短編集
───瞳を閉じれば、今でも瞼の裏に鮮明に蘇るあの日。
白詰草が咲き誇る花畑で、幼き日の私と彼は一つの約束を交わした。
『朔耶、俺はお前の事が世界で一番大好きだ!
だから……大人になったら……俺と結婚して欲しい!』
幼い頃から共に過ごしてきた彼の事を慕っていた私にとって、この人以外の誰かとの将来なんて考えられなかった。
気が弱くて何時も近所の子供達から苛められていた私を守ってくれて、どんな時も真っ直ぐで、嘘偽りの無い言葉をはきはきとした口調で話す彼に、私は何時しか恋をしていたから。
『うん!
私も、世界で一番杏ちゃんの事が大好きだから、いいよ!
私、杏ちゃんのお嫁さんになるから、もっと強い女の子になる!』
私は迷わず、彼からの求婚に頷いた。
『本当か!?ありがとう朔耶!
俺、絶対にお前を幸せにするから!
今日の事を忘れないように、指切りしよう!』
『うん!約束だよ、杏ちゃん!』
そして私達は、互いの小さな小指を絡めあって指切りを交わし、微笑み合った。
───あの約束から何年経ったのだろう。
生まれて直ぐに母を亡くし、数えで十二の時、一人っ子の私にとって唯一の肉親であった父を鬼舞辻無惨に殺された私は、杏ちゃん──煉獄杏寿郎のお父様、槇寿郎おじ様に引き取られ、煉獄家で育った。
私の実家、輝夜月家と杏ちゃんの実家、煉獄家は古くは一つの一族だったのだが、戦国時代に入る頃には枝分かれしそれぞれ家柄を確立した、と家に代々伝わる書物で読んだ事がある。
その為私の亡き父、輝夜月聖耶と杏ちゃんのお父様、煉獄槇寿郎おじ様は昔から互いを懇意にしており、私と杏ちゃんが六歳の時に婚約を成立させたのも二人だった。
───正式に婚約する前に私と杏ちゃんは既に結婚の約束をしていたから後出し感はあったけれど、正式に杏ちゃんの結婚相手になれた事に関してはとても嬉しかった。
杏ちゃんは婚約が成立した時、泣いて喜んで私を抱き締めてくれたっけ。
輝夜月家と煉獄家には昔から、変わらぬ結束の証として互いの家の子供を娶せる慣習があるらしく、お父様と槇寿郎おじ様もその慣習に従って私達の婚約を取り決めた様で、私達の意思を無視して婚約を結ぶ事に対して心を痛めていたみたいだったけれど、私達の様子を見てそれは杞憂だったと安心した様だ。
───その縁もあったのだろう、槇寿郎おじ様は瑠火おば様を亡くしてから気力を無くし、炎柱を引退し屋敷に居る様になってからも、私には良くしてくれた。
煉獄家は炎柱、そして輝夜月家は月柱を代々輩出し鬼殺隊に貢献してきた家柄であり、互いに嫡子として生まれた杏ちゃんと私は、義務付けされていたかの様に鬼殺隊に入隊し、血の滲む様な努力を重ねて功績を挙げ、それぞれ炎柱、月柱の席を手に入れた。
柱になった私は正式に輝夜月家の当主となり、鬼舞辻襲撃の際に焼失してしまったがお館様の厚意で建て直された輝夜月家の屋敷に移り住んだ。
───そして、現在に至る。
「杏ちゃん!もう一本お願い!」
「はっはっは!いいぞ、朔耶が望むなら何度でも付き合ってやろう!」
───鬼殺隊本部の鍛錬場にて、私と杏ちゃんは手合わせをしていた。
柱になった今でも、私達はお互い慢心する事無く、非番の日や任務が入るまでの間はこうして手合わせをしている。
「おーおー、今日も熱入ってんなァ煉獄夫婦は」
「ったく、いちゃつくんなら外でやりやがれ」
音柱の宇髄天元さんと、風柱の不死川実弥さんが私達の手合わせを遠巻きに見ながら何やら話していたけど、手合わせ中の私達にとってはどうでもいい事だった。
「せいっ!やっ!」
「隙があるぞ朔耶!攻撃に集中し過ぎるな!」
私の振るった日輪刀を自分の日輪刀で跳ね返しながら、杏ちゃんは私の盲点を指摘した。
「っと!ごめんごめん、油断してた!」
「俺を本物の鬼だと思ってやってみろ、朔耶!」
「了解!」
───その後暫く私達の手合わせは続き、終わる頃には既に陽が西に傾いていた。
「は~~~、つっかれたぁぁ……」
ヘトヘトになってしまった私は、日輪刀を傍らに放り投げると玉砂利の上に座り両足を大きく投げ出した。
「朔耶、女子がそんなに足を開くものではないぞ!」
「うわっ、うるさっ……
杏ちゃん、何処まで体力バカなの……私もうヘトヘトだよ……」
傍らに立つ杏ちゃんの大声に、私は辟易しながら片耳を塞いだ。
「今日は特に任務も入らなかったし、もう帰ろうか。
晩ご飯作らなきゃ……杏ちゃん、うちで食べてく?」
私は杏ちゃんの手を借りて立ち上がると、傍らに転がる日輪刀を鞘に戻しながら杏ちゃんに問い掛けた。
「うむ!朔耶の作る飯は美味いからな!ついでに泊まる!」
「はいはい、泊まるのは結構だけどその前に千君にちゃんと伝えときなさいよ、心配するから」
杏ちゃんが夕食ついでに私の屋敷に泊まる事は日常茶飯事だったが、たまに弟の千君こと煉獄千寿郎君に言伝を忘れる事がある為、杏ちゃんにその事について言及しつつやんわりと釘を刺しておいた。
私の言葉に頷いた杏ちゃんは、自分の鎹鴉である要に言伝を頼んで飛ばした後、私を振り返った。
「言伝は済んだ!帰るぞ朔耶!今日もさつまいもの味噌汁を忘れずにな!」
「はいはい、杏ちゃん本当好きだよね、さつまいものお味噌汁」
私と杏ちゃんは笑い合いながら並んで歩き出し、帰路に着いた。
───この男性(ひと)と共に歩む未来を守る為、そして私の様に、鬼の手による悲しき犠牲者をこれ以上増やさない為に、私は刀を握り、戦い続ける。
隣を歩く杏ちゃんの笑顔を見つめながら、私は今一度自分に強く言い聞かせた。
さぁ、今夜も杏ちゃんが大好きなさつまいものお味噌汁を作ってあげよう。
了
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