第二十八章 口論と本音
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「どうかしたのか? ため息なんかついて」
優樹ははっと顔を上げた。
「あ、えっと⋯⋯」
「疲れたのなら少し休むと良い。なに、さぼっているなんて思いはしないさ。お前さんは少し働きすぎるきらいがあるくらいだからね」
「ありがとうございます。でも、大丈夫です」
「そうか? 無理だけはするなよ」
家人の男が過ぎ去ると、優樹はふたたび詰めていた息を小さく吐き出した。
十郎についてきて、高館にやってきてもうどれくらい経ったのだろう。
相変わらず家事手伝いのようなことをしている。
早く平泉に行きたいというのに、十郎からはそのことについて何も話がない。
正体がわからないだろうとはいえ、もしも自分を匿っていることが鎌倉にばれたら。
そう考えると、気が急いで仕方がない。
十郎たちに迷惑をかけないためにも、早く平泉に行きたいというのに。
仕事に一区切りつくと、優樹は大人たちに紛れて休憩をとった。
一人だけあまりに年若いということ、良く働くということもあり、周りの大人たちは良く気をつかって声をかけてくれた。
優樹はぼんやりとしながら、周りの者たちの話に耳を傾けていた。
「そういえば、平泉に向かったやつらは、もうたどり着いたかしらんな。また奥州の良い
一人の男が放った言葉に、優樹は体を前のめりにした。
「いま平泉って言いました?」
「あ、ああ。言ったぞ。少し前に平泉へ向かった商人たちがいてな。まあ、今回は当主様の命令で、そう長くは滞在しないで早く帰ってくるとのことらしいが⋯⋯」
頭の中がまとまりつかず、優樹は膝の上の手を握りしめた。
十郎からは何も聞いていない。
平泉へ向かう商隊に混ざれるよう、話をつけてくれると言っていたはずなのに。
「どうしたんだい、そう難しい顔をして」
翌日ようやく十郎と顔を合わせることができたとき、優樹は何と言えば良いのかと数瞬口をさまよわせた。
「ほかの、家人の方に聞いたんですけど⋯⋯少し前に、平泉へ向かったという商人の一行があったと⋯⋯」
どうしてか、優樹は十郎の目を見ることができなかった。
十郎はそんな優樹をじっと見つめていた。
「いや、平泉へ行った隊はないよ。たしかに、少し前に商人たちが出立はしたけれど、別の地へ向かったものだ。おそらく、君と話していた者は何か思い違いをしていたんじゃないかな」
「そう⋯⋯ですか」
「もしかして、私がそのことを黙っていたとか伝え忘れたとでも思った? そう焦ることはないよ。急がなくても、平泉は逃げやしないんだからね」
いまだに難しい表情を崩さない優樹に、十郎は言葉を続ける。
「君がここにいることで私たちに迷惑がかかるんじゃないか、なんてことも思わなくて良い」
「それ、は⋯⋯わかって、いますけど⋯⋯」
「⋯⋯ほかに何か気にかかることがあるのなら、言ってごらん」
優樹は何度も何度も頭の中で繰り返し考えていたことを、ゆっくりと口にした。
言葉にすれば現実が近づいてきそうで、ずっと自分の胸の内でふたをしていたことである。
「おそらく、奥州藤原氏と源氏は今後戦うことになると思います。⋯⋯平泉が戦場になる前に、行きたいんです」
十郎は無意識のうちに指先を唇に当てた。
「ずいぶんと突拍子もない話だね。仮に奥州と鎌倉が戦うことになるとして、どうして君はそこまで平泉に行こうとする。九郎殿たちが本当に平泉にいるかも、今後訪れるかもわからないというのに」
