第十九章 未来への憂いと決意
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「まさか挨拶もなしに行ってしまうなんて⋯⋯せめて一度くらい顔を見せてくれたらよかったのに」
あきれと落胆が混ざり合ったような様子の譲に、優樹は苦笑をこぼす。
与一との別れの後、本当に那須党の人々は京から引き上げていった。
「外でたまたま会ったんだけど、譲によろしく頼むって伝えてくれって言われたよ。あと、会ったことは他の人には内緒にしとけってことだから、よろしくとも」
「そうですか。⋯⋯なんというか⋯⋯あの人もどことなく兄さんに似ているような気がしなくもないんですよね⋯⋯」
「言われてみれば⋯⋯そう、かも⋯⋯?」
笑いをこぼすも、優樹は心の中にぽっかりと穴が空いたようで仕方がなかった。
どことなく、自分の芯が定まらないような感覚だ。
「あと⋯⋯ちょっと相談、みたいのがあるんだけど⋯⋯」
頭の中で繰り返し考えていたことを言葉にしようとすると、口が重く感じられた。
「屋島の戦いが終わって⋯⋯たぶん、このままいくと、次は壇ノ浦だよね⋯⋯。このままいくと、私たち、まずい気がする⋯⋯」
「そう、ですね。それは俺もずっと考えていました」
壇ノ浦の戦いが終わった後、九郎義経は兄の頼朝より追われる身となり、最終的には──。
「ただ、確証はありません。この世界は俺たちの世界の歴史と似ているようでいて、どこか違いますから。俺たちが最初にここに降り立ったときにあった戦い⋯⋯宇治川の戦いも、本来だったら源氏と木曽義仲の戦いだったはずなのに、源氏と平家の戦いになっていましたし。一の谷の戦いだって、大筋は似ていますけど、微妙に違います」
「そう、だよね⋯⋯でも、その大筋が同じなのが不安なんだよね。一緒に戦いにいけないし、こんな話して悪いけどさ。⋯⋯あと、それから⋯⋯将臣のことなんだけど⋯⋯もしかして、将臣⋯⋯」
「平家にいる可能性があるってことですよね。⋯⋯大筋が同じ流れになるとしたら、平家は滅ぶ⋯⋯一緒にいる兄さんも、もしかしたら⋯⋯」
「⋯⋯ごめん、譲」
譲は気遣うように笑みを浮かべた。
「そんな、日野先輩の謝ることじゃないですよ」
「違う。⋯⋯一の谷の戦い、那須十郎さんが九郎さんに進言したから、逆落としは中止になったでしょ。そして源氏は勝った。⋯⋯あれ、なん、と、いうか⋯⋯二人でよく、話していたんだ。色々ぼかしながら話はしていたんだけど、今後の源氏と平家の戦い⋯⋯もし平家がこれからの源氏の戦いの出方を知った上で挑んでくるとしたら、逆に⋯⋯それを逆手にとる戦い方はできないか、とか⋯⋯みんなが熊野に行っている間に。だから⋯⋯」
「⋯⋯兄さんが平家の人に源氏の出方を教えていたなら、色々とつじつまが合う気がしますね。逆にそれすらこちらが読んだ上で戦いになったから、結果的に源氏の勝利となった」
「⋯⋯ごめん」
「だから、謝らないでください。⋯⋯仮に兄さんが平家の人に知恵を貸していたとするなら、兄さんだって、本来の結末を知っているはずです。わかった上で残っているとしたら、本人だって色々覚悟を決めているはずです。だとしたら⋯⋯俺たちにできることは、限られていると思います。⋯⋯戦場で本人を見つけたら殴ってでもこっちに連れてくるとか」
「ちょっ⋯⋯いきなりなんでそんな物騒な発言が出てきたの」
「⋯⋯いえ、いま先輩と話していて、色々と思うことがあったんですけど。夏に熊野で兄さんに会ったって言ったじゃないですか。そのとき⋯⋯もしかしたら兄さん、俺たちが源氏側の人間だって気づいていたんじゃないかって思って」
