短編集
『俺の事は何と言おうと構わない!
だけど煉獄さんを悪く言う事だけは、例え煉獄さんの父親であっても絶対に許さない!!』
───無限列車での任務の後、自分を継子にして欲しいと志願してきた炭治郎を快く受け入れた杏寿郎は、父槇寿郎に炭治郎を自らの継子にする事を報告する為、煉獄家に炭治郎を連れて紹介に来たが、これまでに息子である杏寿郎や千寿郎に冷たく当たってきた槇寿郎が関心を示す筈も無く、それ所か杏寿郎に「大した能も無いお前に碌な剣士が育てられるか」と詰っただけで無く、炭治郎の耳飾りを見て「日の呼吸の使い手だからと馬鹿にしに来たのか」、「調子に乗るな」と炭治郎にも罵声を浴びせたのだった。
堪らず杏寿郎が父を諌めようとしたが、その前に杏寿郎を酷く詰られた事により怒りが爆発した炭治郎の頭突きが槇寿郎の額に命中し、突然の事に対処出来なかった槇寿郎は頭突きをまともに喰らって気を失ってしまい、千寿郎と共に台所で茶の準備をしていた朔耶は騒ぎを聞きつけてすぐさま千寿郎と共に槇寿郎の自室に向かい、襖を開けた途端に飛び込んできた光景を見て唖然とした表情になった。
「竈門少年、君が俺の為に怒ってくれた事は嬉しかったが頭突きはやり過ぎだぞ、ましてや俺の父親に対してあんな事を……」
「すみません煉獄さん……
怒りでカッとなってつい……」
その後、別室に連れて行かれた炭治郎は杏寿郎にこってり絞られていた。
その様子を二人から離れた場所から見ていた朔耶はやれやれ、と溜息を吐いて立ち上がり、部屋の襖を開けた。
「朔耶、何処へ行くんだ?」
「槇寿郎おじ様の所。
気が付いてるとは思うけど多分ヘソ曲げてるだろうし、介抱してあげてる千君に八つ当たりされても困るからちょっと宥めてくる。
騒ぎは台所に居ても聞こえてたから大体の事情は分かるよ」
朔耶の言葉に、杏寿郎は焦った表情になり、彼女の肩を掴んだ。
「ま、待ってくれ朔耶!
今の父上は大分気が立っている、お前にまで手を上げられたら俺は……!」
心配そうな表情で止めようとする杏寿郎の手を、朔耶は呆れた様な表情で振り払った。
「あのねぇ杏ちゃん……今まで言わないでいたけど、杏ちゃんは槇寿郎おじ様に甘過ぎ。
そうやって槇寿郎おじ様を庇うから良くないの。
自分の親だし、庇いたくなる気持ちも分かるけど、それで本人が駄目になったんじゃ話にならないじゃない。
今の杏ちゃんと槇寿郎おじ様、どっちが親でどっちが子供か分からないよ」
「うっ……」
痛い所を突かれ、杏寿郎は返す言葉が見つからず閉口し、朔耶はそんな杏寿郎を見て再び溜息を吐くと踵を返した。
「……だから私、宥めるついでにちょっと槇寿郎おじ様に喝入れてくる。
私も槇寿郎おじ様の振る舞いには正直うんざりしてたし……それにこんなんじゃ、天国の瑠火おば様に顔向け出来ないしね。
大丈夫、男性より女の方が口は達者だから口では絶対に負けない自信あるし。
私が戻って来るまで邪魔しないでよ、炭治郎君もね」
それだけ言い残すと朔耶は立ち尽くしている杏寿郎と炭治郎には構わず、襖をピシャリと閉めて槇寿郎の自室に向かった。
「──槇寿郎おじ様、朔耶です。
お身体の方はもう宜しいのですか?」
朔耶は千寿郎に通されて槇寿郎の自室に入り、畳の上で正座をすると此方に背を向けて縁側に座る槇寿郎を気遣った。
千寿郎は心配だからと部屋の隅に控えており、父と朔耶の様子を不安げに見守っていた。
「……別に大事無い。
俺に何か用か、朔耶君」
槇寿郎は僅かに振り返って朔耶を見遣ったが、すぐに視線を庭に戻すと酒壺から直に酒を飲み始めた。
その様子を見守りながら朔耶は、畳の上に三つ指をつきながら深々と頭を下げた。
「……炭治郎君の非礼、私が代わってお詫び申し上げます。
炭治郎君は杏寿郎さんを深く尊敬しております故、槇寿郎おじ様のお言葉が堪えたのだと思われます。
若年で未熟な故、感情に任せてしまった事……どうか私に免じ、お許し願えませんでしょうか」
「朔耶さん……」
朔耶の姿勢と詫びの言葉を部屋の隅で聞いていた千寿郎は、思わず目を瞬いた。
しかし槇寿郎は大して関心を示していない様子で、酒を飲み干し、嘆息した後に鼻を鳴らした。
「フン……あんな小僧の事などどうでもいい。
それより朔耶君、君は何故あの小僧の肩を持つ?
