短編集













『───あっ!

うぅぅ……転んじゃった、痛いよぅ……』


『大丈夫か、朔耶!?
お前はよく転ぶんだから……何時も気を付けろって言ってるだろう?』


『うぅぅ……ごめんなさい、杏ちゃん……』


『もういいから、傷を見せてみろ!
……少し擦りむいてるな、これ位なら……』


『きゃっ!
きょ……杏ちゃん、くすぐったいよぉ!』


『我慢しろ、家に着いたらちゃんと手当てするから!』




───昔からドジだった私は、しょっちゅう転んで怪我をしていた。


その度に杏ちゃんは私の傷を舐めてくれた後、丁寧に手当てをしてくれていた。


次の日には私の傷は綺麗に完治していたのだが、今思い返せば、人間の怪我がたった一日で治る筈も無いのに、当時の私は杏ちゃんが私の傷を舐めてくれたからあっという間に治ったのだと信じ込んでいた。


輝夜月家の祖である天女、輝夜姫の血にはあらゆる病を癒し、取り入れた者を不死の存在に変える力があったと知るのは、それからずっと後に、輝夜月家に伝わる書物を読んでからだった。


私の血にも輝夜姫のそれと似た様な力があるから、私は人より怪我の治りが早いのかも知れない、と亡き父に教えられた事があるが、俄には信じがたかった。


───だけどそれは事実であった事が、後に判明する。


無限列車に出没する鬼を討伐する為、炭治郎君達と無限列車に乗り込んだ杏ちゃんは下弦の壱の鬼、魘夢を倒した後に現れた上弦の参の鬼、猗窩座と戦い深手を負ったが、たまたま近くに居た私が駆けつけて十六夜を展開し傷を治療する前には既に杏ちゃんの傷は塞がりつつあり、これは猗窩座にとって予想外の事だった様だ。


幼い頃からしょっちゅう怪我をしていた私の傷を舐めてくれていた杏ちゃんは、無意識に私の血を自分の体内に取り入れていた為に、私と似た体質になっていたという事に気付き、父の言葉が正しかった事を思い知らされた。


───この時ばかりは、自分の血と、祖である輝夜姫に感謝したものだった。


私の愛する人を護ってくれて、ありがとうと。










「───痛ッ!
あ~……また針で指刺しちゃったよ……」


その日、非番だった私は自分の屋敷で、趣味である手芸をしていた際、針で誤って自分の指を刺してしまった。


刺してしまった右手の人差し指の指先からは、血がぷっくりと滲み出ていた。


「大丈夫か、朔耶?
全く……お前は昔から変わらずそそっかしいな……」


その様子を何時もの様に私の屋敷に来ていた杏ちゃんが見ており、苦笑いしながら私の傍に寄ると、何時もの様に私の右手を取り、血が滲んでいる私の人差し指の指先をぱくりと口に含んだ。


「………ッ………!
きょ……杏、ちゃ……」


杏ちゃんの舌が私の指先を優しく舐める感触に、私は未だに慣れる事が出来ず、何時もの様に頬を赤らめ、身体を震わせた。


「……うむ、もういいだろう。
今度は気をつけるんだぞ、朔耶!」


暫くしてから杏ちゃんは私の手を解放し、何時もの様に私の頭を撫でながら微笑んだ。


「………」


杏ちゃんに舐めて貰った指先を見つめながら、私はぼんやりと考え始めた。




───この先、鬼舞辻と戦う事になれば、猗窩座の時よりもっと多くの血を流す事になるかも知れない。


今回はたまたまだったが、もし最悪の事態になってしまったら、今度こそ杏ちゃんは───


杏ちゃんの強さは痛い程分かっているけれど、やっぱり私は杏ちゃんに傷付いて欲しくない。


私の血が杏ちゃんを護る盾となるならば、私は喜んでこの血を杏ちゃんに捧げよう。


だって、私の全ては杏ちゃんだけのものだから。


この身体も、心も、髪の毛一筋に至るまで全て。


だから、私の血なんて、杏ちゃんの為ならば惜しくない。




「………?
朔耶、どうした?」


急に俯いて考え込んでしまった私の顔を、杏ちゃんは心配そうに覗き込んだ。


私は顔を上げると、着物の襟を肌蹴け、自分の首筋を露わにすると皮膚に爪を立てて小さな傷を付けた。


「!?
朔耶、何を……」


「───杏ちゃん、お願い。
気持ち悪いかも知れないけど……私の血を飲んで欲しいの」


突然の事に狼狽える杏ちゃんの言葉を遮り、私は杏ちゃんに縋り付いて懇願した。


「朔耶の、血を……?」


「ほら、私昔からドジだったからさ、よく転んでたじゃない?
それで怪我をする度に杏ちゃんが私の傷を舐めてくれて……

昔、お父様が言ってたんだけど、私の祖である輝夜姫の血にはあらゆる病を癒し、取り入れた者を不死の存在に変える力があったんだって。
お父様が言うには、私は輝夜姫に極めて近い存在らしくて……私の傷の治りが早い理由は私の血に輝夜姫のそれに似た力が秘められてるからなんだって。

だから昔から私の傷を舐めてくれていた杏ちゃんは、無意識に私の血を取り込んでいたから、私と似た体質になっていて、猗窩座に致命傷を負わされても助かったんだと思うの。

この先鬼舞辻と戦う事になれば無傷では済まないから……私が何時でも杏ちゃんを護れる様にしておきたいの。

杏ちゃんは私の事を護るって言ってくれたけど、私だって杏ちゃんの事を護りたいの……!
杏ちゃんに護られてばかりじゃなくて、護る存在に私もなりたいの……!


