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短編集











「朔耶、おはよう……」


「おはようございます、煉獄さん」




その日の朝、鬼殺隊本部に出仕する前に輝夜月邸に朔耶を迎えに行った杏寿郎だったが、朔耶は朝の挨拶をする杏寿郎の前をすり抜けながら他人行儀な挨拶を返し、さっさと歩いて行ってしまった。




───既に一週間もこの状態が続いている。


理由は明白だ。


先立って朔耶に睡眠薬を盛られた事への仕返しとして、杏寿郎は天元から貰った媚薬を朔耶に盛ったのだが、その所為で任務に穴を空けてしまった事と、そして真実を知った事により朔耶は激怒し、天元と杏寿郎に罰を下したのだが、杏寿郎への罰は「一ヶ月間の禁欲」だった。


禁欲だけで済むと思っていた杏寿郎だったが、その翌日から杏寿郎は朔耶からあからさまに冷たい態度を取られ続けていた。




───例えば、何時もの様に夕食を食べに輝夜月邸を訪ねれば、




「此処は定食屋ではありません。
お引き取り下さい」




───と冷たい視線と声色で突っぱねられ、玄関の戸を閉められてしまった。




「さ……さくやーーーー!!!!
俺が悪かった!!頼む!!許してくれ!!」


「近所迷惑になるのでやめて下さい、あまりしつこいと警察呼びますよ」




鍵を閉められた玄関の戸に縋り付き、大声で叫びながら拳で戸をガンガンと叩いた杏寿郎は、磨り硝子越しに柱に掛けてある電話の方に向かう朔耶の影が見えた為仕方無く帰路に着いたのだが、翌日もその翌日も同じ対応が続いた。


二人の様子を見た他の柱の面々からは、事情を天元から聞いていた事もあり、「煉獄(さん)が悪い」、「きちんと誠意を見せて謝るべき」と中々辛辣な指摘と意見が飛び交った。


しかし朔耶に謝罪する為話し合いの席を設けようにも、当の朔耶は「忙しいので」とにべも無く突っぱねており、話し合おうという気は更々無い様子で、杏寿郎は早々に八方塞がりになってしまっていた。




「……はぁ……」




その日も杏寿郎は、父槇寿郎と弟千寿郎と共に自宅にて夕食を摂っていたが、食欲が湧かないのか殆ど手を付けずに箸を置き、深々と溜息を吐いた。


「兄上、大丈夫ですか?
ご気分が優れないのですか?」


「どうした、杏寿郎?
此処の所最近碌に飯を食べていないじゃないか、それに以前は毎日の様に朔耶君の所に飯を食べに行っていたのに……何かあったのか?」


兄の様子を見た千寿郎は気遣わしげな眼差しを送り、槇寿郎も箸を置いて向かいに座る杏寿郎を見遣った。


槇寿郎と千寿郎からの視線を受けた杏寿郎は、婚前にも関わらず朔耶と身体の関係を持っている事を二人に打ち明けていなかった事を思い出し、事実を話す事に抵抗を覚えたが、有耶無耶にした所で余計に気を遣わせてしまうと踏み、覚悟を決めて口を開いた。




