第二十六章 軍勢との対峙
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いつものように起床して、お里と顔を合わせて手伝いをしていたとき、優樹は邸に慌ただしさが駆けめぐるのを感じた。
空気が、いつもと違う。
だんだんと張りつめていくようなざわつき。
覚えがある。これはまるで──。
「壺太郎、いるかい」
「十郎さん」
張りつめた声音に、優樹は自然と居住まいを正した。
「すぐに邸から出られるように、急ぎ荷をまとめなさい。お里には君を連れていくように言伝しておくから」
「何があったんですか」
「早馬で知らせがあった。鎌倉の軍勢がこちらに押し寄せてきているらしい。何の知らせもなしに来るんだから、歓迎の宴の準備もできやしないよ」
苛立ちを抑えるように、十郎は皮肉で笑みを歪めた。
やはり、そうだ。この感覚。戦の前の肌感覚だ──。
「どう、して、鎌倉の軍が。味方ですよね。もしかして、私がここにいると⋯⋯」
「──いいや違う。原因はおそらく私だ」
十郎の瞳には焦りがにじんでいるようであった。
「⋯⋯内密にことを運んだつもりだったんだけれど、どこかから漏れてしまったのかもしれないね」
「一体、何を⋯⋯」
「鎌倉殿の不興を買うようなことをさ。詳しくは言えないけれどね。⋯⋯本来だったら、私はここにいるべきではなかった。だが、父上は病床につかれ、代替わりをする前に与一は鎌倉に呼び立てられた。家を切り盛りできるのが、今は私しかいなかったんだよ」
早足で邸の中を抜けながら語る十郎は、語気を抑えるように息を詰めているようであった。
「十郎様! 報告によると、旗印から指揮をとっているのは梶原景時殿と見受けられます!」
郎党の一人が口にした、景時、という名前に、優樹は息を飲み込んだ。
「梶原殿、鎌倉公の懐刀か。⋯⋯なかなかに厄介だ。戦を始めようなんて思っていなければ良いんだけどね」
十郎は息を吐き出し、顔を上げた。
「相手が戦を仕掛けてくるというのならば、高館にて迎え撃つ! 籠城の準備をし、岩や大木を集めさせよ!」
十郎の呼びかけに、男たちは慌ただしく動き出す。
彼は首をめぐらせると、意識して和らげたような表情を優樹に向けた。
「頼った先が泥舟で、悪かったね。こういう事態になる前に、君を商人にまぎれさせて、北に向かわせることができたらよかったんだけれど⋯⋯。ほとぼりが冷めるまで、君はここから離れているんだ」
返事をしない優樹の表情を見て、十郎は焦れたようにしゃがみ込み肩に手をかけた。
「まさか、戦いに参加するなんて言わないよね。元服前の童を戦に参加なんてさせられないよ。⋯⋯なすべきことがあるのなら、目先のことにとらわれないで生き延びる方を選びなさい」
優樹はぐ、と唇を噛みしめた。
「⋯⋯だから、表情と会話しないでください。⋯⋯無事を祈っています」
「ああ、君もね」
お里に手を引かれながら、優樹は邸を振り返った。
だが、こらえて前を見すえる。
「相手方より使者が来ました。梶原殿自ら、十郎様と話し合いをしたい、と。内容は⋯⋯やはり兄君たちの件のようです。仔細はそのときにて、と」
「梶原殿と直接に話し合い、だと。⋯⋯なりません、十郎様。相手はあの梶原景時ですよ。噂はあなたも知っているでしょう」
矢継ぎ早に繰り出される郎党たちの言葉に、十郎は額に手を当て息をこぼす。
「油断したところで暗殺、かい? そこまでのことをされたら兄上たちも黙ってはいないだろう。那須家総出で戦だよ。さすがにそんな愚策はとらないと思いたいけれどね。使者が来たということは、第一に戦を仕掛けるつもりはないということかな」
「ですが、手勢を連れてせまってきてから使者を送るなど、話し合いだけで良いのなら、事前に連絡があってしかるべきです。何か裏があると考えた方がよろしいかと」
「使者伝えによると、昨今の怨霊の増加への対応として手勢を多く引き連れてきたとのことですが」
「見え透いた理由づけではありませんか。⋯⋯同じ鎌倉の軍だったとはいえ、福原での平家に対する仕打ちをお忘れではないでしょう。上がどのような指示を出したか」
「戦わずしてことを収めるに越したことはない。⋯⋯鎌倉には与一もいるんだ。相手が話し合いの機会をくれるというのなら、しない手はないだろう。⋯⋯話し合いの場はこちらの邸、もしくは相手方の陣か」
「陣を張っているなど、戦の準備と同じではありませんか。相手方での話し合いなど⋯⋯命を捨てにいくようなものです」
「まったく、ずいぶんなあいさつだ⋯⋯と言いたいところだけど、むしろその方が、もしもの場合こちらに有利にことを進めやすい。使者には相手方の陣にて話し合いを受けると伝えるように」
