第二十一章 龍穴がつなぐ道
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「潮の流れが変わった! 一気に攻め行くぞ!」
九郎のかけ声に、ときの声が上がる。
壇ノ浦では、源氏と平家の船が相対していた。
「おそらく、三種の神器は平家が拝する帝とともに御座船にあるはずです」
「ああ、院は三種の神器の奪還をなんとしても望んでいる。それは、兄上の命でもある。なんとしても奪取せねば」
「ええ。けれど、平家もそれをわかっているはずです。福原での和議の条件である三種の神器の返還にも応じなかったほどですからね。彼らもそれらを死守したいはず。守りは堅いでしょう」
弁慶は目をすべらせる。
九郎が指揮する源氏軍の背後には、鎌倉から進軍してきた名代北条政子筆頭の御家人衆が構えている。
そして、北条政子の護衛のために、景時は同じ船に控えているようであった。
「⋯⋯何が起こるかわかりませんから、気を引きしめましょう」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ぴちゃ、と顔に冷たい何かが当たって、優樹ははっと目を開け、思わず手を振った。
真っ暗な空間に、あたりをただよう冷気。
何度もまばたきをするが、周りの様子がわからない。
「どこなの、ここ⋯⋯」
思わず呟いた声が、思っている以上にその空間に響きわたる。
記憶をたぐり寄せる。
自分は、貴船神社にいたはずだ。
奥宮の拝殿前にいて、そして──。
目の前の空間が歪んで洞穴のようなものが目の前に見えた。
そしてその後の記憶がない。
暗闇に、本能的な恐怖が湧き起こってくる。
ふと、目の前に蛍のような淡い光が見えた。
ふわり、ふわり、と一つ二つと浮かんでは消え、また新たに現れてくる。
なんとなくではあるが、周りの空間が見えた。
岩肌のようなでこぼこが、光に照らされている。
そして、そこまで広くはない空間が先まで細長く続いているようであった。
地面に手をつくと、湿り気が伝わってきた。
水気の強い匂いもする。
とにかく、動くしかない。
明かりがゆらゆらと浮かんでは消える先へと、ゆっくりと進んでいく。
固い地面を歩いているはずなのに、どこか空間がぐにゃりと歪んでいるような感覚で、奇妙な心地であった。
どれくらい歩いたのだろう。
だんだんと、冷気が強くなっているように感じた。
そして、気がついた。
蛍様の光が薄くなっているにも関わらず、明るさを感じる。
前方から、明かりが差しているようであった。
希望が見えたようで、自然と足が速くなる。
だが、まるで真冬のような寒さだ。思わず二の腕をさする。
強まる光源に、自然と目が細まる。
耳を横切る強い風の音。あおられる横髪を何度も耳にかけ直す。
「⋯⋯ここって⋯⋯」
目下に広がる光景に、目を疑う。
高い山から見下ろしているかのように、大地が遠い。
木々や森、所々に田畑や人家らしきものも見えた。
風が強まり、思わず洞穴の入り口の壁に手をつく。
足下は、それより先の道がなかった。
貴船神社があった土地か? と思うも、あの神社はこんなに標高の高い場所にはなかったはずだ。
下ろうにも急勾配のため、足を踏み出せばそのまま転がり落ちていくだろう。
仕方なしに、優樹は洞穴の方へと戻っていった。
どんどん暗闇に包まれていく。
けれど、闇が深まれば深まるほど、蛍のような光が増えていった。
ふたたび、ぐにゃりと空間が歪んだような感覚に、平衡感覚がおかしくなりそうであった。
そして、空気が変わったのを感じた。
すんすんと、鼻を動かす。
潮のような匂いがする。
まるで海のような──。
外から明かりが漏れてきた。
そこを目指し、一心に進んでいく。
先ほどよりも広がった岩窟であった。
先の方には、空も見える。
歩みを進めながら、優樹は既視感を覚えた。
(ここ⋯⋯どこかで見たことがあるような⋯⋯)
波の音が聞こえる。
洞穴を抜けたとき、広がるのは青空と海であった。
右の方を見れば、険しいが歩いていけそうな岩肌が続いている。
(⋯⋯整備された道はないけれど、この感じ、もしかして⋯⋯)
慎重に手をつきながら、進んでいく。
「やっぱり⋯⋯そうだ。⋯⋯ここ、江ノ島の岩屋だ。⋯⋯あっちは稚児が淵⋯⋯」
岩壁に当たり高い白波ができるこの海も、岩肌も、見覚えがある。
記憶にあるもののような整頓さはなかったが、地形がそっくりだ。
「よかった、階段がある」