杏寿郎に頼まれての事か?」
「いえ、私の一存に御座います。
私の目から見ても、炭治郎君は才気溢れる将来有望な若者です。
そんな炭治郎君が杏寿郎さんの継子になる事には何の遜色も見受けられぬ故、改めて進言しようと思い此処に参った次第です」
朔耶は顔を上げぬまま、槇寿郎に向かいはっきりと言い切った。
「何……?」
槇寿郎は其処で初めて背後を振り返り、身体を朔耶の方に向けた。
朔耶は頭を上げると、槇寿郎を真っ直ぐに見据えた。
「……槇寿郎おじ様。
杏寿郎さんは槇寿郎おじ様に認めて頂けなくとも、『鬼から人々を護る』という揺るぎない信念の下に、ただ一人で血の滲む様な努力を重ね、槇寿郎おじ様の跡を継ぎ炎柱の座を掴み取りました。
そして今も、鬼達の魔の手から人々を護る為、刀を振るい続けています。
そんな杏寿郎さんが継子にと望んだ炭治郎君です、必ずや私達と共に戦う柱になれると私は確信しています。
───継子を取れない私にとって、炭治郎君は希望の光なのです。
槇寿郎おじ様……
どうか、炭治郎君が杏寿郎さんの継子になる事、お認め頂けませんでしょうか」
朔耶は其処まで言うと、再び槇寿郎に向かい深々と頭を下げた。
「……どいつもこいつも柱だの継子だの……そんな下らないものに拘ってばかりだ。
俺達の使う呼吸は全て日の呼吸の派生……紛い物に過ぎん。
そんな物を極めて何になると言うんだ、下らん」
しかし槇寿郎は下らないといった表情で朔耶の言葉を一蹴し、吐き捨てる様にそう言った。
「父上……!
そんな、あんまりです!
朔耶さんがこんなにもお願いして下さっているのに……!」
「煩い!お前は黙ってろ!」
槇寿郎の言葉に、千寿郎は耐えかねて朔耶の前に立ち、槇寿郎に訴えかけようとしたが、激昂した槇寿郎は立ち上がって千寿郎に向かい手を振り上げた。
「っ!」
叩かれると思った千寿郎は思わず、衝撃に耐えようと目をぎゅっと瞑った。
───が。
「……お待ち下さい槇寿郎おじ様、千寿郎君は関係無いでしょう」
何時の間にか二人の間に立っていた朔耶が、その細腕からは考えられない程の力で槇寿郎の手首を掴みながら、普段は穏やかな色を湛えている瞳を剣の様に鋭く細め、息子に手を上げようとした槇寿郎を睨み付けていた。
(ッ……!!
手が、動かせん……!
こんな華奢な腕に、俺の手を押さえ込む力があるとは……!)
槇寿郎は手を振り解こうとしたが叶わず、自分の手を押さえる朔耶の力に驚嘆していた。
「さ、朔耶さん……
俺は大丈夫ですから、父上にあまり乱暴な事は……」
朔耶に庇われる形になっている千寿郎は、恐る恐る彼女に声を掛けたが、朔耶は聞いていない様子で、槇寿郎の手を押さえつけたまま口を開いた。
「……では伺いますが槇寿郎おじ様、何故私が鬼殺隊に入る事も、柱になる事も止めなかったのですか?
