SSたち!
「はあ?!やだよ。他あたってくれ」
頬を揺らす風が秋の香りを帯びてきた今日この頃。
4限を終えて帰宅しようと荷物をまとめていた俺は、友人から唐突にある提案を受け…それをスパッと断った。すると提案主のこいつ、向田美輝は不満げな声をあげる。
「え~!なんでよう 他なんかいないよお、凛ちゃん~」
「おい…学祭ひましてる奴なんかゴロゴロいんだろ」
何をこいつが提案してきたかというと「今度の学祭で女装コンテストに出場してほしい」、である。この催しは慣例的に毎年行われているもので「MISSミスコンテスト」と命名されている。通称ミスミス。美男美女を選出するミスコン、ミスターコンと並んで皆が楽しみにしているステージイベントの目玉のひとつと言えるものなのだそうだ。
俺は別に催し自体に文句があるわけでも気に入らないわけでもない。それに、学祭のお祭りっぽい雰囲気とか、そういうものはどちらかといえば好きだ。けど、何が楽しくて女装なんかしてステージに立たなくちゃいけないんだよとは思う。まあそういうのやりたいタイプの奴もいるんだろうから、そういう人を当たってほしいんだが。
「ゴロゴロって…そりゃいるかもしれないけど、その中にこんな可愛い子がいるとお思いで?凛ちゃんしかいないじゃない!」
俺の断りの返答を受けてなぜか更に勢いを増して説得にかかってきた美輝を、可愛くねえよ、何言ってんだと少し睨む。
「別に俺じゃなくていいだろ。てか、逆に考えればもっとがっつり男っぽい奴がやった方がいいんじゃねえか?企画趣旨的に」
自分で言うのもあれだが、俺はどちらかといえば男らしい見た目とは言えないタイプだ。背もそこまで無ければ、筋肉質というわけでもない。ミスミスに詳しいわけじゃないけど、そういう…背の高い奴とかゴツゴツな奴とかが女装してる方が観客にウケるんじゃねえかと思う。エンターテイメント的に?
「あのねえ、凛ちゃん。私は可愛い恰好した凛ちゃんが見たいんだよ…」
両手と両肩をわなわなと震わせながら美輝は言う。呆れた…、コイツ、学祭に乗じて好きな事しようとしてるだけじゃねえか…。補足しておくと、美輝は普段、読者モデル?とかもするほどファッションに詳しいというかオシャレが好きなんだよな。好きなのはいいと思うというか大いに結構なんだが、俺を巻き込むのはやめてほしい。
「もうそれ学祭関係ねえだろ…とにかく、俺はやんない」
もう一度きっぱりと言い放ち、じゃあなとその場を去ろうとした俺に、美輝は「しょうがないな~、切り札を使うか…」とか言ったかと思うと、鞄から1枚の紙切れを取り出し、俺の前に突き付けるようにして、ウインクをひとつ。
「凛ちゃん…、これあげるっていったら?」
「あ?…え、これ…」
紙に印刷された文字を目で追う。その横に長い紙切れは、とある演奏会の入場券だった。1か月後、都心のホールで行われるピアノリサイタル。数年前頃から名が知れ渡りはじめた若い演奏家ながら、その力強く軽快な、絶妙な演奏が多くの観客を魅了し、今波に乗っている若手ピアニスト…その待望のソロリサイタルなのである。…俺が今、喉から手が出る程欲しい代物だ。
「うふふ…凛ちゃんがすごく行きたがってた演奏会のチケットだよ♪」
俺の目には黄金のようにキラキラと輝いて映るそのチケットを、嬉しそうにひらひらと振りながら美輝は満面の笑みだ。俺はといえば、腹の底あたりから湧き上がる高揚感のようなものに心が落ち着かない。
「おま…、どこで!?なんで、これ…」
「実は、お友達づたいでたまたまね。本当は普通に凛ちゃんに売ってあげようかと思ってたんだけど…」
「普通に買うから売ってくれ!」
「だめだよお~、やってくれたらタダであげる♪」
「こいつ~…」
「ね、どう?悪い話じゃないでしょ~?」
「くっそ………」
美輝の涼しい顔も相まってかなり癪に障るんだが、それでもこの公演、俺は本当に行きたい。慎重に天秤にかけているような冷静さが俺に残ってるはずもなく、乱暴に検討しちまった結果…