岩屋からずっと右回りに進んでいくように伝っていく。
「どうして江ノ島に⋯⋯もしかして、また時空を越えたとか⋯⋯」
考えても、答えは出てこない。
ふと、記憶に新しい言葉を思い出す。
『知っているかい? この奥宮の地下には、龍穴と呼ばれる場所があるらしいよ』
貴船神社で衛士の男が言っていた。
そういえば、江ノ島の岩屋も龍穴と言われていた気がする。
そして、あの岩屋を抜けていくと富士山につながっている、という伝承もあったはずだ。
実際には、つながっていないのだが──。
優樹は洞穴を抜けてくる前に見た景色を思い出す。
高い標高。山のようであった。まさか──。
「あそこ⋯⋯富士山、だったとか⋯⋯」
ありえない、と思いたかったが、白龍が自分たちをこちらの世界に連れてきたことを思い出す。
白龍はもともとは応龍という名の龍神の片割れ。
時空を超える力を持つ龍神。
龍穴。
行方が知れないという衛士の男。
そして自分のいまのこの状況──。
「龍穴を通じて、空間移動ができた、とか⋯⋯」
鬱蒼としげる草木の合間を抜けて、なんとか記憶を頼りに歩いていく。
暑いな、と思い汗をぬぐったところで、はっとする。
まだ春先だったはずなのに、暑い。まるで初夏のように。
そして、草木の合間を舞うモンシロチョウ。
「待って⋯⋯場所だけじゃなくて、時間も移動している⋯⋯?」
今はいつで、いや、そもそもどの世界の江ノ島だ──。
考えを深めると足元がおぼつかなくなるようで、優樹は頭を振った。
とにかく、今は人がいそうなところに行くのが先だ。
「あれって、もしかして⋯⋯」
思わず小走りになる。
「やっぱり、そうだ⋯⋯奥津宮だ⋯⋯」
小ぶりの社殿。
記憶にあるものとは少し違うが、場所的にそうだ。
ここが江ノ島であることは間違いなさそうだ。
「じゃあ、中津宮を目指せば、なんとか片瀬の方までは行けそう。そうしたら、鎌倉の方にも渡れるほず」
山を下りながら、息をつく。
「エスカーもないから、現代に戻ったわけじゃなさそうだよね。岩屋の方だって橋がなかったし」
下りとはいえ長い道のりに、江ノ島の上から下をつなぐエスカレーターの存在が恋しくなる。
中津宮にさしかかったとき、人の姿が見えてほっとする。
「すみません!」
声をかけると、壮年の男はびっくりとしたように顔を上げた。
「あ、あんた一体どこから⋯⋯」
「ちょっと道に迷ってしまって⋯⋯ここ、ずっと下っていけば浜の方まで行けますよね。島の方から鎌倉の方へ渡りたくて」
男の着物姿を見るに、違う世界に飛ばされたわけではなさそうだ。
「あと、すみません。今って⋯⋯」
聞こうとして、口ごもる。
西暦は通じない、かといって、優樹は今の元号を言われてもそれがいつなのかわからない。
「ん? なんだい?」
「あ⋯⋯いえ⋯⋯鎌倉の、鎌倉の頼朝様のご様子はいかがかと思って⋯⋯」
我ながら、下手な問いだと思った。
だが、頼朝が今生きているのか、どういう状況なのかで、時期がある程度推測できるかもしれない。
「頼朝様? どうって言われても、わからないけれど⋯⋯。ありがたい話だよねえ。あの方は、奥津宮に鳥居を奉納してくださると話が出ていてね」
つまり、頼朝は健在。もしかしたら、そう時間は変わっていないのかもしれない。
「平家追討にと西に下っていた御家人の方々も戻ってきたし、これでしばらくは争いもなくなれば良いんだけどねえ」
「それ、本当ですか? 戦いは? 源氏が勝ったんですか?」
男は眉をくい、と上げる。
「なんだいあんた、聞いていないのかい? まあ、こっちも伝え聞きだからなんとも言えないけれどね。平家の主要な将は討ち果たしたものの、女房衆や平家がかかげる帝を取り逃がし、三種の神器もすべては取り返せなかったそうだ。頼朝様の弟の九郎義経が平家方の将とつながっていて、裏切ろうとしていたとか」
優樹は目を見開く。
「なん、ですか、それ⋯⋯」
「おそろしい話だろう。平家の将⋯⋯黄泉から還ってきたとかいう還内府と共謀して源氏に仇なそうとした。が、頼朝様の懐刀、軍奉行の梶原景時様がそれを退けたそうだ。還内府率いる船に乗って九郎義経一行は逃亡。行方が知れないそうだ」
優樹は口元を押さえた。
嘘だ、と思った。九郎さんがそんなことするはずがない。
それに──。
「まあでも、捕まるのは時間の問題だろう。頼朝様はすぐさま京におわす院にかけあって、義経一行の追捕の任を授かった。西から東まで、各所に見つけ次第捕らえるようにとの命が下っているからねえ。逃げられやしないと思うよ」
