第二十七章 兄弟の再会
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梶原景時が率いる軍の接近があってからだいぶ経った頃、十郎は機嫌良さそうに優樹に告げた。
「朗報だ。与一がこの那須領に帰って来られるらしい。つい今しがた、文が届いたところだよ」
「そうですか、与一さんが」
与一の名前を聞いたとき、優樹はさざ波立つような、花が開くような不思議な心地を覚えた。
「これでようやく肩の荷が下りる。当主の仕事というのも、代理とはいえあまり続けてやりたいものでもないね」
自室で二人きりということもあり、十郎はいつもよりくつろいだ様子であった。
「与一はきっとこの邸、
十郎の言葉に、優樹は虚をつかれたように返事に窮した。
「そ⋯⋯うです、よね。会わない、方が⋯⋯」
「なるべく顔を合わせないで、正体は隠しておいた方が良い。私とともにいなさい。平泉への商人の件は、与一にも話は引き継いでおくから。その姿とはいえ、どこから話が漏れるかわからないからね。用心するに越したことはない」
「そう、ですね」
当たり前のようにまた会えるつもりでいた自分がいたのだと、優樹は言われてから気がついた。
もう会うこともないかもしれない。自分が言った言葉のはずなのに、まるでそれが言霊のように現実を引き寄せたような錯覚さえ感じた。
そして、会えぬと知ってできた心の空虚に、会いたかったのだと知らされた。
「そうかい、あんた十郎様について高館の方に行っちまうのかい。さみしくなるねえ」
お里の残念そうな呟きに、優樹は苦笑を返した。
「はい、残り少ないですけれど、よろしくお願いします」
「まあでも、鎌倉の方から若君が戻ってくるのなら、仕方ないのかねえ。仲の良いご兄弟なんだから、ともに過ごしても良いとは思うけれど。当主の代替わりがあるなら、色々関係も変わるのかしらねえ。まあ、でも⋯⋯あんたは若君と顔を合わせないで十郎様についていく方が、良いのかもしれないね」
「そう⋯⋯思います?」
「ああ、いや、なんていうのか、ね⋯⋯」
うっかりこぼしてしまった言葉を取りつくろうとするかのように、お里は珍しく言葉を濁らせた。
「ほ、ほら! うっかり若君に気に入られでもしたら大変だろう! 遠い京から伝え聞いた話では、今は追われる身の源九郎義経と源頼朝公の懐刀、梶原景時の仲違いの決定的な原因も、お稚児さんの取り合いだなんていうし! 嫌だよあたしゃあ! あんたを取り合って十郎様と若君が仲違いなんてしたらね!」
「し、しませんって! 絶対そんなことありませんから!!」
渦中の者でいて渦中の者ではない優樹は、複雑な気持ちで叫んだ。
「ご健勝そうで何よりです、兄上」
「与一も元気そうで何よりだよ。少し見ない間にやつれたんじゃないのかい」
ひさしぶりに相見えた那須の兄弟は、会っていなかった時間を感じさせない空気に、互いに気持ちを落ち着かせた。
「兄上の方こそ、お疲れではありませんか。父上と私に代わっての立場、色々とあったでしょう」
「そうだね。まずは兄上たちのこと、感謝する。⋯⋯いきなり梶原殿の軍が押し寄せてきたから、肝を冷やした。色々と手を回してくれていたみたいだね」
「ええ⋯⋯鎌倉殿より直接、兄上たちのことを追及され、致し方なしに正直に申し上げました。前もって寒河尼よりその件で那須が鎌倉より攻められるかもしれないと話をうかがっていたので、なんとか対処できました。あの方からも鎌倉殿に口添えしていただけたようです」
「そうか。あの方には私の方からも文で感謝を伝えておこう」
「はい。本当でしたら兄上に前もって知らせることができたらよかったのですが、鎌倉方の動きが早かったものですから。⋯⋯彼らは九郎殿たちも匿っているのではないかと疑いも持っていたようです。急ぎ軍を進めて、ことの真偽を確かめたかったのでしょう」
「ああ、梶原殿から直接聞かれたよ、匿っていやしないかとね。⋯⋯まあ、兄上たちのことを許していただけたようだから、本当によかった。いくら平家に与していたからとはいえ、隠れながらの生活を強いるのは忍びないからね。兄上たちはいま、寺の一角で過ごしていただいている。館に呼び戻すのは与一から鎌倉の情勢を聞いてからが良いと思ってね。ことが落ち着いたら、お会いすると良い」