「もしものことなど! 十郎様自らが命を張るようなっ」
「もし相手に攻勢の意があるのなら、どちらで話し合いをしようと起こることは変わらないだろう。この命だけ長らえて、家を捨て、関所を抜けて奥州にでも逃げのびろと言うのか? 話し合いだけですむのなら、それで良い。だが、もしもに備えて最善の手は打っておく。⋯⋯相手方の陣から離れた場所に部隊を配備させておくように。いつでも弓を構えられるようにね。もしものことがあったならば、私とともに先方へと向かった者は鏑矢を放つように。音が聞こえたならば、後方部隊は攻撃を仕掛けつつ後退するように。そのまま高館にて籠城戦とする」
十郎は頭の痛みをこらえるように額に手を当てた。
郎党たちの態度は、まるで子どもを説き伏せるようだと感じられる。
まったく、これだから幼い頃を知られている相手はやりづらい。
血気盛んな馴染みの若者たちは、ほとんどが与一についていっている。
説得を終えた後に支度をすると、十郎は馬上で揺られながら、遠方に見えた旗印に目を細めた。
梶原の旗印。同じ鎌倉の軍として戦ってきた間柄。今回は敵となるか、味方となるか。
知れず、体をめぐる血が早駆けるようであった。
「遠路はるばる、ようこそ我が領地へおいでくださいました」
「わざわざこちらに出向いていただき、感謝する」
空々しい口上だ、と十郎は笑みをたたえつつ、わずかばかりに目を細めた。
梶原景時。京邸で会ったときは、もっと気さくな人柄のように感じていた。
だが、いま目の前にいるこの男はどうだ。噂とたがえず、油断ならない。
「さっそくだが、こちらの要件は使者からも伝えた通り。平家方についていた那須家の九人の子息⋯⋯貴公の兄君らについてだ。平家の将を匿っていた件、本来ならば許しがたきこと。されど、鎌倉にて貴公の弟君、与一宗隆の真摯な進言に頼朝様も心動かされた」
十郎は袖の内で、ぐっと手を握りしめた。
与一の馬鹿者⋯⋯すべて私が責を負うと言っただろうに⋯⋯。
思わず悪態が胸の内に広がる。
だが、わざわざ弟が動いたということは、動かざるをえない状況だったのかもしれない。
「頼朝様に黙っての動きは許しがたきこと。されど、平家との戦で那須兄弟の活躍はあまりあるとの頼朝様のご判断により、今回は不問にされるとのことである」
「⋯⋯寛大な心遣いに感謝してもしきれません」
「⋯⋯
耳馴染みのある女性の名に、人知れず息をつく。
彼女には、何度助けられたことだろう。
「はい、しかと心に刻んでおきます」
「それから、使者からは伝えていなかったが、もう一つ確認したいことがある」
十郎はゆるみかけた気を引きしめた。
「貴公も九郎義経のことは重々知っておられるだろう。壇ノ浦の戦いで、あろうことか平家と手を組み、頼朝様に仇なそうとした。いまだ彼らは姿を隠し、この日本六十余州を逃げまわっている」
「ええ、ともに戦ってきた身として、まさかといまだに信じられない気持ちです」
「貴公の兄君たちを助けようと尽力したその心意気、胆力、同じ頼朝様の傘下として心強く思う。⋯⋯だが、しかるに、兄君たちのみならず義経一行も匿ってはいないかと、今回はその確認もあって、こちらに参った次第」
十郎は目をわずかに走らせた。
なるほど、捕縛のための手勢か。そして、十郎側が抵抗した際の制圧のための軍。
「一行全員ではないにしろ、一人くらいなら匿えるのではないかと。たとえば⋯⋯京ではあなた方那須家の者たちと懇意にしていた者がいるはず。日野優樹という者が」
十郎は目を細めた。
那須家と懇意にしていたのは優樹だけではない。譲だっている。
なのになぜ、優樹の名前だけが出てきた。
いや、勘ぐりすぎか。
いま那須家で面倒を見ている優樹の存在は、そう広く知れ渡るものでもないはず。
姿も名前も違うのだ。
龍穴を通って京から男体山山頂へ出たことが真実だというのなら、関所も通っていないはず。
名前が出てきたのは、たまたまか。
「いいえ、まったく身に覚えのないことにございます。⋯⋯といっても、兄たちを匿っていたこの口から申し上げること、信じていただけるかはわかりませんが」
「⋯⋯そうか。我々の用向きはそれだけだ。今回はその言葉を信じよう。⋯⋯わかっているとは思うが、頼朝様の寛大な処遇はそう何度もあると思わない方が良い。今後は一層忠義を胸に刻み、仕えるように」
もし匿っていたことがわかったならば、どうなるかわかっているだろう。
軍勢を連れての言伝はそういうことだ。
十郎は女人を思わせる
「しかとこの胸に刻んでおきます」