無窮の空
二人が渡った、新しい大地。
このまま平穏な時が続けばいい――
そんな原田の願いも虚しく、土方が羅刹として血を欲する衝動は、日々抑えがたいものとなっていった。
はじめのうちこそ、苦しむ様を見せまいと一人堪えていた土方だったが、そんな姿にいつまでも気付かぬ原田ではない。
近頃では、発作の度に呻き声を押し殺し胸をかきむしる土方を、原田が抱き寄せて己れの血を与えるのが常となっていた。
今夜も、血を得て苦しさが山を越えると、布団の上で原田に抱えられたまま、土方は申し訳なさそうに呟いた。
「俺はいつまで、こんな風におまえに迷惑かけちまうんだろうな…」
土方の耳元に唇を寄せた原田は、囁くように言葉を紡いだ。
「なに水くせぇこと言ってんだ。血の気が多いってのが俺の取り柄だからな。こんぐれぇ痛くも痒くもねえ。それより…」
腕の中の土方を慈しむように、しかし強く抱きしめ直すと、原田は続けた。
「この体に流れる血が、あんたの一部になって苦しみを和らげられるってんなら、本望だぜ」
「…悪いな」
口元で小さく笑った土方は、ひとつ息をつくと原田から体を離し、ふらつく足で立ち上がった。
「どうかしたか?」
原田の問いには答えず、部屋の片隅に移動した土方は、壁にもたれて座り込むと、暗い天井を仰いだ。
よっこらせ、と腰を上げた原田が、土方に並んで座り直し、同じように目を上に向ける。
所在なさげに膝の上に置かれていた土方の手を、原田がそっと握る。
一瞬驚いた顔を見せた土方だったが、原田と目が合うと、小さく笑って再び天井に視線を戻した。
互いの静かな息づかいだけが聞こえる。
戦うことも、世を憂えることも忘れて過ごす、二人だけの時。
新選組であった頃には持つことのなかった、穏やかな時間。
やがて、紫紺の瞳を揺らして、かつての鬼副長が思い出したように呟く。
「近藤さんや、総司、斎藤、平助に新八…みんなで見た夢は、叶わなかったな」
「ああ…」
土方の言葉を受けて、その横顔に目をやった原田が、嘆息に似た声を漏らした。
が、すぐに、上半身ごと土方に向き直る。
「けど、俺たちには“現在(いま)”があるじゃねぇか。俺たち二人の、新しい夢を見りゃいい…違うか?」
身を乗り出すようにして語る原田に、土方は淡く微笑んでみせた。
だが、彼の頬には寂しげな影がさしていた。
「俺は羅刹だ。そろそろ、“その時”が来たって、おかしくねえ。……おまえだって、わかってるはずだ」
原田は、開きかけた口をつぐんで苦しげに息をついた。
軽々しい気休めの言葉などは、口に出来なかった。
黙り込む原田から視線を外すと、土方は己に言い聞かせるかのように続ける。
「元より、いつ命を失くすかわからねぇ時代を生きてきたんだ。灰になって消えちまう覚悟は、とうにできてる。…だがな……」
言い淀んだ土方は、小さく息を吐いて目を伏せた。
「左之…おまえを一人で遺すことだけが、心残りだ」
「なに言ってんだよ、土方さんらしくねぇな」
原田は、土方を包むように抱きしめた。
「土方さん…あんたは、いつだって俺の中にいるんだろ?俺が生きてる限り、あんたも、共に生き続けるんだ」
そう遠くはない未来に、別れの時が訪れることはわかっている。
寂しくないと言えば、嘘になる。
だが…
永遠の別れだとは思わない。
魂がほんの一時、別々な世界に在ることになっても、きっとまた巡り会える。
土方は、原田の肩に額を押しあてた。
「ひと足先に向こうに行ったら、近藤さんたちを探しておく。左之…思い残しがねぇくらい充分に生き抜いたら、ちゃんと追いかけてこいよ」
「ああ。真っ先にあんたを見つけるさ。なんたって、俺たちの絆は絶対だからな」