「……実は……」




それから杏寿郎は朔耶と仲違いをしている理由と、そしてこれまでの事を包み隠さず槇寿郎と千寿郎に打ち明けた。




「……杏寿郎。
お前と朔耶君が身体の関係を持っている事は既に知っていた。

父親だからな、それ位分かるさ」


「はい、兄上は朔耶さんのお屋敷にお泊まりになる事が多いので、俺もそうじゃないかなと薄々勘づいていました……
すみません、中々言い出せなくて……」


「……よもやっ!?」


槇寿郎と千寿郎からの答えに衝撃を受けた杏寿郎は、俯いていた顔を物凄い勢いで上げた。


「……だが杏寿郎、今回の事に関してはお前が悪い。
朔耶君はお前の任務に穴を空けていないが、お前は私情で朔耶君の任務を妨害してしまったのだからな。

あの子は聖耶に似て真面目で責任感が強いからな、今回の件が余程堪えたのだろう」


槇寿郎の言葉に頷きながら、千寿郎は槇寿郎の後を引き取る様に続けた。


「兄上の朔耶さんへのお気持ちは分かります、お二人は何時も仲睦まじいですし……

……ですが兄上、幾ら親しき仲と云えど、していい事と悪い事はあります。

朔耶さんが幾らお優しい方とは云え、兄上の我儘を全部が全部叶えてくれる訳では無い事を今一度よく理解し、きちんと朔耶さんに謝るべきです。

……朔耶さんもきっと、兄上とお話ししたいと思っているのでしょうが、意固地になり過ぎてしまって引くに引けないんだと思います。
其処は兄上の押しの強さが物を言うと思いますよ」


「千寿郎……父上……」


父と弟からの言葉に、杏寿郎は目を見開き、暫し逡巡した後に決意を固めた表情になった。


「父上……朔耶との事、今迄黙っていて本当に申し訳ありませんでした。
それでも……こんな俺を怒らず赦して頂き、本当に有難う御座います。
朔耶からの信頼を取り戻す為、彼女の婚約者として誠心誠意、彼女に謝罪したいと思っています。

……千寿郎も有難う。
お前のお陰で勇気が湧いた、朔耶には明日改めて謝罪して来る。
いい報告が出来る様に全力を尽くすから、俺を信じて待っていて欲しい」


杏寿郎は槇寿郎と千寿郎にそれぞれ感謝の意を述べると、茶碗と箸を手に取った。


「そうと決まれば明日の為に食べて英気を養わなければ!