「…で、引き受けちゃったんだ?」
…というわけだ。
カフェ「Andante」でアルバイト仲間である橘みのりと並んで食器を拭きながら、俺は事の顛末を話した。
「はあ…、マジで気が重い。けどどうしても行きたいやつだったんだよ…」
レジの点検をしていた麻里奈さんが、鍵をくるくると回しながら戻ってくる。
「けど、本当にいい話ではあるわよね。タダでくれるなんて」
「金払うほうが何倍もマシだったよ…」
なんか思い出したらまたやりたくなさがこみ上げてきた。そんな俺をよそに、麻里奈さんは意外そうな顔をしてこっちを見る。
「そんなに女装したくないの?凛ちゃん」
「別に着るだけならいいけど、それで人前に出んのはなあ…」
そうなんだよな。実は、ぶっちゃけ普段からレディースを着ることも無くはない。サイズの問題とか、デザイン的に気に入ったものがあれば特に気にせず買っているし、姉ちゃんに貰うことも少なくない。ただ、いかにも女子ものですよ、っていう衣裳を見せ物として着るのは訳が違う。それはさすがに…なんというか、気恥ずかしい。
「いいじゃんいいじゃん!凛ちゃんピアノ弾けるんでしょ?1曲ついでに弾いたら?」
そういや人前でピアノを弾くのなんか随分無かったな、とふと思った。久しぶりにそういうのもいいかも、と一瞬考えて、けど女装してそこに立つんだったなと思ったらやっぱりやりたくなさがやばい。
「あー…いや、普通に嫌だわ」
気が重い俺の隣で、みのりはどこまでも能天気だった。
「凛ちゃんなら何着ても可愛いだろうな~たのしみ楽しみ♪」
「いや、お前は見ねえだろ…」
みのりと俺は別の大学に通っている。生活圏も被っていないようで、バイト先以外の場所で会ったことは一度もない。
「えー!見に行きたい」
「絶対来んな!!!」
俺の全力の制止だったのだが、なおも食い下がらないみのりは、なんでよ、と頬を膨らませながら俺ににじり寄る。
「写真ないの~?もう衣装合わせしたんでしょ?」
「無い」
「ある顔じゃんそれ…!みせて~!」
「無えって!」
カランカラーン。
備え付けられた鐘を軽快に鳴らして、カフェ入り口のドアが開いた。みんなの視線が一点に集まる中、遠慮がちに顔を覗かせたのは奏だった。
「えっと…こんにちは?」
なにこの注目…と、奏は若干困惑ぎみの表情。俺は正直助かったけど。
「いらっしゃ~い、かなでくん」
一瞬にして固まったカフェ内の空気をかき消すかのように、麻里奈さんの良く通る、それでいて優しい声が響く。麻里奈さんがウインクを飛ばしてくれたことで、俺も我に返った。
「ああ…、奏、お疲れ。好きなとこどーぞ?」
「ありがとう」
俺の顔を見て、奏はにこりと穏やかに微笑む。この感じが女子にウケたりするんだろうな…多分。ほら、もうみのりが駆け寄ってきてる音がしてる。
「やっほー!奏くん♪今ね、凛ちゃんの…」
コイツ…!本当におしゃべりだな。学祭で女装するなんて話、奏にはなんとなく聞かせたくない。
「あ~~~なんでもねえぞ、奏。ホワイトモカ?」
「え?う、うん…」
「ぶー、割り込まないでよ、凛ちゃん」
割り込まなかったら余計なこと言うだろうが。…と喉まで出かかっていたが、言ったら言ったでまた余計なことになりそうだなと思い直して腹にしまう。一方、マジで能天気なみのりは嬉しそうに手書きのメニューを奏の前に掲げる。
「あ、ねえねえ、今日から限定メニューがあるんだけど、奏くんよかったらどう~?じゃーん!かぼちゃのタルト~!この時期っぽいでしょ?」
そのボードを受け取って、奏は一瞬にして目を輝かせた。こいつは結構な甘党で、ここへ来ても基本的にかなり甘いものばかりを食べてる。だから麻里奈さんもみのりも、多分都も、最近じゃあ新作が出るたびに奏に勧めてみたりしているのだ。もちろん俺も。