展開が早すぎる。
義経が頼朝の追討命令で追いつめられていくのは、平家を倒した後、もっと後のはずだ。そのはず、だったのに。
「ほかにも、色々眉唾ものの話が伝わっているよ。実は亡くなったはずの平清盛は生きていて⋯⋯いや、怨霊として蘇って、嵐を巻き起こし源氏の船を沈めようとしたとか。それを防ぐかのように海上に突如として女の化物が現れ、平家の船に襲いかかって平清盛の怨霊を喰らっていったとか。平家が従えていた怨霊もすべて平らげていったとかね。いやいや、さすがに話を盛りすぎだろうよと」
笑い声を上げる男に、なんとか笑いを返す。
「あー、あと、こんな話も伝わっているよ。九郎義経と梶原景時様の仲違いの話とかね。なんでも、戦の方針でことあるごとにぶつかっていたとか。相当仲が悪かったそうだよ。壇ノ浦の戦いでも、梶原様の妹君を人質にとって追撃できないようにしたとか」
そんなわけない。そう言い返したかったが、ぐ、と押し黙る。
優樹は三草山の戦い以降、戦いに参加していない。たしかに戦場では、意見の衝突はあったのかもしれない。戦場で実際に何が起こったかもわからない。
それが、遠くではこのように伝わっている。
「だけどねえ、なんでも、二人の仲違いの決定的な理由は、恋人の取り合いにあったらしい」
「へっ⋯⋯!?」
思わぬ話に、優樹はつい身を乗り出してしまう。
「いや、恋人じゃなくて、えっと⋯⋯なんでも、梶原様にはお気に入りのお稚児さんがいたらしくてねえ。けれど、実はその者は九郎義経を恋い慕っていた。九郎義経が追われる身となったのを嘆き悲しんで、後を追うように姿を消したらしい。これに大層お怒りになった梶原様は、何がなんでも義経許すまじと追討の手を緩めないんだとか」
「っな! 景時さっ⋯⋯ま、にそのような愛憎劇が!? そんな、お気に入りの稚児なんて一体誰⋯⋯」
が⋯⋯と優樹は黙した。
あれ⋯⋯稚児?
「噂じゃあ、元々義経のお手つきだったのを無理矢理自分のものにしていたとか。可愛がるあまり邸の外にもほとんど出さなかったらしくてねえ。いやあ、どれだけ麗しいお子だったのか、この目で見てみたいよ」
ははは、という笑い声も遠くに聞こえ、優樹は地面を見つめた。
九郎さんと景時さん。二人と関わりのある稚児⋯⋯。
可愛がるあまり外に出さなかった⋯⋯三草山の戦いのとき以来、怪我の療養もあって邸に閉じこもりがち、だったな⋯⋯。
私⋯⋯? いや、そんな馬鹿な。
でも、姿を消したって⋯⋯つじつまが合いすぎている。
「そのお稚児さんも、捕らえよとのお達しがあったかな。九郎義経を慕っていたというのなら、逃亡の手助けをする危険もあるからね。いやまあ、梶原様が取り返したいだけなんじゃないかとも思うけどね」
優樹は顔色を変えた。
仮に、その愛憎劇のただなかにいる稚児が自分のことを指しているのだとしたら、まずい。
ここは江ノ島。頼朝の拠点に近すぎる。
鎌倉の方へ渡って、なんとか情報を集めて移動しようと思っていたが、危険か。
京に戻れたら⋯⋯と思っていたが、京にはもう、皆戻ってこないということだ。
頼りにできる人がいるとしたら、景時だけ。
けれど、捕らえよとの命が下っている以上、会ったときにどうなるかわからない。
追われる身となった義経一行が目指すとしたら──奥州平泉。
そこに向かえば、皆に会うことができるだろうか。
いや、自分も追われる身となった以上、どう行けば⋯⋯。
「龍穴⋯⋯」
「ん? なんだい? 何か言ったかい?」
「あ、いや⋯⋯そういえば、上の方でお参りするの忘れていた場所があって、もう一回行こうかと思って」
もしかしたら、という思いが募っていく。
空間を移動することができた洞穴。もう一度入れば、また元の場所に戻るのかもしれない。けれど、もしかしたら──。
「え、今から登ってかい? 鎌倉の方まで渡っていきたいなら、もう下りていかないとまずいよ。もうすぐ干潮の時間で、向こうまでの道ができる。だけど、それを逃したら明日までは渡ることができないよ。それに、日が暮れ始めたら山道は危険だ」
「いえ、今日は渡れなくても大丈夫なので⋯⋯」
「あんた、ここに来るのは初めてなんじゃないのかい? 自然の力をなめちゃあいけないよ。縁故の者がいないのなら、一晩うちに泊まっていけば良い。山をまた登りたいのなら、明日にしなさい」
でも、と言い募ろうと来た道を仰ぎ見て、優樹は閉口した。
⋯⋯またこの道を登るのか。
「⋯⋯それじゃあ、お言葉に甘えて」