第十四章 鹿笛と紅に染まる葉
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「そういえば聞いたかい? 和議の話について」
十郎から振られた話題に、優樹は首をかしげた。
「ワギ⋯⋯? 何の話ですか」
「源氏と平家の間で、和議を結ぶ動きがあるみたいだ。院も間をとりなそうとしてくれているとか。くわしい話は、私たちも聞けていないけれどね。和議が結ばれれば、長く続いた両家の争いも、一区切りがつくというものだ」
部活の顧問から聞いた源平合戦の雑話の中に、和議の話なんてあっただろうか。
優樹は記憶をたぐり寄せようとするが、思い出せない。
優樹が知らないだけか、それともこの世界独特の動きなのだろうか。
「うまくいけば、平家が怨霊を生む理由もなくなる⋯⋯」
怨霊がいなくなれば、土地に流れる五行の力、龍脈も正され、龍神が力を取り戻す。
そうすれば、元の世界に帰れる⋯⋯はずだ。
「私たちも、兄と戦う必要もなくなる。親兄弟で勢力を二分して戦うのは戦乱の世のならいといえど、良い心地はしないからね」
「本当に、うまくいくと良いですね」
和議⋯⋯和議か。
その言葉に、何度も先の未来に対して考えが運ばれていく。
今はもう秋となり、肌寒さを感じさせる時期であった。
鬱蒼と茂っていた草木も、色を落ち着かせ始めている。
この世界に来たのは、雪も降り積もる寒い季節であった。
もうすぐ、季節が一巡するのか。
⋯⋯あと何度、この世界の季節の巡りを見ることになるのだろう。
「木火土金水⋯⋯木は火で土になり、土の中に金が生まれ、金属には水滴ができ、水が木を育てる。で、相克が⋯⋯水が、火に強い、金に強いのは⋯⋯なんで火なの」
「さっきから難しい顔をして、何とにらめっこしているんだ」
ずしり、といきなり頭に重みが加わり、優樹は手から落としそうになった紙を慌ててつかみなおした。
「痛いです、どいてください」
「これくらいで、軟弱なやつだな」
訴えかけるように見上げれば、からかうような口ぶりをしながらも与一は素直に腕をどけてくれた。
「ときどきその紙の束を見ているが、何が書いてあるんだ。⋯⋯やたら
女手⋯⋯? 疑問に思いつつ、優樹は視線を紙に落とす。
「景時さんから陰陽術の基礎についてときどき教えてもらっているので、それについての覚え書きみたいなものです」
「と、いうことは⋯⋯これは優樹殿の筆、か。⋯⋯。⋯⋯丁寧で愛嬌のある良い字じゃないか」
ぐっと優樹はうつむいた。
勢いで紙をぐしゃぐしゃにしなかったのは我ながらほめたい。
いけないいけない、紙は貴重なんだから。
これだって景時さんが
それにしても、と横目で与一を見る。
⋯⋯十郎さんと同じ反応をされたっ。
わかっている! 安定感のないふわふわのたくったような字になっているのは自覚している!
利き腕は肩を怪我してるから! とか筆は慣れていないから! とか自分をなぐさめるための言い訳なら何千回と頭の中でしてきた。
ほめるところがないなら触れないでくれ!
なんで十郎さんも与一さんもわざわざ筆跡に対して意見を言ってくるんだ!
