第十一章 兵法談話と嫉妬の芽生え
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体もいくぶん元気になり、ひさかたぶりに譲とともに那須党の皆のもとへ訪れると、以前よりも心砕けたように接してくれるようで優樹は顔をほころばせた。
七郎はといえば、あからさまにそわそわと目を泳がせていたが、なんとか弁慶との関係は誤解だと伝えると──伝わりきったかはわからないが──すっきりしたように笑い声を上げた。
「そうかそうか! とにかく無事でよかった! 優樹殿が寝込んでいる間、与一は雨に打たれた子犬のようにひしゃげこんでいたからな! 元気になってくれて何よりだ!」
「⋯⋯おい、やめろ七郎。余計なことを言うな」
らしくなく動揺した様子の与一に、優樹は気まずく目を泳がせた。
『与一さんは大切な人ですから』
『⋯⋯その、優樹、殿も⋯⋯私にとってかけがえのない、大切な存在だ』
思い出しかけた胸のうずきを、なんとか鎮めようとする。
顔を上げると、なぜか那須党の面々が生温かい視線と微笑みをこちらに向けていた。
⋯⋯いや、なんでみんな微妙に距離とってるの。
「優樹殿」
一歩進み出てきた人物に目をやる。
「ありがとう。あなたの働きのおかげで、我々は皆無事でいられた。なにより与一の背を守ってくれた。与一は私にとっては年の近い弟だからね。本当に感謝してもしきれないよ。怪我も早く良くなるといいね」
与一の兄、十郎であった。
あまり表に出てこない人物なので、言葉を交わしたのはほとんど初めてかもしれない。
「いえ⋯⋯そんな⋯⋯大切な人を守れたのなら、この怪我を受けたこともよかったです」
那須党のみんな、お兄さんの十郎さんにとって大切な人を守れてよかった。
怪我のこともこれ以上与一に気に病んでほしくない、との思いもあって笑顔で告げる。
が、優樹が言葉を落とした瞬間、さざ波のようにざわめきが広がるのを感じた。
え、なに、何⋯⋯? と目を泳がせていると、居心地悪そうにしている与一の姿が目についた。
そして七郎さん、なんで乙女みたいに両手で口元を押さえて目をきらきらさせてこっちを見ているんだ。
ほかの那須党の人々もなんで乙女みたいに──!
『──大切な人を守れたのなら、この怪我を受けたこともよかったです』
⋯⋯。⋯⋯⋯⋯。
「あ、あのっ⋯⋯皆さんにとって! 大切な人を守れて本当に光栄です!」
皆さんにとって、という部分を強調する。
私またやってしまった? いや、大丈夫だよな!
いまちゃんと言い直したから大丈夫だよね!?
顔を赤らめてあたふたとする優樹に向けられる視線が、いっそう生温かくなったことに、気づかなかったのは当人ばかりか。
優樹は、那須党の面々が鍛錬している様子をぼんやりと見つめていた。
自分も怪我を負う前だったら、鍛錬に費やしていた時間だ。
体そのものを動かすには支障がなくなったものの、まだ利き腕を動かすには心許ない。
肩周りも、あまり大きく動かせば引きつるような痛みがあった。
「どうして、あれだけで戦いが終わったんだろう⋯⋯」
三草山の戦いのことを思い出す。
自分が知っている史実では、三草山の戦いで源氏は圧勝し、その流れで一の谷の戦いになだれ込み、福原から平家を追い出していたはずだ。
優樹は元いた世界の部活の顧問を思い出す。
彼は歴史オタクで、ちょうどその頃大河ドラマで義経が主役だったこともあって、よく部活の合間に源平合戦のことを聞かせてくれたのだ。
教科書には載らないような雑話を色々まじえて話してくれたから、おもしろくて記憶に残っていた。
こちらでの三草山の戦いにおいては、平家の本陣があったと思われた場所は陣だけが敷かれてもぬけの殻だったらしい。
敵の本当の陣を偵察隊によって見つけたものの、先方部隊は火矢を使った攻撃を受け、多少の被害が出たという。
平家を京に近づけないという目的は果たしたものの、源氏側の兵力に被害が出たためにそれより先の侵攻はしなかったということか。
「怨霊もいるから、私たちの知っている歴史通りにはいかないってことかな⋯⋯」
史実通りに進むなら、少しは安心できると思ったのだが。
思わずため息が出る。
体が動かせない分、余計に頭が働くようであった。
考えたくなくても、色々なことを考えてしまう。
──もし今から振り返って、戦のおおよその流れを知った上で戦略を立てたなら、自分の知っている史実に近い動きをしたのだろうか。
三草山のあの怨霊の襲撃や、偽の陣、山頂付近での火攻めを予想できたとしたら?
