第二十二章 那須党の恋話
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優樹が話していた男は神社に仕える者だったようで、境内近くにあった家の離れに泊めてくれた。
水でかさましした粥もくれて、お腹をすかせていた体に沁みていくようであった。
横になると、疲労がじんわりと薄らいでいく心地であった。
梶原景時と源義経の仲違い。
そして男から聞いた壇ノ浦の戦いでの様子。
京を出立する前の、景時との会話を思い出す。
⋯⋯自分のしたことは、無駄だったのだろうか。
横になりながら膝を抱える。
とにかく、明日はまた岩屋に行こう。
そこの龍穴をまた通ることができたのなら、別の場所につながるかもしれない。
いまは賭けるしかない。
うとうととしていると、遠くで複数人が話している声が聞こえた。
男の人の声だ。
家の人だろうか。
そんなことを考えながら、いつのまにか優樹は眠りについていた。
「到着が遅くなって申し訳ない。夜分に泊めてもらうことになるとは」
「いえいえ、今日は干潮の時間が遅かったですからね。奥津宮を目指すのは、明日になさった方が良いでしょう。少ししかご用意できませんが、夕餉をどうぞ召し上がってください」
「心遣い、感謝する」
「いえ、奥津宮の鳥居を立てるための下調べでしょう。鎌倉の君の心遣いに感謝するのは、私どもの方ですよ」
男は夕餉を用意しながら、ふと思い出したように笑みをこぼす。
「そういえば、今日も一人の若い子が上に参拝しにいったようでね。一度下りてきたようだけれど、お参りするのを忘れた場所があるとかで、もう一度登ろうとしていたんですよ。今夜はもう遅いから、家に泊まっていきなさいと引き止めて、離れに寝てもらっています。可愛らしいお稚児さんでね」
「信心深いのは良いことです。きっと何か、願をかけたいことでもあるのかもしれません」
「信仰心を持っている人が増えるのは、私たちにとってもうれしいことです。それじゃあ、私は奥に下がっています。今日はここでゆっくりと休んでください。何かあれば呼んでくださってかまいませんので」
男が下がっていくと、それまで笑顔で話していた若い男は無意識に息をついた。
「何を深いため息をついておるのだ。さあ、飯を用意していただいたのだ。ありがたく腹にためようではないか。明日はこの江ノ島の風光明媚を楽しむと思うよりほかあるまい。なあ──与一」
与一、と呼びかけられた男は、目の前にいる男をじとりとにらみつけた。
「少し前まで騒ぎ立てていたお前に言われたくはないぞ、七郎。⋯⋯わかっているさ。これも鎌倉公の命だ」
「ですが⋯⋯那須家の次期当主となる与一を鎌倉にとどめおくような⋯⋯これではまるで人質のようです」
「鎌倉公の膝元でめったなことは口にしない方が良い、六太。誰が聞いているか、わからないからな。突然呼び立てられたから、肝を冷やしたがな。なんてことはない。ただ鎌倉公の地盤を強くするような政策の命を受けただけだ。院より褒賞としていただいた荘園も没収という形にはなったが、ふたたび鎌倉公より賜るという形にはなった。京で勝手に官位を賜った者たちが厳しい対応をされているなか、御の字だ」
努めて明るい口調で言ってはいるが、顔が強ばっているのを、長くともに過ごしてきた郎党たちが見逃すはずもない。
「⋯⋯これもきっと、十郎兄上がひそかに
「たしか鎌倉公の乳母の一人、でしたよね。小山氏の出の」
「ああ、母上の一人は、小山氏の出だからな。寒河尼は石橋山合戦での功もあり、鎌倉公の心証覚え高い。⋯⋯おそらく、私のことを高く取り立ててくれるように、言伝してくれたのだろう」