「⋯⋯自分でも下手な字なことは自覚してますよ」
「誰もそんなこと言っていないだろう。勝手に卑屈になるな。手習いができるだけでも大したことだ。譲といい、なんで褒められて勝手にへこむんだ。自分をけなして良いことなんて一つもないぞ」
濡れ縁に腰掛けている優樹の隣に座ると、与一は紙をのぞき込んできた。
距離の近さに、優樹は知れずどきりとした。
最近、前よりも距離が近い気がするのは気のせいだろうか。
「
「あの⋯⋯男手と女手ってなんですか?」
古文か何かの授業で聞いたことがある気もするが、思い出せない。
「ほら、男手に、女手だ」
与一が指で示したものに、ああ、となんとなく推測する。
男手は漢字のことで、女手はひらがなのことか。
「私からすると、漢字⋯⋯男手だらけの方が読みづらいです⋯⋯達筆な字だったらなんとなくはわかりますけど、文の読み方とか中身はよくわからないですし」
「そうか? まあ仕事で携わるようになれば嫌でも慣れていくさ」
ふいに、優樹は与一の胸元が膨らんでいるのに目がいった。
「与一さん、懐に何か入れているんですか?」
「ああ、これか?」
おもむろに取り出されたものは、手のひらに収まるくらいの木製でできた何かであった。
「これは鹿笛と言って狩りに使う道具だ。雌鹿に求愛する雄鹿の鳴き声をまねして、鹿をおびき寄せるために使うものさ」
「どんな音なんですか? 鹿の鳴き声って聞いたことないです」
「本当か? そうだな⋯⋯さすがに邸の中で吹いては迷惑だろうから。⋯⋯よし、今度一緒に外に行くか。そこで聞かせてやる」
後日与一に導かれ人の気配の薄い山近くまで来ると、与一は懐から鹿笛を取り出した。
「こんなところで良いか」
持ち方も少し見慣れないな、と思いながら優樹は与一の唇にあてがわれる笛を見つめた。
鳴り響く音に、優樹は目を見張る。
「どうだ?」
「⋯⋯なんていうか、思っていたのと違います」
「なんだそれは。一体どんな音を想像していたんだ」
「鹿ってもっと物静かな印象だったんですけど、けっこう大きい声で鳴くんだなあって」
笛、というからもっと可愛らしい音を想像していたが、先ほど与一が吹いた音はまるでサイレンのような音であった。
「それは、つがいを求めるのに小さい声を出していては、見つかるものも見つからないだろうさ。⋯⋯なんていうのは、私の勝手な想像だけどな」
優樹はふたたび先ほどの鹿笛の音を思い出した。
そういえば、鹿の鳴き声に関する和歌があった気がする。
学校で覚えるようにと小テストを繰り返された百人一首の中に。
「⋯⋯奥山に、紅葉踏み分け鳴く鹿の、声聞くときぞ、秋はかなしき⋯⋯」
「なんだ、優樹殿は歌の素養もあったのか。私はそういったものには縁遠いから、そのようにすらすらと歌を紡げるのはうらやましいな」
「いえ、これは⋯⋯人が歌ったものを覚えていただけです。私も自分ではつくることができませんよ」
「それでもその時分にあった歌を引き出せるのは、才だろう。一体どういう意味なんだ」
「えっと⋯⋯奥まった深い山の中で、紅葉を踏み分けて鳴く鹿の声が聞こえる。冬の近づく深まる秋を感じてものがなしい気持ちになるなあ⋯⋯というのがざっくりとした意味で。雌鹿を求めて鳴く雄鹿の姿に、遠くにいる妻や恋人を求める姿、恋い焦がれる姿を重ねている⋯⋯という歌だったと思います。くわしい歌の技巧とかはわかりませんが」
「そうか、なかなか味わい深い歌だな。⋯⋯つがいを求めて一人さまようのは、心細いことだろう」
ふと伏せられた与一の瞳は、いつもよりも感傷に浸っているようであった。
優樹は目の前に枝垂れる葉に手を寄せた。
「紅葉もすっかり色づきましたね。いや、これ⋯⋯楓なのかな。前に紅葉と楓の見分け方を調べた気もするんですけど⋯⋯忘れてしまいました。いつも紅葉だったかな、楓だったかな、って見るたびに考えてしまって」
「──楓だよ、それは⋯⋯楓だ」
与一は、優樹の方は見ないで地面をじっと見つめていた。
「⋯⋯葉が大きくて切れ込みが浅いだろう」
「あ、じゃあ、あっちの小さくて切れ込みが深いのが紅葉ですね」
優樹が視線をやっても、与一は目を伏せたままどこか物思いに沈んでいるようであった。
「与一さん⋯⋯?」
「⋯⋯そろそろ帰るか、日が暮れてもいけないからな」
帰路での与一はいつも通りの彼に戻っているように見えた。
けれど、あまり優樹の方を見ようとしないように思えたのは、気のせいだったのだろうか。