この羽織と日輪刀だって……幾ら我が輝夜月家に伝わる物で有れど、槇寿郎おじ様が厭うならば捨ててしまう事も出来たでしょう。
私の事だってそうです、わざわざ当主不在の輝夜月家など守る事無く取り潰し、さっさと私を杏寿郎さんの妻として煉獄家に入れ、煉獄家の嫁として子を産ませ、家事育児に従事させていれば良かったのに。
全て槇寿郎おじ様の一存で出来た筈の事を、何故しなかったのですか?
実子の杏寿郎さんと千寿郎君を差し置いて、余所者の私だけを特別扱いしていたという事ですか?
───もしそうだとしたら私は、元柱としても父親としても、槇寿郎おじ様を心から軽蔑致します。
あまつさえ我が子に八つ当たりをしようなどと……父親の風上にも置けない」
朔耶は其処で言葉を区切るとカッと目を見開き、空いている左手を振り上げた。
「───いい歳をした大人がみっともない、甘えるのもいい加減にしなさいッ!!」
───その直後、煉獄邸に猛烈な張り手の音と襖が吹き飛ばされる音が響き渡った。
「何事だ!?」
「朔耶さん、何があったんで……えぇぇぇぇっ!?」
騒ぎを聞き付けてきた杏寿郎と炭治郎は、槇寿郎の部屋の襖を開けた瞬間に飛び込んで来た光景に驚愕した。
───其処には朔耶に張り飛ばされ、隣の部屋まで吹き飛ばされた槇寿郎の姿と、そんな槇寿郎を睨み付ける朔耶の姿があった。
「あ、兄上、炭治郎さん……!
朔耶さんが、俺に手を上げようとした父上から俺を庇って、それで父上を張り飛ばして……!」
「な……何だと!?
元柱である父上を、あの細腕で……!?」
「朔耶さん……あんなに華奢な身体なのに……見かけによらず力あるんだな……」
涙を滲ませて杏寿郎と炭治郎の元に駆け寄った千寿郎は簡潔に経緯を話し、事情を聞いた杏寿郎は目を見開き、炭治郎は朔耶の怪力に恐怖を覚えて身体を震わせていた。
朔耶は手を下ろすと、倒れたままの槇寿郎に向かって声を放った。
「……痛いですか?槇寿郎おじ様。
でも叩いた私も痛いです、嘗て杏寿郎さんや千寿郎君を叩いていた時、槇寿郎おじ様の手は痛くありませんでしたか?」
朔耶はそう言った後に倒れ伏す槇寿郎に歩み寄り、彼の傍らに膝を付いた。
「う……」
槇寿郎は小さく呻きながら身体を起こしたが、傍らに膝を付く朔耶の顔を直視する事が出来ないのか、彼女と視線を合わせようとはしなかった。
朔耶は躊躇う事無く槇寿郎の手に自分の手を重ね、彼の手を優しく包み込んだ。
「槇寿郎おじ様。
人は完璧な存在ではありません。
叶えられる事もあれば、叶えられない事も当然あります。
全て叶えよう等、それはただの傲慢に過ぎません。
……ですが、壁にぶつかり、挫折を味わった先に見えてくるものがある事も確かです。
今の槇寿郎おじ様は、それを認めたくとも認めたくない様に私には見えるのですが……違いますか?」
朔耶の言葉に、槇寿郎は躊躇いがちに口を開いた。
「……本当は分かっていたんだ、こんな事をしていても、無意味に杏寿郎と千寿郎を振り回し、傷付けるだけだと……
……だが俺は、己の力量に拘るあまり、周りが見えなくなっていたんだ……
結果、これまでに散々杏寿郎と千寿郎に酷い事を言い、傷付けてしまった……
こんな俺が今更父親面出来る筈も無い……
俺は、鬼狩りとしても父親としても最低だ……」
槇寿郎は力無くそう言うと俯き、小さく溜息を吐いた。