「え、美味しそう…!じゃあそれもお願いします」
「はーい♪まりなさーん!」
「はいはい、聞こえてたよ~ちょっと待っててね、奏くん」
「あ、はーい」
麻里奈さんにその場で返事をして、奏は嬉しそうに椅子に座り直す。適当に奏に一言声をかけたらその場を離れようと思ったが、なぜか動こうとしないみのりを不審に思い、俺もこの場に留まる。
「……えっと?」
俺とみのりが二人して立ち尽くしているこの謎の状況に、奏は困ったような顔で首を傾げた。俺の気持ちを代弁してくれてありがとな。ちらりとみのりを見ると、満面の笑顔がそこにはあった。
「ねえ聞いてよ奏くん、凛ちゃんねー、」
ああやっぱり!もう絶対言い出すだろうと思った。俺はみのりの腕を掴んで奏の机から引き剥がす。
「みのり!ほら、戻るぞ。仕事しろ」
「え~!奏くんにも教えてあげなよ~」
「無理!ほら、いくぞ。奏、騒がしくして悪いな、ゆっくりしてってくれ」
「う、うん…」
「も~、凛ちゃん~~!」
なにもわからない、みたいな心底不思議そうな顔でこちらを見ている奏には悪いけど、みのりはもう強制退場させるしか道がない。こいつは自由にしすぎた。ていうかこうなってしまったみのりは多少強引でも物理的に何とかするしかねえんだ。
なおもぶーぶーと文句を垂れてるみのりを引っ張って、俺はキッチンに戻った。
* * * * *
「奏、おまたせ」
キッチンの方に引っ込んで暫く。凛ちゃんがホワイトモカとタルトを持って来てくれた。
「ありがとう。わ、おいしそう~!」
「秋の新作。超うまいよ」
さっきまでのなにやら様子のおかしい凛ちゃんとみのりちゃんは若干気になったけど、すっかりいつも通りの凛ちゃんは俺に笑いかけてくれる。
「凛ちゃん、もう食べたんだ」
「うん、試食さしてくれた」
この上に乗ってる飾りが特にうまくて、と凛ちゃんが話しはじめたところで、キッチンの方に居る麻里奈さんから声がかかる。
「凛ちゃーん!ちょっとこっちおねがーい」
…最近、凛ちゃんはすっかりこのカフェの中でも凛ちゃんと呼ばれるのが主流になった。俺が凛ちゃんって呼んだせい?…そうだとしたらちょっと悪いことしたかなと思ったりするけど、凛ちゃんは全く気にする様子も無い。
「あ、はーい!んじゃ、ごゆっくり」
「うん、ありがとう…!」
小走りに離れていく凛ちゃんの背中を見送って、俺はゆっくりと息を吐く。はあ、今日も可愛い…。段々慣れてきているとはいえ、やっぱり至近距離で見ると本当にキレイで…溜息が出るほどに可愛い。今日も凛ちゃんを拝めることに感謝しつつ、気を取り直してタルトを一口。
「~~!ほんとにおいしい~!」
思わず口に出てしまうほどに…、広がる甘さが俺を幸せな気持ちにしてくれた。可愛い凛ちゃんに会えて、こんなにおいしい甘い物を食べられる、このカフェはもしや、天国みたいなものなのでは…。
「でしょでしょ!?私もお気に入り♪」
突然背後から聞こえた声に、思わず、うわ、と口から出てしまう。驚いて振り返ると、笑顔のみのりちゃんがそこに立っていた。
「わ、あ…えと、どうも…」
「急によそよそしくしなくても…凛ちゃんみたいにお友達だと思ってくれていいのに~」
「あはは、ありがとう…」
凛ちゃんも前に言ってたけど、みのりちゃんって本当に社交的だなあ。俺は頭の隅に朝井のことを思い出す。もしかして、世の中にはそういう感じの人が、俺の思っているよりたくさん存在しているのかもしれない。
「…ねえねえ、さっきの話なんだけど」
突然ボリュームが抑えめになったみのりちゃんが、少し近づいて囁く。何事かと思い、俺も同じように声を抑える。
「さっきの話?」
「そうそう、あのね、今度凛ちゃん、六ノ宮の学祭で女装するんだって~!」
「えっ…え!?」
じょ…何?!俺は耳を疑う。というか、いや、頭を疑った方がいいの!?俺の混乱具合をどう取ったのか、みのりちゃんも興奮気味に身を乗り出す。
