第二章 弓で決闘
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「うーん、やっぱり与一さんの弓は美しいなあ」
与一ほかの東国の者たちが庭で鍛錬するのを眺めながら、優樹はほれぼれと呟いた。
「ね、ほかの人たちもすごいけど、与一さんの弓はなんて言えばいいのかわからないけど⋯⋯こう」
「速くて的に一直線に飛んでいる! でもそれだけじゃ言い表せない魅力がある!」
「そうそう!」
濡れ縁できゃっきゃとはしゃいでいた優樹とその友人の望美は、鍛錬をしていた男たちがざわついているのに気がついていなかった。
「見ろ⋯⋯俺の弓の腕前を見て、微笑んでいらっしゃった」
「いや、今のは絶対俺を見ていた!」
「いやいや、きっとそれがしが放った矢を見て、感嘆の言葉を言っているにちがいない」
「何を言っているんだ、きっと私の!」
遠目で望美のことを言いながらわめいている
彼らは与一を筆頭に源氏軍のもとに馳せ参じた那須党の者たちである。
十代、そして二十代になりたての者たちばかりであり、あまり女っ気のない者たちであることもよく知っていた。
そのため、仕方がないかと苦笑をこぼす。
きっと近くで年若い
まして、望美は愛らしい見目をしている。
与一も
だが、だがな⋯⋯と色々言いたいことがあるのも事実である。
見ろ、御大将もあきれた顔でお前たちのことを見ているぞ。
その視線が急に自分に向けられたため、与一は気持ちを引き締めた。
「なかなか、那須党の者たちは若くて活気にあふれているみたいだな」
嫌味とも受け取れそうな言葉でもあるが、御大将──源九郎義経にかぎってはそのようなことはありえないことを与一は知っていた。
この人物の心根のまっすぐなことは、少しでも同じときをともに過ごしていればわかることであった。
心の底から思ったことを述べただけであろう。
「ありがたきお言葉。まあ、その⋯⋯あの者たちも少しそういった年頃でありますので、多少の無礼はお許しください」
望美に勇姿を見せようと弓の稽古に励んで空回りしている仲間を見ながら、与一は弁明するように言葉を選んだ。
九郎は愉快そうに口元に笑みを浮かべる。
「与一はあまりそういうことでは浮かれないようだな」
そのときの九郎は、与一が一瞬言葉を詰まらせ、頬を強張らせたことに気がつかなかった。
「いまは、この弓の腕を磨くことしか頭にありませんので」
「そうか。俺もそういった話はてんでだめだ。それに、弓もどうも苦手でな」
気性が似ているということに気を許したのか、九郎は腕組みをしながら破顔した。
気さくな態度に、与一も思わず顔をゆるめる。
「さしでがましい申し出にはなりますが、もし御大将がよろしければこの那須与一が弓の手ほどきをいたしましょうか」
「む⋯⋯そうか? どうも弓は⋯⋯いや、不得手とすることから逃げるから、できないままなのか」
生真面目に葛藤しはじめた九郎に、与一はさらに笑みを深めた。
この方の元に馳せ参じて、よかった。
先行きはわからないが、自分の内側で確固とした信念ができていくのを、与一は覚えた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「白龍の神子には、軍の指揮を上げる不思議な魅力があるようですね」
那須党の者たちの弓の訓練の様子から花断ちの話題へと移って盛り上がっていた優樹と望美は、突如背後からかかってきた声にぎょっとした。
「弁慶さん、いつからそこに」
「ついさきほどですよ。帰ってきてみれば、何やら盛り上がっているようで」
足首まで覆うほどの黒い外套を羽織り、蜜色の髪をたずさえた男は愉快そうな笑みを浮かべていた。
この男の名を、武蔵坊弁慶という。
優樹たちの世界では、源義経に仕えた忠臣として語り継がれている。
優樹、望美、譲はこの世界の人間ではない。
元々は、普通の高校生として鎌倉で日々を送っていたが、ある雨の日に濁流に飲み込まれ、この異世界へと飛ばされた。
優樹自身、最初はそんな馬鹿な、と思っていたが、どうも事実のようだから認めざるを得ない。
寝ても覚めても、ここは自分の元いた世界とは似ても似つかない世界であった。
似ているとすれば、優樹たちの過去の世界である。
優樹たちのいた時代から約八百年ほど前の時代、源平合戦時代にひどく似ているのだ。
源義経、武蔵坊弁慶など、日本人だったら一度は聞いたことがあるだろう名前の歴史上の人物たち。
一瞬過去にタイムスリップしたのか? と思ったが、どうやら違うらしい。
優樹たちをこの世界に飛ばした張本人である神様、白龍という存在がそう言っていた。
そして、怨霊が存在して人々にあだなしている、ということや、所々優樹が知っている歴史の流れと違う出来事が発生している。
そのことからここは異世界ということのようだ。
信じられないが、現実に自分がその世界に身を置いて生活しているのだから疑いようがない。
優樹はあらためて弁慶を見つめる。
この人が武蔵坊弁慶である、と言われても、いまだに優樹は違和感が消えなかった。