「───そんな事はありません、父上!!」
重くなってしまった空気と気まずい静寂を打ち破る様に、杏寿郎の大きな声が響き渡り、杏寿郎以外の全員はその声に驚いた。
「きょ……杏寿郎……?」
「兄上……?」
「杏ちゃん……いきなり大きい声出さないでよ……ってか来るなって言ったのに何で来てるの、炭治郎君も」
「す、すみません……
大きい音がしたから何かあったのかと心配になって……」
杏寿郎の大声に顔を顰めた朔耶は、来てはならないと釘を刺していた杏寿郎と炭治郎が此処に居る事を訝しみ、やや不機嫌そうに炭治郎に訊ねると炭治郎は平謝りしていたが、杏寿郎はそんな炭治郎の横をすり抜け、真っ直ぐに槇寿郎の元へと歩み寄るとその場に正座した。
「……父上、俺は幼き頃より熱心に稽古を付けてくれていた貴方の背中を見て育ってきました。
俺も情熱に溢れた父上の様になりたいと、父上を目標にして今日まで歩んで参りました。
母上が亡くなり、父上が柱を辞めた後も……そして今も、俺は父上を信じ続けています。
──それが、息子である俺の役目ですから。
俺が信じずに、誰が父上を信じるというのですか」
杏寿郎は其処まで言うと柔らかく微笑んで見せ、槇寿郎はそんな杏寿郎の言葉に、意外そうな表情になった。
「杏寿郎……
俺を、恨んではいないのか……?」
槇寿郎からの問い掛けに、杏寿郎は迷わず頷いた。
「はい、例えどんな事をされようとも、俺は父上を恨んでなどいません。
───千寿郎もそうだろう?」
其処で杏寿郎は背後に立つ千寿郎を振り返り、同意を求めた。
千寿郎は少し迷った後におずおずと歩み寄って杏寿郎と朔耶の間に座り、槇寿郎を見つめた。
「父上……俺も、兄上と想いは同じです。
何時か父上が、昔の様に暖かく優しい御方に戻ってくれる事を信じて、父上の事を信じ続けていました。
そしてその想いは、これからも変わりません」
「千寿郎……
それに杏寿郎……お前達は……こんな俺を、許してくれるというのか……?」
初めて息子達の想いを聞いた槇寿郎の目には涙が滲み出し、そんな槇寿郎に朔耶は優しく微笑みかけた。
「許すも何も、杏寿郎さんと千寿郎君は槇寿郎おじ様に対して怒ってもいません。
───しかし杏寿郎さんと千寿郎君の育児放棄をしていた事は変わらぬ事実ですから、これからは名誉挽回の為心を入れ替えて馬車馬の如くに働く必要はありますよ、と言うか明日からそうさせますから」
優しい言葉の後に、心に突き刺さる言葉を容赦無く放つ朔耶を見、槇寿郎は引き攣った顔になった。
「わ……分かった、分かったから朔耶君、その笑顔はやめてくれないか……瑠火に似てる……」
槇寿郎の返事を聞くと、朔耶は纏っていた冷たい雰囲気を崩し、改めて槇寿郎に向き直った。
「槇寿郎おじ様。
貴方を信じてくれる者との絆が断ち切れぬ限り、何度だってやり直せます。
───もう一度三人で……いえ、四人でやり直しましょう」
朔耶は槇寿郎、杏寿郎、千寿郎の顔を見渡した後、三人に向かって両手を伸ばして微笑んだ。
───朔耶のその姿に、在りし日の瑠火の姿を重ねた三人は、朔耶の元に身を寄せ、堪えていた涙を流し始めた。
「杏寿郎……!千寿郎……!
済まない……!済まなかった……!」
「いえ……!俺こそ、父上の苦しみに気付けず、申し訳ありませんでした……!」
「父上ぇ……兄上ぇ……!
俺は……お二人の事が大好きです……!