「絶対可愛いよね!?私もみたいってずっといってるのに写真みせてくれなくてさ~」
「しゃ、写真があるの…!?」
なんだそれ欲しい。欲しすぎる。いや、もらえはしないだろうけどせめて見せて欲しい。目に焼き付けるから…
「凛ちゃんは無いって言ってたけど、あれは持ってる顔だね…奏くんも見たいでしょ!?」
「み…見たい…すごく見たい…」
「おお…ねえねえ、奏くんお願いしてみてよ!」
ん?え…?なんかわからないけどみのりちゃんが瞳を輝かせて俺を見てる…!いやいや、俺だってお願いして見せてもらえるもんなら見たい気持ちは山々なんだけど、凛ちゃんがああいう感じの時って絶対譲ってくれないと思わない?俺はそう思う…。
「た、多分俺がお願いしてもみせてくれないと思うよ…?」
「え~そうなの?ていうか奏くんって…」
「み~の~り~~…!!」
「あ。凛ちゃん♪」
みのりちゃんが更に何かを言おうとして、でも背後から迫ってきた凛ちゃんによってそれが中断された。みのりちゃんは凛ちゃんをみて、なぜか嬉しそうな顔。ていうか、満面の笑みだ。この図太いところといい、本当に朝井にそっくりだよこの子は…。
「話しただろお前…!!余計なことを…!!」
対して、凛ちゃんは怖い顔(といっても、元が可愛すぎるのでなんかカワイイ)でみのりちゃんに迫り、小さくデコピンをした。
「だって~奏くんだけ知らないなんてかわいそうじゃん」
「知らなくていいことなんだよ全然可哀想じゃねえ!」
「ていうか奏くんも写真見たいって言ってるよ?見せてよ!」
「言ってんのはお前だけだろうが…!!」
「そんなことないもん、ね、奏くん?」
急に話の矛先を向けられてびっくりしたけど、さすがにここで見たくないといったら真っ赤な噓すぎる。笑顔のみのりちゃんと怒り顔の凛ちゃんに見つめられて、どうしたもんかと思っていたら、みのりちゃんがバチンとひとつウインクをした。…もう、言うしかないよね…。
「え、あ…凛ちゃんごめん、俺も見たい」
「ちょ…奏!」
何言ってんだよお前!と凛ちゃんが詰め寄って来てるけどドキドキするからあんまり顔を近づけないで…。凛ちゃん、本当に自分が可愛いっていう自覚が全然無いんだろうな…。
「ほらほら~奏くんもこう言ってることだし」
こんな雑なかじ取りで、なのになんかみのりちゃんがちょっと押してきてる感じなのが、どうしてそうなったのか全く分からないけどさすがだなと思う。そういう才能があるんだろう…。ちょっとたじたじな感じになってしまった凛ちゃんが、それでもみのりちゃんを振り払いながら抵抗している。
「嫌だよ、無理!てか写真は無いって言ってるだろ」
「むー。じゃあ一緒に見にいこっか♪奏くん」
「おい…」
何とかしろコイツを、という視線を凛ちゃんからヒシヒシと感じる。俺は何て発言するのが正解なんだろう…。けど正直俺も無茶苦茶見に行きたい。
「ろ、六ノ宮の学祭っていつなの?」
「来週末でしょ?奏くん暇?」
俺は鞄から手帳を取り出して予定を確認する。俺の予定って正直バイトと学校くらいしか無いし、来週末も予定はすっからかんだった。
「い、いけそう…!」
俺の言葉を聞いてみのりちゃんが文字通り飛び跳ねて喜んだ。凛ちゃんは両手を握られて、もはやされるがままだ。
「やったー♪私六ノ宮って初めて行く~!楽しみだな~♪」
「っておい…!勝手に話を進めるな…!!」
「だいじょーぶ、凛ちゃんもステージが終わったら一緒に回ろ♪」
「誰もそんな話はしてねえんだよ…!」
行くと決まってしまうと、途端にすごく楽しみになってきた。俺もすごくワクワクしている。
「凛ちゃん、楽しみにしてるね」
「奏まで…!!ったく…」
凛ちゃんは大きく溜息をついて、そしてついにあきらめたようだった。そんなわけで、俺はみのりちゃんと一緒に、凛ちゃんの通う六ノ宮大学に足を踏み入れることになったのである…、それも、凛ちゃんの女装姿を見るために…。