優樹が知っている武蔵坊弁慶は、大岩をも動かさんほどの大男で、筋骨隆々とした肉体を持っている。
けれど、いま目の前に立っている武蔵坊弁慶は、細身で整った顔立ちをした年若い男である。
そして、白い肌に映える蜜色の髪。色素の薄い琥珀色の瞳。
どこをどう見ても、武蔵坊弁慶という名前が結びつかない人物である。
「薬草摘みから戻ってみれば⋯⋯まさかあの九郎が弓の稽古ですか。これはこれは、とんと物珍しいものが見れましたね」
「あの九郎が弓の稽古って⋯⋯どういう意味ですか?」
首をかしげる優樹に、弁慶は愉快そうに口に笑みを馳せながらしゃがみこんだ。
「ここだけの話にしてくださいね」
こそり、と話し出した弁慶に、優樹と望美も思わず息をひそめて身を乗り出した。
「九郎⋯⋯実は弓が苦手なんですよ。馬と太刀の扱いは群を抜いていますが、どうも弓はどれだけ練習しても伸び悩んでいるようで。弓馬の道と言われるように武士は弓術に長けてこそという風潮があります。ですから、そのことを気にしている節があるんです」
愉快そうに笑みを浮かべ何事もなかったかのように立ち上がった弁慶に、優樹と望美は顔を見合わせた。
そして、九郎の方を見やる。
九郎は与一に指導を受ける形で、弓の的当てをしている。
武道に関してはなんでもそつなくこなせる、と思っていたが、意外や意外。
まさか苦手なものがあったとは。
そう思いながら、優樹はその手前の那須党の人たちの挙動が気になった。
どうやら彼らはこちらのことを見ていたようで、優樹たちが視線を送った途端慌てたように弓の的の方へと身体をそむけた。
何やらざわついているようにも見えたが、気のせいだったのだろうか。
「くっ⋯⋯さすが御大将に智を授けていると噂高い弁慶殿⋯⋯あんなに近くで望美殿と話ができるなんて」
「あっ、おいお前、気安く名前を呼びやがって!」
「う、うるさいぞ! ああ、一体何の話をしていたのか⋯⋯気になる」
「弁慶殿⋯⋯あんなに堂々と女子と近づいて話をされて⋯⋯うらやま」
「言うな! それ以上申すな! 己がみじめになるだけだぞ」
「いやいやそれより、うらやま⋯⋯ではなくけしからんのは、望美殿の横にずっと居座っているあの者ではないか。一体あの者は望美殿のなんなんだ! あんなに近くに座れるなんてうらやましい!」
「本音漏れてますよ。以前小耳にはさんだ話によると、譲殿と望美殿と同郷の方らしいですよ。たしか名前は優樹殿」
「む、譲殿と同郷⋯⋯? ならばあの稚児ももしや弓の腕前たしかなものなのだろうか」
そんなやりとりがされていたとはいざ知らず。
じゃあ、そろそろ私たちもおいとまさせてもらおうか、と知らぬ間に話題の中心になっていた二人は立ち上がろうとした。
そのとき優樹はびくりと顔を跳ね上げた。
「えっ、優樹? どうしたの?」
望美のかけ声も耳に入らないように、優樹は片膝を立てたまま視線を走らせた。
(なっ⋯⋯! こ、これは殺気!? 一体どこからっ⋯⋯!)
探るまでもなく、その覇気を放っている者は、優樹にずんずんと近づいてきた。
「ひっ!」
猪のようにせまってきたかと思えば目の前で砂埃を上げながら仁王立ちした青年に、優樹は思わず身をすくませた。
鬼神像がごとく自分をまっすぐ見下ろしてきた男に、優樹は滝のような冷や汗をかいた。
怒髪天をつくという言葉を彷彿とさせるように、青年の背後には見えないはずの何かが立ち上っているのが見えた。
なんだ、一体なんなんだ。
「それがしは下野国那須郡より参った七郎と申す! ⋯⋯そなた!」
「は、はいっ」
青年の意気に気圧され、優樹は思わず正座をしてしまった。
「譲殿と同郷の者だと聞いた。この七郎、そなたに弓の勝負を申し込む!」
「⋯⋯⋯⋯へ?」
目を点にしたのは、優樹だけではなかった。
望美も弁慶も虚を突かれた顔をして七郎を見ている。
「⋯⋯う⋯⋯あ⋯⋯」
突然の申し出に頭が追いつかず、優樹は意味のない声を吐き出すしかなかった。
「なんだ、優樹殿も弓が扱えたのか? それはぜひともお手並みを拝見したい」
ただならぬ空気に気づいているのかいないのか、のんきな様子で与一が足取り軽くやってきた。
「えーと⋯⋯あの、七郎、さん⋯⋯? すみません、私は弓をとったことがないので⋯⋯勝負にならないと思います、よ?」
そう言った瞬間の、七郎の顔といったら見物であった。
まるで雷にでも打たれたかのように、驚愕に顔を染めていた。
なぜ自分が弓ができる前提で話を申し込んできたのか謎である。
そして、なぜいきなり勝負を挑まれた。
「そん、な⋯⋯ならば、ならばどうやってそれがしは
「えっ!?」
ひ、ひめがみ? 勝つ? 一体何の話をしているのだろう、この人は。
完全に自分の世界に入り込んで叫んでいる青年に、優樹の困惑は深まるばかりであった。
「なんだ。そういうことなら、この私が優樹殿に弓の指導をしようではないか」
「へっ?」
優樹は食い入るように与一の顔を見た。
彼はさわやかな笑みを浮かべてこちらを見ている。
いやいや、何がどうなっている。
話が噛み合っているようで、まったく噛み合っていない。
優樹はわけがわからないまま、与一の弓指導を受けることになった。