優樹は驚いて思わず「え⋯⋯」と声をこぼしてしまった。
「そのときは一応身分というか⋯⋯源氏の人間だとは隠して行動していましたけれど。こちらの仲間を紹介したとき、そこには弁慶さんもいたんですよ。軍奉行の景時さん。それに九郎さんも⋯⋯義経とは名乗らなかったけれど、九郎と弁慶、ですよ」
「弁慶」という名前に、優樹は「あ、ああ⋯⋯」とあごに手を当てた。
「たしかに、私たちが弁慶って聞いたら⋯⋯あの弁慶しか思い浮かばない、よね。い、いやでも待って。私も弁慶さんに顔合わせてしばらくの間は、とても信じられなかったし。全然私たちの持っているイメージとかけ離れすぎていたから⋯⋯。それに、九郎って名前から義経はわからないんじゃない⋯⋯?」
「仮に平家に戦の流れを左右できるほどの知恵を授けられたとしたら⋯⋯源平合戦まわりの知識はそれなりにあるはずです。それに、それほどの立場にいるのなら、戦う相手の名前は耳にするはずです。源義経⋯⋯九郎義経。それに、景時さんも⋯⋯少し源平の知識をかじった人なら、義経と梶原景時の仲が悪い話も聞いたことがあるはずですし。日野先輩だってそうでしょう」
「ま、あ⋯⋯私の場合は、ちょくちょく大河ドラマ見てたし、剣道部の顧問の先生が歴史オタクで色々話してくれたから知識がついただけなんだけど」
「とにかく」と譲は癖のように眼鏡を押し上げた。
「⋯⋯俺たちが源氏とわかった上で、向こうに残って戦いに挑むんだとしたら、話し合いでこっちに来てくれるとも思えません。兄さんは決めたらどんどん自分の道を進んでいく人だから⋯⋯。平家が負けるんだとしたら、殴ってでも⋯⋯無理にでもこっちに連れてきます。⋯⋯むざむざ死なせはしません」
「そう、だね⋯⋯私も、将臣には無事でいてほしい」
優樹は指を組んではほどき、詰めていた息を吐き出した。
「あと、そう⋯⋯それで、壇ノ浦の戦いが終わったら⋯⋯私たちもどうするか考えないといけない、よね」
「それなんですけど、もし平家を倒すことができたら、怨霊もつくられなくなって、龍脈の五行も安定するんじゃないでしょうか。そうしたら龍神も力を取り戻して、俺たちは元の世界に帰ることができる⋯⋯。龍脈への対応を早く片付けることができたら、大事が起きる前に帰ることができると思います。⋯⋯お世話になっておいて、見捨てるような形になるかもしれませんが、俺たちにとってはそれが最善だと思います。元々、それが目的で戦いに参加していたんですし」
「そ、う⋯⋯だよね」
重苦しい息を吐き出した後、優樹は笑顔を譲に向けた。
「ありがとう、譲。なんとなく頭が整理できたというか、もやもやしたのが晴れたかも」
譲と別れた後、濡れ縁を歩きながら優樹は物思いにふけった。
(平家を倒して⋯⋯すぐに龍脈の問題が解決するんだったら、問題はない⋯⋯私たちにとっては)
重苦しい感情が胸に渦巻くも、頭を振る。
誰も彼もの運命を望んだ通りにしたいなんて、思い上がっている。
すべての命を救いたいと思うのは⋯⋯介入しすぎだ。
(私たちは⋯⋯自分たちが助かるために最善を尽くすべき)
記憶の中から、頼朝と義経の仲違いの原因の一つに梶原景時の讒言があるという話を思い出す。
(あの景時さんが、そんなことするとは思えないけれど⋯⋯それでも、できることはやっておこう)
ふと、部活の顧問の話が脳裏をよぎる。
『挙兵後の功労者たちを、頼朝は色々な理由をつけて誅殺していっているんだよ。自分の脅威足りえる存在をね。義経をはじめとして、もう一人の弟も、それ以外の者たちも』