「ええ、ぜひそうさせてもらいます」
「私の方は、代替わりと仕事の引き継ぎが終わったら、高館の方にでも落ち着かせてもらいたいと考えているのだけれど、良いかな」
「高館、ですか? それはかまいませんが⋯⋯ずっとこちらで過ごしていたのでしたら、このままこちらにいていただいても私はかまいませんが」
「次期当主と同じ館で過ごすと、示しがつかないだろう? 私はお前の兄とはいえ、次の当主は与一、お前だ。ちゃんと立場というものはわかりやすく示した方が良い」
「そう、いうものですか。兄上がそうおっしゃるのでしたら⋯⋯」
「ああ、そうした方が良い」
一息つくと、十郎は領地で起こっていたことを話し始めた。
「怨霊が以前よりもずっと増えている。郎党たちには郷の巡回をさせているけれどね。兄上たちの件が片付いた今、目下の一番の悩みはそれかな」
「怨霊⋯⋯ですか。実は鎌倉の方でも⋯⋯いえ、近隣一帯、怨霊が増えているとの話を聞いています」
「そうなのか。⋯⋯怨霊を使役していた平家が衰退した今、少しは落ち着くと思っていたのだけれど、ことは逆に進んでいるのか」
十郎は物思いにふけるように目を伏せた。
「──龍神の神子」
突然口に出された言葉に、与一は目を丸くする。
「⋯⋯神子殿がいてくれたら、と思わずにはいられないね。もしや、怨霊が増えているのは、神子殿が京から追いやられたからなのか⋯⋯」
「そう、ですね。あの方がいたら、すぐに怨霊も祓うことができて、ふたたび現れる心配もない」
「⋯⋯まあ、ないものねだりをしたところで、今は目の前の問題を対処するよりほかはないのだけれどね」
十郎は、ほかにも領地で起こったことや今行っていることなどを雑談を混じえながら話していった。
そして、思い出したかのように付け加える。
「そういえば、奥州の平泉に向かう商隊があるだろう。その商人たちに混ぜてあげたい子がいてね。親を亡くし、平泉にいる兄弟を頼りたいとのこと。郷の者が哀れに思って私の方に話を通してきたんだ。その子の身元は私の方で預かっているのだけれど、怪しい者ではないから時期が来たら一緒に連れて行ってもらうつもりだよ」
「奥州⋯⋯平泉、ですか」
先ほどまでのほがらかな表情とは打って変わって目を伏せた与一に、十郎はうかがうように視線を送る。
「どうしたんだい。何か気になることでも」
「いえ⋯⋯もし、その者が平泉での生活を望んでいるのでしたら、一旦はやめておいた方が良いかと思います。⋯⋯鎌倉は、おそらく奥州藤原氏と戦をするつもりかと」
十郎は言葉を失った。
「奥州藤原氏と? ⋯⋯冗談だろう」
「⋯⋯まだ噂の域を出ませんが、平泉に九郎殿一行が逃げたと、そのような話が鎌倉に伝わっていましたので。いずれは戦場になるおそれがあります」
自分と優樹の憶測が当たっていたことに、十郎は複雑な気持ちになった。
よろこばしいことのようでいて、鎌倉へ話が知れるのが早すぎることに焦燥が走る。
「おそらく鎌倉は、九郎殿の件を理由に戦を仕掛けるつもりかと」
「いくら鎌倉の軍が平家を打ち破ったとはいえ、そんな無謀なことを仕掛けるとは思えない。それに、院宣だって下りるものだろうか。たしかに九郎殿の追捕のための院宣は下されたが、戦を仕掛けることまでを院が承知するとは思えない。鎌倉は官軍ではなくなり、ただの私戦扱いになる。大義名分もあったものではない」
「鎌倉にいる間、江ノ島という地での任を授かりました。神社の鳥居を奉納するためのものでしたが、どうも戦勝祈願が目的のようなのです」
「平家との戦いはもう終わったと言って良い。それなのに戦勝祈願、か。⋯⋯そうだとすれば、なんと気の早い⋯⋯いや、元々奥州も手に入れるつもりで、九郎殿の件は口実にすぎないということか」
十郎は口を引き結んだまま、深く考えに入り込んだ。
「九郎殿が平泉に逃げた、という噂があったにも関わらず、那須家にも軍を送って確認しに来た。⋯⋯実際に九郎殿たちがそこにいなかったとしても、噂だけを頼りに、いくらでも戦いを仕掛けることはできるということか」
閉じていた目をゆっくりと開くと、十郎は淡く笑みを浮かべた。
「ありがとう、与一。助かったよ」