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小話

杯に注がれた酒はとぷりと波を作り水面に映った月を歪ませた。
辺りにはつんとした酒の臭いが漂っている。けして上物ではないが、適度に酔うには十分な代物だと武蔵は感じた。

「酒を煽っても、やっぱり寒いものは寒いなあ」

真正面で不貞腐れる小次郎の耳は寒さからか酔いからか分からないが真っ赤だ。
こぼれる吐息は酒臭いし、薄紫色の化粧の施された目元はとろんとしてなんだかしばしばしている。二の腕をさする腕の動きもどこか緩慢としていておぼつかない。
珍しい事に、非常に珍しい事に泥酔しているようだった。




簡素な宿で一部屋借りて修行の疲れを休めようと個室に向かう途中、嬉々とした声が己の名を呼ぶのを聞いて武蔵は振り返った。
目の前にはどこかで買ったらしい酒をぶら下げてにこにこと笑っている小次郎の姿。一瞬身体が強張ったが小次郎は斬り合う気ははじめからないらしく機嫌良さげに宿屋の娘に勘定を払っていた。

「寒いから一緒に泊まろう」

これ、手土産だよとぶら下げていた酒を手渡し答えを聞く間も無く武蔵の借りた部屋へと入っていった。
なるほど、先程の勘定は俺の宿賃の上乗せ分か。
どうせ文句を言ったところで退く気は無いのだろう。武蔵は仕方なくすごすごと小次郎の後に続くのだった。



別段積もる話もあるわけではなかったが、空気の冷たさと風情ある満月が助長して思ったよりも和やかに酒は進んでいった。
お互いそこそこに酔いも回ってくると会話は流暢になり話も弾んでくる。時おり目がかちりと合う度に吹き出すように笑ったりもした。

話してみると案外良い奴なんだなとふわふわした思考で武蔵は考える。ぼんやりしていると小次郎が茶化すように杯が空なのを指摘してきたので二人の杯に酒を注いで一気に飲み干した。




そんなこんなで場面は冒頭に戻る。
考えてみればそこそこの量があった酒も今は武蔵のを1杯残すのみだ。気づかない内に随分と暴飲してしまっていたらしい。

「おい、大丈夫かよ?」

「ふふふふ……心配ご無用さ」

「ほんとかよ……」

口調だけはいつもと別段変わらないが、白い仮面に縁取られた笑みに余裕が無い。真っ赤な羽織を脱いで動きやすい着流し姿に着替えている小次郎は、普段よりも何故かずっと危うく見えた。

空になった容器を端に追いやって、武蔵は残りの酒をぐいと煽る。月も随分高く上がった。そろそろこの宴もお開きの時間だ。
なにより先程から小次郎が寒い寒いとごちている。風邪を引かれる前にさっさと布団に入れた方が良さそうだ。


「小次郎、寒ぃんならもう布団に入った方がいいぜ」

「やだよ、布団冷たいもの」

「入ってれば暖まってくるだろ」

「これ以上冷たくなったら堪えられないよ」

「それくらい我慢しろよ」

「武蔵、」


す、と布団に座る武蔵の腕に火照った指先が触れた。
ぞくりと身体のなかの何かが首をもたげるのを感じて武蔵は熱っぽい瞳を藤色の瞳とかち合わせる。

「一緒に寝よう」

それが何を意味するのか分からないほど、武蔵は暗愚では無い。

馬鹿野郎と誘いをはね除けても良いはずだったが、首をもたげた何かがそれを許さなかった。
頭が回らない。小次郎にばかり目を向けていたが武蔵自身もそれなりに酔いが回ってきている。
流れるようにしなだれかかる身体は熱く、自分ごと溶けてしまうかのような錯覚に陥る。
いっそこのまま身を任せてしまおうか。


「……後悔すんなよ」

「くすっ……いいよ、一緒にあったまろう?」

月明かりに照らされて、布団に投げ出された四肢が嫌に官能的に映る。
それもこれも全て酒が悪いのだ。
この人肌の恋しくなる冷たさも、妖しい色の満月も全て悪い。

理不尽な文句も程々に、思考は酒の残り香と共に溶けて行き赴くまま情欲の海におぼれていった。





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斬り合う事以外でも武蔵に依存してるといい
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