⋯⋯こちらがどれだけあがこうとしたところで、たどりつく結末は一緒なのだろうか。
あまりに考えすぎていたからだろうか。
前から来ていた人物に気づかずに、ぶつかってしまう。
反射的に相手はこちらを抱きとめたようであった。
ふわりと鼻腔をくすぐるのは、薬草の香りであった。
「おっと⋯⋯大丈夫ですか」
「すみません、前を見ていなくて⋯⋯」
常に笑みを浮かべる男は、さらに笑みを深めた。
「いつ気がつくのかな、と思っていたのですが、とうとうぶつかってしまいましたね」
「⋯⋯あの、わかっていたなら声をかけてください、それか避けるか⋯⋯」
食えない態度をとる弁慶に、優樹はなんとも言えない顔をした。
「何やら思い詰めたように真剣な顔をしていたから、どう声をかけようか迷ってしまいまして。何か悩みごとですか」
考えていたことが考えていたことだけに、優樹は気まずい気持ちになった。
⋯⋯九郎義経の最期、この人もともにするのだろうか。
「弁慶さん⋯⋯自分以外の人の命を救いたいと思うのは、思い上がっていると思いますか。自分には何もできないかもしれないのに」
口にしてから、相手の返事を待たずして後悔の念が胸に広がっていく。
「すみません。ざっくりした質問ですよね。⋯⋯忘れてください」
さっさと切り上げようとした優樹に反して、弁慶はゆっくりと言葉を紡ぐ。
「僕はたぶん、君の言う、その思い上がった人間だと思いますよ」
予想外の返事に、優樹は思わず相手を見上げる。
弁慶は常の笑みを崩さずに続けた。
「⋯⋯特に、数年前まではね。自分には、何でもできるんだという思いがあった。知略を重ねれば、望みを叶えることができると。⋯⋯その結果、目的は達成しました」
わずかな自嘲が、唇の端に浮かんだように見えた。
「けれど、僕は手痛いしっぺ返しをくらった。⋯⋯僕も大勢の人を救いたいと思った。そのために行動した。なのに⋯⋯すべてが思うようにはいかず、結果は僕が望んだこととは正反対のものになった。⋯⋯多くの人々を苦しめる結果となった。⋯⋯だから、今の僕はその償いのために生きています」
「⋯⋯後悔、していますか、そのときのことを」
「いいえ。何度あのときに戻ったとしても、僕は同じ選択を繰り返したと思います。まったく後悔していないと言ったら、嘘になるかもしれませんが。後悔に時間を費やすくらいなら、今自分にできることに力を注いでいきたい。それが思い上がった僕がしたことに対する贖罪だから」
弁慶は優樹をじっと見つめて、笑みを深めた。
「悩んでいるようだけれど、本当は、君は自分の答えを知っているんじゃないですか」
指摘に虚をつかれてしまう。
「自分が出している答えが、自分の思っているもの、期待しているもの、他人の望む形ではないから、混乱しているだけではないですか」
弁慶と別れた後、優樹は自嘲気味に笑みを浮かべた。
──自分が出している答えが、自分の思っているもの、期待しているもの、他人の望む形ではないから、混乱しているだけ。
⋯⋯そう、その通りだ。
仲間を、助けたい気持ちはある。それは本当。
けれど、できないのなら──あきらめることができてしまう。
そんな自分に、がっかりとしてしまったのだ。
受け入れたくなかっただけで。
きっと、何度やり直したとしても、自分がとる選択は同じだ。
自分と友人たちを助けることが第一で、それ以外のことはあきらめることができてしまう。
⋯⋯けれど。
優樹は閉じていた目を開けた。
自分にできることがあるのなら、する。