今までも、これからもずっと……!」
泣きじゃくる三人の肩を撫でながら、朔耶は女神の様な優しい微笑みを湛えて三人を見守っていた。
離れた場所で一部始終を見守っていた炭治郎も目頭を熱くさせながら、「良かった……良かった……!」と何度も頷いていた。
「───先程は失礼な事を言って済まなかった、竈門君。
改めて……俺が杏寿郎の父であり、先代炎柱の煉獄槇寿郎だ。
杏寿郎の継子に志願してくれた事、大変有難く思っている。
これから杏寿郎の継子として己を研鑽し、邁進していって欲しい。
此処に居る杏寿郎や朔耶君と共に、鬼殺隊を支える柱となる事を祈っている」
───その後、落ち着いた槇寿郎は改めて炭治郎に向き直り、炭治郎に向かい深々と頭を下げた。
「っ……!
はい、頑張ります!
認めて下さって有難う御座います、槇寿郎さん!」
槇寿郎からの言葉に、炭治郎は背筋を伸ばして頷いた後、自分も槇寿郎に向かって頭を下げた。
それを見て槇寿郎は頷くと、次いで杏寿郎に向き直り、彼にも頭を下げた。
「杏寿郎……今までの事、本当に済まなかった。
あの時は言えなかったが……今改めて言わせて欲しい。
……炎柱就任おめでとう、杏寿郎。
今迄よく頑張ってくれた。
これからも竈門君や朔耶君と共に、己の信念を曲げず、お館様や人々の為に、その剣を振るいなさい。
それがお前に与えられた天命であり、お前が全うすべき使命だ」
「ッ……!!」
槇寿郎から今迄自分が何度も欲しがり、その都度諦めていた言葉を貰った杏寿郎は感極まり、涙を堪えながら何度も頷いた。
「はい……はい!父上!
炎柱の名を……煉獄家の名を穢さぬ様、これからも自らを高めて参ります!
本当に……本当に有難う御座います、父上!」
堪えきれず目元を腕で押さえる杏寿郎の肩に手を置いた後、槇寿郎は次いで千寿郎の肩に手を置いた。
「千寿郎。
お前は無理に俺や杏寿郎の様にならなくてもいい。
お前にはお前にしか無い長所がある、それを最大限に生かせるものを見つけ、それを極めなさい。
お前の人生はお前だけのものだ、お前の信じたただ一つの道を進んでいきなさい。
躓いてもいい、立ち止まってもいい。
最後まで己を強く持ち、己が己である事を誇り、胸を張って生きていきなさい、千寿郎」
槇寿郎からの強く優しい言葉に、千寿郎の目からも涙が溢れ出した。
「うっ……うぅぅっ……
父、上……父上ぇぇっ……!!」
千寿郎は耐え切れず槇寿郎の胸に飛び込み、そんな千寿郎を槇寿郎は優しく受け止め、よしよしと頭を撫でた。
「……良かったですね、朔耶さん。
槇寿郎さん、煉獄さんと千寿郎君と和解出来たみたいで」
三人の様子を見守っていた炭治郎は、隣に座る朔耶にこっそり耳打ちした。
朔耶は炭治郎を振り返ると、片目を瞑って見せた。
「ふふ、こういうのは間に女が居た方がアッサリ解決したりするものよ。
槇寿郎おじ様は頑固だけど話の分からない御方じゃないし、張り手一発喰らわせれば目を覚ましてくれるかなって思って。
私の中でもコレは一か八かの賭けだったから、正直言うと内心ビビってたんだけどね」
(イヤ……全然ビビってた様に見えませんでした朔耶さん……
母ちゃんが怒った時と同じ位怖かったです……)
にこやかな笑顔を浮かべる朔耶を、炭治郎は冷や汗をかきながら畏怖の眼差しで見つめた。
槇寿郎は泣きじゃくる千寿郎を抱き締めたまま、炭治郎と並んで座る朔耶を向いた。
「……朔耶君、君にも迷惑を掛けた。
君の言う通り……俺はいい歳をして杏寿郎や千寿郎に甘え、臆病な自分を守る為に二人を傷付けていた愚か者だ。
