短編
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「百之助くんこれからうちでクッキー食べない? お母さんがたくさん作ってくれるって言ってたんだ! 」
「この缶かわいくてとっといたやつなんだ。百之助くんもお母さんと一緒にクッキー食べてほしいからあげる」
「今日はトメさんと一緒に食べるでしょ。だから今回はコンビニであんまん買って食べようよ」
「近くにケーキ屋さん出来たでしょ? あそこの美味しかったから今回はケーキにしようよ」
「昨日の夜プリン作っといたんだ。大学終わったらご飯のあと一緒に食べよ」
「ホテルのアフタヌーンティーとか今回奮発してるじゃん。社会人になったからお金にも余裕があるね」
「ごめんね百、結婚することになったからもう食事会できないんだ。毎日してたご飯の報告もダメだって。本当にごめんね」
はっと目が覚めれば風邪を引いたときの☆☆の姿、☆☆が眠りやすいように目元を覆っていた俺の右手は、今度は☆☆の手を握っている。
☆☆が眠りについてから電気を消して、ベッドに上半身を預けて眠っていたようだ。懐かしい良い夢を見ていたと思ったらなんという悪夢を見せてくれたもんだか。
「お前が嫌な夢見ない代わりに俺が見ちまったじゃねえか。どうしてくれるんだ」
つんつんと頬を軽く押す。暗くなってきたからか少し体温が上がっているようにも感じる。少し寒くなってきたが暖房入れたほうがいいか? しかし、あんまり室内温度上げるのもなと考えていると、寒くて身震いした。とりあえずスーツのままじゃ窮屈だし着替えるか。
自分の部屋で着替えるため握っていた手を離して身支度していると、布団のこすれる音が聞こえる。起きたのかと視線を向けてみれば、さっきまで握っていた左手が、まるで俺を探すように布団の上を滑っている。
「いなくなってほしくないなら、ちゃんと捕まえといてくれよ」
ベッドの壁側に置いてあるクマのぬいぐるみを代わりに抱かせる。コイツは大学のときに☆☆とディズニーシーに行ったときに買ったものだ。クリスマスの時期に行きたいと言われ、カップルばかりのなか紛れて行ってきた。そのときからコイツの定位置はベッドの上になっている。
荷物を持って☆☆の部屋を出る。少しの間とはいえ何かあっては困るので、鍵を閉めて自分の部屋のドアを開ける。こう何年も行き来していると、家というより部屋という感覚のほうが強くなった。どちらも二人の部屋みたいなものだ。
会社の帰りにスーパーで食材を買うついでに、店内に入っているパン屋でサンドイッチとあんパンも買っておいた。部屋に置いておいた缶コーヒーでそれらを流し込む。歯を磨いてしまえばあとは風呂に入って寝るだけなので、スウェットと上着に着替える。これで支度は終わった。
☆☆の部屋に戻る前に引き出しにしまってある二つの缶を開ける。一つは初めて☆☆に誘われて行った家で、母さんにもと持たせてくれた直径20cm高さ5cmくらいの丸い缶。少し緑がかった水色に、白やゴールド、ピンクで鳥や花などが描かれている。☆☆の母さんがチョコチップとバター、真ん中に苺のジャムが乗ったものの3種類も作ってくれていて、小学3年生のガキだった俺はたくさんの焼きたてのクッキーを見て心が弾んだ。
その日はもしよかったらと誘われるままに晩ご飯をご馳走になった。それから俺と☆☆の関係は続いているわけだ。そこらの馬の骨とはわけが違う。
もう一つはホテルのアフタヌーンティーを奢った年のバレンタインにもらったゴールドの文字と装飾が描かれた長方形の赤い缶。水色のより少し大きい。
食事会は、「おごり奢られ割り勘も」とその時々で変わる。どちらが多く奢ったことがあるなんてことも関係ないし、カウントもしていない。ただそのときのノリで決まる。
俺が社会人一年目で少し奮発したらあいつも奮発してきただけだ。そういえば、今使っている黒い陶器製のネクタイピンもこのときにもらったものだ。
この二つの缶に何を入れているのかといえば、丸缶にはお揃いとしてもらったものや、プレゼントでもらった小物がしまってある。長方形のは☆☆が大学生2年生のときに樹脂粘土で作り始めた5cmほどのミニチュアスイーツたちだ。
毎年二つ、誕生日に食べた甘いものが制作され、それを保管している。在学中にその当時撮った写真を参考に、過去に食べたものも作られた。俺は大事にしまっているが、あいつは棚を用意して飾っている。
俺にとって☆☆との思い出は宝物だ。誕生日だけでなく、毎日のちょっとしたことでも俺にとってはかけがえのないものだ。☆☆がもし他の男とどこかに行ってしまってやり取りすらできなくなったら、俺は立ち直れる気がしない。今までは見ないふりをしてきたが、俺と☆☆の間に誰かが入るのは許せないんだろう。
中学生のときばあちゃんの家で食べた落雁みたいな怖さがずっとある。柔らかく、口に入れるとほろほろと崩れてなくなってしまう、それは受け入れられない。
俺も健康な男だから欲はある。いつも抑えているだけだ。たとえ交際できたとしても、欲を出したら嫌われて壊れてしまわないかという不安が拭いきれない。それはたとえ結婚できたとしても続くだろう。それでも、今回は腹をくくって☆☆に話さないと、俺は一生後悔することになるかもしれないんだ。
たくさんのミニチュアスイーツが並んでいる缶の中からクッキーを取り出し、二つの缶を元に戻す。お守り代わりに上着のポケットに入れたし☆☆の部屋に戻って看病するか。そばにいるのは俺の仕事で、あのクマはあくまで代わりなんだからな。