表情は見えないが、土方の肩から力が抜けたのは、空気の微妙な変化でわかった。
原田は、幼子にするように、土方の頭をポンポンと撫でた。
「心も体も、あんたは俺のもんだ。一時だって、忘れたりするもんか」
「…左之…俺も……っ!!」
そっと上体を離すと、原田は口付けで土方の唇をふさいだ。
はだけた夜着からのぞく土方の白い肌に、いくつもの紅い花が咲いていく。
原田は、土方を抱き上げると布団に横たえた。
「土方さん…悪いが、一度や二度じゃ足りねえ。何度だってあんたを抱きてえ…けど、つらかったら言ってくれよ?」
「ふ…つらくなんかねえよ。おまえと共に生きた証を、この身にしっかり刻みつけてくれ」
交わった視線は、揺るぎない想いに満ちている。
原田は、土方の髪を撫でると、その首筋に口付けながら囁いた。
「ああ…愛してるぜ、永久に…」
* * *
やがて、寿命の灯を燃やし尽くした土方は、この世を去った。
羅刹の定めどおり、亡骸は残されなかった。
「…あんたらしいな、土方さん。まるで桜が散るみてぇに、潔く逝っちまった」
手酌の盃をグイッと飲み干せば、空気が微かに揺れたような気がした。
「なんでぇ…ちゃあんと、そこにいてくれたんだな」
小さく微笑み、さて…と呟きながらコトリと盃を置くと、原田は立ち上がった。
「…俺には、まだまだやらなきゃならねぇことが、山ほどある。あんたと同じ世界に行くまでにゃ、随分待たせちまうと思うが…」
酔いにまかせて表に出れば、大陸の乾いた空気が頬を撫でる。
白く霞んだ月は、京、そして箱舘で眺めたそれと何ら変わりなく、原田を照らす。
「土方さん…俺らは、いつだって一緒だぜ?」
時折吹く風に紅い髪をなびかせながら、原田は、音もなく廻る広大な夜空を、ずっと見上げていた。
**
このまま平穏な時が続けばいい――
そんな原田の願いも虚しく、土方が羅刹として血を欲する衝動は、日々抑えがたいものとなっていった。
はじめのうちこそ、苦しむ様を見せまいと一人堪えていた土方だったが、そんな姿にいつまでも気付かぬ原田ではない。
近頃では、発作の度に呻き声を押し殺し胸をかきむしる土方を、原田が抱き寄せて己れの血を与えるのが常となっていた。
今夜も、血を得て苦しさが山を越えると、布団の上で原田に抱えられたまま、土方は申し訳なさそうに呟いた。
「俺はいつまで、こんな風におまえに迷惑かけちまうんだろうな…」
土方の耳元に唇を寄せた原田は、囁くように言葉を紡いだ。
「なに水くせぇこと言ってんだ。血の気が多いってのが俺の取り柄だからな。こんぐれぇ痛くも痒くもねえ。それより…」
腕の中の土方を慈しむように、しかし強く抱きしめ直すと、原田は続けた。
「この体に流れる血が、あんたの一部になって苦しみを和らげられるってんなら、本望だぜ」
「…悪いな」
口元で小さく笑った土方は、ひとつ息をつくと原田から体を離し、ふらつく足で立ち上がった。
「どうかしたか?」
原田の問いには答えず、部屋の片隅に移動した土方は、壁にもたれて座り込むと、暗い天井を仰いだ。
よっこらせ、と腰を上げた原田が、土方に並んで座り直し、同じように目を上に向ける。
所在なさげに膝の上に置かれていた土方の手を、原田がそっと握る。
一瞬驚いた顔を見せた土方だったが、原田と目が合うと、小さく笑って再び天井に視線を戻した。
互いの静かな息づかいだけが聞こえる。
戦うことも、世を憂えることも忘れて過ごす、二人だけの時。
新選組であった頃には持つことのなかった、穏やかな時間。
やがて、紫紺の瞳を揺らして、かつての鬼副長が思い出したように呟く。
「近藤さんや、総司、斎藤、平助に新八…みんなで見た夢は、叶わなかったな」