お願い、杏ちゃん……!
私にも、杏ちゃんを護らせて……!」


私は杏ちゃんの身体に両腕を回し、逃がすまいと強く抱き締めながら懇願した。




───すると杏ちゃんは私の身体を抱き締め返し、私の耳元に唇を寄せた。


「……全く、お前には敵わないな、朔耶。
お前の頼みを俺が断れない事を知っていて……
ましてや、こんな健気なお強請りをされたら尚の事断れないだろう?」


「杏ちゃ……あっ……」


次の瞬間、杏ちゃんの唇は私の首筋に移動し、私が付けた傷から流れ出す血を舌で舐め取っていた。


「……昔から、朔耶の血には自分の血には無い不思議な甘さがあったからな……何時しかその味が癖になっていて、お前が怪我をする度に手当てと称して舐めていたんだ……

……鬼になった訳でも無いのに……俺の方こそ、気持ち悪いだろう?
幻滅、したか?」


杏ちゃんはそう言って私の顔を不安そうに見上げて来た。




───そう云えば十六歳の時、杏ちゃんと初めて身体を重ねた時、杏ちゃんは私の秘部から流れ出す破瓜の血を、自分の口の周りが私の血で汚れるのも構わず夢中になって舐めていた事を思い出した。


それと同時に、杏ちゃんがそんな風に私の事を思ってくれていた事を知り、私は嬉しくなった。


───ああ、この男性(ひと)はどうしてこんなにも優しいのだろう。


溢れ出る愛おしさを、私は最早止める事が出来なかった。




「気持ち悪くなんてないよ……!
寧ろ、そんな風に思ってくれてたなんて嬉しい……!

ありがとう、杏ちゃん……!」


杏ちゃんの想いを知った私は、杏ちゃんの頭を強く抱き締めながら微笑んだ。


「ッ……!朔耶……!」


私の言葉を聞くと、杏ちゃんは私を畳の上に押し倒して私の首筋に吸い付き、傷口から流れ出す私の血を飲み始めた。


「あっ……!杏、ちゃ……!」


「んっ……ふ……
ああ……矢張り朔耶の血は、甘くて美味い……

済まない朔耶、もっと欲しい……!」


言うなり杏ちゃんは私の首筋に犬歯を立て、力を込めて噛み付いた。


ぶつっ、という音と共に皮膚が食い破られ、其処から血が溢れ出る感覚があった。


「あっ……!ん、んっ……!」


皮膚を食い破られて痛い筈なのに、不思議と痛みは全く感じず、代わりに杏ちゃんに抱かれている時の様な甘い快感に全身を支配された。


私はじゅるじゅると音を立てながら血を飲み干す杏ちゃんの頭に両腕を回し、杏ちゃんの髪を優しさと愛しさを込めて撫で始めた。


「杏、ちゃん……
私の全ては……杏ちゃんだけのものだから……
杏ちゃんが望むなら……幾らでもあげるからね……

私なら大丈夫だから……ね?
大好きな杏ちゃんの役に立てる事が、私の一番の幸せなの……」


そう言った私の顔を見上げた杏ちゃんは、今にも泣き出しそうな顔で精一杯の笑顔を浮かべると、私の額に唇を落とした。


「朔耶……お前は本当に……心優しく強い女子だな……

お前の血からも、お前の優しさと温かさが痛い程伝わってくる……
俺もお前のその想いが、泣きたい程に嬉しい……

朔耶の想いに報いる為にも、俺は今より更に強くなると誓おう。
お前を護る、ただ一人の男で在り続ける為に……

朔耶……
俺の……俺だけの、輝夜姫───」


杏ちゃんは次いで優しく私の手を取ると、掌に慈しむ様に口付けてくれた。










───一方その頃、猗窩座から杏寿郎を仕留め損ねてしまった事の報告を受けていた少年姿の無惨は忽ちに憤慨し、持っていた本の頁を力任せに破き始めた。


「───人間の身で在りながら、傷が瞬く間に塞がっていった、だと……?

おのれ炎柱……輝夜姫の血を取り込んでいたな……!
私があれだけ欲しても叶わなかった、輝夜姫の血を……!!


───その炎柱の名、煉獄杏寿郎と云ったか……
奴は最優先で殺す……最も惨たらしい方法でな……

輝夜姫は私のモノだ……私のモノに指一本でも触れた輩には惨たらしい死を齎してやろう……」


無惨は装丁だけになってしまった本を床に叩き付けると、片手で顔を押さえながら憎悪に満ちた表情を浮かべた。







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