俺がこんなザマでは瑠火に顔向け出来ないからな……明日からは……否、今日から心を入れ替えていこうと思う。
朔耶君、面倒を掛けるが……もしまた俺が挫けそうになったら、その時はうんと叱り飛ばしてくれないか」
槇寿郎からの頼みに、朔耶はにっこりと微笑んで頷いた。
「ええ、勿論です。
ゆくゆくは煉獄家の嫁となる身ですから、もし煉獄家の名に泥を塗る様な真似をすれば遠慮容赦無しに鍛え直して差し上げますからお覚悟を、お義父様」
───朔耶の凍てつく様な笑顔と声色に、その場の全員は恐怖で身体を硬直させ、身体を震わせた。
(さ、朔耶さん……鬼より怖い……
これが巷で聞く、鬼嫁ってやつなのかな……)
炭治郎は朔耶の横顔を見つめながら、ぶるぶると身体を震わせていた。
槇寿郎も朔耶の放つ圧に暫く涙目で身体を震わせていたが、気が付いた様に咳払いをすると、朔耶を真っ直ぐに見つめた。
「……朔耶君、君が先程言っていた事だが……
君が鬼殺隊に入る事も、柱になる事も止めなかったのは聖耶……君の父親との、そして聖耶を亡くし、身寄りが無くなった君を引き取ったのは樹奈さん……君の母親との最後の約束だったからだ」
槇寿郎の言葉に、朔耶は目を見開いた。
「私のお父様と、お母様との最後の約束……?」
「ああ、そうだ。
朔耶君、君も聖耶から聞いていただろうが……樹奈さんは生まれつき身体が弱く、君を身篭った際は医者から出産を反対される程だった。
下手をすれば母子共に死に至る、とまで言われたが……それでも樹奈さんは命と引き換えに君を出産した。
──樹奈さんが臨月に入った際、俺は瑠火と共に樹奈さんに呼ばれ、樹奈さんからこう託されたんだ。
『私はこの子の命と引き換えに旅立ちます。
私が居なくなった後、この子の事をどうか宜しくお願いします』──と。
その時瑠火の腕には、生後間も無い杏寿郎が抱かれていたからな……
樹奈さんは己が死ぬ事を分かっていて、生まれ来る君が将来杏寿郎の妻となる事を心の何処かで察していたのだろうな、煉獄家と輝夜月家のしきたりは樹奈さんも理解していたし、聖耶が自分亡き後に後妻を娶る事もしないのだろうと予想していたのだろうな……」
槇寿郎は其処で息を吐くと、千寿郎が淹れてくれた茶を一口飲み干した。
「……樹奈さんの予想通り、樹奈さんを深く愛していた聖耶は樹奈さん亡き後、後妻を迎える事はせず男手一つで君を育て上げた。
瑠火にも手伝って貰いながらだが……聖耶は慣れない育児に熱心に取り組んでいた。
……それから君と杏寿郎の婚約が成立した日の夜、俺は聖耶にこう頼まれた。
『朔耶は何れ、俺が何も言わなくとも鬼殺隊に入り、ゆくゆくは俺の跡を継ぎ次期月柱となるだろう。
もし俺の身に何かあったその時は、朔耶の意思を尊重してあげて欲しいんだ』──と。
───その後、鬼舞辻により輝夜月家が襲撃され、聖耶は鬼舞辻に殺された。
嫌な予感程当たるものだな……俺にはあの時の聖耶が、自分の死期を悟っていた様にしか思えなかった。
聖耶の葬儀で、聖耶の棺に縋り付いて泣きじゃくる君を見て俺は、聖耶と樹奈さん……二人と交わした最後の約束を果たす時が来たと感じた。
この子を守り、育てるのは俺の果たすべき使命だと。
聖耶の葬儀が終わった後、俺は当主不在の輝夜月家の戸籍が抹消されない様、俺が当主兼任という形で輝夜月家の戸籍を残しながら、君を養子という形で煉獄家に迎え入れた。
そして輝夜月邸の焼け跡から、君が今身に付けているその羽織と日輪刀を拾い上げ、君が鬼殺隊に入るその日まで蔵に保管していた。