「なにやら、難しい顔をしているね」
急に声をかけられ、はっと顔を上げる。
見れば、汗ばんで上気した肌の十郎が淡く微笑みかけていた。
「日陰になっているとはいえ、ここも暑いでしょう。邸の中に入ってもらってもかまわないからね」
言うが早いか、十郎は優樹から少し離れた場所に座り、近くに置いてあった書を手に取り読み始めた。
稽古が一段落ついたのだろう。彼はよく稽古の合間に書を読んでいた。
他の那須党の人々と違って、彼は一人都人に近い雰囲気をまとっていた。
優樹の世界でいうなら、文学青年といったところか。
この時代、紙は貴重だ。書物だってそんなにあふれたものではない。
彼は本を大切そうにいつもじっくりと読んでいた。
そんな姿に、弁慶を重ねる。
彼の部屋をたずねたとき、書物やらなにやらでごった返していたのを思い出す。
「あの、十郎さん」
まさか優樹から話しかけられると思っていなかったのか、十郎はわずかに目を見開いた。
「書を読むのが好きなんですか」
「ええ、幼い頃からよく⋯⋯あまり武人らしくないでしょう?」
微笑みを落とす姿は、女人のような艶っぽさがあった。
「その、兵法⋯⋯戦の仕方、戦略について、何か知っていませんか?」
「兵法、かい?」
優樹は目を伏せた。
もし、三草山の戦いについて、敵の動向すべてを先に知っていたなら、どう戦略を立てていたら勝てたのだろう。
平家の京侵攻を防ぐだけでなく、さらに攻め入って平家を福原から追い払うことができたのではないだろうか。
⋯⋯なんていうのは、妄想がすぎるか?
本来、こういうことを考えるのは弁慶が得意なはずだ。
だが、彼はいま京にいない。
弁慶だけではない。優樹以外の仲間たちは皆、六条の邸にも景時の邸にもいないのだ。
衛士や使用人たちが残っているだけである。
三草山の戦いの後、九郎には鎌倉殿──腹違いの兄である頼朝から書状が届いたのだ。
熊野──優樹たちの世界でいう和歌山、三重にいる水軍。その協力を得るために尽力せよ。
そんな命を受け、九郎たちは皆、ひそかに熊野へと向かっていた。
当然のように自分もついていくつもりだった──が、周りに止められてしまった。
特に弁慶には怖い顔で制止された。
肩の傷はもう治り始めているとはいえ、万全ではない。
無理をすれば、支障が出るかもしれない。
刀も振るえないのだ。
怨霊が出るかもしれない道中で一緒にいても、足手まといになる。
それに、療養している間に体力がかなり落ちてもいた。
色々な理由から、優樹は一人梶原邸で留守をすることになったのだ。
そんな優樹の元には、時折七郎がやってきては那須党の皆がいる借り屋へと誘ってくれた。
どうも三草山の戦いで牛形の怨霊から助けたことで、彼の中では強い仲間意識が芽生えたようであった。
⋯⋯あと、ときどき生温かい視線が向けられることも増えた気がするが、気のせいだろうか。
一緒に稽古には参加できないものの、誰かに気にかけてもらい共に過ごせることは心安らぐものだった。
「あまり戦に関する書は読んだことはないけれど⋯⋯少しばかりは学んだことがあるよ。教えられることがあれば、力になろう」
十郎の返事に優樹は笑みをこぼした。
「それじゃあ──」
与一は汗を拭い、視線を走らせた。
濡れ縁の方では、優樹と兄の十郎が顔をつき合わせてなにやら話し込んでいた。
再び矢を構え、弦を引き絞っていく。
放たれた矢は──的の中心より大きく外れていた。