「ああ…」
土方の言葉を受けて、その横顔に目をやった原田が、嘆息に似た声を漏らした。
が、すぐに、上半身ごと土方に向き直る。
「けど、俺たちには“現在(いま)”があるじゃねぇか。俺たち二人の、新しい夢を見りゃいい…違うか?」
身を乗り出すようにして語る原田に、土方は淡く微笑んでみせた。
だが、彼の頬には寂しげな影がさしていた。
「俺は羅刹だ。そろそろ、“その時”が来たって、おかしくねえ。……おまえだって、わかってるはずだ」
原田は、開きかけた口をつぐんで苦しげに息をついた。
軽々しい気休めの言葉などは、口に出来なかった。
黙り込む原田から視線を外すと、土方は己に言い聞かせるかのように続ける。
「元より、いつ命を失くすかわからねぇ時代を生きてきたんだ。灰になって消えちまう覚悟は、とうにできてる。…だがな……」
言い淀んだ土方は、小さく息を吐いて目を伏せた。
「左之…おまえを一人で遺すことだけが、心残りだ」
「なに言ってんだよ、土方さんらしくねぇな」
原田は、土方を包むように抱きしめた。
「土方さん…あんたは、いつだって俺の中にいるんだろ?俺が生きてる限り、あんたも、共に生き続けるんだ」
そう遠くはない未来に、別れの時が訪れることはわかっている。
寂しくないと言えば、嘘になる。
だが…
永遠の別れだとは思わない。
魂がほんの一時、別々な世界に在ることになっても、きっとまた巡り会える。
土方は、原田の肩に額を押しあてた。
「ひと足先に向こうに行ったら、近藤さんたちを探しておく。左之…思い残しがねぇくらい充分に生き抜いたら、ちゃんと追いかけてこいよ」
「ああ。真っ先にあんたを見つけるさ。なんたって、俺たちの絆は絶対だからな」
表情は見えないが、土方の肩から力が抜けたのは、空気の微妙な変化でわかった。
原田は、幼子にするように、土方の頭をポンポンと撫でた。
「心も体も、あんたは俺のもんだ。一時だって、忘れたりするもんか」
「…左之…俺も……っ!!」
そっと上体を離すと、原田は口付けで土方の唇をふさいだ。
はだけた夜着からのぞく土方の白い肌に、いくつもの紅い花が咲いていく。
原田は、土方を抱き上げると布団に横たえた。
「土方さん…悪いが、一度や二度じゃ足りねえ。何度だってあんたを抱きてえ…けど、つらかったら言ってくれよ?」
「ふ…つらくなんかねえよ。おまえと共に生きた証を、この身にしっかり刻みつけてくれ」
交わった視線は、揺るぎない想いに満ちている。
原田は、土方の髪を撫でると、その首筋に口付けながら囁いた。
「ああ…愛してるぜ、永久に…」
* * *
やがて、寿命の灯を燃やし尽くした土方は、この世を去った。
羅刹の定めどおり、亡骸は残されなかった。
「…あんたらしいな、土方さん。まるで桜が散るみてぇに、潔く逝っちまった」
手酌の盃をグイッと飲み干せば、空気が微かに揺れたような気がした。
「なんでぇ…ちゃあんと、そこにいてくれたんだな」
小さく微笑み、さて…と呟きながらコトリと盃を置くと、原田は立ち上がった。
「…俺には、まだまだやらなきゃならねぇことが、山ほどある。あんたと同じ世界に行くまでにゃ、随分待たせちまうと思うが…」
酔いにまかせて表に出れば、大陸の乾いた空気が頬を撫でる。
白く霞んだ月は、京、そして箱舘で眺めたそれと何ら変わりなく、原田を照らす。
「土方さん…俺らは、いつだって一緒だぜ?」
時折吹く風に紅い髪をなびかせながら、原田は、音もなく廻る広大な夜空を、ずっと見上げていた。
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