葉が詰まったのか、望美はぐっと押し黙った。
こんなに負の感情を表立たせて見せるのは、出会ってから初めてのことかもしれない。
望美をここまで怒らせる九郎という存在も、ある意味すごいのかもしれない。
優樹の中にはなぞの感心が生まれていた。
「九郎もわかりずらいですし、素直じゃないですからね。頑固で強情で勝手に一人で突っ走っては陰で後悔して、自分でもどうすればいいかわからずに悩んだり⋯⋯。正直、感心することが多いくらいの迷走ぶりを見せてくれますから」
⋯⋯弁慶さん、何気ない顔でさらりと批判の言葉を言い放てるあなたにもだいぶ感心が持てますよ。
なんてことは口に出せるわけもなく。
「九郎は望美さんのことをだいぶ買っていると思いますよ。腐れ縁の僕から見てもね」
弁慶の言葉に、優樹も思うことがあった。
正直、優樹自身も同じことを感じていたのだ。
望美は九郎に気に入られている。
この事実を、両者ともに認めたがらないかもしれないが。
あのときの自分の憶測は思い過ごしではなかったのだろう、と優樹は記憶を振り返った。
『さっそくですが、手合わせを願います!』
今朝、そう意気込んできた望美を見たときの九郎。
ものすごく不機嫌そうな顔をつくろうとしていたが、顔を手で隠していたときに口元が一瞬笑っていたのを優樹は見逃さなかった。
まさか道場破りがごとく乗り込んできた相手に対して笑うなんて、と思い自分の中に浮かんだ憶測をすぐに霧散させたが、気のせいではなかったのだろう。
それに「花断ちだけでも見せてほしい」と食らいつかれたあとの様子だってそうだ。
あきれた顔をして背を向けていたが、その顔が見えるか見えなくなるかぎりぎりのところで、思わず口が笑っていたのも優樹は見ていた。
自分に食らいつこうとして、何が何でも認めさせようとするその姿勢に、何かしら思うことがあったのだろう。
だからこそ、今日は自ら稽古をつけてくれたのではないだろうか。
「⋯⋯良いな、九郎さんに手合わせしてもらえて」
思わず漏れた本音に、望美が驚いた様子で反応する。
「えっ、優樹も九郎さんに稽古をつけてもらいたかった?」
「そりゃあ、ね。⋯⋯九郎さんの花断ちは本当にかっこよかったし、自分でもできるようになりたいからさ」
「おやおや、意外にも九郎は君の好感を勝ち取っていたんですね。妬けますね。僕でよかったら、今度手合わせしましょうか」
「本当ですか?」
思ってもみない弁慶からの提言に、優樹は瞳を輝かせた。
「ええ。⋯⋯うまく加減ができるかはわかりませんが」
ぼそり、と呟かれた末尾の言葉は、浮き足立っていた優樹の耳には届かなかった。
「弁慶さん、薙刀じゃないんですね」
後日、五条大橋近くの河原で優樹は弁慶と落ち合い、目を丸くした。
彼の手に握られているのは、見慣れた大柄の薙刀ではなく木刀であった。
「薙刀なんて使ったら、大怪我をすることも考えられますからね」
「たしかに、そうですね。でも意外です。弁慶さんが刀を使うなんて」
「昔は僕もよく刀を使っていましたよ。少し加減が難しいので、もっぱら薙刀を使うようにはなりましたが。多少の手合わせの相手くらいになら、なれると思いますよ」
しかし、五条大橋近くで弁慶と決闘とは。
強いて言うなら私は牛若丸か?
まんざらでもない、といったように優樹はあごをさすりむふふと笑った。
弁慶は着慣れた外套を外すと、丁寧に折りたたんで荷物を重し代わりに置いた。
「よろしくお願いします」
木刀をゆっくりと構える。
対する弁慶は構えをとっているにも関わらず、戦いを前にした者のようには見えない。
「さあ、いつでも、どこからでもどうぞ」
穏やかな笑みに、逆に恐怖すら抱く。
思えば、弁慶と対峙するのはこれが初めてである。
「じっとしていたら、獲物は仕留められませんよ」
挑発だろうか。だが、もっともな言葉。
ざり、と足元がすべる。
次の瞬間、大きく踏み込み上段から攻め込んだ。
だが、すぐに息を飲み込み脇をしめた。
目の前にいたはずの弁慶が、横にいた。
早い!
とっさに防御をとると、かん、と甲高い音が鳴り響いた。
なんとかいなせた。息をつこうとして優樹はぎょっとした。
弁慶はすでに打つ構えをとっていた。
まずい打たれる。
刀を支えるために、とっさに左手が出た。
ずしり、と真正面から重圧がかかる。
真刀だったらそんな風に真正面から受ければ折れているところだ。
しかし、そんなことを考えている余裕などなかった。
優樹はつばを飲み込んだ。
焦りで、うまく息が吸えない。
ちょっと待った! 型とかなさすぎ!!
弁慶から打ち込まれる一太刀一太刀を受け流すのが精一杯である。
まるで野獣を相手にしているようであった。
早すぎる。
正攻法じゃ勝てない。
目が合った途端、ふ、と男が微笑む。
ごくりとつばを飲み込んだ。
次の瞬間、足に強い衝撃が走る。
視界が一転し、青空が流れる。
嘘⋯⋯足払われた!?
どん、としたたか背中を地面に打ちつけると同時に、ひゅっと刃が首筋を横切る。
ぐさり、と刃先が地面をえぐる音が耳の真横から聞こえてきた。
逆光のなか見下ろしてきた男は優雅に微笑んでいたが、その瞳は獣のように輝いていた。
一瞬、男の手にしているものが木刀であることを忘れ、本気で命の危険を感じた。
「僕の勝ち、ですね」
男の笑みが深まる。
こんなのありか⋯⋯?
額からは、どっと汗が噴き出した。