▼
百之助の誕生日から2週間ほど経った週末の昼、私は百之助と夜に食べるカレーを作っている。
誕生日に風邪を引いてしまったお詫びに、代わりに私がおもてなしすることにしたのだ。本当は一人で作ろうと思っていたけれど、百之助が病み上がりに無理するなと譲らなかったので、一緒にやることにした。とは言っても、下ごしらえはほとんどやってくれたので、私は材料を炒めて煮込むだけ。
我が家ではリンゴのすりおろしを入れるので、切った皮付きのリンゴ1個分を煮込んでいる鍋に投入する。あとは、少し煮込んでから火を消し、スパイスカレーと辛口カレールーを半分ずつ入れ、溶けたらインスタントコーヒーをちょろっと入れ5分か10分煮たら終わりだ。蓋をしてしばらく放っておく。
「作り終わったしそろそろティータイムにしよっか」
「そうだな。せっかくの焼きたてのアップルパイ買ったしな」
お昼は外で食べ、カレーの具材を買った帰りに洋菓子店に寄ったらちょうど焼きたてだったのだ。直径18cmの編み編みが綺麗なアップルパイちゃんはとてもかわいい。
箱からちょっと顔を出した構図やアップルパイ全体が綺麗に写るような角度で何枚か写真を撮っていく。樹脂粘土で作るための資料でもあるけれど、単純に存在が可愛くて撮っているのもある。
「紅茶とコーヒーどっちがいい? 」
「俺はどっちでもいいから☆☆が飲みたいのでいい」
「それじゃあ紅茶にする」
薄めのブルーが綺麗なシチリアポットを二つ用意する。やかんに水を入れ沸かしている間にポットに茶葉を入れる。その間に百之助はアップルパイを切り分けてくれている。アップルパイを乗せるお皿にグレーの平皿を渡した。カトラリーも持っていきテーブルの上をセッティングしていく。アネモネの花を生けた花瓶を置けば、そこには幸せな空間が広がっている。
お湯が沸くまでまだ時間が掛かる。今言うべきか、食べたあとに言うか悩んでいると、顔に出ていたのか、座ってこちらを見ていた百之助に「どうした」と声をかけられた。
「え、いや、あのね実は言っておいたほうが良いことがあってね。それで……いつがいいかなって、その、考えてました」
「今言え」
「え、今? 」
「もったいつけるな。今言ってくれ」
ものすごく真剣な顔つきをされ、こちらが緊張してくる。そんなにたいそうなことでもないのに、百之助からは迫力を感じるほどのオーラが出ているように見える。
「えーっとですね。実は恋人関係を解消しました。今フリーです」
目を大きく見開き、微動だにしないまん丸お目々の百之助くんに近づき、顔の前で手をひらひらと振ってみる。なかなか反応が返ってこないなとやめると、いきなり動いた百之助に抱きしめられた。
「わっ、びっくりした。どうしたの? 」
「なら俺と結婚を前提に付き合ってほしい」
百之助から嫌われてはいないという自信はあった。だって彼は嫌いな人とはさっさと距離をあけるタイプなのは知っていたから。でも、私のことを女性として好きなのかはわからなかった。だから、こんなふうに言ってくれたのはすごく嬉しい。
今回久しぶりに風邪を引いて、百之助がいなくなったら嫌だなと強く思ったのだ。
2ヵ月お付き合いした男性は百之助のことをよく思っておらず、毎日連絡を取るのはやめてほしいと言われていた。それはそうだと私も思う。普通は恋人がいるのに異性と毎日連絡を取り合うのは喜ばしいことではない。だから、百之助との関係を切るくらいならとお別れしたし、私が好きなのは百以外いないとも思った。どうやって関係性を変えていこうかと悩んでいたのに、こんなに嬉しいことはない。
「おい、なんか言ってくれよ。離れないなら俺の都合の良いように受け取るぞ」
「いいよ、私の面倒見てくれるの百しかいないもん。ずっと一緒にいてほしい」
「……なら遠慮なくいただきましょう」
百之助の首に回している腕に力を入れて抱きつくと、ギュッと抱き返される。しばらくこのままでいたいなと思っていると、やかんの笛が鳴いた。
「こんなタイミングで鳴らなくてもいいだろうが」
「ごめんね、言うタイミングやっぱりちょっとダメだったね」
離れ際にすりっと頬ずりされ、やかんを止めに行った。
キッチンに行き、百之助の隣に立つと、手を握られ、真剣な表情で話し始めた。
「俺はお前を手放せない。この先、☆☆が俺のことを嫌になっても、おそらく解放してやることはできない、それくらい重い男だ、俺は」
「重いのは付き合い長いから知ってるよ」
「俺は相当抑えてる状態でこれなんだ」
「うーん、じゃあさ、まずは話してよ。して欲しいこととかしたいこととか。今まで色々話してきたんだから、もっと深い部分も私に話してみて」
「それで☆☆が俺を嫌いになったらどうする。こんなのとは一緒に居られないと思うかもしれんぞ」
「妥協点を探そうよ。今までだってそうだったでしょ。私はいつもはふにゃふにゃしてるかもしれないけど、以外と硬派な女ですよ。ちゃんと話し合って受け止めてみせましょう」
二つのシチリアポットとティーカップ、ソーサーをそれぞれの場所に置き、お茶会の準備が整えば、今度は写真を撮る番だ。いつもの、二人で食べる思い出の一枚。今回からは恋人として。もし叶うなら、一歩ずつ進んでいきたい。
毎日、毎年、ちょっとずつ、二人で大切な思い出を積み重ねて。百之助が不安にならないように、たくさんのお菓子を積もらせよう。
2025/1/27