「⋯⋯きっと、九郎さんはそこに行くはずです。そして、鎌倉はそのことで奥州藤原氏にゆすりをかけるはず。そして、奥州が鎌倉の要求を飲んだとしても、一時的であれ匿ったことを糾弾の材料として戦を仕掛けるはずです」
十郎はゆっくりと唇に当てていた指先を離した。
内心の驚きをひた隠すように、手を柔く握りしめる。
どうしてこの子はこうも、すべてを見通しているかのように思えるときがあるのだろう。
鎌倉が奥州に戦を仕掛ける話は、このあたりではまだ与一と十郎しか知らない。
それもたしかな話ではないというのに。一体どこからその話を手に入れたのか。いや、発想したのだろう。
それ以上に気になるのは。
「今日はやけに饒舌だね。そういうことを口にするのは、君にしては珍しい」
ずいぶんと、焦っているように見える。
いつもどこか、ぎりぎりの線引きのところは明かさないような話し方をしていたというのに、今日ばかりは手のひらの内をさらしすぎているきらいさえある。
「もしそれが事実だとするならば、君を平泉に向かわせることはできないかな」
弾かれたように顔を上げた優樹を、真っ直ぐに見すえる。
おそらく商隊のことをごまかし続け焦らせば、勝手に行動しかねない節さえ感じられる。
ならば、真正面から封じた方が得策だ。
「戦になるというのならば、君はきっと九郎殿たち側につくのだろう。そうしたら⋯⋯我々は敵同士になる。君をわざわざ死地に向かわせたいとも思わないし、まして敵になんてしたくないよ」
そこまでのことは考えていなかったように、優樹は瞠目した。
「⋯⋯十郎さんたちの敵になるつもりはありません」
「いいや、同じことだ。この下野国は奥州との境にある。もし鎌倉が奥州に戦を仕掛けるとして、那須家にだって命が下ってもおかしくない。まして、兄上たちの件で鎌倉殿に一心の忠誠を誓うようにと釘を刺されたばかりだ。もし命が下ったのなら⋯⋯領地を守るためにも、きっと逆らうことはできない」
「私は、九郎さんの味方をしたいとか、そういうわけでは⋯⋯戦いに参加したいわけではありません。望美と譲だけでも、どこか安全な場所に逃げてほしいだけで⋯⋯」
「あの二人もともに平泉にいたとして、果たして君の思った通りに戦わずして逃げてくれるかな。ともに戦場で戦ってきた仲でもあるから、それなりに彼らの人となりは知っているつもりだよ。仲間を見捨てて逃げられるほど、彼らは無責任でも薄情でもあるのかな」
「っあなたにわかった風な口を聞いてほしくありません!」
十郎は目を細めた。
冷静さを欠いている。余裕がない。
優樹は気まずそうに目をそらした。
「すみ、ません⋯⋯」
「いや、私の方こそ、畳みかけすぎたね」
しばしの沈黙の後、十郎は口を開いた。
「けれど、これだけは言わせてほしい。ここにいるのなら、いくらだって匿うことができる。君一人だけでも、守ることができる。彼らとともにいることを選ぶのだとしたら、鎌倉からの追捕の対象となる可能性は高いよ。元の君としてではなく、壺太郎としてだってありえなくはない」
「⋯⋯自分一人だけが安全な場所にいたいとは思いません。もう十分、一人だけ戦わないで守られてきました」
「仮に戦いになるとして、奥州がそう簡単に落ちるとは思えない。停戦を待つのだって手だよ。九郎殿たちが前線に出るとも限らないのだからね。奥州が落とせないとわかれば、鎌倉だってそうしぶとく戦を仕掛け続けることも難しいだろう。戦をしない不可侵の勢力同士に戻れば、再び彼らと会うことだって、危険をおかさずにできるだろう」
「そん、な⋯⋯停戦だなんて⋯⋯奥州藤原氏は⋯⋯平泉は⋯⋯」
ひどく動揺した様子の優樹に、十郎もその心情は量りかねた。
何をそこまで焦っているのだろう。何をそこまで不安に思っている。