千寿郎、飯のお代わりを用意してくれ!」


「は、はい兄上!」


兄の言葉を受けた千寿郎は、慌てて米櫃を取りに台所に向かった。


「うまい!うまい!」


「杏寿郎、食欲が戻ったのはいいがあまり食べ過ぎるなよ」


白米を掻き込む息子の姿を見て、槇寿郎は呆れた様に苦笑いすると、自分も箸と椀を持って静かに味噌汁を啜った。






───翌日の夕方。


任務を終え、帰宅する前に街で夕食の買い物を済ませた朔耶は、食材が包まれた風呂敷を両手に持ちながら帰路に着いていた。


「──姫様、杏寿郎様トノ事……宜シイノデスカ?」


朔耶の肩に止まっていた睦は、気遣わしげに主に声を掛けた。


「……いいの。
杏ちゃんにしっかり反省して貰うには、これ位厳しくしないといけないから」


しかし朔耶は表情を変える事無く、毅然とした口調で睦に返した。


「然シ姫様……」


「くどいよ、睦。
これ以上は幾ら貴女でも意見する事は許さない」


「……申シ訳御座イマセン」


朔耶の有無を言わせぬ語気に圧されたのか、睦はそれ以上言葉を発する事が出来ず押し黙った。




───その時だった。




「……!」


進行方向に見覚えのある姿を見つけた朔耶は表情を強張らせた。


「杏寿郎様!」


睦が名を呼んだその人物──杏寿郎は、ずっとこの場所で待っていたのか、此方に向かって歩いて来た朔耶を真っ直ぐに見つめていた。


「………」


朔耶は暫しその場で立ち止まっていたが、なるべく杏寿郎と目が合わない様に視線を逸らしながら、杏寿郎の横を通り過ぎようと歩き出した。


「──朔耶!
この前は本当に済まない事をした!」


すると杏寿郎は朔耶に向かって深々と頭を下げ、何時もと変わらない大きな声で謝罪の言葉を述べ、その声に驚いた朔耶は思わず足を止めた。


「お前の気持ちも考えず、俺の自分勝手な都合でお前を振り回してしまった事……深く反省している!」


「………」


杏寿郎から謝罪の言葉を受けた朔耶は、依然頭を上げようとしない杏寿郎を戸惑いがちに見つめた。


「………思えば俺は何時も、朔耶に甘えてばかりいた。

朔耶が俺の想いを否定せず、全て受け入れてくれる事に何時しか俺は胡座をかき、朔耶が俺の願いを全て叶えてくれると愚かな思い込みを抱いていた。

結果俺はお前の任務に穴を空け、お前にも鬼殺隊の皆にも、そしてお館様にも迷惑をかけてしまった。
その事についても深く反省している、だが──」


杏寿郎は其処で言葉を区切ると、頭を上げて朔耶に向かいゆっくりと歩を進め、朔耶の目の前に立つと後ろ手に持っていた一輪の桔梗の花を彼女に差し出した。




「お前に酷い仕打ちをしておいて身勝手な言い分だが……俺の朔耶への想いは、これから先もずっと変わらない。

俺にとっては朔耶が全てで、朔耶以外の人との将来等考えられない。
朔耶で無いと嫌なんだ。


朔耶……
こんな俺だが、これからもずっと……俺の隣に居て、俺の側で笑っていて欲しい」


「………っ……!」


朔耶は真剣な眼差しで自分を見つめる杏寿郎と、その手に握られた桔梗の花を交互に見遣ると目を見開き、睦は二人の雰囲気を察したのか朔耶の肩から飛び立って行った。






『もう泣かないでくれ、朔耶。
俺はお前の笑った顔が好きなんだ。

ほら、お前の好きな花だぞ!
これをあげるから、何時もみたいに笑ってくれ!』




───朔耶の脳裏には、幼い頃近所の子供達から苛められて泣いていた自分に、そう言いながら摘み取って来た野花を差し出してくれた幼き日の杏寿郎の姿が蘇っていた。




(杏ちゃん……

……思えば杏ちゃんは、泣いてばかりの私に何時もこうやってお花をくれたっけ……
私がお花が好きなのを知ってるから……

杏ちゃんは、昔と何も変わってないね……
それに比べて、私は大分卑屈になったなぁ……
こんな事で何時までも意固地になって、可愛気も無くなって、杏ちゃんに愛想を尽かされてても可笑しくないのに……
それでも杏ちゃんは、こんな私と一緒に居たいって言ってくれてる……

……私だって……私だって本当は、杏ちゃんと仲直りしたい……
杏ちゃんと、ずっと一緒に居たい……!

杏ちゃんが赦してくれるなら……私は……杏ちゃんの気持ちに、甘えても……いいのかな……?)




一人葛藤していた朔耶だったが、軈て決心した様に両手の荷物を足元に置くと、手を伸ばして差し出された桔梗の花を受け取った。


「……!朔耶……」


花を受け取った朔耶の姿を見、杏寿郎は目を見開いた。


「……ふふ、綺麗な桔梗……
桔梗は瑠火おば様もお好きだったから、杏ちゃんのお屋敷のお庭にも咲いてるもんね。


……有難う、杏ちゃん。
そしてごめんなさい、今迄冷たくしちゃって……

私……自分の心の奥底に隠してる杏ちゃんへの疚しい気持ちを知られたくなくて……閨事の時は何時もそれが言葉にならない様に気を付けてたの。

……だけど、あのお薬を飲んだら理性が無くなっちゃって、押し殺していた筈の杏ちゃんへの疚しい気持ちが次々と言葉になって、止めようとしても止まらなくて……それで杏ちゃんと顔を合わせづらくなってあんな酷い事をしちゃったの……
「これは絶対に嫌われた」って思ったから……

……本当にごめんなさい、杏ちゃん。
私は杏ちゃんの事を嫌ってなんか無いの、寧ろ杏ちゃんが私の事を嫌ってないか不安で……」


朔耶は愛おしげに桔梗の花を見つめると杏寿郎に向き直り、彼に向かって頭を下げ、謝罪の言葉とこれまで杏寿郎に冷たく当たってきた理由を述べた。


──すると杏寿郎は朔耶の腕を引き、彼女の華奢な身体を自分の腕の中に閉じ込めた。


「きゃ……!」


朔耶は急に抱き締められて驚いたが、杏寿郎は安心しきった様に、ふぅと溜息を吐いた。


「何だ、そんな事を気にしていたのか……

それならば朔耶、俺は全くもって気にしていない!
寧ろお前の率直な想いが聞けて、嬉しかったぞ!