与一は目を伏せたまま、小さく息をつく。
「それにしても⋯⋯十郎兄上を差し置いて私が当主とは⋯⋯」
「十郎殿自らも、それを望んでおられるのでしょう。お父君も。我々だって与一は次期当主にふさわしいと思っています。自信を持ってください。兄上たちのことを考えたら、それが最善かと思います」
平家に与していた兄たち九人は、十郎の提案を受け入れ無事に屋島を抜けたことだけは話に聞けていた。
だが、その後の消息はわからない。
兄の十郎も、一度国元で再会したものの音信がとれていない。
鎌倉公の意に反する者たちが処断されているなか、源氏に属していながら平家に与した者を匿えばどうなるかわからない。
わかっているからこそ、十郎はその咎を一人で背負うつもりだ。
「九郎殿たちのことは、我々も残念に思っています。腹立たしささえ覚える。あの方は、源氏を裏切るような真似をされる方ではない。けれど、結果がこうなった以上⋯⋯壇ノ浦での戦いに参じられなかったのは、むしろ幸運だと思うよりほかありません」
「京を救い、平家を滅亡寸前まで追いやった英雄も、いまや朝敵か⋯⋯。兄上たちの件で迷惑がかからぬよう、屋島での戦いより前から距離をとっていたが⋯⋯それに逆に助けられたのかもしれないな」
皆の話に耳を傾け一人もぐもぐと飯を口にしていた七郎は、つばを飛ばす勢いで口を開いた。
「そう辛気臭い顔をするな、与一! まだ九郎殿たちは捕まったわけではない! それに優樹殿のことだって気に病むな!」
ぴくり、と与一はまぶたを震わせた。
追捕の命が下った者たちのことは、与一も耳にしていた。
「そう⋯⋯だ」
「まさか九郎殿と梶原殿のお手つきだったとはな!」
しん、と静まりかえる空気にも気づいていないのか、十郎は飯をかき込み続けていく。
「弁慶殿だけではなかったとは! だが十郎殿も言っていただろう! 子犬のように可愛い者には、誰だって同じように好意を抱いて手をかけたくなると! それだけ人として魅力があるということであってだな」
ざっ、と与一と七郎以外の者たちが一斉に立ち上がる。
「七郎、ちょっと来い⋯⋯」
「ん? どうしたのだお前たち、飯が冷めてしまうというのに」
「いいからちょっと表へ出ろ⋯⋯」
「おい、なんだ、いきなり何を」
一気に人がいなくなった部屋で、与一はため息をつき額に手を当てた。
あのとき、ともに来いと言っていれば良かったのか?
思い出せるのは、優樹の泣き顔ばかりだ。
⋯⋯手を取り損ねたのか、自分は。
はっと優樹は目を覚ました。
外で大きな物音がした。
人が言い争うような声が聞こえる。
「だから、お前は⋯⋯!」
「⋯⋯の気持ちも考えろ!」
「なにをぉ、それがしだってなあ⋯⋯っ!」
え、何、怖い。喧嘩?
「恋ってのはなぁ! 恋ってのはそんな簡単なもんじゃねえんだ!」
え⋯⋯恋バナ?
外の男たちは興奮しているのか、だんだんと声が大きくなっている。
「二人はいまや時代の流れに引き裂かれたようなもの! それに、それに⋯⋯どれだけ想いを募らせようと、男同士だからと気を遣って踏み込めないことだってあるんだよ! 馬鹿ぁん!」
や、やだ⋯⋯なんだか込み入った恋愛なのかな。
先ほどまで眠かったはずなのに、どきどきとして目が冴えてきた。
「とにかく、俺たちはいままで通り見守るんだ!」
おう! と複数人の声がまとまって聞こえる。
しばらくすると静かになって、ほっと息をつく。
よかった、なんだか丸く収まったみたい。
息をついて目を閉じても、なかなか寝つけなかった。
そして、思わず笑みをこぼす。
あそこまで仲間に思ってもらえるとは、きっとその人は素敵な人なのだろう。