内に湧くものをこらえるように目を閉じた優樹は、ゆっくり息を吐き出すと十郎と目を合わせないまま体を背けた。
「わかりました⋯⋯。色々とわがままを言ってすみません」
そのまま話を切り上げようとする優樹の腕を、十郎は素早くつかんだ。
「な、んですか」
「君を止めようとする私をいくらだって恨んでもかまわない。恨み言もいくらだって受け止める。けれど、一人で勝手な行動はしないと、それだけは約束してほしい」
「⋯⋯わ、かって、います」
わずかばかりに飲み込んだ息と動揺に揺れる瞳を、十郎は見逃さなかった。
「なら、私の目を見て約束できるかい」
そう言われてなお目を合わせようとしない優樹に、十郎の心も焦れていく。
話の途中から、優樹はずっと目を合わせようとしなかった。
動揺もそうだろうが、何よりも十郎に対する怒りがあるのだろう。
「言われなくても、心配するようなことはしませんから」
「私は目を見て、と言ったはずだ」
なおも視線をそらし続ける優樹の頬に手を添え、十郎は無理矢理自分の方に向かせた。
「⋯⋯そう。君は正直だから、その場かぎりの嘘を平気で言えるような性分ではない。一人で関所を越えて、奥州まで行こうとでも言うのかな。それとも、また山に登って、龍穴をくぐり抜けることに賭けるのかな」
頬に添えられた手を払いのけようとした手を、逆に十郎はつかみ返した。
両手を拘束され、もがきながら優樹は視線を上げた。
ようやく目線が合うも、剣呑とした光は消えない。
「っ助けていただいたことは感謝しています。けれど、あなたにここまでされる謂われはないはずです」
優樹の言葉に、なぜか十郎は言いようのない激しい感情が湧き上がるのを感じた。
いや、その前からずっとらしくない。反抗する姿に、どうしようもなく憤りが湧いてしょうがない。
抑えきれなくて、つかんだ手に力が入る。
「君が友を思ってその身を省みようとしないのと、同じだよ。私だって、君をむざむざ危険にさらしたいと思っていない」
「そんな、の⋯⋯関係ありません」
「関係ない? 私と過ごした時間というのは、君にとってはその程度のものなのかっ」
荒くなる語気を抑えることができない。
力のままに優樹を押してしまう。
「大切に思う者を守りたいと思ったら、いけないのか!」
どん、と背中を壁に打ちつけた優樹は、呆気にとられたような顔をした。
「領地だって、領民だって、親兄弟だって大事だ。だが、君のことだって大切に思っている。むざむざ死なせたいなんて思わない。私の手の内に収めておくことで守れるのなら、そうする。それがたとえ君の意思に反することだったとしても」
十郎は強くつかんだ手をいたわるように、やんわりと手をゆるめた。
「私のそばにずっといれば良い。そうすれば君を守れるから」
優樹は身動きをとることができなかった。
言葉も忘れたように、口だけがさまよう。
「あ、あの⋯⋯十郎様、お取り込み中のところ失礼いたします」
幾ばくかの沈黙が流れた後にかけられた声に、二人ははっと顔を向けた。
部屋の入り口に、年若い女性が気まずそうに立っていた。
「若君⋯⋯いえ、御当主⋯⋯与一様がこちらにおいでです。なんでも、十郎様に急ぎ確認したいことがあるとのことで」
「⋯⋯わかった。君は、話が終わるまでこの子の面倒を見ていてくれ。この子には家事手伝いをいつも頼んでいるから、君の仕事の手伝いを分担してもらっても良い」
「っ十郎さ⋯⋯」
呼びかけようとして、他の者の前だと思い出して優樹は口をつぐんだ。
いつも人前では十郎様と呼ぶように、と言われていた。
「頼んだよ」
まだ頭に血が上っているのか、いつもよりも気忙しい様子で十郎は部屋を後にした。