俺がお前を嫌う事等、万に一つも有り得ん!
寧ろ、お前の本当の想いを聞いて、お前の事が益々好きになった!」


杏寿郎は其処まで言うと朔耶の身体を離し、朔耶の顔を見つめながら満面の笑顔を浮かべた。


「朔耶……
俺はお前の事を、世界で一番に愛している。
この想いは、この命果てるまで……否、この世の終わりまで変わる事は無い。

そして……何度生まれ変わっても俺は必ずお前を見つけ出し、何度でもお前と恋をして、愛し合う。

この想いが確かなものである事を……この桔梗の花に誓わせてくれ」


杏寿郎はそう言うと、桔梗の花が握られた朔耶の手を両手で包み込み、朔耶の瞳を真っ直ぐに見つめた。


「杏、ちゃん……」


杏寿郎に見つめられた朔耶の頬は、沈みゆく夕陽の様に紅く染まっていった。


そして朔耶は恥ずかしそうに、然し嬉しそうに微笑むと頷き、杏寿郎の瞳を見つめ返した。


「……有難う、杏ちゃん。
私も……杏ちゃんの事を世界で一番に愛しています。
幼い頃から杏ちゃんに抱き続けているこの想いは、誰にも負けません。

我儘で子供っぽいこんな私だから、また今回みたいに杏ちゃんを困らせてしまうかも知れません……

それでも……私で良いなら、これから……そして生まれ変わった後も、私を杏ちゃんのお嫁さんにして下さい!」


朔耶は目尻に涙を滲ませながら、杏寿郎に向かい深々と頭を下げた。


───すると杏寿郎は、朔耶の身体を両手で持ち上げて宙に浮かせた。


「きゃ……!」


「有難う、朔耶……!

何度でも言うが、俺は朔耶がいい。
朔耶で無いと嫌なんだ。

俺はどんなお前でも心から好きになれるし、愛する事も出来る。
お前の言う我儘なんて、俺からして見れば可愛いものだ!

朔耶、これからもどんどん俺に甘えて、我儘を言ってくれ!
そうしてくれると、俺は嬉しい!」


「きょ……杏ちゃん……!
分かったから降ろして、恥ずかしいよ……!」


杏寿郎は満面の笑みを浮かべながら朔耶を抱き上げていたが、朔耶は恥ずかしいのか頬を赤らめながら両足をじたばたと動かし、降ろしてくれと懇願した。


すると杏寿郎は「済まない」と一言詫びながら朔耶を降ろし、地面に置いたままだった荷物を持ち上げた。


「日が暮れるからそろそろ帰ろう、朔耶!

……今日は、お前の家で夕飯を食べても……良いか?」


不安そうな表情で訊ねて来た杏寿郎に、朔耶は優しく微笑みながら頷いた。


「勿論!
冷たくしちゃったお詫びに、杏ちゃんの好きなもの何でも作ってあげる!」


朔耶の言葉を聞くと、杏寿郎は忽ち子供の様に顔を輝かせた。


「本当か、朔耶!
ならばさつまいもの味噌汁に、さつまいもご飯に、さつまいもの甘煮に……」


「さつまいもばっかりじゃない、杏ちゃん!

……あ、と言うか荷物持たせちゃってごめんね、私片方持つから……」


笑いながら杏寿郎に突っ込んだ朔耶だったが、ふと自分が持っていた荷物を何時しか杏寿郎が持っていた事に気付き、片方の荷物を持とうとしたがそれは杏寿郎によってあっさり拒まれた。


「いい!俺が持つ!
……と言うより朔耶、こんなに重い荷物を一人で持って帰るつもりだったのか?

荷物位俺が持つから、買い物の時は遠慮無く俺を呼んでくれないか」


「杏ちゃん……

……分かった、これからはそうするね。
有難う、杏ちゃん」


朔耶は荷物を持ってくれた杏寿郎に感謝の意を述べると、彼の隣に並んで帰路へと着いた。




───その様子を近くの木に止まって見ていた要と睦は、杏寿郎が朔耶の屋敷に夕食を食べに行く事を槇寿郎と千寿郎に伝える為、煉獄家へ向かい飛び立っていった。




杏寿郎と並んで歩き、彼と談笑する朔耶の手には、紫色の桔梗の花が大切そうに握られていた。






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