───聖耶が言った通り、君は杏寿郎と共に鬼殺隊に入る道を選び、見事に月柱の座を手に入れた。
君が先程言ったように、俺には聖耶の遺志を無視して君に鬼殺の道を歩ませない事も出来たが……女性だからと言って君の意思を否定せず、君には君が選んだ道を歩んで欲しかったんだ。
───その願いは聖耶と樹奈さんだけの願いで無く、俺と瑠火の願いでもあったんだ」
槇寿郎から聞かされた両親との約束の話に、朔耶は瞳を潤ませながら口元を両手で覆った。
「お父様……お母様……
私の為に……其処まで……」
今にも泣き崩れてしまいそうな朔耶の様子を見て、槇寿郎は彼女の前に座ると、その肩に両手を置いた。
「……朔耶君。
先程君は自分の事を余所者だと言っていたが……どうかそんな寂しい事を言わないで欲しい。
聖耶と樹奈さんに頼まれた事もあるが……俺にとって君は実の娘も同然なのだから。
君のお陰で、俺は目を覚ます事が出来た。
君が居なければ、俺は今も無様な体たらくを晒していただろう。
俺の為に本気で怒ってくれた君には、本当に感謝している。
───有難う、朔耶君」
槇寿郎は優しい笑みを浮かべながら、朔耶の肩を優しく叩いた。
「うっ……うぅぅぅっ……
槇寿郎おじ様ぁ……!!」
朔耶は遂に耐え切れず、顔をくしゃくしゃにして泣き崩れ、槇寿郎に抱き着いた。
「私こそ……今迄私を育ててくれて……本当に有難う御座いました……!!
何も知らずに知った様な口を利いてごめんなさい……!!」
泣きじゃくる朔耶の背中を、槇寿郎は優しく撫でてやった。
「いいんだ、話す機会を逃してしまっていただけだからな。
……これからもどうか、杏寿郎を宜しく頼むぞ、朔耶君」
「はい……はい……!」
槇寿郎の言葉に朔耶は何度も頷き返し、杏寿郎と千寿郎と炭治郎は、二人のやり取りを見て微かに涙ぐんでいた。
───翌日。
「槇寿郎おじ様!
日中の活動に支障が出るので朝からお酒は禁止です!」
「えぇ……
少し位ならいいだろう?」
「駄目です!
その少しが呼び水になりますので!」
朝から煉獄家に来ていた朔耶は何時もの習慣で酒を口にしようとしていた槇寿郎の手から酒壺を奪い取り、片手に持った箒の柄で畳を叩いた。
「今日は屋敷を綺麗に掃除して頂きます!
今迄千寿郎君に家事を任せきりでいた分、キッチリやって頂きますからね!
ほら、早く着替えて顔を洗ってきて下さい!
後そのみっともない無精髭もちゃんと剃って下さい!」
「わ、分かったから朔耶君、ちょっと待っ……」
「早くしろこのクソ親父!!キビキビ動け!!」
「痛ッ!!
き、杏寿郎~!千寿郎~!
助けてくれぇぇ!!」
朔耶は慌てふためきながら逃げ惑う槇寿郎の尻を箒で叩きながら追い掛け回し、それを物陰で見守っていた杏寿郎と千寿郎は苦笑いを零していた。
「助けに入りたいのは山々だが……朔耶から『これ以上甘やかしたら二度とシない』と釘を刺されてしまったからな……
……父上には申し訳無いが……俺にとっては朔耶を抱けなくなる事の方が何より辛い、父上には頑張って下さいとしか言えん……」
「俺も朔耶さんに『必要以上に家事はしない様に』ってきつく止められてるから……
……俺も父上には頑張って下さい、としか言えません……」
朔耶に襟首を掴まれて洗面所まで引っ張られながら悲鳴を上げる槇寿郎の姿を見て、杏寿郎と千寿郎は密かに合掌した。
(朔耶さん……やっぱり鬼より怖い……)
本日から杏寿郎に稽古を付けて貰う為、杏寿郎に同行してきていた炭治郎も物陰からその様子を見て、恐怖に身体を震わせていた。
了